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2012.12.12

【本土決戦準備】 高知県山北村、山南村の陸軍護土(ごど)部隊

  陸軍護土(ごど)部隊の動きが、高知県の山北小学校昭和二十二年卒業生記念同窓会編集部編『心のふるさと 山北小学校卒業五十周年記念誌』(一九九七年三月)に載っています。
 以下、その記念誌の「『国民学校』時代を振り返る 学校と村とその時代」から。

 山北小学校は一九四一年四月から山北村国民学校となっていました。
 一九四五年五月初めから第百五十五師団(護土部隊)第四百五十二連隊所属の高木中隊(約百二十人)が山北村、山南村に駐屯しました。
 その本部兵舎に山北村国民学校の南校舎東半分があてられ、六十人が宿泊しました。
 二十人が、山北村の民家に寄留しました、
 四十人は、山南村に駐留しました。
 この中隊の主な任務は、本土決戦に備えて、当面、富家の山に陣地を築くこと(壕掘り)でした。
 このため山北村国民学校では教室が大幅に圧縮され、配置替えをしてました。一部の児童は産業組合二階のに出教室で授業を受けました。
 運動場も半分は使えなくなり、足洗い場も兵士の飯盒(はんごう)の洗い場
なりました。
 これとは別に、笠原部落にも長田中隊が駐屯して、その背後の山に防衛壕掘りなどをしていました。
 壕堀り作業の帰路、立ち寄る兵士に、各農家は、乏しい食料事情のなかにも、飲み物、食べ物を供し、しばしの憩いの場を与えていました。
 村の警防団や婦人会も竹やり訓練をふくむ国防教育を実施したりしていましたが、駐屯兵士の壕堀りは延々と続き、その途上の兵士二、三人が赤尾部落でグラマン戦闘機の射撃を受けるということもあった。
 ある日の晩、「岸本に一両日に艦砲射撃がある!」との情報が村中をかけめぐり、大騒ぎになって、大慌てで荷造りをしし多くの子どもは奥地へ緊急疎開した。(じっさいには艦砲射撃はありませんでした。)

 これとは別に、TAさんが、山北の護土部隊にいたときの手帳があります。
 その手帳によるとTAさんの所属していた部隊は「丸亀 中部一四九部隊 護土二二七五部隊 浅野隊本部 幹部候補生部隊」となっています。 

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