« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012.11.03

高知海軍航空隊の隊員たちがいた南国市明見(みょうけん)に行ってきました。

 二〇一二年十一月三日朝から高知県南国市明見に行きました。
 当時の高知海軍航空隊の足跡が残っているかもしれないと思ったからです。
 インターネットで「南国市明見」の衛星写真を出して、見ながら読んでくだされば幸いです。

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&rlz=1T4SNJB_ja___JP474&um=1&ie=UTF-8&q=%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%80%E5%8D%97%E5%9B%BD%E5%B8%82%E6%98%8E%E8%A6%8B%E3%80%80%E6%98%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE&fb=1&gl=jp&hq=%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%80%E5%8D%97%E5%9B%BD%E5%B8%82%E6%98%8E%E8%A6%8B%E3%80%80%E6%98%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE&hnear=%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97%E3%80%80%E5%8D%97%E5%9B%BD%E5%B8%82%E6%98%8E%E8%A6%8B%E3%80%80%E6%98%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE&cid=0,0,17729846836314281327&sa=X&ei=I9mUUOPxKKSViQeCtYGQBw&ved=0CGoQ_BIwBA

 路面電車・土佐電鉄ごめん線の明見橋電停から南東に行った所に星神社があります。そこを起点に説明します。

Photo

 当時から、ここに住んでいた人や、戦後、ここに来ていた高知海軍航空隊の兵隊たちと交流のあった人たち十一人から話を聞き、現地を歩きました。
 ・明見に来ていたのは高知海軍航空隊の二分隊、十二分隊、二十二分隊の兵隊たちでした。
 ・明見の地域の各民家には高知海軍航空隊の兵隊たちが寝泊まりしていました。そうしたある民家には金属製の長方形の料理したものを入れるバケツのようなものが残っていました。
 ・まず星神社の境内は練兵場として使われていました。
 ・星神社の北西の民家の一角が高知海軍航空隊の炊事場になっていました(いまは、ビニールハウスになっています)。戦後、ここには高知海軍航空隊の使っていた厚い木でつくった冷蔵庫が放置されていました。
 ・星神社を南に行くと明見の山につきあたります。山のふもとの駐車場の少し上に横穴壕があります。少しを残して入口は塞がれています。
 ・そこから山のすそ野を左に行った倉庫の裏の一段高くなった所に平らな草むらがあります。そこに高知海軍航空隊の兵舎がありました。板張りの一階建てのものだったといいます。
 ・さらにふもとを左に行くと、三つ山に入る小道がありますが、それぞれの右手や真っ直ぐ行ったところに横穴壕の潰れた跡があります。
 ・さらにふもとを左に行くと、山に入る道があり、それを入ってすぐの右手に一段低い平地があります。ここに高知海軍航空隊の兵舎がありました。奥のほうにコンクリート製の井戸があります(いまも水があります)。その向こうに幅数十センチメートル、深さ一メートルくらいの天井のない溝があります。地元の人は排水施設だったのではないかといっています。

Photo_2

 ・この山のふもとは全体に「ガサガサ」していて、どこにもかしこにも壕があったような形跡があります。
 当時、高知海軍航空隊の隊員だった上杉さんたちは、この山の中腹に横穴壕を三つ掘っていたといいます。
 また、この山では陸軍も陣地をつくっていたようです。
 地元の男性は、戦後、中腹の大きなトーチカのようなものに入ったことがあるといっていました。
 その人の説明はつぎのようなことでした。
 横穴壕の入口から十メートル行くと直角に左手に折れて、少し行くと、また直角に折れて二十メートルくらい行きます。その二十メートルの間に外に向けて銃眼のある場所があります。
 この二十メートルの所から直角にコンクリートの階段が下に向かっています。
 降りきった所は三十畳くらいの四角いスペースがあり、そこに薬剤がいっぱい散らかっていました。
 すると、四角いスペースの左手にコンクリートの階段があり、それを行くと近くに八幡様がありました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

二0一二年十一月一日 木曜日 九0CCのバイクに乗り始めました。

二0一二年十一月一日 木曜日 九0CCのバイクに乗り始めました。

 晴れ。

 九0CCのバイクに乗り始めました。

 夜は高知短期大学。

 引き続き高知海軍航空隊の三つの飛行場の原稿を執筆。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二○一二年十一月二日 金曜日 高知県本山の戦時下を書いた本を読みました。

二○一二年十一月二日 金曜日 高知県本山の戦時下を書いた本を読みました。

 晴れ。

 読谷村でアメリカの空軍兵が中学一年生の男子をなぐったのニュース。

 引き続き高知海軍航空隊の三つの飛行場の原稿を執筆。

 高知県立図書館へ行く途中、愛宕あたりで九0ccバイクの後輪の空気がぬけてしまいました。音がしなかったのでパンクではありません。
 本町の電車通りのバイク屋さんまでついて行きました。
 しばらくしてなおりました。
 快調。

 高知県立図書館へ。高知県本山の戦時下を書いた本を読みました。当時の首長が書いています。

 山里の 戦時の話 読んでいる 「弾薬集積」「壕を掘られた」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二○一二年十一月三日 土曜日 南国市明見へ。戦争遺跡の調査。

二○一二年十一月三日 土曜日 南国市明見へ。戦争遺跡の調査。

 晴れ。

 南国市明見へ。戦争遺跡の調査。

 初対面 十一人と話し抜き 戦争遺跡の 配置が見えた

 引き続き高知海軍航空隊の三つの飛行場の原稿を執筆。うわー、どんどんページが増えていく。

 高知県立大学から大学院への「入学許可書」がきました。
 
 わが家の白ネコ・サラン。はきました。だいぶ調子を崩しているようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

木製冷蔵庫って、あったんだ!!

 高知県南国市明見の戦争遺跡の調査のなかで高知海軍航空隊の炊事場のことで出てきた木製冷蔵庫。
 帰ってからネットで調べてみたらあったんですねー。やっぱり。

 http://f-ice.net/index.php?%E6%9C%A8%E8%A3%BD%E5%86%B7%E8%94%B5%E5%BA%AB

 http://www.fuchu.or.jp/~kagu/museum/mingu/reizouko.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【短歌】 大学院の入学許可書

 大学院 入学許可書 きましたよ ルンルンルンの 六十五歳

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.05

 二○一二年十一月五日午後、帥(すい)七四三七部隊(レーダー部隊)にいたという男性のお話を聞きました。

 二○一二年十一月五日午後、帥(すい)七四三七部隊にいたという男性のお話を聞きました。
 今後の取材のためメモをつくっておきます。
 ・一九二五年十一月十一日生まれ。
 ・徴兵検査の結果は第二乙でした。
 ・一九四五年三月に召集令状が来ました。あとから知ったことですが、召集令状が来るのがおそいと思っていたら、大阪の軍司令部がアメリカの空襲で燃えて、書類も燃えてしまったため、遅れたということでした。
 ・まず大阪・千里の関西(かんさい)大学の講堂に行って入隊しました。私たちの部隊の責任者は間(はなだ)ユウイチといいました。電波探知機の部隊でした。
 ・部隊は、和歌山県の白浜の近くの和歌浦(わかのうら)のレーダーの基地に行きました。ここで日本の飛行機がアメリカ軍の大きな飛行機を猛スピードで抜かしてからつっかかるのを見ました。パッと光ったらおしまい。ゴミも落ちてきませんでした。
 ・そして、高知県の室戸岬の基地に行きました。基地は室戸岬の灯台の山側でした。縦の壕を掘っていました。壕の周りは板を張っていました。その上に木で屋根をつくって、屋根の上に枝などを置いて隠していました。そして、屋根の真ん中に八木式空中線を立てていました。レーダーで敵の飛行機をとらえ、機数、高度、位置を名古屋の中部軍司令部に報告しました。
 ・ここに、安芸に着いた送信管を持ってきたこともありました。これ一つで貨物列車一台分という大きなものでした。
 ・敵機が三百機来たときもありました。雲のすぐ上を飛ぶのですが、その影が映って不気味でした。レーダーを避けてか、海岸スレスレを飛んでいるときもありました。風船のようなものをバラまき、それを基準にして編隊を組んでいました。低空飛行で民家の屋根瓦をひっぱがしました。海の漁船を板になるまで撃っているのを見たこともあります。
 ・地元の婦人たちが室戸水産学校で炊事をしてくれていたので、食事は、そこへ行きました。
 ・灯台と私たちの部隊との間に、陸軍の高台がありました。火のヤグラのような鉄塔で屋根がついていました。そこで陸軍の兵隊が敵の飛行機を監視していました。
 ・終戦後、部隊の持っていた機械は海に放り込みました。

 【参考】  

 帥は大日本帝国陸軍の航空総軍のことです。
 できたのは一九四五年三月。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.06

高知海軍航空隊の飛行場と同隊の三里と窪川の秘匿飛行場 【A4 で二十八ページあります】

「koukutai.doc」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.07

【ニュース】 再選オバマ・アメリカ大統領への一日本人の提案。

 オバマ氏へ大統領再選の日に、オバマ氏に以下のことを提案します。

 ・あなたは、日本のすべてのアメリカ軍基地を、すぐさま撤去すべきです。この基地は、あなたたちの恥の源泉になっています。
 ・日本の領空、領海にアメリカの軍機、軍艦、潜水艦などが立ち入らないと約束すべきです。あなたたちの領空、領海に他国の軍機、軍艦、潜水艦などは自由に立ち入ることができるのですか。胸に手をあてて冷静に考えてください。
 ・日本への経済支配をただちにやめることを約束すべきです。日本を、TPPに、無理やり誘い込むこともやめてください。
 ・無差別爆撃であった日本へのアメリカ軍機の空襲、原爆投下、ビキニでの水爆実験について、日本国民に深く謝罪し、被害者とその家族に補償すると約束すべきです。「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。」。これは、かつての、あなたの言葉です。
 ・日本への無法な占領支配、謀略、レットパージ、沖縄などへの直接支配、日米安保下での軍事、政治、経済などの日本の被害について深く謝罪し、補償をすべきです。

 あなたの国は、いつまでも世界の無法者であることを続けてはならないと思います。

 なお、アジア太平洋戦争中に日本があなたたちの国になしたことについては、日本は、あなたの国との関係では、あなたの国によって十分すぎるほどの仕返しをうけました。この点は「解決済み」です。いま、問われているのは、あなたたちです。

 真面目に、ご検討くださることを期待します。人間の名において。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.08

