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2012.11.05

 二○一二年十一月五日午後、帥(すい)七四三七部隊(レーダー部隊)にいたという男性のお話を聞きました。

 二○一二年十一月五日午後、帥(すい)七四三七部隊にいたという男性のお話を聞きました。
 今後の取材のためメモをつくっておきます。
 ・一九二五年十一月十一日生まれ。
 ・徴兵検査の結果は第二乙でした。
 ・一九四五年三月に召集令状が来ました。あとから知ったことですが、召集令状が来るのがおそいと思っていたら、大阪の軍司令部がアメリカの空襲で燃えて、書類も燃えてしまったため、遅れたということでした。
 ・まず大阪・千里の関西(かんさい)大学の講堂に行って入隊しました。私たちの部隊の責任者は間(はなだ)ユウイチといいました。電波探知機の部隊でした。
 ・部隊は、和歌山県の白浜の近くの和歌浦(わかのうら)のレーダーの基地に行きました。ここで日本の飛行機がアメリカ軍の大きな飛行機を猛スピードで抜かしてからつっかかるのを見ました。パッと光ったらおしまい。ゴミも落ちてきませんでした。
 ・そして、高知県の室戸岬の基地に行きました。基地は室戸岬の灯台の山側でした。縦の壕を掘っていました。壕の周りは板を張っていました。その上に木で屋根をつくって、屋根の上に枝などを置いて隠していました。そして、屋根の真ん中に八木式空中線を立てていました。レーダーで敵の飛行機をとらえ、機数、高度、位置を名古屋の中部軍司令部に報告しました。
 ・ここに、安芸に着いた送信管を持ってきたこともありました。これ一つで貨物列車一台分という大きなものでした。
 ・敵機が三百機来たときもありました。雲のすぐ上を飛ぶのですが、その影が映って不気味でした。レーダーを避けてか、海岸スレスレを飛んでいるときもありました。風船のようなものをバラまき、それを基準にして編隊を組んでいました。低空飛行で民家の屋根瓦をひっぱがしました。海の漁船を板になるまで撃っているのを見たこともあります。
 ・地元の婦人たちが室戸水産学校で炊事をしてくれていたので、食事は、そこへ行きました。
 ・灯台と私たちの部隊との間に、陸軍の高台がありました。火のヤグラのような鉄塔で屋根がついていました。そこで陸軍の兵隊が敵の飛行機を監視していました。
 ・終戦後、部隊の持っていた機械は海に放り込みました。

 【参考】  

 帥は大日本帝国陸軍の航空総軍のことです。
 できたのは一九四五年三月。

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