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2013.02.05

【写真】高知県香南市夜須町羽尾783の長谷寺(ちょうこくじ。槙寺)の山門近くの「故陸軍歩兵軍曹 小松志解久 記念碑」の写真をアップしています。

https://twitter.com/bqv01222/status/298740079852130304/photo/1

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 香南市夜須町羽尾783の長谷寺(ちょうこくじ。槙寺)の山門近くに「故陸軍歩兵軍曹 小松志解久 記念碑」があります。
 碑文の大要は、以下のとおり。

 君は清藤徳三郎の第2子として生まれ小松氏を継ぐ。明治22年[1889年]徴用に応じ、松山兵営に入る。軍律を厳正に守り褒賞は数多い。期が満ちる時には2等軍曹となった。
 明治27年[1894年]征清の役が起こり、予備員をもって韓に入り、いくばくもなく病を得て10月5日に不帰の人となった。年わずか26歳であった。その葬送には数百人が列をなした。
 恒石氏は君が没して後に生れた。
 ああ、等しく皆従軍する者なのである。ある者は功をたて凱旋を喜ぶ声は湧くがごとくである。またある者は戦に斃(たお)れ死すことによって賞を賜る。この栄誉は、あまりある。
 哀れむべきはいまだ一戦もせずして病死する者である。不独祭典に列席し国境を万里と越えることができない。敵を刃で突き傷つけることもできない。地に入りその慷慨悲憤は果たしていかほどか。
 知る知らずを問わず君を悲しむ者は多く、同郷の従軍者15人は今凱旋し、その悲しみの涙は何倍にもなった。
 15人が募金を集め、志を同じくする者が碑を長谷禅寺の南丘に建て、来て不朽の銘文を伝えてほしいと記し、刻印する。
 凱旋を成し遂げ帰還する
 団らんし談笑する
 君ひとり不在で
 涙はとうとうと流れおちる

 側面には、15人の従軍者名が刻まれている。下段は建碑寄付者38人の寄付額と姓名が刻まれている。最初は「一金五円 末延 元吉」。

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