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2012.10.19

 〈読む年表〉 皇国の唱歌をつくる吉田豊道から反戦詩人・槇村浩へ転機は何か ⑤ 岡山市の関西中学校五年生に

 ・一九三〇年四月、吉田は、岡山市の私立関西中学校五年生に編入します。

 ・同年四月二十四日、福島県若松の鶴ケ城の近くの陸軍歩兵連隊が軍旗祭を開いていたさなかに反戦ビラが配布されました。ビラは「戦争の危機が迫っている」「あなた達自身もこの戦争に反対せざるをえない」というものでした。日本共産党員・相良(さがら)新一さんによると、十数人がいっせいに正門から入り、整理箱や寝台、トイレなど兵舎のさまざまな場所に四百枚のビラを入れたといいます。当時の地元紙は「若松憲兵及び若松警察特高課は俄然(がぜん)色めきたち」と伝えています。(二〇一三年四月二十五日の「しんぶん赤旗」のコラム「潮流」)

 ・同年五月二十七日、間島の薬水洞上村の八間家の庭先で開かれた群衆集会で申春が“薬水洞ソビエト政府が樹立された!”と宣布しました。
 ・同年五月三十日、間島で抗日の「五・三〇暴動」がおこります(延辺の龍井に 「“五卅暴動”指揮部址」の石碑(龍井市人民政府建立。二〇一〇年五月三十日)があります。五卅は、五月三十日です。「中國網 china.com.cn」に、こんな解説が出ています。「延辺の朝鮮族の五・三〇暴動は、延辺の朝鮮族人民の反帝反封建的闘争です。一九三〇年五月三十日、中共延辺党組織は延辺の龍井、頭道溝、大拉子、南陽坪、湖泉街、開山屯、石建坪、延吉、老頭溝などの地でたちあがり暴動をおこしました。当地の反動機関を狙ったものでした。ある夜、龍井発電所を爆破し、東洋拓殖会社間島出張所を焼きうちし、日本領事館を襲撃し、天圖鉄道の橋梁などを破壊し、多くの日本の警察官を殺しました。同時に、軍閥政府機関と地主の家を襲い、借用書を焼き、地主の糧食を没収し、日本帝国主義と反動軍閥の統治に大きな打撃を与えました。」 
 ・同年六月二日の高知の土陽新聞が「学校を焼き電線を切断 間島に不逞鮮人 爆弾を投じ各所に放火 全一焼土化計画暴露す」、「間島の焼討に 間島人心恟々 支邦官憲と協力し 奥地深く追込む」、「鮮人暴徒の為 邦人警官負傷 午後六時何れかへ引上ぐ」。「学校を焼き、電線を切断/間島に不逞鮮人蜂起/爆弾を投じ各所に放火/全市焼土化計画暴露す」)。
 ・同年十月二十七日、台湾の住民が反日武装蜂起(霧社事件)。
 ・一九三一年三月五日、吉田は私立関西中学校を卒業。百点は歴史(一学期)、地理(一学期)、法経(三学期)。教練は二十点、十点、三十点。卒業時の成績は、二百十七人中九十八番。槇村は高知へ帰ります。

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