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2012.09.19

 [読む年表] 三代の大元帥の戦争は何だったのか その七 明治天皇 日本は清に宣戦布告します

 一八九三年(明治二十六年)五月二十二日、勅令第五十二号で戦時大本営条例を公布しました。「第一条 天皇ノ大纛下ニ最高ノ統帥部ヲ置キ之ヲ大本営ト称ス/第二条 大本営ニ在テ帷幄[いあく。本営]ノ機密ニ参与シ帝国陸海軍ノ大作戦ヲ計画スルハ参謀総長ノ任トス/第三条 幕僚ハ陸海軍将校ヲ以テ組織シ其人員ハ別ニ定ムル所ニ依ル/第四条 大本営ニハ各機関ノ高等部ヲ置キ大作戦ノ計画ニ基キ其事務ヲ統理セシム」。

 一八九四年(明治二十七年)二月十五日、朝鮮で農民蜂起(甲午農民戦争が始まります)。

 同年六月五日、参謀本部に大本営を設置します。

 同年七月二十三日、日本軍が朝鮮王宮を占領(ソウル)、朝鮮軍を武装解除します。

 同月二十五日、日本は、豊島沖で清の軍艦を攻撃します。

 同年八月、日本は清に宣戦布告します(日清戦争)。主に朝鮮半島の支配権を争った戦争でした。

 一八九五年(明治二十八年)四月十七日、日清講和条約締結(下関条約)。遼東半島、台湾、澎湖列島の日本への割譲。

 以下、同条約全文。

 大日本國皇帝陛下及大淸國皇帝陛下ハ兩國及其ノ臣民ニ平和ノ幸福ヲ囘復シ且將來紛議ノ端ヲ除クコトヲ欲シ媾和條約ヲ訂結スル爲メニ大日本國皇帝陛下ハ内閣總理大臣從二位勳一等伯爵伊藤博文外務大臣從二位勳一等子爵陸奧宗光ヲ大淸國皇帝陛下ハ太子太傅文華殿大學士北洋大臣直隸總督一等肅毅伯李鴻章二品頂戴前出使大臣李經方ヲ各其ノ全權大臣ニ任命セリ因テ各全權大臣ハ互ニ其ノ委任状ヲ示シ其ノ良好妥當ナルヲ認メ以テ左ノ諸條款ヲ協議決定セリ

  第一條

 淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ

  第二條

 淸國ハ左記ノ土地ノ主權竝ニ該地方ニ在ル城壘兵器製造所及官有物ヲ永遠日本國ニ割與ス

  一 左ノ經界内ニ在ル奉天省南部ノ地

    鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城海城營口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル處ハ該河ノ中央ヲ以テ經界トスルコトト知ルヘシ

    遼東灣東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ屬スル諸島嶼

  二 臺灣全島及其ノ附屬諸島嶼

  三 澎湖列島即英國「グリーンウィチ」東經百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼

 第三條

 前條ニ掲載シ附屬地圖ニ示ス所ノ經界線ハ本約批准交換後直チニ日淸兩國ヨリ各二名以上ノ境界共同劃定委員ヲ任命シ實地ニ就テ確定スル所アルヘキモノトス而シテ若本約ニ掲記スル所ノ境界ニシテ地形上又ハ施政上ノ點ニ付完全ナラサルニ於テハ該境界劃定委員ハ之ヲ更正スルコトニ任スヘシ

