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2013年2月

2013.02.01

二〇一三年二月一日 金曜日 高知短期大学専攻科の「特別研究」の論文書き。一日目。

二〇一三年二月一日 金曜日 高知短期大学専攻科の「特別研究」の論文書き。一日目。

 雨。

 外出しませんでした。

 きのうの夜からきょうの夜までの三食は同じメニュー。もっと工夫せんといかんなぁ。

 正午から夜中まで高知短期大学専攻科の「特別研究」の論文書き。かなり構想を変えて書き直しています。四分の一くらい終わりました。

 しかし、足らない材料を取材しに香南市、土佐市宇佐、南国市岡豊に調査に行かなくてはなりません。

 妻は、実家泊。

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2013.02.02

【ニュース】 安倍首相 “改憲まずは96条” 発議要件緩和 国会で明言。

 http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-02-01_44718

 沖縄タイムス 2013年2月1日 09時40分

 社説[首相改憲表明]「まず96条」は危うい

 安倍晋三首相が[1月]30日の衆院本会議で、憲法96条の改正に取り組むと明言した。現職の首相が、国会答弁で具体的に改憲を口にするのは極めて異例だ。衆院事務局も「これだけ明確な改憲の意思表示」は初耳だという。
 改憲表明は維新の会の代表質問に答える形で飛び出した。「96条改正が憲法改正の要だと言われているが…」と維新の平沼赳夫氏が質問、安倍首相は「まずは多くの党派が主張する憲法96条の改正に取り組む」と応じている。
 まるで96条改正ありきの質疑応答で、国会に改憲案を出せる賛成議員数を衆参各3分2以上から過半数にするのが狙いだ。「改憲」「創憲」「加憲」と党派で異なる議論の中身よりも、手続きを先に改め、改憲の環境を整える考である。(中略)
 平沼氏との質疑応答で安倍首相は、集団的自衛権の行使について積極的に検討する考えも示している。改憲の流れの先に軍備へ偏重した動きも想定され、強い危機感を覚えざるを得ない。(後略)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-01/2013020101_04_1.html

 しんぶん赤旗 2013年2月1日(金)

 首相 “改憲まずは96条” 発議要件緩和 国会で明言

 安倍晋三首相は[1月]31日の参院本会議で、改憲について「まずは憲法第96条の改正に取り組んでいく」と述べ、発議要件の緩和を突破口にして改憲に突き進む考えを、30日の衆院本会議に続いて、表明しました。自民党の中曽根弘文参院議員会長への答弁。
 首相は、9条改悪や国防軍設置などを盛り込んだ自民党の改憲草案について問われ、「21世紀にふさわしい、あるべき憲法の姿を示したもの」と強調しました。
 首相は、第1次安倍内閣時の所信表明では、改憲について「国民の期待に応える議論を希望する」(2007年9月10日)と述べるにとどまっていました。(後略)

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【ニュース】 日本共産党・志位委員長代表質問 日本軍「慰安婦」問題  “文書がないから強制ない” 成り立たない議論 安倍首相否定できず

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-01/2013020101_02_1.html

 しんぶん赤旗 2013年2月1日(金)

 志位委員長代表質問 日本軍「慰安婦」問題  “文書がないから強制ない” 成り立たない議論 首相否定できず

 志位委員長は[1月]31日の代表質問で、日本軍「慰安婦」問題で、軍の関与と強制性を認めた「河野談話」の見直しを安倍首相が主張していることについて、「『河野談話』は強制性を立証する文書を見つけることはできなかったことを前提に、『慰安婦』とされた人たちの証言の真実性にもとづいて、政府として強制性を認めたものです」と指摘し、政府が「談話」を継承する限り、“文書がないことをもって事実がなかった”という議論を「肯定する余地はまったくない」と主張しました。
 このなかで志位氏は、「談話」作成に直接かかわった石原信雄元官房副長官が強制性を立証できる物的証拠はみつけられなかったとしつつも、聞き取り調査を踏まえ「意に反して『慰安婦』とされたことは間違いない」と証言している事実を示しました。
 安倍首相は志位氏の指摘を否定できず、「この問題を政治問題、外交問題化させるべきではない」と述べたものの、「官房長官による対応が適当だ」としました。
 志位氏は「談話」の見直しは、日本の戦争が「不正・不義の侵略戦争だった」という戦後世界秩序の土台を覆し、「日本が世界とアジアで生きていく立場を失うことになる」と厳しく警告しました。

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 (資 料)

 河野談話

 慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

 石原信雄元官房副長官の証言

 「オーラルヒストリー アジア女性基金」で「慰安婦」問題の強制性について語った石原信雄元官房副長官の証言

 「結局私どもは、通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証できるような物的証拠は見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち一六人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことは間違いないということになりましたので、そういうことを念頭において、あの『河野談話』になったわけです。その調査団の報告をベースにして政府として強制性があったと認定したわけです」

 (後略)

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2013.02.03

二〇一三年二月二日 土曜日 わおー、調査が、いいとこにいっていす。

二〇一三年二月二日 土曜日 わおー、調査が、いいとこにいっていす。

 晴れ。

 午前十時、高知県庁の駐車場でKOと待ち合わせ。

 彼は、終戦のとき、高知市の、ひろめ屋敷の長屋に住み(母、兄と)、高知市第三国民学校在中。

 一九四五年七月四日の、アメリカ軍の高知空襲のとき、高知城の追手門近くの横穴壕、高知城の、すべり山の横穴壕に逃げ込んだ経験の持ち主です。

 その後、万々に逃げたといいます。

 朝、高知城(戦後に動物園になっていた所の近く)に行ったら大きな木にパラシュートが引っかかっていて、その先に金髪の青年が息絶えていたといいます。顔に傷はなかったといいます。

 警防団の人がやってきて、彼の飛行服のジッパーを下げて男性と確認。

 つぎに来た軍人も同じことをして男性と確認し、どこかに連れていったといいます。

 その後、疎開した地で、アメリカ軍の空襲があったといいます。

 その空襲で亡くなった軍人の死体が、教室の後ろでコモをかぶったまま、いました。

 その教室で勉強したといいます。

 その後、土佐市宇佐へ。

 日清戦争の石碑を撮影しました。

 その「足」で南国市の岡豊の山へ。

 日清戦争の碑を撮影してきました。

 夜、考古学研究者の親睦会があるということを知って「乱入」。

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二〇一三年二月三日 日曜日 ハングルの論文がメールで届きました。

二〇一三年二月三日 日曜日 ハングルの論文がメールで届きました。

 晴れ。

  BAさん宅へ。企画展用のパネル用の原稿を二ついただきました。

 平和資料館・草の家(高知市)へ。つぎの企画展の準備。

 途中、KIさん宅に。『高知の戦争 証言と調査』二十一号の原稿についての打ち合わせ。

 新しいデータを、どんどん出していただいています。

 戦争中の写真を二枚いただきました。わおーーーーっ。

 Aさんから電話。

 「知り合いの同年輩の美女が大学院に行きたいといっている、関東の若い美女が就職して高知にやってくる……」

 妻を亡くして、うっくつしている彼のまわりは美女だらけ。お幸せに。

 草の家のまわりは、上のアパートの引っ越しがあったらしく、「にぎやか」でした。

 夕方、企画展の作業を中断して、一路、愛妻(かな?)の待つ、わが家へ。

 ハングルの論文がメールで届きました。

 うーん、うえーん。

  いま、妻がつくった老人クラブのニュースを印刷「させられて」います。

 なんか、うまくいきません。

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2013.02.04

【写真をアップしてあります】 一九四五年五月二十七日、第四十回目の海軍記念日にあたり、高知県長岡郡大篠村明見(いまの高知県南国市明見)の星神社で開催された高知海軍航空隊明見派遣隊の相撲大会 など

https://twitter.com/bqv01222/status/298013173695537152/photo/1
https://twitter.com/bqv01222/status/298019311690334208/photo/1

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2013.02.05

二〇一三年二月四日 月曜日 午前三時まで論文にとりくみました。

二〇一三年二月四日 月曜日 午前三時まで論文にとりくみました。

 雨。

 黒原善太郎さんの企画展用の写真を焼きだしてもらいました。

  黒原善太郎さんについての調査でOさん、MOさんと南国市、香美市にののBAさん宅へ。
 南国市のかたは黒原善太郎さんの妹さんに会って原稿を書いていました。

 夜は、自宅でHIさんに援助してもらって論文の作製。
 メールを見たらKAさんも夜中まで作業しているようです。
 午前三時までダウン。
 あと一枚、写真を撮影してくる、もう少し組み立てを変えることでゴールしそうです。
 この苦労、「青春」のいい思い出になりそうです。

