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2013.01.18

ここまでわかった高知高知海軍航空隊の高天ケ原山の陸戦陣地 その四 鉢伏山から高天ケ原山へ

 高知海軍航空隊の航空兵たちは、はじめは近くの介良村の鉢伏山(はちぶせやま。標高213・4m)で陣地をつくっていました(いまの潮見台ニュータウンの所です)。しかし、ここは岩が硬すぎるということで陣地づくりの場所をかえました。
 つぎに、長岡郡大津村(いまは高知市)、大篠村、介良村の高天ケ原山(標高107.0m)に陣地をつくりはじめました。
 中腹には横穴壕がたくさんつくられました。
 横穴壕づくりについて2分隊の北村昭さんは「明見の東から西向けて、その後、山の中ごろから北から南向けに掘りました。介良の若宮八幡宮ほうに突きぬけてT文字型の壕になりました。そして、もう一つ横穴壕を掘りました。坑木を立て、天井には矢板を打ち付け居住区をつくりました。」と、いいます。
 3月から5月ころまでは、24時間、4交替で陣地づくりをしました(5月中ころには完成しました)。
 トンネルを掘ったことのある兵隊たちが指導しました。
 飛行術偵察専修練習生たちは穴を掘り、土を外に出しました。
 横穴壕づくりは、ツルハシなどで掘り、岩にあたると、その先に穴をあけてダイナマイトを入れて爆破しました。
 12分隊の谷合渉さんは、つぎのようにのべています。
 「最初は真っ直ぐに掘り、10~15mくらいから自分たちは左方向に曲げて掘りました。まっすぐだったら、敵が来て撃ちこまれたら全滅ですから。
穴掘りの途中で堅い岩盤に出くわしたときは、岩に穴をあけて、その穴へダイナマイトを取り付け壕の外から導火線で電流をつうじて爆破しました(ダイナマイトの作業は自分がした覚えはなく、たぶん工作兵がやったと思う)。壕の作業中だったものは壕の外に出て休みました。あとで壕へ入ると硝煙のようなにおいがのこっていた。とくに、壕の側面と天井の上面の柱と板を取りつける作業は大変でした。」
 夜中の作業のときは、交替で横穴壕の近くの墓のそばの広場においた上下の寝台にカヤをつって仮眠したといいます。
 22分隊第5班の上杉利則さんが、自著『七つのボタン』(南の風社。2004年)で、その陣地づくりの体験を書いています。
 上杉さんの分隊は、15メートルくらいの間隔で3つの横穴壕(幅2メートルほど)を掘り、20メートルくらい掘りすすめた所で、この3つをつなぐ計画でした。
 「一メートルくらい掘り進めるごとに、両側に浅い穴を掘り、松の丸太を立てます。その二本の丸太の上に、同じような丸太を渡し、カスガイでがっちり固定します。次に、両側面の丸太と丸太の間に分厚い板を積み上げて板壁にしていきます。丸太を渡した天井には、これまた分厚く長い板(矢板といいました)をカケヤ[木づちの大きなもの]で隙間がないように叩き込んでいきます。
土石の崩壊や落盤が起こらないように、横穴内は天井も側壁も板で囲まれた通路のようになっていきます。」
 22分隊第10班の平野開造(かいぞう)さんたちは、真っ直ぐ約15m掘って、そこから左に曲げて掘りました。

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