【短歌】 アメリカ大統領再選のオバマ氏にあたう

 二人とも ひどいことする 人のよう 選べないよね この選挙では

 核兵器 なくしたいとか いっちゃって いつ、どうするの アメリカの人

 一期目の 大プレゼント オスプレイ ワシントンに 持って帰って
 
 TPP 入ってくれと ねだったね 日本つぶしが あんたのねらいか

 再選を 祝う言葉を アップする 「あなたの基地を すぐ撤去して」

 【参考】

 http://www.asahi.com/special/plus/TKY200904050209.html

 オバマ大統領、核廃絶に向けた演説詳報 2009年4月5日23時14分
   
 オバマ米大統領が5日、プラハで行った演説の主要部分は次の通り。

 米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。米国だけではうまくいかないが、米国は指導的役割を果たすことができる。
 今日、私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する。この目標は、すぐに到達できるものではない。おそらく私が生きている間にはできないだろう。忍耐とねばり強さが必要だ。しかし我々は今、世界は変わることができないと我々に語りかける声を無視しなければならない。
 まず、米国は、核兵器のない世界を目指して具体的な方策を取る。
 冷戦思考に終止符を打つため、米国の安全保障戦略の中での核兵器の役割を減らすとともに、他の国にも同じ行動を取るよう要請する。ただし核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。そしてチェコを含む同盟国に対し、その戦力による防衛を保証する。一方で、米国の核戦力を削減する努力を始める。
 核弾頭と貯蔵核兵器の削減のため、今年ロシアと新たな戦略兵器削減条約を交渉する。メドベージェフ・ロシア大統領と私は、ロンドンでこのプロセスを始め、今年末までに、法的拘束力があり、かつ大胆な新合意を目指す。この合意は、さらなる削減への舞台となるものであり、他のすべての核兵器国の参加を促す。
 核実験の世界規模での禁止のため、私の政権は、直ちにかつ強力に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を目指す。50年以上の協議を経た今、核実験はいよいよ禁止される時だ。
 核兵器に必要な材料を遮断するため、米国は、核兵器用の核分裂性物質の生産を検証可能な方法で禁止する新条約(カットオフ条約)を目指す。核兵器の拡散を本気で止めようとするなら、核兵器級に特化した物質生産に終止符を打つべきだ。
 次に、我々は核不拡散条約(NPT)を強化する。国際的な査察を強化するために(国際原子力機関〈IAEA〉に)さらなる資源と権限が必要だ。規則を破ったり、理由なくNPTから脱退しようとしたりする国に、すぐに実のある措置をとる必要がある。民生用原子力協力のため、国際的な核燃料バンクを含む、新たな枠組みを作り、核拡散の危険を増すことなしに原子力利用ができるようすべきだ。
 今朝我々は、核の脅威に対応するため、より厳しい新たな手法が必要なことを改めて思い起こした。北朝鮮が長距離ミサイルに利用できるロケットの実験を行い、再び規則を破った。
 この挑発は、午後の国連安全保障理事会の場のみならず、核拡散を防ぐという我々の決意の中でも、行動が必要であることを際立たせた。規則は拘束力のあるものでなければならない。違反は罰せられなければならない。言葉は何かを意味しなければならない。世界はこれらの兵器の拡散を防ぐために共に立ち上がらなければならない。今こそ厳しい国際対応をとる時だ。北朝鮮は脅しや違法な兵器によっては、安全と敬意への道は決して開かれないことを理解しなければならない。すべての国々は共に、より強力で世界的な体制を築かなければならない。
 イランはまだ核兵器を完成させていない。イランに対し、私の政権は相互の利益と尊敬に基づく関与を追求し、明快な選択を示す。我々はイランが世界で、政治的、経済的に正当な地位を占めることを望む。我々はイランが査察を条件に原子力エネルギーの平和的利用の権利を認める。あるいは一層の孤立や国際圧力、中東地域での核兵器競争の可能性につながる道を選ぶこともできる。
 はっきりさせよう。イランの核や弾道ミサイルをめぐる活動は、米国だけでなく、イランの近隣諸国や我々の同盟国の現実の脅威だ。チェコとポーランドは、これらのミサイルに対する防衛施設を自国に置くことに同意した。イランの脅威が続く限り、ミサイル防衛(MD)システム配備を進める。脅威が除かれれば、欧州にMDを構築する緊急性は失われるだろう。
 最後に、テロリストが決して核兵器を取得しないよう確保する必要がある。
 これは、世界の安全への最も差し迫った、大変な脅威だ。核兵器を持てば、テロリスト一人で大規模な破壊行為が可能になる。アルカイダは核爆弾を求めていると表明している。我々は、安全に保管されていない核物質が世界各地にあることを知っている。人々を守るためには、我々は目的意識を持って直ちに行動しなければならない。
 今日私は、テロリストなどに狙われうるあらゆる核物質を4年以内に安全な管理体制下に置くため、新たな国際的努力を始めることを発表する。これらの物質を厳重な管理下に置くため、新しい基準を制定し、ロシアとの協力関係を拡大し、また他の国との新たな協力関係も追求する。
 核物質の闇市場をつぶし、移送中の物質を探知・阻止し、財政手段を使ってこの危険な取引を妨害するといった取り組みも強化しなければならない。こういった脅威は継続的なものであるため、大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)や核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアチブ(GI)などを恒久的な国際機関に変えるべきだ。まずそのはじめとして、米国は1年以内に核管理に関する首脳会議を主催する。
 こんなに広範囲な課題を実現できるのか疑問に思う人もいるだろう。各国に違いがあることが避けられない中で、真に国際的な協力が可能か疑う人もいるだろう。核兵器のない世界という話を聴いて、そんな実現できそうもない目標を設けることの意味を疑う人もいるだろう。
 しかし誤ってはならない。我々は、そうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人びとがそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がっていく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、あきらめることは簡単で、そして臆病(おくびょう)なことだ。そうやって戦争が始まる。そうやって人類の進歩が終わる。
 我々の世界には、立ち向かわなければならない暴力と不正義がある。それに対し、我々は分裂によってではなく、自由な国々、自由な人々として共に立ち向かわなければならない。私は、武器に訴えようとする呼びかけが、それを置くよう呼びかけるよりも、人びとの気持ちを沸き立たせることができると知っている。しかしだからこそ、平和と進歩に向けた声は、共に上げられなければならない。
 その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは68年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人びとだ。
 人類の運命は我々自身が作る。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。我々の分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。共にならば、我々にはできるはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

妻の記録にとどめておきたいセリフ。すごいですよ。妻はネコと語り合います。

 「あんたの朝食をわすれてたわ。ここにツナギがあるから、これを食べていて。すぐにつくるからね」

 七日朝、妻の、わが家のクニョ(ネコです)への声かけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.09

「闇(くら)き南溟(なんめい)の彼方へ 練習機「白菊」特攻隊」を見ました。

 さんさんテレビが一九○五年七月三十一日に放送した「闇(くら)き南溟(なんめい)の彼方へ 練習機「白菊」特攻隊」のDVDを、二○一二年十一日八日夜中、見ました。
  高知海軍航空隊の機上作業練習機・白菊の特別攻撃を描いた作品です。
 勉強になりました。
 ・防衛省の防衛研究所の『連合艦隊布告綴』があり、それに高知海軍航空隊の機上作業練習機・白菊での特別攻撃の実際をつづった文書が入っています(一九四五年八月十五日付)。
 ・一九四五年五月二十七日夕、鹿児島県の鹿屋基地からカチ七三九機で特別攻撃に参加した横山善明二等飛行兵曹、ペアで機長だった青木武さんは、アメリカ軍の捕虜になった。横山さんは、静岡県沼津市にいる。青木武さんも神奈川県小田原市で戦後を生きた。
 ・高知海軍の白菊機は一九四五年五月二十四日~六月二十五日に、鹿屋基地から、のべ五回出撃、二十六機が特別攻撃して五十二人が戦死した。そのなかにはカチ七二一機の十六歳の宮澤茂雄一等飛行兵曹もいる。
 ・愛知県半田市に元特攻隊員・岩橋昭典(しょうてん)さんがいる。
 ・高知海軍航空隊の隊員だった人に高知の長崎彬(あきら)さん、川島正敬さんがいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あの宇都宮健児さんが東京都知事選挙に!! すごいニュース。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121109/k10013383491000.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121109-00001164-yom-pol

 日本の政治に新しい風が吹いてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【短歌】 僕のお腹を ツンツンと……

 会うたびに

 僕のお腹を ツンツンと 触ってくる娘(こ)

 「出過ぎよ。これは」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

尾野真千子さんと常盤貴子さん。すごーい。

 十一日夜九時から、ひさしぶりに夫婦でテレビドラマを見ました。
 高知の、さんさんテレビの「疑惑」です。
 「このひと(女性)、チューリップの主人公だったひとよ」
 「チューリップ?  知らん」
 「アッ、カーネーションよ」
 あのNНKの朝ドラの尾野真千子さんのことでした。
 このひとも常盤貴子さんも、すごい演技。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.10

高知県南国市の明見(みょうけん)の山の戦争遺跡 入山二回目

 十一月九日午前から高知県南国市の明見(みょうけん)の山に入りました。戦争遺跡をさがすためです。

 いくつか登り口がありますが、この日は北側の道路に面した所の、道の入口の左右に横穴壕が崩れたものがある所から登りました。

 ・左右に削り取られてできたようなガケが見えました。

 ・その右手を見ると直径数十センチの穴がありました。

 これです。

Photo

 たぶん、ここに兵士一人が、ここにひそんで戦闘をするためのタコツボだったと思われます。

 ・さらに登っていくと左手に横穴壕がありました。

 これです。

A

 中をのぞくと、かなり奥があります。

 これです。

 

A_2

 ゴミがほとんどありません。

 ヘルメットを持ってきていなかったので入るのをやめました。

 右手に帰り、道なき道を尾根をめざしました。

 尾根近くから尾根に向かってタコツボらしいものが八個ありました。

 また、直径一・五メートルくらいの穴も各所にありました。これについては不明。

 そて、下山、山のまわりの道に出た所は左が井戸が残っている兵舎あと、右が横穴壕が潰れたものがある所でした。

 この山は高天原山の一部だと思います。ここいらの標高は六四・三メートルです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知県南国市の明見(みょうけん)の山の戦争遺跡 入山三回目。【写真一枚】

 十一月十日午後から高知県南国市の明見(みょうけん)の山に入りました。入山三回目。戦争遺跡を探すためです。今回は妻と一緒。
 向かって右側の三つ目の登り口から入りました。
 ・登っていくと左手に交通壕がありました。交通壕をつたって左手に行くと横穴壕の潰れたものがありました。
 ・元へ戻って右手に行くと横穴壕の潰れたものがありました。
 ・そして、もう少し右手に行くと前回見た横穴壕がありました。
 ・少し登って左手にいくと横穴壕が十メートルくらいの幅で潰れたものがありました。この先の所は横穴壕が残っていて穴の中をのぞくと壕は左右に掘り進められているようでした。入ってないのではっきりしませんが…。

Photo_2

 そして、下山。元の所に戻ってきました。
 ここの山は、全体として四十五度くらいの滑りやすい斜面が多い。その斜面を右に移動しようとする妻は「落ちそうな恐怖」で硬直。降りるときも「あれーっ」、「あれーっ」と声を上げっぱなしでした。
 いっぽう、僕はヒラリヒラリと登りおり。日常的に斜面のきつい低山に登っている強みです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.11

二○一二年十一月四日 日曜日 高知短期大学の大学祭に参加。

二○一二年十一月四日 日曜日 高知短期大学の大学祭に参加。

 晴れ。

 高知短期大学の大学祭に参加。

 高知短期大学存続の集まりに参加。

 夜、高知海軍航空隊の原稿の直し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二○一二年十一月五日 月曜日 古墳への道は倒れかかった立木が「とうせんぼ」。

二○一二年十一月五日 月曜日 古墳への道は倒れかかった立木が「とうせんぼ」。

 曇り、雨。

 長い夢をみました。
 南国市明見の山に登ったら大規模なトーチカが残っていました。入り口には鍵がかかっていました。おたおたしていると、地元の女性が鍵を持ってきてあけてくれました。すごく広い空間。見知らぬ男性たちも入ってきて、つぎつぎと測量をしていきます。このトーチカのことは、みんなに知らせたい。
 ちかごろ、こんなこととか、いま勉強していることをしょっちゅう夢にみます。すこし、つっこみすぎかもしれません。

 朝からUEさんと高知市の高須山の調査をする予定でしたが雨が降っていたので中止。
 
 しかし、動かなくては。
 まずは、高知市大津長崎甲の山に登りました。ここも横穴壕がつえたようなあとがたくさんあります。

 つぎに、ある古墳を目指しました。
 コンクリートで舗装した幅五十センチの道がありましたので、九○CCのバイクで入りました。しかし、途中で道に木が倒れかかっていて通行不能。道の脇の水路に入ってバイクを傾けて、この困難を乗り越えて古墳に。古墳を見たあと、無理矢理にバイクをターンさせて「木の所」もクリアして脱出しました。いやーっ、つかれました。サバイバル訓練のような感じでした。

 つぎに南国市明見の男性宅に。戦争の時代のことをじっくり聞かせていただきました。

 夜は高知短期大学の税法の授業。連結決算のことが出てきて興味津々。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二○一二年十一月六日 火曜日 『高知の戦争 証言と調査』十九号の版下を印刷担当に郵送。

二○一二年十一月六日 火曜日 『高知の戦争 証言と調査』十九号の版下を印刷担当に郵送。

 晴れ。

 高知海軍航空隊についてのリポートを仕上げました。
 ブログにアップ。
 
 『高知の戦争 証言と調査』十九号の版下を印刷担当に郵送しました。

 高知県の大崎のIさんと電話で相談。

 夜、退職したNAさんとの懇親会。計六人参加。NAさんから素晴らしい資料をいただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二0一二年十一月七日 水曜日 高知における風船爆弾の気球づくりについての論文を執筆。

二0一二年十一月七日 水曜日 高知における風船爆弾の気球づくりについての論文を執筆。

 晴れ。

 高知における風船爆弾の気球づくりについての論文を執筆。

 夜は高知短期大学専攻科の授業に。

 妻は実家。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二0一二年十一月八日 木曜日 高知における風船爆弾の気球づくりの原稿、一応、終わりまで書きました。

二0一二年十一月八日 木曜日 高知における風船爆弾の気球づくりの原稿、一応、終わりまで書きました。

 晴れ。

 夕方まで高知における風船爆弾の気球づくりの原稿書き。一応、終わりまで書きました。

 夜は、高知短期大学での公開講座に参加。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二0一二年十一月九日 金曜日 南国市明見(みょうけん)の山は戦争遺跡がいっぱい。

二0一二年十一月九日 金曜日 南国市明見(みょうけん)の山は戦争遺跡がいっぱい。

 晴れ。

 高知県南国市明見(みょうけん)の山に登りました。
 戦争遺跡がいっぱい。

 夕方、平和資料館・草の家で、ある放送記者と話し合い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二0一二年十一月十日 土曜日 「練習はウソをいいませんね」。