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【写真と短歌】 息子と、つれあいを待つ

  わが宿の ニオイツバキが 一つ咲く

 もう数日で

 息子らが来る

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【写真】高知県香南市夜須町羽尾783の長谷寺(ちょうこくじ。槙寺)の山門近くの「故陸軍歩兵軍曹 小松志解久 記念碑」の写真をアップしています。

https://twitter.com/bqv01222/status/298740079852130304/photo/1

https://twitter.com/bqv01222/status/298740261788475392/photo/1 

https://twitter.com/bqv01222/status/298740430391103488/photo/1

 香南市夜須町羽尾783の長谷寺(ちょうこくじ。槙寺)の山門近くに「故陸軍歩兵軍曹 小松志解久 記念碑」があります。
 碑文の大要は、以下のとおり。

 君は清藤徳三郎の第2子として生まれ小松氏を継ぐ。明治22年[1889年]徴用に応じ、松山兵営に入る。軍律を厳正に守り褒賞は数多い。期が満ちる時には2等軍曹となった。
 明治27年[1894年]征清の役が起こり、予備員をもって韓に入り、いくばくもなく病を得て10月5日に不帰の人となった。年わずか26歳であった。その葬送には数百人が列をなした。
 恒石氏は君が没して後に生れた。
 ああ、等しく皆従軍する者なのである。ある者は功をたて凱旋を喜ぶ声は湧くがごとくである。またある者は戦に斃(たお)れ死すことによって賞を賜る。この栄誉は、あまりある。
 哀れむべきはいまだ一戦もせずして病死する者である。不独祭典に列席し国境を万里と越えることができない。敵を刃で突き傷つけることもできない。地に入りその慷慨悲憤は果たしていかほどか。
 知る知らずを問わず君を悲しむ者は多く、同郷の従軍者15人は今凱旋し、その悲しみの涙は何倍にもなった。
 15人が募金を集め、志を同じくする者が碑を長谷禅寺の南丘に建て、来て不朽の銘文を伝えてほしいと記し、刻印する。
 凱旋を成し遂げ帰還する
 団らんし談笑する
 君ひとり不在で
 涙はとうとうと流れおちる

 側面には、15人の従軍者名が刻まれている。下段は建碑寄付者38人の寄付額と姓名が刻まれている。最初は「一金五円 末延 元吉」。

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【写真をアップしました】香美市夜須の日露戦争で戦死した陸軍砲兵・末久延秀氏の碑。

https://twitter.com/bqv01222/status/298746088230363136/photo/1

https://twitter.com/bqv01222/status/298746301422653440/photo/1

https://twitter.com/bqv01222/status/298746536941199361/photo/1

 香美市の夜須川橋のバス停近くに1906年9月に建立された日露戦争で戦死した陸軍砲兵・末久延秀氏の碑があります。

 君高知県香美郡夜須村夜須部落ノ人末久玄ノ嫡男ナリ明治十六年[一八八三年]四月廿九日生ル九歳ノ時父歿ス母永野氏叔父永野千代松ト共ニ鞠育最到ル■■■■小学ニ学ビ尋テ高知共立学校ニ学ビ幾モナク病ヲ以テ罷ム明治三十二年[一八九九年]徴兵ニ召サレ善通寺野戦砲兵第十一連隊ニ入ル君己ニ軍隊ニ入ルヤ運動活溌ニ健康舊ニ復ス常ニ曰ク余ノ今日アル實ニ軍隊ノ賜ナリト後昇進砲兵伍長トナリ三十五年[一九〇二年]末ヲ以テ満■鮮隊ナル帰郷ノ後専公共事業ニ奔走ス尋テ従妹永野喜義ト婚シ一女節子ヲ生ム明治三十七年[一九〇四年]日露戦起ル君予備兵籍ニアリ四月廿四日召サレテ再ビ野戦砲兵第十一連隊ニ入ル 五月廿一日出征シ清国盛京省張家屯ニ上陸シ旅順攻囲軍ニ参加ス七月三日始メテ敵ト双頂山ニ戦ヒ尋テ仝[どう]廿六日ヨリ太白山附近ニ戦ヒ八月七八日山川柳附近ニ戦ヒ並ニ功アリ仝十九日愈[いよいよ]旅順第一回攻撃ニ加ハル斯[この]役敵勢尤[もっとも]鋭ニ我軍苦戦シ近時未曾有[みぞう]ノ激戦ナリ君等我軍ノ右翼ニアリ奮闘甚勉[はなはだつと]ム九月一日功ヲ以テ一等給ヲ給セラル尋テ仝[どう]廿日砲兵軍曹ニ任セラル十月廿六日又[また]第二回総攻撃に加ハル我軍奮闘敵鋒稍挫[ややくじ]ク十一月廿六日又第三回総攻撃に加ハル此[この]時我軍松樹山以東ノ敵壘ヲ襲フ君大孤山ノ砲陣ニ在リ敵弾片ノ為ノ左下腿部ヲ撃タレ重傷ヲ負フ乃野戦病院ニ収容セラレ治療ヲ受ク効ナシ廿八日傷愈[いよいよ]重ク遂ニ起タズ時ノ中隊長陸軍砲兵大尉原田千九書ヲ遺族ニ寄セ君ノ最後ノ壮烈ヲ称ス聞ク者哀悼セサルナシ君天性温良事ニ當リ況勇果敢平素人ニ接ス大言壮語セズト雖[いえど]モ中■毅然奪フヘカラサル者アリ卒時[亡くなった時]年僅[わずか]廿五女節子後ヲ嗣[つ]グ君出征ニ臨ミ語テ曰ク今日ハ是[これ]國家危急臣子奉公ノ秋[とき]ナリ余己三子アリ女ト雖[いえど]モ祖先ノ祀りヲ存スルニ足ル忠孝並行■以テ死スヘシ果シテ其言ノ如シ愛夫号■■■■功ヲ以テ砲兵曹長ニ累進シ尋テ功七級金鵄勲章勲七等青色桐葉章ヲ賜[たまわ]ル抑[そもそも]旅順ノ役三只無■■大戦ト称ス君其[その]戦闘ニ参加シテ二回功アリ三回遂ニ名誉ノ戦死を遂[と]グ褒賞[ほうしょう]尋■知ルト知ラサルト其[その]勇武ヲ嘆称[たんしょう。ほめたたえる]セサルナシ嗚呼君卒[そつ]スト雖[いえど]モ以テ瞑セラルゝニ足ルヘシ

  明治三十九年[一九〇六年]九月
    寺石 正路 撰
    足達 ■意 書

 撰の寺石正路氏は郷土史家。寺石氏は、末久氏が、出征にさいして「今日ハ是國家危急臣子奉公ノ秋ナリ」と語り、おおいにたたかったことを称賛しています。また、数え年25歳の若さで妻子を残して死んでいったことへの悲しみを伝えています。
 自由民権運動にも参加したことのある寺石氏ですが、この文章には侵略された相手側の人々を思んばかる言葉はいっさいありません。

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【急ぎのお願い】 この碑の短歌の所が読みとれません。教えていただけませんでしょうか。「君のため尽くす誠は死して後 ■もみ■■■守りなりけり」→【ありがとう、解決しました。】

Photo

君のため尽くす誠は死して後

■もみ■■■守りなりけり

 【追伸 ありがとう。解決しました】

 三人のかたが読みとってくださぃました。

君のため尽くす誠は死して後

猶[なお]もみくにの守りなりけり

だということでした。

これは高知県南国市の岡豊山(おこうやま)にある石碑です。

何か、すごいうたですね。

 

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2013.02.06

【発見!!資料と現場との関係】 高知市柳原の日清戦争、日露戦争の「義勇奉公」の碑と「戦利品下付願い」との関係

 高知市柳原橋北詰の少し西の忠霊塔のある所の、向かって左に乃木希典陸軍大将の題字の「義勇奉公」の碑があります。「明治四十年[1907年]九月 西森真太郎撰 書」です。
 碑文は、日清戦争、日露戦争の戦死者を讃えたものであるが、これらの戦争を「国家自衛」のためのものとしている。
 ところで、インターネットのアジア歴史資料センターで陸軍省の資料を検索したら、1907年10月23日付の高知市兵事会長・魚角象三の名による「戦利品下付願い」は高知県知事・鈴木定直(すずきさだなお)を経由して陸軍省に届いてた。  内容は、高知市鷹匠町外柳原に日露戦役の祈念碑を建設しているが、それに備えつけたいので「戦利砲」か「戦利砲丸」を下付してくださいというものでした。
 ここにあります。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C07072335200?IS_STYLE=default&IS_KIND=SimpleSummary&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KEY_S1=%E6%88%A6%E5%88%A9%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%80%80%E9%AB%98%E7%9F%A5&IS_LGC_S32=&IS_TAG_S32=&

