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2013.01.18

ここまでわかった高知高知海軍航空隊の高天ケ原山の陸戦陣地 その十一 ヤリを持った飛行予科練習生たち

 6月ころ、明見に24期乙種飛行予科練習生たち200人くらいが派遣されてきました。数えで14歳~16歳の兵隊でした。イカリのマークがついた帽子、国防色の7つボタンの服とズボンをきて竹の筒でカバーしたヤリを担いでいました。やり先は3つ面がある金属のもので、柄は木でした。
 少年兵たちは、2つの中隊にわかれ、6月にできたばかりの木造の兵舎(井戸の残っている所。木の大きな風呂もありました)に駐屯しました。
 2分隊の北村昭さん(5月1日、2等兵曹に)は、班付下士官として少年兵を指導しました。この班の班長は茨木龍夫さん、もう1人の班付下士官は妹尾幸夫さんでした。
 北村昭さんは、分隊士の指導でアメリカ軍の戦車に肉薄してキャタピラの下に爆弾をしかける訓練をさせたといいます。工事に使っていたトロッコがアメリカの戦車のかわりでした。訓練の場所は、兵舎の近くの平地でした。
 手旗信号や無線も教えました。

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