 該境界劃定委員ハ成ルヘク速ニ其ノ任務ニ從事シ其ノ任命後一箇年以内ニ之ヲ終了スヘシ

 但シ該境界劃定委員ニ於テ更定スル所アルニ當リテ其ノ更定シタル所ニ對シ日淸兩國政府ニ於テ可認スル迄ハ本約ニ掲記スル所ノ經界線ヲ維持スヘシ

 第四條

 淸國ハ軍費賠償金トシテ庫平銀貳億兩ヲ日本國ニ支拂フヘキコトヲ約ス右金額ハ都合八囘ニ分チ初囘及次囘ニハ毎囘五千萬兩ヲ支拂フヘシ而シテ初囘ノ拂込ハ本約批准交換後六箇月以内ニ次囘ノ拂込ハ本約批准交換後十二箇月以内ニ於テスヘシ殘リノ金額ハ六箇年賦ニ分チ其ノ第一次ハ本約批准交換後二箇年以内ニ其ノ第二次ハ本約批准交換後三箇年以内ニ其ノ第三次ハ本約批准交換後四箇年以内ニ其ノ第四次ハ本約批准交換後五箇年以内ニ其ノ第五次ハ本約批准交換後六箇年以内ニ其ノ第六次ハ本約批准交換後七箇年以内ニ支拂フヘシ又初囘拂込ノ期日ヨリ以後未タ拂込ヲ了ラサル額ニ對シテハ毎年百分ノ五ノ利子ヲ支拂フヘキモノトス

 但シ淸國ハ何時タリトモ該賠償金ノ全額或ハ其ノ幾分ヲ前以テ一時ニ支拂フコトヲ得ヘシ如シ本約批准交換後三箇年以内ニ該賠償金ノ總額ヲ皆濟スルトキハ總テ利子ヲ免除スヘシ若夫迄ニ二箇年半若ハ更ニ短期ノ利子ヲ拂込ミタルモノアルトキハ之ヲ元金ニ編入スヘシ

 第五條

 日本國ヘ割與セラレタル地方ノ住民ニシテ右割與セラレタル地方ノ外ニ住居セムト欲スル者ハ自由ニ其ノ所有不動産ヲ賣却シテ退去スルコトヲ得ヘシ其ノ爲メ本約批准交換ノ日ヨリ二箇年間ヲ猶豫スヘシ但シ右年限ノ滿チタルトキハ未タ該地方ヲ去ラサル住民ヲ日本國ノ都合ニヨリ日本國臣民ト視爲スコトアルヘシ

 日淸兩國政府ハ本約批准交換後直チニ各一名以上ノ委員ヲ臺灣省ヘ派遣シ該省ノ受渡ヲ爲スヘシ而シテ本約批准交換後二箇月以内ニ右受渡ヲ完了スヘシ

 第六條

 日淸兩國間ノ一切ノ條約ハ交戰ノ爲メ消滅シタレハ淸國ハ本約批准交換ノ後速ニ全權委員ヲ任命シ日本國全權委員ト通商航海條約及陸路交通貿易ニ關スル約定ヲ締結スヘキコトヲ約ス而シテ現ニ淸國ト歐洲各國トノ間ニ存在スル諸條約章程ヲ以テ該日淸兩國間諸條約ノ基礎ト爲スヘシ又本約批准交換ノ日ヨリ該諸條約ノ實施ニ至ル迄ハ淸國ハ日本國政府官吏商業航海陸路交通貿易工業船舶及臣民ニ對シ總テ最惠國待遇ヲ與フヘシ

 淸國ハ右ノ外左ノ讓與ヲ爲シ而シテ該讓與ハ本約調印ノ日ヨリ六箇月ノ後有效ノモノトス

 第一 淸國ニ於テ現ニ各外國ニ向テ開キ居ル所ノ各市港ノ外ニ日本國臣民ノ商業住居工業及製造業ノ爲メニ左ノ市港ヲ開クヘシ但シ現ニ淸國ノ開市場開港場ニ行ハルル所ト同一ノ條件ニ於テ同一ノ特典及便益ヲ享有スヘキモノトス

     一 湖北省荊州府沙市

     二 四川省重慶府

     三 江蘇省蘇州府

     四 浙江省杭州府

    日本國政府ハ以上列記スル所ノ市港中何レノ處ニモ領事官ヲ置クノ權利アルモノトス

 第二 旅客及貨物運送ノ爲メ日本國汽舩ノ航路ヲ左記ノ場所ニ迄擴張スヘシ

     一 楊子江上流湖北省宜昌ヨリ四川省重慶ニ至ル

     二 上海ヨリ呉淞江及運河ニ入リ蘇州杭州ニ至ル

    日淸兩國ニ於テ新章程ヲ妥定スル迄ハ前記航路ニ關シ適用シ得ヘキ限ハ外國船舶淸國内地水路航行ニ關スル現行章程ヲ施行スヘシ

 第三 日本國臣民カ淸國内地ニ於テ貨品及生産物ヲ購買シ又ハ其ノ輸入シタル商品ヲ淸國内地ヘ運送スルニハ右購買品又ハ運送品ヲ倉入スル爲メ何等ノ税金取立金ヲモ納ムルコトナク一時倉庫ヲ借入ルルノ權利ヲ有スヘシ