 高知市鷹匠町外柳原の日露戦役の祈念碑は、時期的に見ても写真の碑のことではないでしょうか。
 戦利品というのは、戦争や戦闘で勝利したことにより手に入れた兵器、軍艦、美術品など。下附(下付)というのは、官庁から民間に金や物をさげわたすことです。

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自民党の日本国憲法改正案への自由法曹団の批判 ここにありました。

http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2012/120823_01.pdf

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【ニュース】 日本共産党が同党のホームページで、同党の第六回中央委員会総会の報告の映像を公開。

 ここで見ることができます。

 http://www.jcp.or.jp/web_jcp/2013/02/25-6chuso.html

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【論文】 藤原義一「高知県でのアメリカ空爆用の風船爆弾気球づくり(二〇一二年一月)

 二つにわかれました。

「fusen1.pdf」をダウンロード

「fusen2.pdf」をダウンロード

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【リポート】 藤原義一「高知海軍航空隊と同隊の三里と窪川の飛行場」 (二〇一二年十一月)

「misima.pdf」をダウンロード

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【展示解説文】 「高天ケ原山の戦争本土決戦に向けて山に陣地をつくっていた航空兵たち」=平和資料館・草の家の企画展(2013年1月10日~2月9日)

「kikakutakama.pdf」をダウンロード

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2013.02.07

【論文】 藤原義一「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」(二〇一三年二月八日)。データをアップしました。

以下、写真はカットしています。写真が入用のかたはメールいただければ送信します。

「data.doc」をダウンロード

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二〇一三年二月五日 火曜日 香美市の山奥の長谷寺(ちょうこくじ)への道。これは戦争壕では。【写真あり】

二〇一三年二月五日 火曜日 香美市の山奥の長谷寺(ちょうこくじ)への道。これは戦争壕では。【写真あり】

 曇り、雨。

 香美市の山奥の長谷寺(ちょうこくじ)へ。
 途中から道筋の山すそに、たくさん横穴が見えてきました。
 人は「ショウガを貯蔵していた穴」といいますが、アジア太平洋戦争中に軍隊が掘ったものと思われるものもあります。

Photo

 長谷寺へは裏参道から登りました。
 これがきつくてヘーヘーという感じ。
 そういえば、この間、南国市の岡豊山(おこうやま)に登ったときも同じでした。
 心臓パクパクではなくて、ヘーヘーになってきました。
 朝三時ころまで起きていた報いでしょうか。
 やっと山門の左手の日清戦争の石碑にたどり着きました。
 これについて近所の男性に聞いたら親切に対応してくださいました。タワシも貸してくださいましたし、本も見せていただきましたし、お茶も出してくださいました。感謝!!
 帰りに日露戦争の碑を見ました。
 帰りに、ついにダウン。
 レストランに入ってビーフステーキを注文。
 ゆっくり食べて、そのあと電話でMAさん、TUさんに「本日の発見」を報告して落ちつきました。
 
 夜は論文を書きすすめました。

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二〇一三年二月六日 水曜日 ついに、やっと「いきなりPDF」のソフトを買いました。

二〇一三年二月六日 水曜日 ついに、やっと「いきなりPDF」のソフトを買いました。

 晴れ。

 午前中、高知県の柏島行きについてSAさんと話しました。

 論文のための調査。
 ある役所に電話。
 Aさん、NAさんと岡豊山(おこうやま)の碑についてやりとり。
 貴重な助言を受けました。
 高知県立図書館に行って、高知市柳原の日露戦争の碑についての文献をゲット。
 高知短期大学に行って、論文の仕上げ。
 帰りに「いきなりPDF」のソフトを買ってきました。
 家に帰ってから、あすの憲法問題についての勉強会の資料をつくりました。
 論文の仕上げ。
 三つのリポート、論文をPDFでアップしました。

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二〇一三年二月七日 木曜日 論文「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」、完成に近づきました。

二〇一三年二月七日 木曜日 論文「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」、完成に近づきました。

 晴れ。

 午後、自民党の日本国憲法改悪案についてお話をしました。

 家に帰って、あす提出の論文の直し。かなり変えて、読みやすいものになりました。

 論文のタイトルは「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」にしました。

 やっと現代的課題を提起したものにすることができました。

 終わったら午前様。

 起きてから体裁をととのえて提出へ。

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2013.02.09

二〇一三年二月八日 金曜日 論文「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」を十冊、てづくり冊子にしました。

二〇一三年二月八日 金曜日 論文「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」を十冊、てづくり冊子にしました。

 晴れ。

 午後三時、論文「地域のリーダーたちは天皇の戦争にどう応じたか 高知県下の石碑を読む」を提出しました。

 平和資料館・草の家で新しい展示のための作業。

 夜、家で論文を印刷して十冊、手づくり冊子にしました。

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【ニュース】 高知短期大学学生の北村光寿(きたむらみつとし)さんのことについて書かれたものを集めました。

 ●サッカー落雷事件判決 弁護士 村山 裕

 http://www.chuolaw.com/letter/61/soccer.html

 ●雷に撃たれた少年~12年間の命の軌跡 (2008/9/13 放送)

 http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20080913_1_1.html#

 ●雷に撃たれた少年/事故から13年目の判決 (2008/9/20 放送)

 http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20080920_1_1.html#

 ●県立高知短期大学 落雷事故で重度障害を負った北村光寿さん(28)の入学。

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/04/post-9e8a.html

 ●高知市 県立高知短期大学の「北村君とともに学ぶ会」が始動。

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/04/post-541c.html

 ●【組写真】 「歩きたい カミナリにうたれた少年は、いま。」

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2012/05/post-eca3.html

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2013.02.11

二〇一三年二月十日 日曜日 土佐清水市の金剛福寺の碑  メレヨン島での日本兵の餓死者・五千四百余!!!【同寺住職も、この島にいました。】

二〇一三年二月十日 日曜日 土佐清水市の金剛福寺の碑  メレヨン島での日本兵の餓死者・五千四百余!!!【同寺住職も、この島にいました。】

 晴れ。

 高知県土佐清水市への旅に出かけました。
 弟の運転で妻、息子、息子のつれあいと。
 何か所かまわりましたが、一番強い印象を受けたのは土佐清水市足摺岬214の1の真言宗豊山派・金剛福寺(こんごうふくじ)の二つの石造物。
 ここでは、その一つについて書いておきます。
 それは、メレヨン島での日本軍餓死者の供養塔です。

 メレヨン島は赤道直下中部太平洋ウオレアイ島なり。昭和十九年米軍機動部隊の来襲に備え陸海軍将兵七千余名同島の守備に当る。連日連夜延べ数十機に及ぶ爆撃をうけ食糧、弾薬は焼かれ玉砕覚悟しあるも米軍はサイパン島に上陸せり。ここにメレヨン島守備隊は完全に補給を断絶せられ飢餓の生地獄となれり終戦までに餓死する者は実に五千四百余名の尊い生命が失はれた。ここに南方メレヨン島に思いをはせ戦没英霊供養塔を建之し御魂の冥福を祈るものなり

   元メレヨン島陸軍少隊長
    長﨑勝憲

  「維持 平成七年[一九九五年]八月十五日 戦後五十周年建之」とあります。

 長﨑勝憲さんは、当時の同寺住職です(故人)。

 寺の近くに泊まりました。

  【参考 メレヨン島 餓死】

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001160001_00000

http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki9/fukuyamago/fukuyamago.html

http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=thread&topic_id=817&forum=13&post_id=3479

http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/senkanokioku/no01/04.php3

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足摺岬の真言宗豊山派・金剛福寺(こんごうふくじ)の「為日露両軍戦死病没者追福」の石造物。

 高知県土佐清水市の足摺岬の真言宗豊山派・金剛福寺(こんごうふくじ)の「為日露両軍戦死病没者追福」の石造物には、以下の言葉が刻み込まれています。

 為日露両軍戦死病没者追福
 五輪種子周遍法界
 維時明治三十九年二月佛涅槃日建之
 怨親平等皆成佛道

 写真は、ここにアップしました。

 https://twitter.com/bqv01222/status/300909574188326912/photo/1

 この碑のことには、ここに出てきます。
 http://www4.ocn.ne.jp/~ja5km/kindai/kindai_006.htm

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【すごいサイト】 『土佐の宗教史』の論文をアップしているサイトがありました。