二0一二年十一月十日 土曜日 「練習はウソをいいませんね」。

 晴れ。

 午後一時から妻と明見の山へ。

 夜は、高知短期大学経済学クラブの勉強会に参加。
 参加者の一人・Aさんと愛媛県四国中央市への紙づくりのことでの取材旅行の話。
 参加者のマラソンをやっているYさんの「練習はウソをいいませんね」に感心しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二0一二年十一月十一日 日曜日 ピースライブ。

二0一二年十一月十一日 日曜日 ピースライブ。

 雨。

 午前、原発0を求める野外集会に参加。

 午後、平和資料館・草の家でのピースライブに参加。
 写真を撮ったけど、うまくいかなくて苦戦。

 妻は、実家泊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【短歌】 南国市明見の戦争 

 「この場所が炊飯場にとられてた」 ビニールハウス示す人あり

 「星神社、練兵場になっていた」 飛行機のない航空兵の

 ふもとには横穴壕の潰れ跡 ここに、あそこも 明見(みょうけん)の山

 竹やぶに井戸と溝とが残っていた 「兵舎の跡です」 年配の男性(ひと)

 タコツボが いくつも残る尾根に出る ゲリラのような航空兵ら

 草の種ズボンにつけて 戦争の跡が残った 山おりてくる

 「怖くって足動かない」 急斜面 妻を助けて壕探してる

 女子校の裏手の山に その昔 航空兵ら壕を掘ってた

 放送の記者に熱弁 誘ってる 戦争の山 歩きませんか

 あと十度登ってみよう 明見の戦争の山 つかみとりたい

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.12

ワードで ○ の中に ふ を入れるには……。

 若い人に教えてもらって、やっと分かりました。

 「囲み文字」の所に入ってください。

 そして、……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.13

高知県の ある山の戦争遺跡 案内図

Img011

Img012

Img014

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知県南国市の明見(みょうけん)の山の戦争遺跡 入山四回目、五回目【写真一枚】。近所の女性の話も。

 十一月十二日午後、三十代の男性と二人で南国市の明見の山へ。
 新しいものは二つ目の兵舎あとの上のタコツボだけでした。

 十一月十三日午後、左手の入山口から登りました。
 すぐ右に壕の潰れた跡。
 もっと登ると左手にごっそり掘りこんだ跡。その上のはずれた所に横穴壕がありました。

Photo

 降りてきてから、もっと左手の神社の所から登りました。
 三つ潰れた壕がありました。

 この日は地域の女性から戦争中の、ここいらの話を聞くことができました。
 一九三一年十二月生まれで、一九四五年四月からは土佐高等女学校の二年生でした
 <私の家は、明見公民館の近くでした。
 その私の家の離れの六畳二間に高知海軍航空隊の二十二分隊の若い兵隊が二十六人寝起きしていました。
 星神社で兵隊が起床ラッパを吹いていました。
 ラッパが鳴ると私の母が、兵隊たちを「起きないかん」と、起に行っていました。
 食事は、どこからか持ってきていました。
 しかし、量が少なくて兵隊は腹をすかしていたので、母が、いろいろ食べ物をつくって、こっそり上げていました。
 そんなこともあり、兵隊たちは、うちの母を「お母さん、お母さん」と慕っていました。
 兵隊たちの日常は、朝食をとって山に壕を掘りに行って夕方、わが家に帰ってくるというくりかえしでした。
 山のすそのところで若い兵隊が下士官に腰を殴られていました。太い棒をつかっていました。
 父が、「もう、そればあたたいたら上等や。もうやめないかん」と、とめにはいっていました。
 二十二分隊は、途中で佐川へ行きました。
 そのあと、わが家には二分隊がやってきました。
 高知市の播磨屋橋の近くの、いまのパチンコビルの東に南海ホテルがあり、二分隊の下士官たちが、休暇のとき、そこに泊まっていました。
 七月四日のアメリカ軍の高知空襲のとき、私は、いま駐車場の上にある壕に入りました。そこは、うちらに木を使っていました。
 焼け出された南海ホテルのおかみさんと家族十人くらいが二分隊の下士官の縁で、うちに泊まることになりました。
 それで二分隊の兵隊は、私の家から出て行きました。>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.14

南国市の明見(みょうけん)の山の戦争 中間のまとめ

南国市の明見(みょうけん)の山の戦争についてのページ

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-2eeb.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-de59.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-3ff3.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-eba0.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-642b.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-5564.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-75d2.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-0950.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-ec91.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

尖閣列島問題 どう解決するか 僕の考え。

「senkaku.doc」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.15

【短歌】 二0一二年十一月十四日の思い

年金の 減額決めて 解散か 老をいたぶる 民、自、公、維新

  

学友の 心尽くしの ツバキ愛(め)で 土佐和紙語る 夜のゼミ室

解散の テレビ解説 背中(せな)で聞き サバの煮物を グツグツと炊く

「ああ、そうだ。日本共産党、あるじゃない」 全戸に届け わがこの思い

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【ニュース】 衆院厚生労働委員会で年金削減に賛成したのは民主党、自民党、維新の会、公明党。

 衆院厚生労働委員会は十四日、年金を三年間で2・5%削減し、基礎年金国庫負担引き上げに消費税増税を充てる法案を民主党、自民党、維新の会、公明党の賛成多数で可決しました。日本共産党、生活、社民、みんなは反対しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-15/2012111502_01_1.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【ニュース】 この国会質問に感激しました。 人減らしで電機産業「復活」ない 政治の責任で違法解雇なくせ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-15/2012111504_01_0.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.17

戦争と平和をテーマにした歌のなかで 好きな歌、苦手な歌

 ● 好きな歌三首

 ①けふこの日汗にしみたる防空着を洗う井戸辺に露草あをし

 宮本百合子さん(一八九九年二月十三日~一九五一年一月二十一日)が一九四五年八月十八日、網走刑務所に入れられていた夫・宮本顕治さん(一九〇八年十月十七日~二〇〇七年七月十八日。松山高等学校、東京帝国大学出身)に出した手紙にしたためられていたものです(『宮本百合子全集』。新日本出版社)。
 この手紙には「八月十五日」のことが書かれています。
 「十五日正午から二時間ほどは日本全土寂(じゃく)として声莫(こえな)しという感じでした。あの静けさはきわめて感銘ふこうございます。生涯忘れることはないでしょう」
 そして、そのあとに、この短歌がしるされていました。
 もうアメリカ軍機の空襲はないでしょう。彼女は、その日、「八カ月ぶり」に自分の「あのおなじみのお古の防空着」を洗いました。
 十月になって治安維持法でとらわれていた人々が釈放されることになりました。九日午後四時、宮本顕治さんは網走刑務所から解き放たれ、東京に向かいました。そして、十四日、東京の駒込林町の弟・国男宅の二階に住んでいた百合子のもとに帰ってきます。
 宮本百合子は、この八月十五日のことを戦後、小説『播州平野』でも書いています。

 十五日は、おそめの御飯が終るか終らないうちにサイレンが鳴った。
「小型機だよ! 小型機だよ!」
 十二歳の伸一が亢奮(こうふん)した眼色になって、駈けだしながら小さい健吉の頭に頭巾をのせ、壕へつれて入った。三日ばかり前この附近の飛行場と軍事施設とが終日空爆をうけたときも、来たのは小型機の大編隊であった。
「母さん、早くってば! 今のうち、今のうち!」
 小枝が病弱な上の女の児を抱いて一番奥に坐り、一家がぎっしりよりかたまっている手掘りの壕の上には夏草が繁っていた。健吉が飽きて泣きたい顔になると、ひろ子はその夏草の小さい花を採って丸い手に持たせ、即席のおはなしをきかせるのであった。この日は、三時間あまりで十一時半になると、急にぴたりと静かになった。
「変だねえ。ほんとにもういないよ」
 望遠鏡をもって、壕のてっぺんからあっちこっちの空を眺めながら、伸一がけげんそうに大声を出した。きのうまでは小型機が来たとなったらいつも西日が傾くまで、くりかえし、くりかえし襲撃されていたのであった。
「珍しいこともあるものねえ」
「昼飯でもたべにかえったんだろう。どうせ又来るさ」
 そんなことを云いながら、それでも軽いこころもちになって、ぞろぞろ壕を出た。そして、みんな茶の間へ戻って来た。
「御飯、どうなさる? 放送をきいてからにしましょうか」
 きょう、正午に重大放送があるから必ず聴くように、と予告されていたのであった。
「それでいいだろう、けさおそかったから。――姉さん、平気かい?」
「わたしは大丈夫だわ」
 伸一が、柱時計を見てラジオのスイッチ係りになった。やがて録音された天皇の声が伝えられて来た。電圧が下っていて、気力に乏しい、文句の難かしいその音声は、いかにも聴きとりにくかった。伸一は、天皇というものの声が珍しくて、よく聴こうとしきりに調節した。一番調子のいいところで、やっと文句がわかる程度である。健吉も、小枝の膝に腰かけておとなしく瞬(まばた)きしている。段々進んで「ポツダム宣言を受諾せざるを得ず」という意味の文句がかすかに聞えた。ひろ子は思わず、縁側よりに居た場所から、ラジオのそばまで、にじりよって行った。耳を圧しつけるようにして聴いた。まわりくどい、すぐに分らないような形式を選んで表現されているが、これは無条件降伏の宣言である。天皇の声が絶えるとすぐ、ひろ子は、
「わかった?」と、弟夫婦を顧みた。
「無条件降伏よ」
 続けて、内閣告諭というのが放送された。そして、それも終った。一人としてものを云うものがない。ややあって一言、行雄があきれはてたように呻いた。
「――おそれいったもんだ」
 そのときになってひろ子は、周囲の寂寞(せきばく)におどろいた。大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂(せき)として声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これ迄ひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。ひろ子は、身内が顫(ふる)えるようになって来るのを制しかねた。

 ②送らじなこの身裂くとも教へ児を/理(ことわり)もなき戦(いくさ)のにはに

 竹本源治さん(高知県池川町生まれ。山林地主の三男。一九一八年一月二十八日~一九八〇年五月二十四日)の作品です。高知県教員組合(一九四七年九月二十一日結成)同組合の雑誌『るねさんす』四十二号(一九五一年十一月発行)に掲載されています。
 竹本さんは、高知県の池川青年学校を出て、一九四四年、地元の瓜生野(うりうの)国民学校で教壇に立ちます。
 一九四五年六月、応召し陸軍歩兵二等兵に。幼いときから頭に入った皇国史観のまま「神州不滅」と日本の勝利を信じていました。戦友が「戦艦陸奥が海に爆沈した。この目で見た」といっても「陸奥は、どこかに温存されている」と思っていました。
 そうしたアジア太平洋戦争中のみずからへの反省が、この詩、短歌を生みました。  
 竹本さんは、戦後の一九四七年、教師に復職し、高知県池川町(いまは吾川郡仁淀川町)の池川中学校、弘岡中学校(のち春野町立春野中学校)などで社会科と国語を教えました。
 当時は、の池川中学校の教諭でした。
 竹本さんは、同誌四十四号(五二年一月発行)に詩「戦死せる教え児よ」を発表しています。

 逝いて還らぬ教え児よ
 私の手は血まみれだ!
 君を縊(くび)つたその綱の
 端(はし)を私も持つていた
 しかも人の子の師の名において
 嗚呼!
 「お互いにだまされていた」の言訳が
 なんでできよう
 慚愧(ざんき) 悔恨 懺悔(ざんげ)を重ねても
 それがなんの償いになろう
 逝つた君はもう還らない
 今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
 涙をはらつて君の墓標に誓う
 「繰り返さぬぞ絶対に!」

 竹本さんは、越知町の片岡小学校校長を最後に七八年三月、退職。二年後に死去しました。
 その十年後の一九九〇年六月、高知県管理職教員組合結成二十五周年を記念して、高知市の城西公園の西側に「戦死せる教え児よ」の詩碑(自然石。高さ約二メートル、幅約一・八メートル)が建立されました。
 二〇〇五年十一月三日、仁淀川町用居(もちい)の竹本さんの生家の庭に義弟の竹本嗣夫(たけもと・つぎお)さんが「送らじな‥‥」の石の歌碑(縦八十センチメートル、横一メートル)を建立しました。