 第四 日本國臣民ハ淸國各開市場開港場ニ於テ自由ニ各種ノ製造業ニ從事スルコトヲ得ヘク又所定ノ輸入税ヲ拂フノミニテ自由ニ各種ノ器械類ヲ淸國ヘ輸入スルコトヲ得ヘシ

    淸國ニ於ケル日本臣民ノ製造ニ係ル一切ノ貨品ハ各種ノ内國運送税内地税賦課金取立金ニ關シ又淸國内地ニ於ケル倉入上ノ便益ニ關シ日本國臣民カ淸國ヘ輸入シタル商品ト同一ノ取扱ヲ受ケ且同一ノ特典免除ヲ享有スヘキモノトス

 此等ノ讓與ニ關シ更ニ章程ヲ規定スルコトヲ要スル場合ニハ之ヲ本條ニ規定スル所ノ通商航海條約中ニ具載スヘキモノトス

 第七條

 現ニ淸國版圖内ニ在ル日本國軍隊ノ撤囘ハ本約批准交換後三箇月内ニ於テスヘシ但シ次條ニ載スル所ノ規定ニ從フヘキモノトス

 第八條

 淸國ハ本約ノ規定ヲ誠實ニ施行スヘキ擔保トシテ日本國軍隊ノ一時山東省威海衞ヲ占領スルコトヲ承諾ス而シテ本約ニ規定シタル軍費賠償金ノ初囘次囘ノ拂込ヲ了リ通商航海條約ノ批准交換ヲ了リタル時ニ當リテ淸國政府ニテ右賠償金ノ殘額ノ元利ニ對シ充分適當ナル取極ヲ立テ淸國海關税ヲ以テ抵當ト爲スコトヲ承諾スルニ於テハ日本國ハ其ノ軍隊ヲ前記ノ場所ヨリ撤囘スヘシ若又之ニ關シ充分適當ナル取極立タサル場合ニハ該賠償金ノ最終囘ノ拂込ヲ了リタル時ニ非サレハ撤囘セサルヘシ尤通商航海條約ノ批准交換ヲ了リタル後ニ非サレハ軍隊ノ撤囘ヲ行ハサルモノト承知スヘシ

 第九條

 本約批准交換ノ上ハ直チニ其ノ時現ニ有ル所ノ俘虜ヲ還附スヘシ而シテ淸國ハ日本國ヨリ斯ク還附セラレタル所ノ俘虜ヲ虐待若ハ處刑セサルヘキコトヲ約ス

 日本國臣民ニシテ軍事上ノ間諜若ハ犯罪者ト認メラレタルモノハ淸國ニ於テ直チニ解放スヘキコトヲ約シ淸國ハ又交戰中日本國軍隊ト種種ノ關係ヲ有シタル淸國臣民ニ對シ如何ナル處刑ヲモ爲サス又之ヲ爲サシメサルコトヲ約ス

 第十條

 本約批准交換ノ日ヨリ攻戰ヲ止息スヘシ

 第十一條

 本約ハ大日本國皇帝陛下及大淸國皇帝陛下ニ於テ批准セラルヘク而シテ右批准ハ芝罘ニ於テ明治二十八年五月八日即光緒二十一年四月十四日ニ交換セラルヘシ

 右證據トシテ兩帝國全權大臣ハ茲ニ記名調印スルモノナリ

 明治二十八年四月十七日即光緒二十一年三月二十三日下ノ關ニ於テ二通ヲ作ル

          大日本帝國全權辨理大臣 内閣總理大臣從二位勳一等伯爵 伊藤博文 印

          大日本帝國全權辨理大臣 外務大臣  從二位勳一等子爵 陸奧宗光 印

          大淸帝國欽差頭等全權大臣太子太傅文華殿大學士北洋大臣直隸總督一等肅毅伯 李鴻章

          大淸帝國欽差全權大臣  二品頂戴前出使大臣 李經方 印

 日清講和条約直後に遼東半島の清への返還をもとめるロシア、ドイツ、フランスの干渉。五月に受諾。

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