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2012.10.08

二〇一二年十月六日 土曜日 高知市鴨田のかたたち計二十三人と戦跡めぐり。

二〇一二年十月六日 土曜日 高知市鴨田のかたたち計二十三人と戦跡めぐり。

 曇り。

  高知市鴨田のかたたち計二十三人と戦跡めぐり。
 私はガイドです。
 午前九時集合。
 鴨田の日清戦争のころの川崎伊勢雄の石碑。
 南国市の片山の陸軍陣地跡(木が切られ、壕などが封鎖されていました!!)。
 南国市の高知海軍航空隊の掩体(三か所しかまわれませんでした)。
 香南市の手結(てい)の震洋の基地跡。
 岸本の自衛隊の基地(戦車が配備されていました)。
 これで帰ったら午後四時ころでした。

 夕方、テレビで、さだまさしさんの「無縁坂」を聴きました。
 これがいけませんでした。
 この無縁坂の、すぐ近く、東京都文京区湯島の台東区営住宅の五階で暮らした日々を思い出しました。
 この歌が流行っていたころのことです。
 二部屋でした。
 台東区の中学校の国語教師の妻がいました。
 藤原尋子です。
 長男・カズシが生まれました。
 三か月で亡くなりました。
 絶望。
 しかし、しばらくして長女・カナが生まれました。
 心配して高知県伊野町に住んでいた母がやってきました。
 二男・タダシが生まれました。
 当時、整理記者だった僕は、明け方にタクシーで家に帰る生活でした。
 「あなた。お願いね」
 午前七時ころに起きて二人の子どもを保育園に連れて行きました。
 東洋大学に通う弟も一緒に住んでいました。
 革新都政のころでした。
 公害ぜんそくになったカナ。
 発作で苦しんでいる彼女の口に指をつっこんで食いちぎられそうになったこともありました。救急車で病院に運びました。
 彼女は、無料で治療を受けることができました。
 難病の母も無料で治療を受けることができました。
 その、母は、いまは、いません。

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