 ③徴兵は命かけても阻むべし母・祖母・おみな牢(ろう)に満つるとも

 石井百代(ももよ)さん(一九〇三年一月三日~一九八二年八月七日)が、一九七八年この短歌を詠んだのは七十五歳のときでした(同年九月十八日付朝日新聞「朝日歌壇」に掲載)。
 福田赳夫首相が有事立法の研究を指示した情勢のもとで詠まれました。
 選者の近藤芳美さんは選評で「…『母・祖母・おみな牢(ろう)に満つるとも』という結句にかけてなまなましい実感を伝えるものがある。一つの時代を生きて来たもののひそかな怒りの思いであろう」と書きました。
 戦争中は東京都に住み、三男四女の母でした。夫・正(ただし)さんは軍医としてマニラに。病弱だった大学一年生の長男・立(たつ)さんは火薬廠(しょう)に動員されます。二男は陸軍幼年学校、士官学校、航空士官学校を経て外地に。戦後、立さんが出版社に勤め労働組合運動に参加するようになり、その影響もあって夫婦は進歩的な考えを持つようになります。
 一九五一年四月、夫は、静岡県相良町(さがらちょう。現・牧之原市)で耳鼻科の医院を開業。百代さんは、夫と一緒に読書会、映画研究会に入って地元の青年たちと交流。夫婦で日本共産党後援会の世話役もしました。一九六九年八月に夫が亡くなってから、東京都世田谷区に住むようになりました。
 「徴兵は…」の短歌が発表されてから「しんぶん赤旗」記者が百代さんにインタビューしたとき「私は兄、おい、二人のいとこ、義弟を戦死させています。息子は病気で徴兵をまぬがれましたけど…」「でも私はあの戦争を聖戦と思い込んで、息子を戦争に差し出そうとしていたんです」と語っていました。
 罪ほろぼしのつもりで、と百代さんは女性の団体「草の実会」で平和問題などの学習をすすめます。そのなかで知った有事立法の動き。この短歌は体を張ってでも孫たちを戦場には送らないという彼女の決意でした。この歌は草色のスカーフに白く染め抜かれ、人々の口から口へと伝えられました。当時、自民党政府は有事立法に踏み切ることはできませんでした。

 ● 苦手な歌三首

 み戦(いくさ)の詔書の前に涙落つ代(よ)は酷寒に入る師走にて

 水軍の大尉となりて我が四郎み軍(いくさ)にゆくたけく戦へ

 子が乗れるみ軍船(いくさぶね)のおとなひを待つにもあらず武運あれかし

 一九四一年十二月八日、大元帥・昭和天皇は「米英両国に対する宣戦の詔書」を発表しました。これをラジオで聞いた与謝野晶子さん(一八七八年十二月七日~一九四二年五月二十九日)が、この戦争開始の宣言に「おう」とこたえて詠んだものです。
 一九四二年一月号の『短歌研究』の「宣戦の詔勅を拝して」という特集に載りました。
 「四郎」というのは晶子さんの四男・昱(いく)さん(一九一三年四月二十一日生まれ。元の名は、アウギユスト)のことです。
 これらの短歌は、彼女が明治天皇の侵略戦争・日露戦争のさなか、『明星』第九号(一九〇四年九月一日発行)に発表した詩「君死にたまふこと勿(なか)れ (旅順の攻囲軍の中に在る弟を歎きて)」の立場とはかなり違い

 (前略)
 君死にたまふことなかれ
 すめらみことは戦ひに
 おほみづからは出(い)でまさね
 かたみに人の血を流し
 獣(けもの)の道(みち)に死ねよとは
 死ぬるを人のほまれとは
 大(おお)みこヽろの深ければ
 もとよりいかで思(おぼ)されむ
 (後略)

 この与謝野晶子さんの「君死にたまふこと勿(なか)れ」の詩について、高知市出身の詩人・歌人・随筆家・評論家・大町桂月さん(おおまち・けいげつ。一八六九年三月六日生まれ)が、「国家観念を藐視(ないがしろ)にしたる危険なる思想の発現なり」(『太陽』一九〇四年十月号の「雑評録」)と、攻撃します。
 このののしりに与謝野晶子さんは「さればとて少女と申す者誰も戦争(いくさ)ぎらひに候」「歌は歌に候。歌よみならひ候からには、私どうぞ後の人に笑はれぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。…」と、のべます。『明星』一九〇四年十一月号の「ひらきぶみ」です。
 しかし、これを、よく読むと、彼女が「引きながら」反論していることがわかります。
 わざわざ日露戦争にたいする「非戦論」を展開している週刊社会主義新聞「平民新聞」の人たちとは関係ないんですよとしている点。
 「畏(おそれ)おほき教育御勅語(ごちよくご)」などと書いて、この戦争を推進している明治天皇に逆らっているわけではないのですよという点。
 「御国のために止(や)むを得ぬ事と承りて、さらばこのいくさ勝てと祈り、勝ちて早く済めと祈」っているんですよとしている点。
 「ひらきぶみ」といいながら半ば屈服したものになっているのです。
 これが後々の彼女の弱点になっていきます。
 一九一二六年十二月二十五日、大正天皇が亡くなります。息子の裕仁が天皇に即位し、昭和と改元します。
 このことが彼女に大きな影響を与えます。
 「無題」ですが、こんな詩をつくっています。
 一九二七年の正月をうたった詩です。

 (前略)
 我等は陛下の赤子(せきし)、
 唯だ陛下の尊を知り、
 唯だ陛下の徳を学び、
 唯だ陛下の御心(みこゝろ)に集まる。
 陛下は地上の太陽、
 唯だ光もて被(おほ)ひ給ふ、
 唯だ育み給ふ、
 唯だ我等と共に笑み給ふ。
 (後略)

 「陛下の赤子」ということですから、昭和天皇のやることには何でも賛成ということになります。
 日本が中国東北部の満州に決定的な支配権をうちたてようと画策していた中の一九二八年五月五日から六月十七日まで与謝野晶子さんは、夫・寛さんと満州、モンゴルを旅行します。中国東北部侵略の先兵の役割を果たしていた日本の国策会社・南満州鉄道株式会社(満鉄)の招待でした。
 彼女は、一九三二年六月の「日本国民 朝の歌」(『日本国民』別巻「日本女性」)からは、大日本帝国、戦争がんばれの詩や歌をどんどん書くようになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.18

こんな投書を載せてくれました。「高知市の県立高知追手前高校に入学して素敵な先生に出会いました。数学の間崎英夫先生です。……」

 こんな内容の投書を、ある新聞が載せてくれました(見出しなど少し変えています)。

 「君」づけで呼んでくれた

 藤原義一=65歳、学生、高知市大津乙

 高知市の県立高知追手前高校に入学して素敵な先生に出会いました。数学の間崎英夫先生です。間崎先生は出席の時に生徒の名を「君」「さん」をつけて呼びました。うれしかった。中学校の先生は、みな「敬称略」だったこともあり、「この先生は僕たちに人として接してくれている」と、思いました。
 2年生になったら間崎先生はいなくなっていました。思うところがあって休職したようでした。別れがたい先生でした。僕たちは先生の家に行き、放課後、無料で数学を教えてくださいと頼みました。OKでした。週2回、お願いしました。ていねいに教えていただきました。その中には貧困家庭の森尚水君、K君(故人)、僕もいました。
 その「無料塾」は3年生の2月まで続きました。最後まで一緒だったのは男子ばかり7人。全員が国公立大学に合格しました。僕には夢のような出来事でした。
 森君夫婦、僕たち夫婦は毎年正月に間崎先生のお墓を訪れます。お墓の前で先生の出席のときの「藤原君」の声を思い出します。
 その森君が11月初旬、長年の教育実践をまとめた本を出しました。読ませてもらったら「高校1年生の時出会った」間崎先生のことを書いていました。その文章に感動して、ウルウルしながら、この文章を書いています。

 高知新聞投書欄 1012年11月16日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.19

ニッポンビール これは、いつごろつくられたものでしょうか。【写真三枚】

Photo

Photo_2

Photo_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

このマークのキリンビールは、いつころのものでしょうか。

Photo_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知県南国市の明見(みょうけん)の山の戦争遺跡 入山六回目【写真三枚】。四本のビールビンは戦前につくられたものでした。

 十一月十八日午後、高知県南国市の明見(みょうけん)の山の北面に登りました。この日は、向かって右の端の山道から入り、左に入りました。
 左下に行った所に長さ数メートルの潰れた壕がありました。

Photo_6

 もうすごく左に行くと十数メートルの横穴壕が崩れた所がありました。

Photo_7

 その壕の入り口の右手前にビンが五つ半分埋まった形でありました。
 キリンビールのビン。

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-b662.html

 キリンビールのビン。上と同じですが、底に「9」か「6」の下に「-」の印。
 キリンビールのビン。上と同じですが、底に「14●不明の記号●36」。
 ニッポンビールのビン。文字は左から横に「DAINIPPON BREWERY Co,LTD」不明のマークもはいっていました。

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/11/post-25c8.html

 もう一つ、小さなビン。何も書かれていません。
 そして、その手前に電球がありました。「100V ナショナル 20W」とありました。
 尾根の近くにはタコツボがありました。

Photo_8

 十九日、ビールビンがいつころのものかキリンビール、サッポロビールに問い合せました。

 同日午後一時過ぎ、キリンビールから電話。「大正時代から一九四五年の終戦までにつくられていたビールビンです」。

 午後二時四十分には、アサヒビールから電話。「このニッポンビールのビンは、戦前のもので1930年代につくられたものです。」。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.11.20

高知県南国市の明見(みょうけん)の戦争遺跡調査 余話。ヤリをかついで明見にやってきた台湾の飛行予科練習生たち。

 二十日午前十時から午後一時まで、高知県南国市の明見(みょうけん)にいた高知海軍航空隊のKIさんにインタビュー(もうしわけないことに昼食までいただきました)。

 KIさんによると、明見の山の北面に向かって右手の兵舎には台湾からの国民学校を卒業したばかりのような飛行予科練習生たち五十人ほどがいたそうです。

 彼らが明見にやってきたときには、国防色の帽子と国防色の七つボタンの制服を着て、右肩にヤリを担いでいたといいます。ヤリは木製の柄に金属製の三角系の切っ先。切っ先には竹のおおいをつけていたといいます。

 KIさんたちは、彼らにアメリカ軍の戦車に爆弾を持って突っ込む訓練をさせたといいます。戦闘壕づくりのためのトロッコを戦車に見立て……。

 夕方、高知短期大学へ。そこで女子学生のHAとおしゃべリ。彼女は、このあいだ、僕が明見で会った当時のことを知っている女性の親せきでした。平和資料館・草の家の女性の役員の一人も、親せきだといいます。高知はせまい。取材のいとぐちができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.21

二〇一二年十一月二十一日 水曜日 南国市明見の戦争遺跡余話。高知海軍の隊員で高知市介良にいたNAさんの話 隊員たちが住んでいた明見のMUさん宅のことなど。【写真・民家の壕】

二〇一二年十一月二十一日 水曜日 南国市明見の戦争遺跡余話。高知海軍の隊員で高知市介良にいたNAさんの話 隊員たちが住んでいた明見のMUさん宅のことなど。

 晴れ。

 調査のため午前六時に起床。
 

 まず、オスプレイの問題のリポートを仕上げました。来週火曜日の発表のための準備です。

 「さて」と高知市内の高知海軍航空隊の隊員だったNAさんに電話したら、いまから来てくださいに。さっそくうかがって午前十時ころから午後一時までお話をうかがいました。「どういう立場だ。反戦か」と聞かれたので「反戦です。しかし、文章は事実のみを書き、反戦だ反戦だという書き方はしていません」と答えました。知り合いの南国市のTAさんと義兄弟とのことでびっくりしました。このかたは、高知市介良側の民家にいて、明見の山の南側(高知市介良側)で壕を掘っていたといいます。(あとで知ったのですが、亡くなった林田さん=高知市みませの震洋隊の隊員たちが住んでいたお宅の人=と中学校で同学年だったようです。そういえば土佐山田の浦戸海軍航空隊の隊員だった人も同学年です。)。

 そして、その人が壕を掘っていた所を探そうと明見の山の南側に登りました。
 つくりかけの壕のようなものはありましたが、カチッとしたものはありませんでした。
 いくつも登り口がありますので、気長に登ってみたいと思います。

 つぎに高知海軍航空隊の隊員たちが寄宿していた明見の西側のMAさん宅に。当時、ここは大篠村明見。彼は、大篠国民学校に通っていました。
 「はじめは分隊長が住んでいましたが、分隊長は明見の中心地の家に行きました。そのあと分隊士四人と予科練が来ました。正面の棟の左手に高知海軍航空隊の分隊士たちが、ふすまを隔てた隣の部屋には予科練の人たちが住んでいた。その隣の二階家の下にも予科練の人たちが住んでいました。私たち一家八人は離れの六畳二間に住んでいました。」。
 門の入って左手の屋外には前後にトイレが二つずつあります。「表の右は分隊士が使っていました。私たち家族は左側。裏の二つは予科練が使っていました」
 家の裏手には防空壕がありました。入口の近くは崩れています。岩をまっすぐ掘って、すぐ右に曲げています。「両脇に丸太をたて、天井に矢板を入れていました。右に曲がっているのは爆風よけでしょう。分隊士が予科練につくらせました。」。数人が入れるものののようです。

