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2012.12.20

石に刻まれた高知の戦争 高知市柳原の「忠霊塔」わきの二つの石碑に書いてあること。日露戦争のものは、あの西森真太郎さんの文章でした。

 高知市柳原の「忠霊塔」に行きました。何回か目ですが、きょうは、そのわきの二つの石碑をじっくり読みました。

 その一つは、日露戦争のあとのものです。一部が割れて近くに落ちています。

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 うわあああーっ、あの西森真太郎さんの文章でした。

 山北や大崎にも、対外戦争で天皇の威光を世界に示した、すごいぞ、すごいぞという感じの彼の文章の戦争の碑があります。

 もう一つは、大東亜戦争の半年前のものです。

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  こんな意味でしょうか。

 あゝ、男として生きては国家を防ぎ守る軍人となり、死んでは国を守る鬼神と化することは、ほんとうに男子の本望(ほんもう)である。
 わが市[高知市]の男性たちは、かつての日露戦争[一九〇四年二月八日~一九〇五年九月五日の大日本帝国とロシア国の戦争。戦場は、朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部など]にはじまって、たびかさなる海外への戦争にしたがい、戦死の名誉をえた。
 その本市出身の将校[少尉以上の武官]と兵士のために、おのおのの塋域[えいいき。お墓]をもうけ、とむらいごとをしてきた。
 しかし、それが、あちこちにあって、いまだ純粋な天皇陛下への忠誠にたいして一か所に集めてまつれないのを残念に思っていた。
 今回、支那事変[一九三七年七月からの大日本帝国の中国への戦争]になり、この地、柳原に忠霊塔をつくり、戦没将兵納骨の祭壇[さいだん]とすることになった。
 さらに、さかのぼって幕末の勤王の志士におよぶまでの人々を、ここに合葬し、これらの立派な人々の不滅の功績をずっと表彰する。
 筆山[ひつざん]の緑は青々とし、鏡川の水は豊かに流れているこの地に、すべての人があおぎ見る心がずっとかれないで続くことであろう。
 この思いを石に刻んで、これを後世に伝える。

 昭和十六年[一九四一年]六月
 高知市長 従四位勲三等 川淵洽馬(かわぶち こうま)

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