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2012.09.19

 [読む年表] 三代の大元帥の戦争は何だったのか その二 明治天皇 日本軍が台湾に上陸します。

 明治天皇が政権についたのは、一九六八年一月三日でした。

 同年四月七日、太政官(明治政府)が五つの高札を立てます。五榜の掲示(ごぼうのけいじ)です。五倫道徳遵守、徒党・強訴・逃散禁止、切支丹・邪宗門厳禁、万国公法履行、郷村脱走禁止を民衆に命じました。幕府の禁令をひきつぎ、新政権の反人民性を示すものでした。

 第一札。「定 一 人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事 一 鰥寡孤獨癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事 一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ惡業アル間敷事 慶應四年三月 太政官」。

 第二札。「定 何事ニ由ラス宜シカラサル事ニ大勢申合セ候ヲ徒黨ト唱ヘ徒黨シテ強テ願ヒ事企ルヲ強訴トイヒ或ハ申合セ居町居村ヲ立退キ候ヲ逃散ト申ス堅ク御法度タリ若右類ノ儀之レアラハ早々其筋ノ役所ヘ申出ヘシ御褒美下サルヘク事 慶應四年三月 太政官」。

 第三札。「定 一 切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ若不審ナル者有之ハ其筋之役所ヘ可申出御褒美可被下事 慶應四年三月 太政官

 閏四月四日改正 先般御布令有之候切支丹宗門ハ年來固ク御制禁ニ有之候處其外邪宗門之儀モ總テ固ク被禁候ニ付テハ混淆イタシ心得違有之候テハ不宜候ニ付此度別紙之通被相改候條早々制札調替可有掲示候事 (別紙) 一 切支丹宗門之儀ハ是迄御制禁之通固ク可相守事 一 邪宗門之儀ハ固ク禁止候事 慶應四年三月 太政官」。

 第四札。「覚 今般 王政御一新ニ付 朝廷ノ後條理ヲ追ヒ外國御交際ノ儀被 仰出諸事於 朝廷直ニ御取扱被爲成萬國ノ公法ヲ以條約御履行被爲在候ニ付テハ全國ノ人民 叡旨ヲ奉戴シ心得違無之樣被 仰付候自今以後猥リニ外國人ヲ殺害シ或ハ不心得ノ所業等イタシ候モノハ 朝命ニ悖リ御國難ヲ醸成シ候而巳ナラス一旦 御交際被 仰出候各國ニ對シ 皇國ノ御威信モ不相立次第甚以不届至極ノ儀ニ付其罪ノ輕重ニ随ヒ士列ノモノト雖モ削士籍至當ノ典刑ニ被處候條銘々奉 朝命猥リニ暴行ノ所業無之樣被 仰出候事  三月 太政官」。

 第五札。「覚 王政御一新ニ付テハ速ニ天下御平定萬民安堵ニ至リ諸民其所ヲ得候樣 御煩慮被爲 在候ニ付此折柄天下浮浪ノ者有之候樣ニテハ不相濟候自然今日ノ形勢ヲ窺ヒ猥ニ士民トモ本國ヲ脱走イタシ候儀堅ク被差留候萬一脱國ノ者有之不埒ノ所業イタシ候節ハ主宰ノ者落度タルヘク候尤此御時節ニ付無上下 皇國ノ御爲叉ハ主家ノ爲筋等存込建言イタシ候者ハ言路ヲ開キ公正ノ心ヲ以テ其旨趣ヲ盡サセ依願太政官代ヘモ可申出被 仰出候事  但今後總テ士奉公人不及申農商奉公人ニ至ル迄相抱候節ハ出處篤ト相糺シ可申自然脱走ノ者相抱ヘ不埒出來御厄害ニ立至リ候節ハ其主人ノ落度タルヘク候事 三月 太政官」。

 この政権が、徳川幕府と違った点は、この政権が、成人男性全体を対象に徴兵制をしき、そうして集めた兵隊を海外侵略にかりたてたことでした。

 一八七三年(明治六年)一月十日、徴兵令を発布しました。

 一九七四年(明治七年)二月六日、閣議は台湾出兵を決定します。

 そして、五月二十二日、日本軍が台湾に上陸します。

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