 Photo

 「艦砲射撃があるといううわさが流れたとき、私は、明見の壕に逃げ込みました。」
 入って右の納屋は一九四五年の高知大空襲のあとに大篠村役場になっていたそうです。村長、助役、事務員二人がいたとのこと。
 
 家に帰ったら、つかれたのか「つぎの作業」に移ることができません。
 とにかく寝よう。

 夜、起きて「つぎの作業」へ。
 南国市のTAさんに電話。
 TAさんは陸軍の護土部隊の幹部候補生として高知県の山北にいました。
 昨年は、いっしょにいた京都の人と山北をめぐったといいます。
 月曜日の午前中にお話を聞かせていただけることになりました。

 妻は実家泊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.22

「日本は核兵器に関するシミュレーション(想定実験)ぐらいやったらいい」、海外での武力行使を可能とする「国家安全保障基本法」の制定を明記……。日本は危うい。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-22/2012112201_05_1.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-22/2012112201_02_1.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知新聞社、RKC高知放送、KUTVテレビ高知、高知さんさんテレビさん、「やっぱり夜間の短期大学」のシンポジウムへの後援、ありがとうございます。

 今夜、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会の女性たちが、十二月九日の「やっぱり高知には必要! 夜間の短期大学」シンポジウムのビラを多くの人に送付する準備をしていました。
 話を聞くと、このシンポジウムを、高知新聞社、RKC高知放送、KUTVテレビ高知、高知さんさんテレビが後援してくれることになったといいます。
 心強いです。会員の一人として感謝、感謝。

 ♡   ♡   ♡   ♡

 高知新聞社、RKC高知放送、KUTVテレビ高知、高知さんさんテレビが、以下のシンポジウムを後援してくれることになりました。

 「やっぱり高知には必要! 夜間の短期大学」シンポジウム-高知短期大学と地域の教育課題を考える-

 2012年12月9日(日) 13:30~16:00 入場無料
 高新文化ホール 高知市本町3丁目(電停公園通り北側東館7F) 

 高知短期大学は1953年の創立以来、地域と深く結びついた生涯教育、勤労者・社会人の高等教育の場として大きな役割をはたしてきました。ところが、高知県公立大学法人と県は「夜間2年制大学は時代に合わない」として、「高知短期大学の発展的解消(=短大の廃止)」の計画を進めています。
 この間多くの県民の方々から夜間短大の存続を望む声が寄せられるなか、私たちは、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会を結成し、県下の全市町村首長と教育委員会委員長、教育長へ、この問題についてのご理解のお願いに回ったところ、ほとんどの方から、生涯教育の場、高知県の人材育成にとって必要であること、地域と大学の一層の連携を望む声などが寄せられました。
 このシンポジウムでは、高知県の教育課題について皆様と共に考えたいと思います。
……………………………………………………………………………………………………
 【第Ⅰ部】 講 演
 「地域社会発展における夜間短大の役割」
 北海道大学大学院教育学研究院 准教授 光本 滋さん
 【第Ⅱ部】 パネルディスカッション
 自治体関係者
 上田知子さん(檮原町 農家民宿経営者)
 成川 順さん(いの町 エッセイスト・かわうそ研究家)
 小、中、高校、高知短期大学関係者 
……………………………………………………………………………………………………
 主催「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会
 連絡先 事務局:780-0051 高知市愛宕町2丁目23-6 090-6881-8084(杉本)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.24

二〇一二年十一月二十三日 金曜日 『貧困社会ニッポンの断層』 筆者たち六人のお話を聞きました。

二〇一二年十一月二十三日 金曜日 『貧困社会ニッポンの断層』 筆者たち六人のお話を聞きました。

 雨、晴れ。

 朝七時、高知短期大学集合。
 高知短期大学経済学クラブの研修旅行です。兵庫県神戸市、大阪府吹田市、奈良市へ。大型バス。参加者三十人(十九歳から七十歳代まで。うち先生一人)。
 大阪府吹田市の関西(かんさい)大学の手前で元高知短期大学の先生と合流。
 同大学の教室で『貧困社会ニッポンの断層』 筆者たち六人のお話を聞きました。四月から私たちのクラブで、このテキストで学習してきました。
 執筆者のほとんどが働きながら研究をしてきた人たちです。
 研究への姿勢をふくめて、いいお話を聞くことができました。

 大阪市の道頓堀川を見ました。
 観覧船がかよっていたのにびっくり(テレビで見て知ってはいましたが…)。かつてのヘドロの川に……。

 https://twitter.com/bqv01222/status/272336669502492672/photo/1

 ホテルは道頓堀川のたもと。
 六人部屋でした。
 僕はイビキがひどいのでソファーのある所に布団を敷いてもらいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二〇一二年十一月二十四日 土曜日 奈良の大仏さんと行基(ぎょうき)さん。

二〇一二年十一月二十四日 土曜日 奈良の大仏さんと行基(ぎょうき)さん。

 晴れ。

 高知短期大学経済学クラブ研修旅行二日目。

 朝食を食べたらお腹がプーッと膨んでいました。隣で茶碗三杯たべた人は、お中がすっきりしているというのに……。
 お隣さんいわく。「腹筋が弱いからですよ。押さえる力が弱いんですよ」。うーーん。

 紅葉の奈良市へ。
 バスの窓から日本共産党の街頭演説を見ました。市田書記局長もいたようです。

 奈良公園のシカたちを見ました。女性たちはお母さんジカの授乳のシーンを見て感激していました。

 https://twitter.com/bqv01222/status/272325787301076992/photo/1

 大仏を見てつぎのようなこと思いました。
 <聖武(しょうむ)天皇の時代は仏教をとりしきる役所、神道をとりしきる役所をつくっていました。
 国家権力の認める人だけが僧侶になれました。
 しかし、民間で非公認の僧侶が活動し、民衆をひきつけました。
 大仏をつくろうと思った聖武天皇は、それに民衆を動員するために非公認の僧侶である行基(ぎょうき)をひきたて、協力させました。
 天皇の仏教政策に亀裂が入ったシーンでした。>

 法隆寺に行ったら、見たくてたまらなかった百済観音像は透明なケースの中でした。なぜ、こんなことをするのでしょうか。外に出してほしいですね。

 いっしょに行った十九歳の男性は何を見ても「すごい。すごい」を連発。
 僕の「感動する力」が弱まっているのを実感しました。

 帰りのバスの中でMOさんがクイズをいくつも出してくれました。高度なものが多く、なかなかこたえられませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.26

「十八歳から二年間、自衛隊に入隊させる」。元防衛庁長官の人づくり策。

Photo_2

 「自民党の中谷元衆議院議員は、若い人を十八歳から二年間、自衛隊に入隊させると本に書いているそうよ。」
 父が大東亜戦争で戦死したという女性が教えてくれました。

 内容を正確につかみたいと思って同議員の事務所に、これこれのことを書いている本のタイトルを教えてくださいと電話しました。
 電話口に出た男性は、中谷衆議院議員は、そのようなことを書いていませんと、答えました。
 「共産党が、中谷さんが、そのようなことをいっているとネガティブキャンペーン[相手の政策上の欠点や人格上の問題点を批判して信頼を失わせる選挙戦術]をしている。常識的に考えて、そのようなことができるわけございませんので」
 日本共産党がウソをつくはずはないが……と思いつつ、いったんは電話を置きました。
 でも、なっとくできずに、もう一度、電話しました。
 こんどは別の男性が出てきました。先ほどの男性とは違う人です。
 さきほどのやりとりも話して、もう一度たずねると「調べてみます。三十分後に電話をください」。
 三十分後に電話。
 「『なぜ自民党の支持率は上がらないのか 政変願望』にあります。」、「百七十五ページです」

 さっそく、その本を探して読みました。
 十八歳で…の文章は、この本の二か所に載っていました。
 一つは「序章 これからの日本、私ならこうする 中谷 元の船中八策」の所の二十一ページ、二十二ページ。
 <[「富国有徳」の国を目指すために]正しい心と意欲に富んだ人物に育てあげる必要があり、幼児教育から、初等・中等教育において、正しい知識を身につけ、徳育を養い、心身を鍛えるべきである。18歳からは2年間、自衛隊に入隊し、規則正しい規律や団体生活での自己鍛錬を通じて、日本の国家防衛、国際平和協力に務め、一般社会人としても、国家の経済発展に寄与し、社会全体が、次の日本を担うための子孫を育て、さらに国を発展させ、世界に貢献できる人材を輩出できるような教育を行う必要がある。>
 二つ目は「終章 志国私想 政治は何をしなければならないのか」の中の百七十五ページ。
 <社会の根本は、家族であり、家族とともに暮らし、ともに生きることに喜びを見出し、お互いに努力し合って、切磋琢磨し、良き社会人として世界に貢献できる人物を育てていかねばならない。そのためには、国民が国家のことを考えるため、18歳から2年間は、自衛隊に入隊し、規則正しい団体生活、自己鍛錬を行い、国家の防衛の人に付いて、日本の国家のことを勉強し、世界のことを知り、その後社会に出て、日本の経済が安定するようにしたり、また国民が国家を支え、協力をして、幸福に営みを行うことができるよう、そのための基盤、ステージを作る使命を持っている。>
 女性が教えてくれたことと同じことを書いていました。

 「18歳から2年間は、自衛隊に入隊し、…」というのは、この文脈からいくと男性も女性もということになるのでしょうか。十八歳から二十歳までの国民を強制的に自衛隊に入れて訓練するということでしょう。
 何か、背筋が寒くなります。
 中谷さんは、自民党憲法改正推進本部事務局長です。
 その自民党が、四月二十七日、「日本国憲法改正草案」を出しました。

 http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

 現行憲法前文から侵略戦争への反省や平和的生存権を削除しています。
 「国防軍」を創設し、国防軍規定(九条の2)には、秘密保全法の根拠規定を置くとともに、軍法会議の設置することを盛り込んでいます。
 第九章に「緊急事態」という口実で有事法制規定を導入。外部からの武力攻撃、内乱、大規模自然災害などの緊急事態において、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」「何人も…国その他の機関の指示に従わなければならない」とされ、政令による権利制限を可能としています。
 天皇の元首化、日の丸(日章旗)・君が代の国旗・国歌化、皇位継承と元号の制定、家族の尊重などを定めています。
 自民党は十一月二十一日、衆院選の政権公約を発表しました。
 外交・安全保障分野では、憲法改悪によって自衛隊を「国防軍」として位置づけるほか、海外での武力行使を可能とする集団的自衛権の行使を盛り込んだ「国家安全保障基本法」の制定を明記。アメリカとともに「戦争する国」づくりを明確に打ち出しました。
 そうしたことをみてみると、中谷さんの十八歳からは本気そのものです。

 それにしても最初に出た中谷さんの事務所の発言は、何だったのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.27

夜間の短期大学の灯を消させないで 二百字メッセージ、書いていただけませんか。

 十八歳から定年後の世代までが学ぶ、夜間の大学・高知短期大学の廃止案が、年明け早々にも高知県議会に出されそうな気配です。
 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」の二百字メッセージを、お寄せいただけませんか。
 同会の一会員としてのお願いです。
 私は現在、高知短期大学専攻科の学生です。年齢は六十五歳。
 会のブログ http://blog.goo.ne.jp/yaxtupari
 を見ると、全国から教育者、新聞記者、プロボクサーなど多彩なかたからメッセージをいたただいています。フィリピンや韓国からも。ありがたいことです。
 以下、会のお願いの文書から。

 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会から、あなたへの熱いお願い

 私たちは、8月19日、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会を結成しました。さっそく「200字メッセージ」運動を始めました。ご協力いただけませんでしょうか。
 「200字メッセージ」の趣旨は、以下のとおりです。
 「高知には夜間の2年制大学が必要です」を主旨にしたメッセージをできるだけ多くの方々から集め、高知県における夜間2年制短期大学の灯を守り、発展させる力にしたいと思っています。
 みなさまのお気持ちを200字程度でお書きいただけませんでしょうか。
 ◆原稿は、下記住所に、あるいはメールでお送りください。
 このメッセージは、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学県民の会」として、尾﨑正直・高知県知事、南裕子・高知短期大学学長にお届けするとともに同会のブログ、印刷物などで発表させていただきます。

 送り先 メール  bqv01222@nifty.com

 タイトル                     
 お名前                      
 肩書(お仕事、役職名など)               
 ご住所(市町村名のみ)           

