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2013.01.18

ここまでわかった高知高知海軍航空隊の高天ケ原山の陸戦陣地 その十三 手榴弾の訓練中、頭を直撃されて…

 明見派遣隊の8月1日から16日までの日々については分隊士だった森善輔さんが『痛恨の終戦』で書いています。
 「8月1日
 (中略)陣地も出来上り、我が中隊本部もバラックながら完成。約10坪の室、これが私の最後の住まい。ベッド3つ、私と加藤2飛曹と従兵の3人。室のまわりはすべて実戦につかう実弾、小銃弾、機関銃弾、地雷、手榴弾。地雷ときたらヤキモノ有田焼のまことに立派なもの、(中略)手榴弾はまあまあのもの、5m以内は十分に殺傷力あり、現に訓練中、22分隊において、39m離れていた見学者に信管が飛び頭を直撃され、予科練の1人が死亡した。私もその現場に居て医者の手当の様子を見ていたが、右こめかみに2cmの穴があき、意識不明のまま2時間位で死亡をつぶさに見ていてかなりの衝撃をうけ、それからの訓練に必ず鉄兜をかぶらせ、事故を防ぐべく気をつけたものだった。(中略)
 さらに対戦車用のロケット弾ももらった。長さ60㎝、直径20㎝、発火はうしろの発火点をマッチのヤスリでこするだけ。その弾を松の板、厚さ2cm、長さ2mのもの2枚をはり合わせ、その上にのせ飛ばす。約200m飛ぶ。我々の実験では、50cm位の松の大木をきれいにうちぬいたものだった。
 米軍のМ4戦車に対しどれだけの力があったかは不明。しかし夕弾の力にはおそれいったものだった。(夕弾と言うのは弾の先がおわんのようになっているもので、爆発するとエネルギーが集中して厚い鉄板でもうちぬくものである)(中略)」

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