« 二〇一三年一月十一日 木曜日 「香川県に真珠湾攻撃に参加した航空兵がいるよ」。    | トップページ | 企画展「高天ケ原山の戦争―本土決戦に向けて 山に陣地をつくっていた航空兵たち」 記事にしてくれました。 »

2013.01.11

いま「灯(ともしび)をつぐもの」 治安維持法下で警察で殺された高知県の筒井泉吉さん、黒原善太郎さん 展示づくりのためのメモ

 人知れず「治安維持法下で警察で殺された筒井泉吉さん、黒原善太郎さん」の展示をやってみたいと思っています。そのための資料がどこにあるか、考えてみました。
 ・一九〇八年(明治四十一年)七月二十五日、黒原善太郎さんは、高知県高岡郡久礼村(いまは中土佐町久礼)で、丑太郎さん、亀雄の長男に生まれました。七人兄弟の長男。父は「仲持ち」の仕事、母は縫い仕事。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』、高知新聞社、一九九九年。治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』、一九九〇年)→戸籍謄本をとる
 ・小さいときから傘づくりのアルバイトをして成長しました。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)
 ・一九一四年(大正三年)一月一日、筒井泉吉さんが、高知県安芸郡芸西村和食に生まれました。父・甚吉さん、母・左馬尾の長男。三歳のとき、両親と中村へ移転。(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』、一九九〇年)→戸籍謄本をとる
 ・黒原善太郎さんは、地元の高等小学校に入りましたが、一年終業でやめました。(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→成績表をとる
 ・一九二八年(昭和三年)、筒井泉吉さんが中村高等小学校を卒業しました。筒井泉吉さんは中村の四国電力会社の給仕になりました。その後、一時、大阪に出ていましたが、ふたたび中村に帰って野村自動車の切符売りをしました。国見主殿さんや浜田初広さんらと作家同盟高知支部幡多地区を結成し、機関紙「百姓」を出しました。一口一円の出資で消費者組合をつくり、生活必需品を購入して安く利用しました。(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→成績表をとる、機関紙「百姓」を探す
 ・一九三〇年ころ、黒原善太郎さんは、須崎に出て傘づくりの仕事につきました。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』。治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)
 ・一九三二年(昭和七年)、黒原善太郎さんは、田村乙彦さん、広海太治さんらの指導で須崎で文化サークルの活動を始めます。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)
 ・同年、黒原善太郎さんは、高知市に移住し傘づくり職人として働きます。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)
 ・同年、筒井泉吉さんは日本労働組合全国協議会(全協)に入ります。また、日本プロレタリア作家同盟員となり、『驀進』を発行、数編の詩を渡川専太などのペンネームで掲載しました。(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→『驀進』を探す
 ・同年九月、黒原善太郎さんは、仙頭清五郎さんらと作家同盟高知支部再建委員会を組織し、その指導部を構成します。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)
 ・同年十月、黒原善太郎さんは、澄宮(三笠宮)の来高にあたり予備検挙されて勾留二十九日ののにちに釈放されます。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)→『特高月報』を見る
 ・同年十一月五日、黒原善太郎さんは、「師団演習絶対反対」などのビラを散布したことで仙頭清五郎さんらとともに逮捕されます。黒原さんは、一か月勾留されます。(高知県における共産主義運動の足跡編集委員会『高知県における共産主義運動の足跡』、高知民報社、一九七三年。『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)→『特高月報』を見る、新聞を見る
 ・同年暮れごろ、筒井泉吉さんは、高知に出て組織再建の運動をはじめました。治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)
 ・翌一九三三年(昭和八年)二月十一日、日本共産党九州地方委員会委員長の西田信春(のぶはる)が特高警察に殺されます。十日、検挙され、福岡署で殺されました。三十歳でした。
 ・同二月二十日、プロレタリア文学の作家・小林多喜二さんが虐殺されます。
 ・同年三月七日付、土陽新聞に「高知連隊赤化事件」として、高知市江ノ口の松田信次さん(仮名・二十二歳)は、中央と連絡なきグループで五、六人で読書会を持ちマルクス主義の研究をしていたが、入隊後、軍隊内部の赤化思想を図り、善通寺師団の軍法会議へ送られたという記事が掲載されました。(高知県における共産主義運動の足跡編集委員会『高知県における共産主義運動の足跡』)→新聞を見る
 ・同年三月、黒原善太郎さんは、作家同盟本部と連絡する一方、高知支部機関誌「作同ニュース」、「高知の旗」を発行、組織の拡大をはかります。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)
 ・同年五月、黒原善太郎さんは、仙頭清五郎さん、古味峯次郎さんと文化同盟フラクションを構成。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)
 ・同年四月二十一日、筒井泉吉さんの親友・木原さんが逮捕されました。筒井泉吉さんは、それを受けて、詩「木原よ!」をつくりました。治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』→詩「木原よ!」の原本を探す
 ・同年五月、共産青年同盟高知市委員会結成。古味峯次郎さん、仙頭清五郎さん、筒井泉吉さん、黒原善太郎さん、田村乙彦さんら参加。(高知県における共産主義運動の足跡編集委員会『高知県における共産主義運動の足跡』)
 ・同年七月七日、黒原善太郎さんは、仙頭清五郎さん、古味峯次郎さん、田村乙彦さん、筒井泉吉さんらとともに共産青年同盟、作家同盟再建グループとして第四次治安維持法事件で検挙されます。七月九日付の土陽新聞に「県下共産党第四次検挙」の記事が載りました。「…市内江ノ口のアジト下田徳幸方に、特高課の命をうけた、中野刑事がはりこんでいると、首脳分子の筒井泉吉がそれとも知らずに入ってきたのを検挙。」(高知県における共産主義運動の足跡編集委員会『高知県における共産主義運動の足跡』。『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』。治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→新聞を見る
 ・同年九月二十日朝、筒井泉吉さんが死去。高知県幡多地区の連絡員として出高し日本労働組合全国協議会(全協)オルグとして活動中に検挙され、水上署(いまは高知南署という説もあります)でひん死の拷問を受けました。警察は意識のない彼を刑務所の既決房へ運びましたが翌日の朝、亡くなりました。十九歳でした。高知水上署の監房の壁に筒井泉吉さんの血書「灯(ともしび)をつぐもの」が残されていました。(高知県における共産主義運動の足跡編集委員会『高知県における共産主義運動の足跡』。(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→「灯をつぐもの」についての初出を探す
 「泉吉の逮捕がつたわると有岡の刑事は母親に『ひとつも心配はいらんぜよ、そのうちみんながおんなじくらしをするようにならあよ。』(中略)各警察署をたらいまわさしにされて、ひどい拷問の末、高岡署から高知署(ママ)へまわされてきた時はすでに瀕死の状態にあった。祖母が高知署(ママ)へ面会に行ったが面接は許されなかった。その祖母が中村へ帰りつくと『センキチキトクスグコイ』の電報が来た。祖母はその足で引きかえし午後八時にやっと高知署へ着いた。『会わせろ』というと『落ちつけ、落ちつけ明日は会わす』といってその夜は会わせなかった。(中略)。翌朝祖母が会った時は泉吉は死体となっていた。祖母が泉吉を愛撫しながら話しかけると、鼻や口から、どくどくと黒い血がふき出した。(中略)死亡原因を警察医は『心臓かっけ』と言った。」 (治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→警察側の資料を探す
 ・同年十月五日、黒原善太郎さんは、高知県長岡郡大篠村(いまは南国市)の大篠警察署で拷問により死去。二十六歳。(『高知県人名事典 新版』刊行委員会『高知県人名事典 新版』)戸籍に「警察で死亡」と書いてあります(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)→警察側の資料を探す
 ・同年十一月二十八日、日本共産党中央委員・野呂栄太郎さんが東京の築地警察署で拷問により死亡します。