----------------------------------------------------

----------------------------------------------------

----------------------------------------------------

----------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.28

高知県南国市の明見(みょうけん)の山の戦争遺跡 入山七回目。高知市介良(けら)側の山の斜面に横穴壕の潰れたものと交通壕らしきもの。

 十一月二十八日午前、SIさんと高知県南国市の明見の山に登りました。

 SIさんの乗用車には登山、調査道具がいっぱい。私より年上ですが山を走るようにのぼります。

 高知市介良(けら)側の山の斜面で横穴壕の潰れたものと交通壕らしきものを見つけました。目の前に55号がある所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二〇一二年十一月二十七日 火曜日 うわわわーっ、リポートの印刷ができない。

二〇一二年十一月二十七日 火曜日 うわわわーっ、リポートの印刷ができない。

 晴れ。

 午前中、南国市明見の山にSIさんと登りました。
 
 家に帰って「さぁ、つぎ」と思いましたが、「つかれたー」。一時間くらい寝てしまいました。

 さぁ、USBに入っている二時間目の授業のリポートを印刷して…。事務所でやらせてもらおうと思って行ったのですが、なぜか十八ページ中三ページしか印刷できません。急いでほかの所に行って印刷しましたが、これも同じ。
 とにかく家へもどって。途中で大型電器店で印刷用のA4の用紙を買おうとしましたが、このサイズのが店頭においてありません。探してもらって、やっとゲット。そして、家でパソコンに張り付けてあったデータを印刷。
 高知短期大学専攻科の一時間目の授業に大幅に遅れてしまいました。悲しい出来事でした。
 しかし、なぜ……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二〇一二年十一月二十八日 水曜日 高知における風船爆弾づくりの最終章を書き直し。

二〇一二年十一月二十八日 水曜日 高知における風船爆弾づくりの最終章を書き直し。

 晴れ。

 ブログの記事のアップ作業。
 
 高知短期大学存続についての六百字の原稿を担当者に送付。

 高知における風船爆弾づくりの最終章を書き直し。

 夜は高知短期大学専攻科の授業に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その一

 アメリカ軍海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイ が四万十市や土佐清水市上空を飛行するなど、MV22オスプレイの配備、運用問題が高知県でも問題になっている。先の9月定例高知県議会で日本共産党が提案した「米軍機『オスプレイ』の国内配備・運用の撤回を求める意見書(案)」、 「安全確保策の合意を無視したオスプレイの本県通過に抗議し、安全確保を求める決議(案)」が県議会で、どう審議されたのか、各議員の態度はどうだったかを調べた。

 全十三回です。時間がかかりますが、最後までお読みいただければ幸いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その二 MV22オスプレイとは、どんな航空機か

 MV22オスプレイの日本への配備に日本共産党が反対しだしたのはいつからだろうかとネット上で検索してみた。
 少なくとも2011年1月26日付「しんぶん赤旗」の記事「オスプレイ 部品に欠陥 米国防総省報告『任務遂行率低い』」 で、その立場を明らかにしている。
 <米国防総省のギルモア実用試験評価本部長はこのほど、沖縄に2012年からの配備計画がある最新鋭の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについて、いくつかの部品に欠陥があるため、依然として任務遂行率が低いとする年次報告書をまとめました。
 報告書は09年5~9月に行われた試験の評価結果をまとめたもの。それによると、MV22の戦闘作戦参加の信頼性を示す任務遂行率は82%が必要な基準でしたが、実際の試験では57%しかありませんでした。
 ヘリコプター・モードでの操縦に制約があることや、レーダー高度計の不安定性、海水が霧状に噴き上げている環境下での作戦上の限界などがあるとしています。
 また、任務遂行率が低い主な要因として、ヒンジ(ちょうつがい)や点検窓の亀裂や想定よりも早い劣化、ナセル(エンジンなどを収める保護カバー)内部のエンジン・駆動装置部品、飛行制御システムの欠陥などを挙げています。
 その上で報告書は、同機を導入している海兵隊と空軍に対し、共同してブレーキシステムやエンジン、駆動装置部品の信頼性を改善するため、開発と試験を積極的に続けるべきだと提案しています。
 オスプレイは開発段階で墜落事故などが相次ぎ、搭乗していた計30人が死亡しています。現在は運用段階に入っているものの、昨年4月にも派遣先のアフガニスタンで墜落事故を起こし、乗組員4人が死亡しています。
 米海兵隊はオスプレイ24機を12年秋から沖縄に順次配備する計画を明らかにしています。今回の報告書は、その危険性を改めて示すものです。>
では日本共産党は、MV22オスプレイは、どんな役割を果たす航空機だと理解しているのか。2011年7月5日付の「しんぶん赤旗」の記事「オスプレイ沖縄配備計画 危険さらに」 が、それにふれている。
 <米政府は、沖縄の米海兵隊普天間基地(宜野湾市)に現行のCH46ヘリコプターに代え、垂直離着陸機MV22オスプレイを2012年秋から配備すると、このほど正式発表しました。(中略)
 オスプレイはCH46ヘリに比べ、行動半径が約4倍超に拡大。航続距離は1回の空中給油で約3900キロに達します。ヘリのように、敵地への侵攻に強襲揚陸艦を使う必要がなく、米国防総省は「世界のどんな場所にも迅速に自己展開できる」と宣伝しています。
 オスプレイの沖縄配備の狙いは、海兵隊の“殴り込み”能力の強化にあり、地域の軍事緊張を高めるとともに、基地の固定化につながります。>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その三 尾﨑正直高知県知事、和田知士大川村長、西村卓士土佐町長、岩﨑憲郎大豊町長、今西芳彦本山町長がMV22オスプレイの配備、運用を批判

 日本全土を飛び回って訓練すると思われるMV22オスプレイの配備、運用について高知県の住民や各自治体などミは強い不快感を表明している。
 7月26日、尾﨑正直高知県知事は定例会見で、オスプレイ配備について、国民の懸念に耳を貸さない野田政権の対応を批判した 。発言要旨は以下。
<尾﨑知事 全国知事会でも議論があり、若手の歳の近い知事と意見交換する場があったのだが、オスプレイの問題についてはみんな懸念しているし、ある意味憤っている。
安全性が確認されてないものについて、国民が懸念を抱くのは当然だと思う。多くの人が懸念を抱いていることについて、なぜ「政府は何もいえない」と総理が言ってしまったのか。
何もなさないでズルズル事態が推移しようとしているのか。それで本当にいいのか。そういう問題だと思う。今回、知事会として明確に懸念を表明して、具体的な行動をする前の説明を果たすこと、それぞれの自治体の意見を聞いて対応すべきだということについて決議して訴えている。(中略)
我々が訴えて行きたい点は二つだ。「安全性が十分確認できていない中で配備するのか」ということをまず訴えなければならない。
 二点目として、低空飛行訓練。今までも多くの方が懸念を抱いてきた。今までも中止を訴えてきた。その点は引き続き訴え、まして安全性の十分確認されていないオスプレイで低空飛行訓練を行うことは絶対反対ということを強く訴えたい。
こういう国民の懸念を政府は真摯に受け止めて、国民の懸念を相手にしっかり伝える。そういう日本政府であってもらいたい。
 -7月5日、防衛局からの「オスプレイ配備についての説明」は、アメリカの言うことを伝えただけに過ぎなかったのではないか。
 尾﨑知事 私も同じ事を思った。要するにアメリカから説明されたことを伝えにきただけ。だから、みんな憤っている。全国知事会で議題にないことを突然ポンと取り上げて緊急提言するのは異例で、しかも、安全保障にかかわるかなり微妙な側面もあることで、ああいう緊急的に話をしようと(決議のこと)いうことになったのは異常なことだ。
 この背景にはアメリカの言うことを右から左に伝えればいいやと受け止められてもしかたがない(政府の)対応があった。だから、我々は声を上げた。いろんな方々にいろんな気持ちが出てきていることを斟酌して、しっかり自分の言葉で語れる日本政府になってもらいたい。(後略)>
 8月15日、高知県の和田知士・大川村長、西村卓士・土佐町長、岩﨑憲郎・大豊町長、今西芳彦・本山町長が連名で政府に「垂直離着陸機MV22オスプレイの国内配備撤回を求める要望書」を提出した。20数年前よりアメリカ軍機による低空飛行訓練が頻繁に繰り返され、地域住民は騒音と事故発生の危険にさらされ、その状況は現在も続いている、として「現在行われて低空飛行についても許すことができないところへ、今回、事故が頻繁に繰り返され、安全性に強い疑念のあるオスプレイが日本の上空で低空飛行をすることは断じて許すことができません。日本政府におかれては、こうした国民の安心安全な生活への不安に対する心情を理解の上、米軍等関係機関に対して、オスプレイの国内配備を撤回するよう申し入れることを強く申し入れます」とのべている。1994年10月には、米空母艦載機A6Eイントルーダーが大川村に墜落し、乗員2人が死亡する事故があった 。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その四 オスプレイを歓迎する自民党の姿

 いっぽう、尾﨑知事の最大与党である自民党は、国政でもMV22オスプレイ配備賛成の立場だ。
 7月31日の衆議院安全保障委員会で高知2区選出の自民党の中谷元議員が、オスプレイ配備について「アメリカは新たな国防戦略があり、事業計画もありパイロットもすぐに飛べるわけではなく、長年時間かけて訓練をしている。心配するのは岩国にオスプレイは来たものの、パイロットはいつ飛べるのか分からず、毎日毎日、機体の点検とかプロペラの整備とかばかりして、腕を鈍らせないようにする手段がない。アメリカの事情や背景も日本も考えないと日本の安全保障がおかしくなる。共に汗をかくことで互いの信頼関係ができる。一日も早く日米が共同対処をしながら東アジアの安定に寄与できるようにさらに防衛省としても努力してほしい。」と、質問した。
 中谷衆議院議員は、「衆議院議員 中谷元」のホームページの「オスプレイ配備の重要性」(2012-8-1 10:01)でも持論を展開している 。

 http://www.nakatanigen.com/modules/archive/details.php?bid=427

| | コメント (1) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その五 10月1日、6日にオスプレイが高知県西部通過を通過

 高知新聞は、オスプレイ配備反対の立場からの[社説」を何回も出している。
 9月17日付「【オスプレイ】不安はまったく拭えていない」。
 9月26日、「【オスプレイ】県民の不安は拭えない」。
 10月02日付、「【オスプレイ配備】沖縄だけの問題ではない」。
 10月04日付、「【市街地ヘリ飛行】守られない安全策では」。
 こうしたなか、10月1日、6日にオスプレイが高知県西部通過を通過した(10月5日、6日に判明)。これについて高知新聞の記事を見てみよう。
 ・10月1日
 <米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが米軍岩国基地(山口県)から普天間飛行場(沖縄県)に配備された[10月]1日、沖縄への移動中に四万十市上空などを飛行していたことが5日、分かった。高知新聞社が県西部の複数の住民から得た目撃情報を基に、県が防衛省中国四国防衛局に問い合わせた結果、「(オスプレイは)四万十市上空を通るルートを通って移動した」と回答したという。 >
 ・10月6日
 <米軍岩国基地(山口県岩国市)に残っていた垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ3機が[10月]6日、同基地を飛び立った。普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に移動しているとみられ、この途中の6日午後0時40分ごろ以降、四万十市や土佐清水市の上空で飛行中のオスプレイ件が確認された。 >
 <高知県西部の空にまた、その不気味な軍用機が現れた。6日、沖縄県へ向かう途中、四万十市や土佐清水市で相次いで目撃された米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ。なぜ、わざわざ海から遠く離れた市街地などの上空へ入ってくるのか。これからも、たびたびここを飛ぶのか。機体は重低音を響かせ、高知新聞記者らの頭上を行った。
「オスプレイが岩国から離れた」
6日午後0時24分、山口県の岩国基地に残っていたオスプレイが滑走路から離陸し、沖縄県の普天間飛行場へ向かった―との情報が離陸後まもなく、入った。記者はすぐ、四万十市坂本の香山寺山山頂に向かった。北側の眼下に市街地が広がる。鳥のさえずりが聞こえる。
オスプレイが1日に目撃されたのと同じルートで飛行するとすれば、そろそろ姿を現すはずだ。
 午後0時42分。ブーッと何かのモーターが回るような音が遠くに聞こえて、静けさが一変した。音は次第に大きくなり、近づくにつれ、バタバタバタとヘリコプターが飛ぶような音が響いた。
 上空に広がっていた雲の切れ間からグレーの機体が1機出てきた。ずんぐりとした、フグのような形。左右の翼にプロペラが一つずつ見える。機体の割に大きなプロペラと大きめの尾翼。オスプレイだとひと目で分かった。
  重量感のある機体。スピードは思ったより速くなく、のべーっとした感じ。雲の下側を見え隠れするように移動し、1分ほどで視界から消えた。
 香山寺山から直線距離で25~30キロ離れた足摺岬上空でプロペラ音が響き始めたのは、午後0時50分ごろ。雲が空を覆い、機体はなかなか見えなかったが、海抜約120メートルの足摺テルメの屋上にいた記者は、ドッドッドッ…という音を聞いた。「雲の上か」と思った瞬間、その雲の切れ間から機体が現れた。わずか20秒ほどだったが、人の目で十分に識別できる高度だった。
 四万十市にいた記者は、機体が頭上を過ぎ去った後、それが飛んできたルートを眺めた。民家、商店、小学校…。幹線道路を車が走っている。いつもと変わらない光景の中を、これまでとは違う米軍機が平然と飛んでいた。 >
 MV22オスプレイ低空飛行訓練の中止の声が高まった。
  9月14日、本山町でオスプレイ配備に反対する集会が開催された。夕方からの雷雨にもかかわらず、集会には県内外から約250人が集まった。オープニングのビデオ上映では、1994年の早明浦ダム湖への墜落事故の1か月前に本山町職員が撮影に成功した本山町での低空飛行訓練の様子が流された。頻繁に飛来する米軍機の轟音と山間を縫うように飛ぶ様子に会場からは「こんなに…」とどよめきが起こった。アメリカ軍機墜落現場の大川村長の和田氏が「国は米国の方針を追認しているにすぎず、操縦ミスか機体に問題があるのかもうやむやにされており、到底配備は認められない」と訴え。オレンジルートが通る本山町、土佐町、香美市、東洋町の首長からも配備反対を表明するメッセージが寄せられた。日本共産党前参議院議員仁比そうへい氏が、人の命より軍事優先に作られている欠陥機が日本の空を飛ぶことは許されない情勢報告した。
 9月28日、松山市内で、四国57町村の首長と議長が集まる四国四県町村長・議長大会が開かれ、MV22オスプレイの低空飛行訓練の中止を国に求めることを緊急決議した。オスプレイ沖縄配備後の低空飛行訓練は、愛媛、高知、徳島各県上空を通過する「オレンジルート」でも計画されている。緊急決議は「これまでも四国各地で米軍機と思われる低空飛行が数多く目撃され、安寧な生活がたびたび脅かされている」などと提案され、満場一致で採択された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その六 民主党・県民クラブの坂本茂雄高知県議会議員が「オスプレイの安全軽視、運用ルール違反の強行配備を許さない」 

