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2012.10.19

 〈読む年表〉 皇国の唱歌をつくる吉田豊道から反戦詩人・槇村浩へ転機は何か ④ 高知県立中学海南学校の二年生に

 ・一九二七年四月、吉田は高知県立中学海南学校(高知市九反田)の二年生に編入しました(編入にさいしては同校の教師で郷土史家であった寺石正路が尽力)。身長百六十センチメートル足らず。同じクラスだった富永三雄が、当時の吉田を語っています。「真白く、青ずんだ顔、澄んだ瞳、薄い口唇、あまり口をきかない、少し猫背、ただ書物のみを斜めに読む。吉田は、どうしたことか、正門の開成門を避けて北側の裏門を利用した。『権威の象徴に意味があるのか』と反問せられて答えが出なかった。」(富永三雄「思い出」=『ダッタン海峡』第九号。槇村浩の会。二〇〇四年一月二十六日)。
 同校に転校してきたころの吉田について、富永は、つぎのようにものべています=「『数学の勉強を怠けて、他の秀才についていけなくなった。』と笑いながら話かけてきた彼。やや青みすらおびた真白い顔。長いまつ毛の下に、切れの長い目とすんだ瞳。脊はやや猫脊。小柄で五尺二寸程度。陸士[陸軍士官学校]、海兵[海軍兵学校]の志望者の多い生徒たちのなかで、彼はたちまち特異の存在になってしまった。それでいて、彼はとても人なつっこかった。おとなしく、軽くユーモアと皮肉をとばす明朗な面もあった。何よりも驚いたことは、教科書を勉強せずに、星印のついた岩波文庫をいつもよんでいることであった。それもほとんど毎日、その本がかわっている。小説、和歌、俳句、古文集、漢詩、歴史、随想、ありとあらゆるものを彼は読みあさっていた。歩きながらよむ。本をななめに流すようによむ。それでいて、内容を完全にいつまでも暗記している頭のよさには、ただ驚くばかりであった。英語の本を訳すのに、一冊の英語辞書を暗記する努力をした。不得意な数学の解答も暗記。歴史地理の知識は教師なみ。国語漢文では、教師も彼の後塵を拝せざるをえなかった。試験勉強は彼にとっては一夜漬けで充分であった。病院の看護婦をしておられたお母さんと二人暮らしの家に行ってみると、机の上の書物は教科書ではなくて、私たちには縁のないむづかしい表題のものであった。」(富永三雄「『槇村浩』の思い出」=近森俊也編集『ダッタン海峡』二・三合併号。小路貞次郎。一九六四年十一月)。
 ・同年五月二十八日、大日本帝国の第一次山東出兵が始まりました(~九月八日)。
 ・同日の無産者新聞は、第一次山東出兵のねらいを暴露し、「支邦から手を引け」、「出兵に断固反対せよ」と主張しました。
 ・同月三十一日、日本で対支非干渉全国同盟が結成されます(一九二八年には戦争反対同盟に発展します)。