 ここです。

 http://www4.ocn.ne.jp/~ja5km/index.html

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二〇一三年二月十一日 月曜日 土佐清水市の女城(めじろ)神社むかって左の大日本帝国陸軍特設警備隊の監視哨(かんししょう)跡。

二〇一三年二月十一日 月曜日 土佐清水市の女城(めじろ)神社むかって左の大日本帝国陸軍特設警備隊の監視哨(かんししょう)跡。

 晴れ。

 高知県土佐清水市への旅、二日目。
 女城(めじろ)神社むかって左の大日本帝国陸軍特設警備隊の監視哨(かんししょう)跡を見ました。
 写真を、ここにアップしました。
 五枚です。

 https://twitter.com/bqv01222/status/300920352568143872/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/300921220742918144/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/300921794909581312/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/300922646722387968/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/300923662708645888/photo/1

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二〇一三年二月九日 土曜日 「女郷土史家になりたい」。

二〇一三年二月九日 土曜日 「女郷土史家になりたい」。

 晴れ。

 夜間の二年制大学存続の運動の打ちあわせに参加。

 古本屋へ。

 平和資料館・草の家へ。

 高知短期大学の経済学クラブの新年会に参加。
 三十数人来ていました。うち先生も三人。
 参加していた、こんど卒業する女性は「女郷土史家になりたい」とのこと。
 おっ、すごい。
 DOさんに車で送っていただきました。

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【短歌】 五千四百人の餓死兵

特攻の準備していた少年兵 十数人の話聞きぬく

「君」のため死ぬこと強いた「海ゆかば」 ネットで聴いて涙ぐんでる

アメリカに「君」と従い出兵か 改憲案を喝破する友

平和への論文二つ書き上げて 夜の学びの一年終わる

息子〈こ〉らと行く 足摺の寺 碑を読めば 五千四百 餓死兵のこと

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2013.02.12

二〇一三年二月十二日 火曜日 「メレヨンには百数十人の高知県出身者がいた。このうち生き残って復員したのはいまわかっているだけで八人。あとの人たちは無残な死に方をした。」。

二〇一三年二月十二日 火曜日 「メレヨンには百数十人の高知県出身者がいた。このうち生き残って復員したのはいまわかっているだけで八人。あとの人たちは無残な死に方をした。」。

 曇り、雨。

 午後一時から短歌雑誌の編集に参加。

 午後二時半、中座して平和資料館・草の家へ。

 そして、高知県立図書館へ。

 高知新聞、一九六六年三月二十二日付に餓死の島・メレヨンについて長崎勝憲さんにインタビューした記事が載っていました。

 「メレヨンには百数十人の高知県出身者がいた。このうち生き残って復員したのはいまわかっているだけで八人。あとの人たちは無残な死に方をした。」

 夜は『高知の戦争 証言と調査』二十号の編集。

 あすの準備。

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2013.02.14

【夜間の高知短期大学をつぶさないで 緊急の、心からのお願い】 高知短期大学専攻科の学生・藤原義一(ふじはらよしかず。六十五歳)から、あなたへ。

 安倍内閣の「教育再生実行会議」のメンバーである尾﨑正直知事が三月高知県議会に、夜間の高知短期大学を廃止する案が提出しそうです。
 同大学では、社会科学科(二年制)、専攻科(一年制)の二百数十人の学生が学んでいます。
 十八歳から七十歳代までの学生が、手をとりあって仲よく学んでいます。
 学友を思えば、あったかい涙がでるほど、すっごく、いい学び舎です。
 六十歳から、ここで学んいる私は、同大学専攻科の学生の一人として「発展、存続」を求めています。
 あなたが、もし、この大学の「発展、存続」に賛同していただけるならば、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会が募集している「二百字メッセージ」に「ひとこと」を、お寄せいただけませんでしょうか。
 二百字でなくても「存続を」などの数文字でも結構です。
 知事との関係などで名前は出しにくいかたは、匿名でも結構です。
 メッセージはアップさせていただき、知事なとにも提出させていただきます。
 メッセージの例などは、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会ブログをごらんください。
 ここです。

 http://blog.goo.ne.jp/yaxtupari

 「二百字メッセージ」の送信先は、以下のアドレスです。

 bqv01222@nifty.com

 できれば十七日までに。

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二〇一三年二月十三日 水曜日 高知県大月町柏島で見たこと 震洋の基地のこと、土佐の高知のハリマヤ橋でカンザシを買ったお坊さんのこと。

二〇一三年二月十三日 水曜日 高知県大月町柏島で見たこと 震洋の基地のこと、土佐の高知のハリマヤ橋でカンザシを買ったお坊さんのこと。

 晴れ。

 午前八時前、南国市のHAさんが乗用車で家に迎えに来てくれました。
 高知短期大学サークルの研修旅行の下見で高知県大月町の柏島にいくのです。
 途中で、TAさん、SAさんと合流しました。
 地元では三人のかたが案内してくれました。
 町役場でも二人のかたからいろいろ助言をしていただきました。
 私にとって一番印象的だったのは、やはり、ここにあった「アメリカ軍の高知県上陸にそなえた特別攻撃のための先頭に爆弾を積んだベニア板製のボート・震洋(しんよう)」の基地のことでした。
 元第百三十四震洋隊搭乗員有志が一九八八年十月につくった「特攻震洋基地跡碑」があります。
 「太平洋戦争の末期昭和20年[1945年]6月本土決戦に備え特攻震洋隊員48名がここに配置されこの丘の麓の6本の横穴に震洋艇24隻を格納し迎撃の機会を待った……」

もう一つの「発見」は、土佐の高知のハリマヤ橋でカンザシを買った、お坊さんが、その後、柏島に来ていたことです。純信さんは、お馬さんにカンザシは買っていないのでは……。

 https://twitter.com/bqv01222/status/302012250275864577/photo/1

 夜、家に帰ってから『高知の戦争 証言と調査』二十号の校正作業。

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二〇一三年二月十四日 木曜日 『高知の戦争 証言と調査』二十号の校正作業終了。 

二〇一三年二月十四日 木曜日 『高知の戦争 証言と調査』二十号の校正作業終了。 

 晴れ。

 妻の援助を得て『高知の戦争 証言と調査』二十号の校正作業終了。
 印刷の担当者にデータを郵送しました。

 平和資料館・草の家でつぎの企画展示の内容の検討会。

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2013.02.16

【ニュース】企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」 2月18日(月)~3月30日(土)、平和資料館・草の家で開催。

 高知市の平和資料館・草の家は、2月18日(月)~3月30日(土)、同館で企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」を開催します。午前9時から午後5時まで。水・日・祝休み。
 なお、「いかんちや」は「いけません」の意味です。

  【企画展の内容】

 高知・朝倉の陸軍歩兵第44連隊(高知・朝倉)は、青年たちによる出兵反対の運動のさなか、1932年2月、3月と中国の上海に出動しました。
 ときの政府は、出兵に反対した人たちを治安維持法違反容疑で捕らえ、留置し、投獄するなどの弾圧を加えました(詩人の槇村浩も、このとき逮捕されました)。
 しかし、高知では、その後も反戦運動が続きました。
 傘づくり職人をしていた黒原善太郎さんたちが、同年秋の高知県で陸軍第11師団機動演習に抗議する行動を起こしたのです。
 彼はどんな人だったのでしょうか、
 彼が歩んだ道とはどんなものだったのでしょうか。

 【平和資料館・草の家の住所】

 平和資料館・草の家
 〒780-0861  高知市升形9の11
 電話 088-875-1275 FAX 088-821-0586
 開館時間:午前9時~午後5時(休館日:水・日・祝)

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二〇一三年二月十五日 金曜日 企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」の仕上げ。

二〇一三年二月十五日 金曜日 企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」の仕上げ。

 晴れ。

 平和資料館・草の家で企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」の仕上げ。
 西森事務局長、西村常任理事、会員の大黒さん、事務局の中内さんが大奮闘。気がついたら男性は僕一人でした。草の家は女性で持っているようです。

 草の家の会議に参加。

 新聞の記者から電話で連絡。いい企画のお知らせでした。

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二〇一三年二月十六日 土曜日 自民党の憲法改正法案を読み解く学習会。

二〇一三年二月十六日 土曜日 自民党の憲法改正法案を読み解く学習会。

 晴れ。

 平和資料館・草の家に大阪から二人の男性がやってきました。
 高知の戦争遺跡を見たいとのこと。
 岡村正弘館長が案内しました。

 午後は、草の家で自民党の憲法改正法案を読み解く学習会。講師は土佐高校出身の若い男性の弁護士。
 参加者からも、この案の恐ろしさを指摘する発言があいつぎました。全体として熱気のある勉強会でした。
 