 10月4日、民主党・県民クラブの坂本茂雄高知県議会議員がブログ「坂本茂雄の今日この頃」に「オスプレイの安全軽視、運用ルール違反の強行配備を許さない」をアップした 。
 <米軍普天間飛行場に配備されたばかりのオスプレイは、早くも運用ルールに違反した形の「垂直離着陸モード(ヘリモード)」や、ローターを斜め前方に向ける「転換モード」という危険飛行を宜野湾市街地上空で行ったことが明らかになっています。
 日米合同委員会は垂直離着陸モードでの飛行を米軍基地、区域内に限り、転換モードの時間を短くすることでの合意違反の確認ができれば、断固とした措置が必要となってきます。
 さらに、米軍岩国基地に駐機中のオスプレイ3機のうち1機が2日現在、整備の必要から米軍普天間飛行場へ移動できず、残り2機についても部品交換が必要なため、試験飛行が行われていないこともあきらかになっています。
 こんな状態で、これ以上の飛行訓練はもちろん沖縄配備は、とても認められるものでないことをもっと世論として巻き起こす必要があるのではないでしょうか。(後略)>
 坂本県議は、つづいて10月6日の「オスプレイが四万十市上空を」 の項ではつぎのように書いている。
 <これまでも、オスプレイの強行配備において、日米で合意した安全確保策を軽視した運行に国民の怒りは高まっていたが、「移動の際は可能な限り水上を飛行する」ということを形骸化した形で、岩国基地から普天間への移動中に、高知県西部の四万十市上空を飛行したことが明らかになりました。
 今日、早明浦ダム広場で米軍機超低空飛行反対集会が開催されているが、今年の集会は、あわせてオスプレイのオレンジルート飛行訓練・普天間配備撤回を求める集会となっていますが、加えての四万十市上空飛行に抗議する怒りの集会となっているに違いありません。残念ながら、所用と重なった私は、参加できませんでした。
 何としても「犠牲のシステム」の上で成り立っている、沖縄県民をはじめとした国民よりもアメリカに配慮するこの国の政治のあり方を変えるしかありません。>
 住民の間でも反対運動が高まっていた。こんな集会もあった。
 10月6日、土佐郡土佐町田井の早明浦ダム近くの広場でMV22オスプレイ沖縄配備と、アメリカ軍機の高知県内低空飛行訓練などに反対する集会が開かれ、四国の平和運動団体など約400人(主催者発表)がシュプレヒコールで抗議を示した。平和フォーラム、護憲・原水禁の両四国ブロックの主催。民主党系といわれる団体だ 。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その七 日本共産党が意見書案に加え決議案を提出

 日本共産党は高知県議会9月定例会に「米軍機『オスプレイ』の国内配備・運用の撤回を求める意見書(案)」を提案していたが、9月定例会最終日の10月9日午前の議会運営委員会で、アメリカ軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが本県上空を通過したことに抗議する「安全確保策の合意を無視したオスプレイの本県通過に抗議し、安全確保を求める決議(案)」を提出した。意見書案、決議案は、つぎのような内容である。
 「米軍機『オスプレイ』の国内配備・運用の撤回を求める意見書(案)」。
 <政府は、「安全宣言」なるものを発表し、米軍は、岩国基地に陸揚げしたオスプレイ12機の試験飛行を行い、沖縄普天間基地に配備・運用しようとしている。これは配備反対と基地撤去、いっそう危険な低空飛行訓練に反対する沖縄県民、全国各地の自治体・住民の願いを踏みにじる暴挙であり、断じて認めることはできない。
  4月モロッコ、6月フロリダ二つの墜落事故についての米軍の報告も、政府の「安全宣言」も人為的ミスとしているものの、浮き彫りになったことはわずかな追い風や先行機からの乱気流の影響で操縦不能になり墜落すること、ちょっとした操縦ミスでも重大事故を起こす危険な飛行機であると言うことである。また、オスプレイはプロペラが止まったとき自動的に体勢を立て直すオートローテション機能がないなど構造的な欠陥も明らかである。そして日米合同委員会でまとめた運用ルールも、これまでも守られたことはなく住民の不安を払拭し安全を保証するどころか、安全とは程遠いものである。
  沖縄県では、9月9日、本土復帰後最大規模10万1千人の県民大会が開かれ、オスプレイの配備計画撤回、米軍普天間基地の閉鎖・撤去を求めている。また世論調査でも7割の国民が配備反対を表明し、自治体、住民ぐるみの運動が強まっている。高知県においても、防災ヘリやドクターヘリの活動への危険と不安も強まる中で、嶺北4町村長がオスプレイの配備と低空飛行訓練中止を政府とアメリカに要請したことを始め、市町村議会での意見書決議の採択や県民運動が広がっている。
  アメリカでは、住民の声が反映されオスプレイの訓練の先送りや撤回が続いている。
  いま、主権国家として在日米軍の特権を許さず、国民、県民の命と安全を守ることこそ求められている。
 よって国におかれては、アメリカに対してオスプレイの国内配備・運用を撤回するよう求めることを強く要望する。
  以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

                      日本共産党

 内閣総理大臣
 外務大臣           様

 防衛大臣>

 「安全確保策の合意を無視したオスプレイの本県通過に抗議し、安全確保を求める決議(案)」。
 <10月6日、沖縄県にオスプレイが配備され、運用が開始された。多くの国民の安全に対する懸念の声に対し、日米合同委員会で「学校や病院を含む人口密集地上空を避ける」「ヘリモードは基地内に限定」「移動の際は可能な限り水上を飛行する」などの安全確保策を合意していた。
しかし、沖縄県では、学校、保育園、病院の上空を飛行し、基地の数キロ手前でヘリモードに転換するなどの事態が確認され、1日、6日には岩国基地から普天間基地の移動にあたり、海上ではなく、わざわざ遠回りして、本県四万十市上空を通過した。合意が初日から反故にされる事態が繰り返されていることは到底許されない。
 そもそも安全性や低空飛行訓練の被害増加が懸念されるオスプレイの配備については、沖縄県では県議会を含む全42自治体、本県でも高知市、嶺北4町村など8自治体議会が意見書を可決し、9月27日に開催された四国4県57町村長・議長大会では、オスプレイの低空飛行訓練の中止を国に求める緊急決議がなされている。
 9月24日、オスプレイの沖縄配備に関する中国四国防衛局の本県への説明の場でも、安全性への懸念は払拭されず、県知事名で「オスプレイを含む低空飛行訓練の中止」を強く要請し、要請文を手渡している。
 安全確保策の合意が最初から無視される事態は、米軍や日本政府の安全性についても説明も信頼に値するものでないことを示したものと言わざるを得ない。
 7月の全国知事会の緊急決議が指摘した「関係する自治体や住民が懸念している安全性について未だ確認できていない現状においては、受け入れることはできない」状況はさらに強まっている。また、8月7日四国4県議会正副議長会の決議が強く求めた「関係自治体に詳細に説明するとともに、国民の生命・安全の確保に全力を尽くす」こともなされておらず、配備、運用できる条件にないことは明らかである。
 安全確保の合意を無視したオスプレイの本県上空通過を厳しく抗議するとともに、少なくとも、関係自治体、住民の懸念が払拭されるまでその運用を中止すること、あわせて本県での米軍機の低空飛行訓練の中止を強く求めるものである。
 以上決議する。>

| | コメント (2) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その八 決議案をめぐっての自民党と日本共産党とのやりとり

 10月9日午前の議会運営委員会で、日本共産党が提案した「安全確保策の合意を無視したオスプレイの本県通過に抗議し、安全確保を求める決議(案)」を議案として認めるかどうかの協議で、土(と)森(もり)正典(まさのり)議員(自民党)と米田稔議員(日本共産党)の間で以下のようなやりとりがあった 。

 http://www11.ocn.ne.jp/~jcpkochi/minpo/topic/2012/121021tomori.html

 <土森議員 決議に緊急性がどこにあるのか説明してもらいたい。
 米田議員 洋上ではなく、わざわざ遠回りといえる四万十市、土佐清水市上空を通過したことが明らかになった。県民に大変な驚きと何とかしたいという声が広がっている。(県議会として意思表示する)最も近い機会が今だ。次の議会を待つわけにはいかない。緊急に高知県民の意思を表明する必要がある。できるだけ県民の総意をあらわすために、安全確保を無視して本県上空を通過したことへの抗議に主眼においた決議を提案した。
 土森議員 可能な限り水上を移動するというのが日米合意だ。絶対ではない。
 米田議員 可能な限りだからよいという立場では、結局、好き放題に飛ぶということになり、主権国家としての役割が果たせないし、住民の不安を払拭することはできない。ものを言うことが大事ではないか。
 土森議員 ものを言っておけということか。
 米田議員 そうだ。
 土森議員 私も(四万十市で)飛行をみた。別に不安を覚えたことはない。>

 この決議案については、各会派が持ち帰って対応を協議し、午前中に予定していた県議会本会議を午後に持ち越した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その九 意見書案、決議案についての議論と採択の結果

 10月9日の高知県議会本会議で、同意見書案、同決議案について審議された。
 まず、自民党の若手の西内隆純(たかずみ)議員が反対討論に立った。
 ここに動画がある。

 http://takazumi.net/2012/10/19/%EF%BC%99%E6%9C%88%E5%AE%9A%E4%BE%8B%E4%BC%9A-%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E8%A8%8E%E8%AB%96/

 日本共産党の中根佐知議員が意見書案、決議案の賛成討論に立った 。
 ここに、その内容がある。

 http://www.jcp-kochi-pref.jp/discussion/2012/2012.9nakane2.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その十 意見書案、決議案の採択の結果はどうだっただろうか

 同意見書案、同決議案の採択の結果、賛成少数で決議案は否決された。

 http://www.pref.kochi.lg.jp/~gikai/giketu/giketu2409.pdf

 決議案への賛否は以下のとおりだった(敬称略)。

 ・抗議決議に賛成
 日本共産党=岡本和也、中根佐知、吉良富彦、米田稔、塚地佐智
 民主党・県民クラブ=坂本茂雄、田村輝雄
 県政会=上田周五、横山浩一
 みどりの会=高橋徹
 ・抗議決議に反対
 自民党=金子繁昌、加藤漠、川井喜久博、坂本孝幸、西内健、西内隆純、弘田兼一、明神健夫、依光晃一郎、梶原大介、桑名龍吾、佐竹紀夫、中西哲、三石文隆、森田英二、浜田英宏、樋口秀洋、溝渕健夫、土森正典、西森潮三、西岡寅八郎(武石利彦は議長のため採決に参加せず)
 公明党=西森雅和、黒岩正好、池脇純一
 県政会=中内桂郎
 民主党・県民クラブ=大石宗
 南風=ふぁーまー土居

