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2012.12.29

二〇一二年十二月二十八日 金曜日  「夢に出てきた 父上に 死んで 還(かえ)れと 励まされ」。ギョッ!!

二〇一二年十二月二十八日 金曜日  「夢に出てきた  父上に 死んで  還(かえ)れと  励まされ」。ギョッ!!

 雨。

 朝から黒潮町へ。
 高岡郡窪川町(いまは四万十町)宮内の高知海軍航空隊第三飛行場で一九四五年八月十五日の終戦を迎えた偵察の飛行術練習生(一九二五年一月二日生まれ)の話を聞きました。
 戦争中の話をお聞きしていると「こんな歌もあったぜよ」と、その一節をうたってくれました。
 「夢に出てきた  父上に 死んで  還(かえ)れと  励まされ」
 ギョッとしました。
 「なんぼ鬼みたいな父上でも、死んでかえれというもんが、どこにおるもんか」
 そのとおりだと思います。
 終戦の報を聞いて彼は、「おい、これでウチへ帰れるぞ。よかったねや」と喜び合ったといいます。
 家に帰って、どんな歌だったか調べました。
 一九三七年九月、コロムビアレコードから発売された軍歌「露営の歌」でした。
 この年、日中戦争が始まりました。これにあわせて、東京日日新聞と大阪毎日新聞に題号が分かれていた毎日新聞が戦意高揚のため「進軍の歌」の歌詞を公募し、薮内喜一郎(京都市役所に勤務)が傑作に入選しました。それを、北原白秋や菊池寛らが「露営の歌」と題し、古関裕而が作曲を手がけました。罪深い人たちです。

 露営の歌

 作詞:藪内喜一郎、作曲:古関裕而

 http://www.youtube.com/watch?hl=ja&gl=JP&v=lzpjBdxz5io

 一、勝って  来るぞと  勇ましく
   誓って  国を  出たからにや
   手柄  たてずに  死なれよか
   進軍ラッパ  聞く度に
   まぶたに  浮かぶ  旗の波

 二、土も  草木も  火と燃える
   果てなき曠野(こうや)  踏み分けて
   進む  日の丸  鉄兜
   馬のたてがみ  なでながら
   明日の命を  誰か知る

 三、弾丸(たま)も  タンクも  銃剣も
   しばし  露営の  草枕
   夢に出てきた  父上に
   死んで  還れと  励まされ
   覚めて睨(にら)むは  敵の空

 四、思えば 今日の  戦いに
   朱(あけ)に  染まって  にっこりと
   笑って  死んだ  戦友が
   天皇陛下 万歳と
   残した  声が 忘らりょか

 五、戦争(いくさ)する身  はかねてから
   捨てる  覚悟で  いるものを
   鳴いて  くれるな  草の虫
   東洋平和の ためならば
   なんの命が  惜しかろう

  【追伸】

 窪川駅のホームで高知短期大学に行っていたKOさんに出会いました。

 「KOです。高知に住んでるんですけど、きょうはダンナさんと一緒に窪川へ……」

 ダンナさんって?

 うしろから男性が来て彼女と手をつないで改札方向へ。

 ダンナさんって「つれあい」のことかいな。まだ二十過ぎたばかりなのに……。

 佐川駅で高知短期大学の学生自治会の執行委員だったYAさんに出会いました。

 高知駅まで彼と話して帰ってきました。

 夜、企画展の資料づくりを開始。

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