 夕方、高知市内の男性のお宅に、二人のかたの資料を見せていたただきました。しっかり記録しておきたいと思いました。
 一、満州で兵隊になって終戦後、ソ連兵に連れて行かれそうになって逃げて生還した人の手記。そのかたの父。
 二、満州でソ連軍に捕まってシベリアで強制労働させられて亡くなった男性の残したもの。妻の兄。

 未知の元・甲種海軍予科練習生十四期のかたからメールをいただきました。このブログに載せた記事についてでした。ありがとうございました。

 夜、自宅で高知短期大学存続のための作業。

 それにしてもきょうは寒かった。

 そのせいではありませんが、夕方、九〇CCのバイクで失敗しました。

 オートバイをロックするキーをかけたまま、エンジンのキーをかけて発進。バイクはくるくるまわりドッシン。

 バイクも僕も悲惨な結果になりました。

 まだ痛みます。 

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いま、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会ブログが活気づいています。

 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会ブログを、よく見ています。
 このところ、「二百字メッセージ」が、どんどんアップされています。うーん、すごいという感じです。
 あなたも、ぜひ。

 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会のブログは、以下にあります。

 http://blog.goo.ne.jp/yaxtupari

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2013.02.18

【ニュース】「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会事務局は二月十八日、「重大なお知らせとお願い」のアピールを発表しました。

  高知県の「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会事務局は二月十八日、「重大なお知らせとお願い」のアピールを発表しました。
 アピールは、以下のような内容です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会事務局です。
 私たちは、高知県において六十年の歴史を持ち地域の大学として現在も三百人以上の学生が学ぶ高知短期大学が廃止されようとしてる状況において、何としても夜間二年制短期大学の灯を守り発展させる力にしたい思いから「二百字メッセージ運動」を始めました。
 昨年の八月以来県内外の方々から暖かく感動的なメッセージを数多くのお寄せいただいます。
 この場を借りてお礼を申し上げます。
 さて、今日は重大なお知らせとお願いがあります。
 高知県議会が三月一日から二十七日まで開催されますが、この議会に「平成二十七年を最後に高知短期大学は学生募集停止」の文言が入った議案が提案、審議されることがほぼ確実となりそうです。
 可決されれば高知短期大学廃止を法的に追認する最終的な手続き最終段階に入ることになります。
 高知県議会では、残念ながら高知短期大学を廃止する勢力が強いことは確かです。
 しかし、これまでの運動から多くの県民、高知県下の自治体首長等の教育関係者は高知短期大学廃止に賛同してるわけではないことが誰の目にも明らかになっています。
 皆さまがたの思いや要望を、「二百字メッセージ」に乗せて、ぜひお寄せください。
 二百字より短くても結構です。
 高知県知事、学長、高知県議会に届けたいと思います。
 なにとぞ、よろしくお願いいたします。
 「二百字メッセージ」の送り先は、こちらです。
 bqv01222@nifty.com

  【藤原義一のコメント】

 私は高知短期大学専攻科の学生です。
 高知短期大学社会科学科は、高知市の中心地、永国寺にあります。
 高校を卒業していれば、どんな年齢の人でも受験できます。
 経済学、法学を中心に歴史、文学、ジェンダー論、英語、フランス語、中国語、韓国語などを学んでいます。
 同大学専攻科(一年制)では、足で歩く調査を大事にした研究をしています。
 入学金、授業料が比較的に安いのも魅力です。
 ちいさな大学ですが、在学生たちの学びの意欲はぴか一です。
 知事は、高知短期大学を廃止の合理的な理由をしめさないまま高知短期大学を廃止しようとしています。
 在学生のみなさん。卒業生のみなさん。日本中のみなさん。世界のみなさん。
 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会に応援のメッセージを。

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二〇一三年二月十七日 日曜日 高知海軍航空隊第三飛行場の件。

二〇一三年二月十七日 日曜日 高知海軍航空隊第三飛行場の件。

 晴れ。

 四万十町窪川へ。
 高知海軍航空隊第三飛行場の件。
 素晴らしい青年と行動をともにしました。

 夜、地域の東組の初会に参加。妻も。

 高知短期大学存続のための作業。

きょうまでに陸海軍の餓死の島・メレヨン関係の本、三冊が届きました。

 寝ていたら布団にクニョ(めすネコ)がもぐりこんできました。あたたかい!

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二〇一三年二月十八日 月曜日 平和資料館・草の家の企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」が始まりました。【写真一枚】

Photo

二〇一三年二月十八日 月曜日 平和資料館・草の家の企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」が始まりました。

 雨。

 病院へ健診に。
 薬が効いていないことがわかりました。
 どうりで山に登ったらハーハーいうわけです。

 平和資料館・草の家へ。
 仲間と昼食。
 企画展「戦争したら、いかんちや 陸軍第11師団機動演習に反対した 黒原善太郎さんの青春」が始まりました。

 群馬県の女性、東京の、その娘さんが来訪。
 熱心に見てくれました。
 ある新聞記者が新しい展示を取材に来てくれました。
 おもに館長が話をしてくれました。
 MAさんと展示の解説の小冊子をつくりました。

 高知短期大学存続のための作業。

 妻は実家泊。

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2013.02.19

【歴史】高知市の清和女学校の生徒たちも風船爆弾気球づくりの工場・科学加工紙株式会社(高知市旭)に動員されていました。

 きょうOさんが清和学園八十五年史編纂委員会『清和学園八十五年史』(清和学園、1987年)のコピーを見せてくれました。
 それによると、高知市の高知教会にあった清和女学校の2年生の一部が、1945年1月から、風船爆弾気球づくりの工場・科学加工紙株式会社に勤労動員されたということです。
 同校は、いまは南国市明見の清和女子高等学校になっています。

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【ニュース】二月十九日の高知の読売新聞が「反戦25歳で拷問死 傘職人・黒原さん功績に光」の記事を掲載。

 二月十九日の高知の読売新聞が「反戦25歳で拷問死 傘職人・黒原さん功績に光」の記事を掲載しました。
 「黒原さん」は、戦中に反戦活動をした高知県久礼(くれ)出身の青年で、警察署で二十五歳で亡くなりました。 記事は、ここにあります。

 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20130218-OYT8T01282.htm

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二〇一三年二月十九日 火曜日 企画展、パワーアップへ。 

二〇一三年二月十九日 火曜日 企画展、パワーアップへ。 

 雨。

 読売新聞が高知版のトップで平和資料館・草の家の黒原善太郎さんの企画展のことを書いてくれました。
 読売新聞のホームページにも、その記事が載りました。

 あるテレビ局が、企画展の取材に来てくれました。

 平和資料館・草の家にOさんが来られ、戦中の歴史についていろいろ教えてくださいました。

 岡村正弘館長、BAさんと一緒に黒原善太郎さんのことについての調査で中土佐町、須崎市へ。
 企画展中も、調査をすすめ、企画展をパワーアップしていくことにしています。

 家に帰ってから冊子に載せていただける論文の校正をしました。

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2013.02.20

【ニュース】三月十六日(土曜日)に「めんそーれ沖縄~沖縄について学ぼう~」「沖縄の夕べ」のつどい。主催は、「普天間」をみる高知の会。

 「普天間」をみる高知の会が、三月十六日(土曜日)に「めんそーれ沖縄~沖縄について学ぼう~」「沖縄の夕べ」のつどいを開きます。
 なお、「めんそーれ」は、沖縄方言で「いらっしゃいませ」。

 ………………………

 「めんそーれ沖縄~沖縄について学ぼう~」
 3月16日(土)15:00~17:00 
 場所:草の家 高知市升形9―11 088-875-1275
 参加費500円
 ①学習講演「沖縄の心に連帯を」
 山崎秀一さん(高知県平和運動センター議長) 
 ②ビデオ上映「沖縄米軍基地の現状と住民運動」 
 岡田竜平さん(Studio Gajumaru)

 引き続き…

 「沖縄の夕べ」をおこないます。

 3月16日(土)18:00~21:00 
    場所:草の家
    参加費3000円
 ○沖縄料理や手作り料理を囲みながら、沖縄の酒や文化を楽しみましょう!
 