 県政会、民主党・県民クラブは、賛否がわかれた。
 民主党・県民クラブの大石宗が反対に回ったことが注目される。いまは、衆議院選挙高知1区に立候補しようとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その十一 ネット上での自民党のフォロー

 自民党高知県議会議員たちが、ネット上で、この問題をフォローしている。
 中西哲(さとし)・高知県議会議員のブログ「サトシのキーワード『日々雑記』」の10月10日の「平成24年9月定例県議会閉会」も、その一つ。

 http://d.hatena.ne.jp/nakanishi-satoshi/20121010/1349837883

 この中西議員が「驚いた」のが、10月10日の高知新聞の紙面。彼がブログ「サトシのキーワード『日々雑記』」9月11日の「高知新聞は沖縄の新聞になったのか」で、つぎのように書いている。

 http://d.hatena.ne.jp/nakanishi-satoshi/20120911/1347322094

 自民党の体質を示した、かなり威圧的な文書だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その十二 ブログ「土佐のまつりごと」がの「オスプレイ:自民高知県議団 沖縄の声を足蹴」の記事

 ブログ「土佐のまつりごと」の「オスプレイ:自民高知県議団 沖縄の声を足蹴」(9月9日) が自民党の高知県議会での行動を批判している。

 http://wajin.air-nifty.com/jcp/2012/10/post-bae6.html

 切れ味のいい記事である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 高知県議会での各議員の政治姿勢 MV22オスプレイ国内配備・運用の撤回を求める意見書案、高知県通過に抗議し安全確保を求める決議案への態度に見る その十三 9月高知県議会も広がる反対運動

 9月定例高知県議会のあとも、オスプレイ配備反対の動きが続いている。
 10月23日、高知市役所前で「オスプレイの強行配備・低空飛行訓練に反対する高知県集会」がおこなわれ、集まった約200人が「四国、沖縄の空に平和を」とMV22オスプレイの配備反対を訴えた。反戦、平和団体でつくる「郷土の軍事化に反対する高知県連絡会」の主催だった。
 10月26日、日本共産党オスプレイ配備反対闘争本部は高知県庁を訪れ、低空飛行の実態やMV22オスプレイ配備について岩城孝章副知事と懇談した。井上哲士参院議員、塩川鉄也衆院議員、仁比聡平前参院議員、笹岡優・国会議員団四国ブロック事務所長(衆院四国ブロック比例予定候補)が参加。春名なおあき衆院高知1区予定候補、岡田よしひで同2区予定候補、塚地さち高知県議らが同席した。岩城副知事は、低空飛行中止を繰り返し求めてきたとのべ「大変危ぐしている。県民の命が騒音などで害されたり、再び万が一のことがあったりしてはならない」と強調。MV22オスプレイ配備について「“どこを飛ぶかわからない”では日米合意の順守もチェックできない。飛行ルート・計画を明らかにするよう関係機関とも連携して求めていきたい」と、のべた。
 いま、MV22オスプレイは、沖縄県各地でコンクリートブロックをつり下げて飛行している。そのブロックは最大7000ポンド(約3トン)ある。
 つぎのような訓練も予定されている。
 アメリカ軍の第3海兵遠征軍第1航空団(沖縄)の指揮で11月29日から12月18日まで遠征訓練を実施する。グアム島のアンダーセン空軍基地、北マリアナ諸島のファラン・デ・メディニラ空対地射場でFA18戦闘攻撃機20機、空中給油機3機、MV22オスプレイ4機が戦闘訓練、射爆撃訓練などやる予定。岩国基地から海兵隊員880が参加する。オスプレイは普天間基地(沖縄県宜野湾市)所属のものとみられている。アメリカ軍の第11海兵航空群のフレデリック司令官は「4機のオスプレイが来る。これはわれわれの人員と装備のマリアナ諸島における輸送能力を増強し、より長距離の任務を訓練するのに役立つ」と、いっている。なお、訓練費用は「沖縄の負担軽減」を理由に日本が4分の3を負担する。
 アメリカ軍の対外侵略、侵攻のためのオスプレイの日本への配備、運用のために国民を危険にさらす、それに積極的に賛成する、「アメリカさまさま」で愛国心を喪失した人たちが、わが日本国の政治家としてふさわしいのかどうかが、いま、問われている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【ニュース】 この党もアメリカの手下としてドンパチやる気。日本維新の会が自衛隊の海外派遣時の武器使用基準の見直しへ。

 高知新聞の夕刊を見てびっくり。
 日本維新の会が衆院選公約「骨太2013−2016」に、自衛隊の海外派遣時の武器使用基準の見直しを新たに盛り込むことがわかりました。維新の会は29日に公約を発表します。
 自民党、日本維新の会……、きな臭い政党がバッコしているこのごろです。

 http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012112801000806.html

 http://mainichi.jp/select/news/20121128k0000e010184000c.html

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121128/stt12112818520012-n1.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.29

【質問】 自国政府の侵略政策、侵略行為を批判した詩作品には、どんなものがあるでしょうか。世界に。

 ふと、不勉強に気づきました。

 自国政府の侵略政策、侵略行為を正面から批判した世界の詩を読んでみたいと思いました。

 でも、どなたの、どんな作品があるのかかいもく見当がつきません。

 ご存じのかた、教えていただけませんでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大原富枝さんの小説『婉という女』についてのメモ

 大原富枝さんの小説『婉という女』についてのメモです。

 作者について

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E5%AF%8C%E6%9E%9D

 作品解説

http://www.youtube.com/watch?v=4CtIgxKzvFo

http://www.youtube.com/watch?v=rEF7cdxSsjk

http://www.youtube.com/watch?v=92WGjYzFzxc

 ストーリーがわかるもの

http://www.youtube.com/watch?v=YkJ6t9AJyy8

http://www.youtube.com/watch?v=-s7yooQK_CM

 作品の舞台

http://www.zusi.net/meisaku/enn/enn.htm

 映画のこと

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id143598/

http://eiga.com/movie/35110/

http://8605.teacup.com/keikoto/bbs/599

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愉快な記事を見つけました。日本共産党の女性候補について。高知県立高知追前高校出身の吉良よし子さんのことも。

http://livedoor.blogimg.jp/mizuhoplum/imgs/b/7/b75aad4a.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.11.30

二〇一二年十一月三十日 金曜日 高知市朝倉の「野中婉址碑」裏の戦争壕跡、いの町の風船爆弾用の用紙が保存されている所。【写真二枚】

二〇一二年十一月三十日 金曜日 高知市朝倉の「野中婉址碑」裏の戦争壕跡、いの町の風船爆弾用の用紙が保存されている所。
 
 晴れ。

 高知市の路面電車の「朝倉神社前」の南に「野中婉址碑」を見ました。

Photo

 そういえばという感じで、その裏の山のふもとを歩きました。ここも戦争壕の跡があります。十分ほど歩いただけで四つも。落ち着いたらじっくり歩いてみようと思っています。

Photo_2

 いの町の「紙の博物館」へ。
 ・機械ずきの風船爆弾用の紙のたば(コンニャクのりでの加工前のもの)
 ・コンニャクのりで加工した紙(ところどころ空色の紙片で補強したもの)
 を見せていただきました。
 前にも見せていただいたものですが、私の風船爆弾についての調査が進展しているせいか、再会は「感動もの」でした。
 つぎに、いの町内野(うつの)の日本製紙パピリア株式会社高知工場へ。
 同社の『高知工場史』を見せていたただきました。
 当時の日本紙業株式会社伊野工場で、風船爆弾用の紙をつくっていたと書いてありました。原料であるコウゾの皮をはぐために県下の佐川高等女学校の生徒、伊野国民学校、町の女性たちを「多数」動員したということです。

 午後六時四十分、わが家の電話のベルが鳴りました。
 出ると幸福実現党の録音テープが流れてきました。男性の声で消費税問題の政策についてのべるというものです。
 まさに、一方的です。政策の訴えくらい「生」でやってほしい。反論もできないではないか。

 ある短歌の集まりの短歌の応募に五首、応募しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山中の戦争遺跡調査のためのグッヅたち。【写真、グッヅの一部】

Photo_3

 明日、十二月一日は、朝からFUさんと、低山の戦争遺跡調査です。そこは、わが家からバイクで二十分くらいの所です。天気予報は晴れ。
 夜、道具類をリュックサックに入れます。
 このときが楽しいんですよね。

 ・運転免許証 バイク用
 ・バイクのキー
 ・小銭入れ
 ・『高知の戦争 証言と調査』五冊 名刺がわり
 ・携帯電話
 ・登山靴
 ・軍手
 ・クマデ 急斜面を登るときのために
 ・ヘルメット 横穴壕入るときのために
 ・水の入ったペットボトル
 ・タオル
 ・巻き尺
 ・現場記録写真用の巻き尺 五メートル
 ・ライト
 ・デジタルカメラ
 ・ICレコーダー
 ・ノートと鉛筆四本

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二〇一二年十一月二十九日 木曜日 林芙美子さんの小説『放浪記』を読み始めました。

二〇一二年十一月二十九日 木曜日 林芙美子さんの小説『放浪記』を読み始めました。

 ビラ配布。

 会議。

 夜は高知短期大学へ。
 来年四月から通う大学院での勉強についてインターネットで情報を収集。
 その関連で林芙美子さんの小説『放浪記』を読み始めました。
 あるきっかけで大原富枝さんの小説『婉(えん)という女』にも興味を持ちました。
 二十歳代のとき今井正さんの映画「婉(えん)という女」を見て感動しました。
 
 【林芙美子さんのこと】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E6%B5%AA%E8%A8%98

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【ニュース】 おい、おい、「日本未来の党」も、きな臭い。日本維新の会も、そうだけど。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-30/2012113002_02_0.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-30/2012113002_01_0.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-30/2012113003_01_0.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蜜石誠二君。ネットに君の記事があったよ。

 蜜石誠二君。

 君がいなくなってから、何年もの日々が過ぎ去った。
 この間も、愛媛でもつくられていた風船爆弾の気球のことを調べるために、君がいた愛媛県四国中央市にいったよ。

 高知大学文理学部文学科一年生、二年生のとき、いっしょにクラスの文集をつくったね。題名は、当時、大学のあちこちにあったセンダンの木の古名だったと思う。
 たしか、君は、そこに『週刊新潮』流の原稿を載せていたね。
 二冊つくったと思うが、いまは、どこにいったのかわからない。関西にいるTO君は持っていると思う。

 君は、ワンダーフォーゲル部に入っていたね。
 学生自治会の代議員、執行委員、執行委員長なんかしていた僕は、夜、よく君の狭いアパートに逃げ込んではメシをくわしはてもらった。君は、山の道具で、すきっぱらにドシンとくる、おいしいのをつくってくれた。

 いつのころか、高知女子大学のワンダーフォーゲル部のIさんの名前が君の口からあふれ出始めた。よっぽど好きだったんだろうね。

 僕も君も、いつしか大学を去った。
 君は最初、愛媛県の新愛媛新聞の記者になったね。
 Iさんは、はたから見ても、いい人だった。君の結婚生活は幸せいっぱいだったようだね。

 それから君は、愛媛県の毎日新聞の記者として活躍していた。
 僕も記者として、わからないこと、困ったことがあったとき、よく君に電話して意見を聞いた。

 病気で亡くなってしまった、君。
 奥さんは、いま、どうしているのだろうか。
 君がいなくなったあと、四国中央市にいったおりに、君の娘さんが結婚するといううわさも聞いた。

 ところで、きょう、ネットをうろついていたら、君の記事が、いくつか出てきたよ。

http://www.local-manifesto.jp/network/data/network_chugoku050411.html
ローカル・マニフェスト:四国地域のネットワーク結成-四国中央で結成大会/愛媛
4月11日朝刊(毎日新聞)-4月11日17時32分更新

http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/800.html
<愛媛体罰事件>元コーチをわいせつ容疑で逮捕(毎日新聞)
(毎日新聞) - 11月12日12時5分更新

http://www.asyura2.com/0510/social2/msg/305.html
<体罰>少年団コーチ、女子児童を裸で走らせる 愛媛
(毎日新聞) - 11月11日11時40分更新

https://www.jichitai.com/mynews/itiran.asp?news_listno=127&news_no=831#831
【合併関係市町村の公共施設を光ファイバー回線で結ぶ地域公共ネットワーク開通! (愛媛県伊予三島市、川之江市、土居町、新宮村)】

http://sikoku.machi.to/bbs/read.cgi/sikoku/1050712047/l50
宇摩4市町村 「四国中央市」でと〝誘導〟 伊予三島市長 選考投票で委員に「平成」の大合併

http://www.logsoku.com/r/newsplus/1061566467/
【愛媛】 「四国中央市」に正式決定 4市町村合併 新市名

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »