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2013.01.18

ここまでわかった高知高知海軍航空隊の高天ケ原山の陸戦陣地 その三 隊員は、民家に分宿しました

 高知海軍航空隊の飛行術偵察専修練習生たちは、明見、介良野の各民家に分宿しました。
 〇2分隊(明見の西側)
 ○12分隊(介良村の介良野)
 〇22分隊(東の星神社の周辺)
 明見には次々に施設が設定されました。
 明見橋電停の南の明見橋を渡った所の左手の角には歩哨(ほしょう)が立ちました。
 民家が衛兵所や本部になりました。衛兵所には、無線機をおいていました。
 星神社の境内は練兵場として使われていました。
 朝、ここで起床ラッパが鳴りました(起床時間は、冬午前6時、夏5時半)。
 隊員たちは、明見、介良の各宿舎から走って星神社に集まりました。
 そこで朝礼がありました。
 上官の訓示がありました。
 「最敬礼!」の号令で皇居遥拝[ようはい]をしました。
明治天皇の御製(短歌)、「あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きおのが 心ともがな(一点の曇りもなく、浅緑色に澄み渡った大空は、広大無辺、見渡す限りの際涯のないものであるが、そのまま御みずからの心としたいものである)」を節つけて歌いました。
 海軍体操をやりました。
 2分隊の今井直重さんは、星神社で「明見派遣隊の歌」を練習したことがあるといいます。
 いま残っている資料によると歌詞はつぎのようなものでした(以下、4番)。
「雲や海なる 太平洋/暗雲低く 垂れ込めて/正義の剣 振りかざし/神州護持の 大任を/果たすは 我等明見隊」
 近くの高天ケ原山のふもとには兵舎もつくられました。

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