 参加申し込みしめきり:3月9日
 <申し込み・お問い合わせ>「普天間」をみる高知の会 090-8972-1478(細木)

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【ニュース】 高知短期大学学生自治会有志、たつ!! 尾﨑正直・高知県知事、南裕子・高知短期大学長に「『日本一、学ぶ機会の多い』『学びの場に出合う』高知短期大学は私たちにとって必要不可欠」、「高知短期大学をなくさないでください」と要請

 高知短期大学学生自治会有志(代表・大黒春江さん)は、二月二十日、尾﨑正直・高知県知事、南裕子・高知短期大学長に「『日本一、学ぶ機会の多い』『学びの場に出合う』高知短期大学は私たちにとって必要不可欠なのです。どうか、今一度考え直していただき高知短期大学をなくさないでください。」と要請しました。
 大黒(だいこく)さんは、一年生で、同校学生自治会副委員長。元小学校の先生で、六十五歳。横浜市から勉強に来ています。高等学校新卒の学生が多い同校の学生たちから、「しっかり者のお母さん」のように慕われています。

 要請のニュース記事が、ここにあります。

 http://blog.goo.ne.jp/yaxtupari/e/bfc31b054b380b722a19661d84bb58bc

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二〇一三年二月二十日 水曜日 一九三二年の春と秋の反戦のビラまきについての原稿。 

二〇一三年二月二十日 水曜日 一九三二年の春と秋の反戦のビラまきについての原稿。 

 晴れ。

 一つ下の高知短期大学の学生に呼ばれて高知短期大学存続のための作業。

 高知県立図書館へ行ったら休み。うえーーん。

 高知短期大学へ行って論文の校正。マッカッカになってしまいました。先生のボックスに提出。

 故障していた二五〇CCのオートバイを直してもらいました。

 快調に。

 家に帰ってから高知短期大学存続のための作業。

 それから、一九三二年の春と秋の反戦のビラまきについての原稿を書きはじめました。

 もとが小冊子二冊分くらいあるのを、構成を変え、削りながら、新しいデータを加えて短くしていくという作業です。

 

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【ニュース】 RKC高知放送のテレビが黒原善太郎さんの企画展のことを放映。

http://www.rkc-kochi.co.jp/news/rkc_list02.html

黒原善太郎さん資料展

 2013年2月19日(火) 13:33

  「戦争したら、いかんちや」と題したこの展示は、戦時中の1930年代、反戦運動に身を投じ26歳で亡くなった中土佐町出身の黒原善太郎さんに関する資料26点を展示している。黒原さんは陸軍の演習に反対するビラを撒いた事で逮捕され、2ヵ月後に獄死した。黒原さんのように、当時は県内でも多くの若者が戦争に反対の立場を貫き、特高警察などから厳しい弾圧を受けたという。この企画展は3月30日まで高知市升形の平和資料館「草の家」で開かれている。

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【意見】 これは教育破壊 「教育再生実行会議」のメンバー・尾﨑正直高知県知事がやろうとしている「高知短期大学廃止」という暴挙。

 自民党の安倍晋三首相が「教育再生実行会議」をつくっています
 メンバーには、日本の侵略戦争を肯定する「新しい歴史教科書をつくる会」元会長で「ジェンダーフリー」、男女共同参画を攻撃してきた八木秀次高崎経済大教授、教育現場での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を主張し沖縄戦での集団自決強要はなかったとする著書を出版した曽野綾子氏、改悪教育基本法に「愛国心」を盛り込むことを主張した全日本教職員連盟委員長の河野達信氏といった人たちが名を連ねています。
 メンバーで忘れてはならないのは尾﨑正直高知県知事。高知県の民主的教育をになってきた夜間の高知短期大学を廃止しようとしています。この三月県議会に、その議案を提出するみこみです。尾﨑正直知事も、「教育再生」ではなくて、教育破壊のリーダーです。

 みずから高知県の観光ポスターのモデルになったり、テレビに日に何度も出たりと柔らかいムードを演出して、一部の県民には好感をもたれている尾﨑正直知事が、今回のごり押しで、その本質が県民に知れわたることになりそうです。

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2013.02.22

二〇一三年二月二十一日 木曜日 高知短期大学のつどいに参加。 

二〇一三年二月二十一日 木曜日 高知短期大学のつどいに参加。 

 晴れ。

 会議に出席。

 平和資料館・草の家へ。調べもの。

 夜、高知短期大学のつどいに参加。二十三人参加。

 家に帰ってから高知短期大学存続のための作業。

 一九三二年の春と秋の反戦のビラまきについての原稿を書きすすめました。

 

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二〇一三年二月二十二日 金曜日 高知県の龍河洞の近くの軍隊の交通壕。

二〇一三年二月二十二日 金曜日 高知県の龍河洞の近くの軍隊の交通壕。

 晴れ。

 すごい出会いがありました。

 二日に一回、高知県の龍河洞の近くでイノシシ狩りをしているという男性に出会いました。

 その周辺の山に交通壕があるというのです。軍隊が隠れて移動する、二メートルくらいに掘り下げた山道のことです。

 アジア太平洋戦争のときの、一九四五年四月以降につくられたもののようです。

 龍河洞に陸軍部隊が駐屯していたので、その部隊に関連としたものだと思われます。

 近々、案内していただく約束をとりつけました。

 一九三二年の春と秋の反戦のビラまきについての原稿の構成がはっきりしました。

 あすから引用文の元にあたりなおす作業です。

 映画「時の行路」推進のつどいの懇親会に参加。

 

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2013.02.23

二〇一三年二月二十三日 土曜日 本日は誕生日。六十六歳になりました。ある「女男(おんなおとこ)」のこれまで。

二〇一三年二月二十三日 土曜日 本日は誕生日。六十六歳になりました。ある「女男(おんなおとこ)」のこれまで。

 晴れ。

 本日は誕生日。六十六歳になりました。

 フェイスブック、ミクシィの仲間からたくさん「誕生日、おめでとう」メッセージをいただきました(ミクシィは、なぜかアクセスできないので返信ができません。ごめんなさい)。

 地域の老人会・隼人(はいと)老人会から誕生日プレゼントをいたただきました。

 てぶくろです。これをつけて、元気に二五〇CCのオートバイを乗り回してくださいということのようです。

 https://twitter.com/bqv01222/status/305268457254039552/photo/1

 思えば、これまでの人生で、いろんなかたがたに出会い、教えを受け、生き抜く力をいたただいてきました。

 学齢前に地域の若い女性のクリスチャンと出会い、私の家でキリスト教のつどいをしていたことがあります。自宅でクリスマスの劇をやり、私が生まれたばかりのキリストの役をやったこともありました。

 何か、女性の友人が多かったような気がします。

 高校時代の三年間、追っかけた同学年の女の子には文学の楽しみを教えてもらいました。

 彼女は、いまは東京にいます。

 高校を卒業するとき出会った高校の下級生の二人の女の子には、ずいぶん世話になりました。

 私が大学に入って「過激派」と行動していたとき、「そういうことはよくない」とさとしてくれました。

 いま彼女たちは、高知市、そして兵庫県にいます。

 大学の一年下の絶世の美女の世話になりました。「お兄ちゃんと妹」といった関係でした。

 僕は、「こんな美女と一緒にいられるなんて」と有頂天でした。僕の人生の最高の日々だったのかもしれません。

 毎晩、彼女の家に送っていきました。

 私は、将来、結婚したいと思っていました。

 しかし、想いがすれ違って……。(彼女が、どう思っていたのかはいまだに不明……)

 ここから、僕の人生が、かなりジグザグになっていきます。

 もう一人の大学の下級生の女性にも、本当に、お世話になりました。

 いまだにお世話になっています。

 東京の職場で、娘の世代の女性から僕の生き方について、たくさん批判をいただいたのも勉強になっています。

 「あんたは、考え方がウジウジしていて女みないな男や。女男や」

 僕は「その言い方、あんたは女性を差別してんやない」と応じてきましたが、僕のゆがんだ性格を批判してくれたありがたい存在でした。

 いまも、同年輩の女性たち、先輩の女性たち、二十代の女性たちに「どつかれ」ながら、どうにか生きています。

 男性の友人のAさんが、あるつどいでの男性の参加者の少なさに「男は、どうなってるんや!!」と叫んでいましたが、僕のまわりでパワフルなのは女性が多いですね。

 本日は、午後、平和資料館・草の家に。

 八十歳代、七十歳代、二十歳代の女性たち四人と、同館の図書室の整理方針などを協議しました。

 帰りに誕生日だから自分にごほうびと、文具類をたくさん買い込んできました。

 今は、家に帰ってきていますが、これから、また、論文の校正に入ります。

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2013.02.24

【過去のニュース 特報】一九三〇年二月十八日夜、大阪の野砲兵第四聯隊内ヘ日本共産党の戦争絶対反対のビラを投入。

  一九三〇年二月十八日夜、大阪の野砲兵第四聯隊内ヘ日本共産党の戦争絶対反対のビラを投入の「事件」の陸軍側の報告書がアジア歴史資料センターにあります。ここです。

 http://www.jacar.go.jp/

 「依田四郎」と打ち込んで検索してください。出てきた画面の四つ目の文書がそれです。「閲覧」の所を開いてください。
 投入された日本共産党のビラ二種類も入っています。
 
