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2013.01.18

ここまでわかった高知高知海軍航空隊の高天ケ原山の陸戦陣地 その一 1945年春

 大東亜戦争(アジア太平洋戦争)中の1945年春、高知県香美郡日章村(いまは南国市)の高知海軍航空隊の隊員たちは、機上作業練習機・白菊での特別攻撃訓練をする者、陸戦のために長岡郡篠原村明見(みょうけん。いまは南国市)、長岡郡介良村(けらむら。いまは高知市)の介良野の民家などに分宿しながら山中に陣地を構築する者などにわかれました。
明見、介良に派遣された明見派遣隊の中心は高知海軍航空隊の第40期飛行術偵察専修練習生たち約430でした。工作兵、主計兵もいました。伊藤平次2分隊分隊長(大尉=だいい)、岡嘉朝12分隊分隊長(中尉)、丸岡義吐22分隊分隊長(大尉)、各分隊の分隊士(兵曹長、少尉)らが指揮していました。
  隊員は民家に分宿しました。そして、近くの山の中で陣地をつくりはじめました。アメリカ軍が高知県に上陸して来る、そのとき、横穴壕などに隠れながらたたかおうという構えでした。

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