 ・一九七六年七月、国民救援会と解放運動旧友会、筒井泉吉墓碑建設幡多地区委員会が筒井泉吉の記念碑を建立しました。(治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』、一九九〇年)→この写真を撮る・碑文と略年譜

 北あきら編著『泥の道は長くとも』、太平洋文学会、一九六九年。 筒井泉吉の書の写真、本人の写真、『驀進』の写真が載っています。→これらのもとのものを探す

 【当時の高知での拷問についての証言】
 証言者・吉永進さん
 「一九三一年(昭和六年)十二月八日の検挙を逃れていた浜田盛春君と私が、[高知市]越前町で集団生活をしていた朝鮮出身の労働者が住んでいた家にかくれ、二人で白滝鉱山へ行って組織活動をすることを計画していたところを深夜襲われ、[高知]県警察部へ連行されたが、そのとき、浜田君は逆さ吊りにされ、数人の刑事達が取り囲んで殴る蹴るの暴行をした。頭は地面のコンクリートへすれすれにして、口々にわめき立て雑言を吐き散らしながら、意識が遠くなると水をぶっかけた。/そして同じような暴行を何度も繰り返した。別室の隙間からながめていた私には、ずいぶん長い時間であったと思われた。 」
 吉永進「黒原善太郎君の死について」=『治安維持法犠牲者国家賠償同盟高知県支部『続・高知県における共産主義運動戦前の思い出』、一九九一年
 
 【参考】
 四万十市中村に筒井家の墓地
 遺族・筒井清太さん
 筒井泉吉の家 中村市山手通り一二番地

 高岡郡中土佐町の丑ケ駄馬に黒原家の墓地
 関係者に川上喜代幾さん 妹・菊枝さん

|

« 二〇一三年一月十一日 木曜日 「香川県に真珠湾攻撃に参加した航空兵がいるよ」。    | トップページ | 企画展「高天ケ原山の戦争―本土決戦に向けて 山に陣地をつくっていた航空兵たち」 記事にしてくれました。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/56518907

この記事へのトラックバック一覧です: いま「灯(ともしび)をつぐもの」 治安維持法下で警察で殺された高知県の筒井泉吉さん、黒原善太郎さん 展示づくりのためのメモ:

« 二〇一三年一月十一日 木曜日 「香川県に真珠湾攻撃に参加した航空兵がいるよ」。    | トップページ | 企画展「高天ケ原山の戦争―本土決戦に向けて 山に陣地をつくっていた航空兵たち」 記事にしてくれました。 »