 野砲兵第四連隊内ヘ宣伝ビラ投入ニ関スル件 兵務甲第八号 陸密 照会案
 本月十八日夜怪漢数名野砲兵第四聯隊内ニ潜入シ不敬不穏ノ宣伝ビラヲ酒保及浴場等ヘ投入セル事実アル趣右ニ関シ投入当時ノ状況、当時衛兵等ノ警戒方法、其後ノ処置及隊内ニ及ホシタル影響等ニ付 事情詳細承知致度照会ス 密第一三六号 一 参第一二五号 野砲兵第四聯隊内ヘ宣伝ビラ投入ニ関スル件回答 昭和五年三月五日 陸密第四二号照会ノ件別冊ノ通回答ス 野砲兵第四聯隊内宣伝ビラ投入ニ関スル情況 一、投入当時ノ状況 1、投入当時ニ於ケル聨隊衞……

 【参考 野砲兵第四聯隊】

 http://www.geocities.jp/bane2161/yahou4rentai.htm

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【過去のニュース 特報】 一九三三年九月十七日午前、東京・神田で少年が陸軍兵士に日本共産党の「兵士の友」を配布。

 一九三三年九月十七日午前、東京・神田で少年が陸軍兵士に日本共産党の「兵士の友」を配布の「事件」についての陸軍の報告書が、アジア歴史資料センターホームページにあります。
 http://www.jacar.go.jp/

 「鳩彦三」で検索して、出てきた文書の最初のものの「閲覧」をクリックしてください。
 配布された「兵士の友」第十号(一九三三年八月二十五日)が、ここにあります。

 密受第九九四號 近謀第一一四八號
 共産主義宣傳ビラノ配布ヲ受ケタル件報告 首題ノ件別紙ノ通報告ス 一.「兵士ノ友」ノ配布ヲ受ケタル兵ニ關スル調書 (一.)配布ヲ受ケタル兵 昭和七年前期徴集 陸軍歩兵一等兵 第十中隊 小室左門 (一.)同 日時 九月十七日(日曜)午前十時頃 場所 神田一橋通リ 救世軍本部前附近ニ於テ 右九月十七日午前九時外出ヲ許可セラレ九段下ヨリ神田日活館ニ至ル可ク神田一橋通リ救世軍本部附近ヲ通行中該所ニ停止中ノ十五才位ノ判天ヲ着セル少年(自轉車ヲ携行)ノ差出セル前記「兵士ノ友」ヲ受領セルモノナリ本人ハ一種ノ廣告位ト思ヒ袴ノ物入シニ収納シ神田日活館ニ至リ映寫ヲ觀覽シ午後三時半 隊セルモノナリ……

 【参考  「兵士の友」のことなど】

 http://kure-sensai.net/Undou/Senzen/HansenUndou.htm

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二〇一三年二月二十四日 日曜日 「夜間の短期大学、いるよね」の声。

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二〇一三年二月二十四日 日曜日 「夜間の短期大学、いるよね」の声。

 晴れ。

 高知市帯屋町で夜間の短期大学は必要の宣伝行動に参加。十数人が参加していました。

 僕は、ブラスターを持つ係。

 若い女性が「夜間の短期大学、いるよね」と話しながらとおっていきます。

 中年の女性が「大変やねー。がんばってよ」と声をかけてくれました。

 高知市立市民の図書館へ。

 二冊読みました。

 Iさんが、できあがった『高知の戦争 証言と調査 二十号』を、わが家に持ってきてくれました。

 夜、戦中のビラまきの校正。まだ、だいぶ時間がかかりそうです。

娘と孫たちの日程判明。三月二十六日に来高、四月六日に帰京。

【英作文の時間】

You are as cute as an antelope.
アントロープ かもしか

My wife is busy as a bee.
ビー ハチ

I earn less han my wife does.
アーン 稼ぐ

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【歌の風景】 歌「戦友」の哀しさ。

 ここに「戦友」の歌があります。

  http://www.youtube.com/watch?v=pRnrZg23NV0

 http://www.youtube.com/watch?v=UGXyK6FDeOs

  http://www.youtube.com/watch?v=Y75_H805GXc

 大元帥・天皇に強いられた出兵で、罪のない人々を傷つけ、殺し、みずからも死線をさまよった日本の男たちの哀しみを歌っています。

   

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2013.02.25

二〇一三年二月二十五日 月曜日 日本帝国主義の中国侵略についての資料  壁に書かれた 「中国ノ人民ヲ虐殺スルナ 松井」の写真など。

二〇一三年二月二十五日 月曜日 日本帝国主義の中国侵略についての資料 壁に書かれた 「中国ノ人民ヲ虐殺スルナ 松井」の写真など

 晴れ。

 夜間の短期大学存続のための作業。

 平和資料館・草の家へ。NAさんが日本帝国主義の中国侵略についての資料を手に入れて、持ってきてくれました。

 その一部をツィッターにアップしました。

 https://twitter.com/bqv01222/status/305976999049052160/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/305977810340691968/photo/1

 「陸軍歩兵第四十四連隊の弾薬庫などについての資料を」の電話あり。

 さっそく、とりそろえで、そのかたの自宅まで配達しました。

 きょうは、いろんな花を撮影。

 ツィッターにアップしました。

 https://twitter.com/bqv01222/status/305970650957369344/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/305971946225545216/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/305972699736457216/photo/1

 https://twitter.com/bqv01222/status/305973433718673408/photo/1

 

 昨日から韓国のドラマ「戦友」を見ています。

 【英作文の時間】

  The wind was rising.
  風がでてきました。

  You can't win by luck.
  運では勝てません。

 I want to do something for others.

  I am so thirety.
  サースティ のどがかわいた

  Coud you tell me where the station is?

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韓国ドラマ「戦友」。

 【二月二十六日夜】

 「チングヤー、チングヤー、チングヤーー (友よ、戦友よ)」

 韓国軍の海兵隊や陸軍の装備に「リュックサック爆弾」が。日本の陸軍と同じく、担いだ「リュックサック爆弾」の前のヒモを引くと爆発する仕掛けです。
 
 一九五〇年の、このドラマ、まだ途中までしか見ていません。
 まだ七話までです。
 韓国の人たちは、このドラマを、どう見たのでしょうか。
 憎しみは、朝鮮人同士をこんな目にあわせた「毛沢東の中国」の野望に向けられていると思います。
 「金日成の北朝鮮軍」を、あやっつった大国勢力です。
 ドラマの意図は、中国の大軍に従う北朝鮮軍の高級幹部の一人に、南出身というの若い「絶世の美女」を配し、彼女の苦悩する心の動きを表現していることからも見てとれます。

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2013.02.26

【ニュース】  「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」と、三月一日に報告会、十六日の県民集会開催へ 尾﨑正直高知県知事が、夜間の高知短期大学の廃止案を三月県議会に出しそうです。

 尾﨑正直高知県知事が、三月一日から開催される県議会に「高知短期大学は平成27年度に学生の募集を停止した上で在学生の卒業及び終了後に廃止」の文言が入った議案が提案する見通しです。
 この非常事態に際し、「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会は、緊急の報告会と県民集会を開催することを決定しました。

 ・緊急報告会     三月一日(金曜日)午後六時半~ 高知市永国町の高知短期大学南舎 一三二教室
 ・緊急県民集会    三月十六日(土曜日)午後四時半~ 高知市帯屋町の、ひろめ市場前広場
 終了後にパレードを行います。

同会は、「多くの方々のご参加をお待ちしています!」と、呼びかけています。

 「やっぱり高知には必要、夜間の短期大学」県民の会事務局は、〒780-8089 高知市愛宕町二丁目二三の六です。

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【ホットニュース】 わおーっ、高知短期大学の後輩で、とっても心が柔らかい人・水沢信子さんの投書。

 きょうの高知新聞の「声ひろば」に水沢信子さんの「短大存続の意義」というタイトルの投書が載りました。
 とっても素敵な文章でした。

 僕が、彼女と出会ったのは、彼女が高知短期大学に入学する直前でした。
 高知新聞の画廊で開かれていた高知短期大学学友会の作品展に来てくださいました。
 僕は、受付をしていました。
 「私、こんど、高知短大に入学するんです」
 入学して、世界が広がるのを楽しみにしていました。
 「わーっ、すばらしい。とっても心が柔らかい人が入学するんだ」
 と、感激しました。
 彼女は、高知短期大学を卒業してからも働きながら学んでいると聞いていました。
 彼女の投稿は、ここにあります。
 
 http://www.kochinews.co.jp/voice/1302/130226vhiroba01.htm

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二〇一三年二月二十六日 火曜日 わが人生初めての大遅刻。