 ・同年の「ある日」、海南中学校四年生の横山三男(ペンネーム・光夫)が学校休んで高知市の高知県立図書館でトルストイの小説を読んでいると、「眉目秀麗の色白の学生が数冊の本をかかえて私の隣りにきた。見ると、なんとマルクスの資本論である。当時難解と膨大さで私たちの手のとどかなかった資本論を彼は刻明に読んでいる。しかも、そのスピードはかなり早い。私はかれが下級生なので気安く声をかけた。その男が吉田豊道であった。」(横山光夫『解放運動のあけぼの(高知県左翼運動覚書)』。解放運動のあけぼの刊行委員会。一九六八年十月二十日)。
 ・一九二八年一月一日、前衛芸術家同盟機関誌『前衛』の一月創刊号に蔵原惟人が「無産階級芸術運動の新段階 芸術の大衆化と全左翼芸術家の統一戦線へ」を発表しました。
 ・同年二月一日、日本共産党の機関紙「赤旗」が創刊されました。
 ・同年二月、中国共産党龍井村支部ができます(延辺の龍井市の中国共産党龍井村支部の石碑にはつぎのような内容の文が刻まれています。「延辺最初の党の基礎組織 龍井村支部発祥の地/一九二八年二月二十八日、中共延辺最初の党支部、龍井村支部は『民声報』社を拠点とすると宣して周東郊を書記に任じた。/同年八月、満州省委員会の指示・方針によって中共東満区委員会が、周東郊書記、 建章組織委員、趙志剛宣伝委員で設立し、そのもとに九つの基本支部委員会を設けた。/龍井は単独の支部で支部書記は周東郊が兼ねた。/延辺地区の革命闘争は中国共産党の指導のもと、大いに発展した。」
 ・同月、陸軍省は、「学生教練及び青年訓練修了者検定規定」を公布しました。学校教練は正課となり、成績簿にも記載されることになりました。
 ・同年三月二十五日、全日本無産者芸術連盟を結成。
 ・同年四月、吉田は高知県立中学海南学校三年生となります。始業式の朝、吉田は、級友の富永三雄に治安維持法のことを話しました。「富やん、治安維持法という名の法律を知っているのか?」。「そういう名前の法律は聞いたことがある。それがどうした?」。「一九二五年三月成立。国民[ママ]の変革、私有財産制度を否認するものを罰する最高懲役を十年とするもの。そうした目的の結社への加入、その未遂、扇動をも対象とする、行動のみでなく、国民の思想をも対象とするもの。普通選挙を実現することの引きかえに、日ソ国交回復に備えて共産主義思想の流入を防ごうとするもの。この法律は絶対的官僚的勢力が、政党と妥協した、国体を守るための、天皇制擁護、革命防止の弾圧体制を整えたもので、世界でも比を見ない思想弾圧立法である」。「ソ連の共産主義とはどんなもんか?」。「これから勉強するよ」。(富永三雄『ひとつの出合い』。「ひとつの出合い」刊行委員会。一九九二年二月二十六日)。
 ・同年五月、全日本無産者芸術連盟が文芸雑誌『戦旗』を創刊しました(~一九三一年十二月)。
 ・同年五月、日本共産党、中国共産党が天皇制政府の中国侵略に反対するたたかいで共同声明を発表しました。
 ・同年六月四日、大日本帝国の関東軍が張作霖の乗った列車を爆破して彼を殺害します。
 ・同年六月二十九日、治安維持法を緊急勅令によって改悪。最高刑を死刑に、目的遂行罪を新設。
 ・同年七月三日、特別高等警察課が全県に設置されました。
 ・同年の三年生の夏休み、吉田は四国山脈縦走を、陸軍省発行の地図をたよりに計画し、富永三雄ら級友三人とともに実行しました。重いリュックサックに歯をくいしばって先頭を歩いた彼は石鎚山に登ってからも、吉田の計画についてゆけず落伍して引き返した三人と別れて、一人で縦走をやってのけました(富永三雄「『槇村浩』の思い出」=近森俊也編集『ダッタン海峡』二・三号合併号。小路貞次郎。一九六四年十一月)。
 ・同年の二学期、学校で吉田の読む書物のなかに「赤い表紙のもの」が見えはじめます。始めは階段式の教室でやっていた化学の時間だけでしたが、そのうち、すべての教科を放棄し、授業中にカール・マルクスの著作を読みはじめます(富永三雄『ひとつの出合い』)。「きわめて批判的であった彼がマルクスに屈服した瞬間、軍事訓練反対の『のろし』があがることになる。彼の徹底抗戦がT大尉を目標に始まる。ゲートルをろくにまかない。銃をななめにかつぐ、銃の掃除は放棄する。手旗を無茶苦茶にふる。なぐりたいだけ、なぐらせる、彼の配属将校に対する愚弄的態度は止まらない」(富永三雄「『槇村浩』の思い出」)。
 ・一九二九年二月十日、日本プロレタリア作家同盟が結成されました。
 ・同年四月、吉田は高知県立中学海南学校四年生となります。
 ・同年七月ころ、ソビエト社会主義共和国連邦のスターリンが農業の強制集団化を開始、階級としての富農の絶滅政策を強行しました。
 ・同年七月、ソビエト社会主義共和国連邦は満州に侵攻し(中東路事件)、中華民国軍を破ると同年十二月二十二日にハバロフスク議定書を締結し満州における影響力を強めました。
 ・同年、高知市の高知県立中学海南学校四年生の吉田は奴田原三郎、富永三雄らの同級生と語らい、軍事教練反対運動を組織します。「[吉田が]全四年生を集合さして大演説をぶった。『真理は軍事教練にはない。天皇制絶対君主制こそ打倒すべきもの、陸士[陸軍士官学校]を止めよ、海兵[海軍兵学校]に行くな、筆記試験を書くな。』」(「思い出」)。四年生の二クラス全員が白紙答案を提出します。
 ・同年十月二十二日午後、高知県立中学海南学校の職員会で「白紙問題」で吉田などの「諭退」が決定します(野本亮「海南学校の名物教師 寺石正路と吉田豊道」=『ダッタン海峡』第九号)。
 ・同年十月十三日、プロレタリア科学研究所が設立されました。
 ・同年十一月五日、プロレタリア科学研究所が月刊機関誌『プロレタリア科学』を創刊します。
 ・同年十一月二日、寺石正路は、吉田を岡山市の私立関西中学五年に編入させようと動きはじめます(野本亮「海南学校の名物教師 寺石正路と吉田豊道」=『ダッタン海峡』第九号)。
 ・同年十二月二日、寺石正路宅に関西中学校から吉田入学許可の電報が来ます(野本亮「海南学校の名物教師 寺石正路と吉田豊道」=『ダッタン海峡』第九号)。

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