二〇一三年二月二十六日 火曜日 わが人生初めての大遅刻。

 曇り、雨。

 起きたら約束の時間を過ぎていました。

 午前十時過ぎです。

 「七時に起こしてと頼んだのに」

 「起こしたけど起きなかった」

 大遅刻で到着。

 すみません。すみません。

 

 平和資料館・草の家の図書室の本の整理。

 NIさん、MAさん、DAさんと。

 途中、頼まれていた本のデータの一部を出版社に持っていきました。

 先生から論文の校正について電話がありました。

 南国市の男性から終戦後、自分の家に陸軍の兵隊がいたという話を聞くことができました。

 高知短期大学存続についての作業をしました。

 「戦友」の続きを見ました。

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2013.02.27

陸軍第十一師団機動演習に抗議した黒原善太郎さんのことを、教えていただけませんか。

 治安維持法違反容疑で逮捕され、一九三三年十月五日、二十五歳で死亡した高知県高岡郡久礼町(今は高岡郡中土佐町久礼)出身の黒原善太郎さんのことを、治安維持法国家賠償要求同盟高知県本部、平和資料館・草の家(高知市升形)のメンバーが調べています。
 私も調査に参加しています。私が印象に残ったのはつぎの三点です。
 ① 黒原さんが、大日本帝国の侵略戦争に反対した人だったということです。
高知の陸軍歩兵第四十四連隊(土佐郡朝倉村=今は高知市)は、青年たちによる出兵反対の運動のさなか、一九三二年二月、三月と中国の上海に出動しました。ときの権力は、出兵に反対した人たちを治安維持法違反容疑で捕らえ、留置し、投獄するなどの弾圧を加えました。しかし、高知では、その後も反戦運動が続きました。傘づくり職人をしていた黒原さんたちが、同年十月三十一日~十一月十二日の高知県での陸軍第十一師団機動演習に抗議する行動を起こしたのです(歩兵第四十四連隊も第十一師団の隷下です)。
 土陽新聞の同年十一月八日付二面に「不穏ビラの犯人逮捕さる 左翼分子の仕業」という見出しの記事が載りました。「八日より開始される第十一師団演習に左翼不穏分子が種々策動せんとしてゐるのを探知した高知署では未検挙要視察人の行動を監視し事を未然に防止せんとしてゐたが東西両軍において旅団演習施行中の五日早朝市内天満橋、梅ノ辻、五丁目、下知電車停留場、堀詰西交叉点等に師団演習絶対〇〇、失業者〇〇せよ、思ひおこせ労農兵士〇〇〇〇等の不穏文字をプリントせるアヂ、ビラを貼布せる者あるを発見し直にビラをはぎ取ったが高知署では未検挙の〇〇及び〇〇の仕業と目星をつけ両名の所在捜査につとめた結果六日夜市内某方面に潜伏中を逮捕し水上署に拘留の上大黒警部補出張の上取調中であるが他に関係者が二、三ある模様である」。「未検挙の〇〇」の一人が黒原さんでした。
 ② 黒原さんが、死亡したのは警察署に留置中だったということです。
 戦後、彼の死について調べた旧友の堀見俊吉さんは、一九七一年七月九日付の旧友の信清悠久さんへの手紙の中で「彼[黒原善太郎さん]の本籍を探し、戸籍謄本をとりましたら、昭和八年[一九三三年]十月五日午前八時六分長岡郡大篠村大篠警察署にて死亡となっていました。」と書いています。
 ③ 戦後の一九七一年に旧友たちが調べたら黒原さんの墓は石ころ二つだったということです。
 同年五月十四日付の堀見俊吉さんから高知市の旧友・岡林亀さん宛ての手紙に、そのことが書いてありました。[一九七一年五月]二日には、[黒原さんと一緒に師団演習反対のビラを配布した]仙頭[清五郎]君と久礼にゆき、故黒原善太郎君のお墓にお詣りしました。墓所は久礼より約2キロ須崎よりの新国道の傍[かたわら]にあります。/妹さんの黒原菊枝さんの案内でしたので、わかりましたが、墓標代りの石ころ二つで、私達だけでしたら、とてもさがせなかったと思います。」。その後、旧友たちが立派な墓碑を建てました。
 いま、治安維持法国家賠償要求同盟高知県本部、平和資料館・草の家が、草の家一階ホールで治安維持法国家賠償要求同盟高知県本部、平和資料館・草の家共催の企画展をやっています。「戦争したら、いかんちや 陸軍第十一師団機動演習に反対した黒原善太郎さんの青春」です。三月三十日までです。
 調査は、続いています。黒原さんについて資料をお持ちのかた、ご一報いたただければ幸いです。

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二〇一三年二月二十七日 水曜日 韓国のテレビ番組「戦友」のメッセージ 「チョンマイ サランヘヨ」。

二〇一三年二月二十七日 水曜日 韓国のテレビ番組「戦友」のメッセージ 「チョンマイ サランヘヨ」。

 晴れ。

 小集会で日本共産党の浜川百合子さんのお話を聴きました。
  
 「北」と中国が「南」に侵攻して朝鮮戦争が起こりました。アメリカが「南」を後押しして参戦しました。この戦争をテーマにしたテレビドラマ「戦友」。ついに二十話の最終回まで見ました。
 「チュンサン(忠誠)」という言葉の恐ろしさ。
 「南」の兵士が息を引き取る前にポケットから出した妻からの手紙。たしか「チョンマイ サランヘヨ」と書いていたいたようです。
 「愛しています。とっても」
 「南」の曹長が、「自分の愛する女」・「北」の女性将校・イ・スギョンを撃ち殺すシーンに胸をつまらせました。

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2013.02.28

二〇一三年二月二十八日 木曜日 「土佐和紙の歴史の一断面 高知県でのアメリカ空爆用の風船爆弾気球づくり」の論文を編集。

二〇一三年二月二十八日 木曜日 「土佐和紙の歴史の一断面 高知県でのアメリカ空爆用の風船爆弾気球づくり」の論文を編集。

 晴れ

 朝から夕方まで「土佐和紙の歴史の一断面 高知県でのアメリカ空爆用の風船爆弾気球づくり」の論文を再構成して編集しました。

 高知短期大学存続のための作業。

 高知短期大学学友会の会議に出席。

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『高知の戦争 証言と調査 第20号』の目次

 『高知の戦争 証言と調査 第20号』の目次は、以下のとおりです。

 甲種飛行予科練習生を志願した上杉利則さんが家族に出したはがき  藤原 義一

 高知市内での2件のB29墜落事件について POW研究会  福林 徹

 高知県内の忠霊塔、忠魂碑等の調査結果(2)  馴田 正満

 〇トピックス〇

 「夜須の砲台跡は史跡指定の方向」 高知県香南市議会での答弁

 香南市の上岡山のT字の戦闘壕 見学会に120人が参加

 企画展「高知の高天ケ原山の戦争」 平和資料館・草の家が開催

 【表紙】

 搭乗服姿の松山海軍航空隊の上杉利則さん(みなで交替で着替えて撮影しました)

 【裏表紙】

 1945年7月4日に高知市に墜落したアメリカの爆撃機・B29の一部でつくったチリトリ(平和資料館・草の家所蔵)

 編 者  戦争遺跡保存ネットワーク高知
 発行者  藤原 義一
 発行所  平和資料館・草の家
   〒780-0861 高知市升形9の11
   電話088(875)1275
 200円

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『高知の戦争 証言と調査 第19号』の目次

 『高知の戦争 証言と調査 第19号』の目次は、以下のとおりです。

 白菊を「自分の棺桶だから」といった特攻兵 高知海軍航空隊の航空機整備兵として  石田  榮

 1945年夏、西部151部隊で戦車に飛び込む訓練をしていました  伊藤  始

 高知海軍航空隊の飛行場と同隊の三里と窪川の秘匿飛行場  藤原 義一

 【表紙の写真】

 高知海軍航空隊航空機整備兵のころの石田榮さん=1945年5月、19歳のころ、高知県香美郡日章村立田(いまは南国市立田)で

 【裏表紙の写真】

 高知県南国市明見の高知海軍航空隊の兵舎跡とされる場所(明見の山の北側のふもと)

 編 者  戦争遺跡保存ネットワーク高知
 発行者  藤原 義一
 発行所  平和資料館・草の家
   〒780-0861 高知市升形9の11
   電話088(875)1275
 200円

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