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2013年3月

2013.03.01

尾﨑正直高知県知事が高知短期大学廃止議案を提出 あなたは、どう思いますか?

 世界のみなさんへ。
 私は日本の高知市の高知短期大学の専攻科の学生、藤原義一(ふじはら・よしかず)です。大日本帝国の侵略政策に反対した人たちのことを調べている六十六歳の男性です。
 本日、二〇一三年三月一日午前の高知県議会で、尾﨑正直・高知県知事は、私たちの大学を廃止する議案を提出しました。
 高知短期大学は、夜の学び舎です。
 二年制の社会科学科があります。一学年の定員は百二十人です。
 そして、より定員が少ない一年制の専攻科があります。
 十八歳で入学する学生が主流ですが、私たちのように中年、老年の学生もいます。
 若い学生と、あまり若くない学生が助け合って学んでいます。
 ちいさな大学を、権力が踏みつぶそうとしています。
 尾﨑知事が提出した議案は「高知短期大学については、働きながら学ぶことができる機能及び社会人教育の機能を高知県立大学等に引き継ぐことで発展的に解消することとし、平成27年度[二〇一五年度]に学生の募集を停止した上で在学生の卒業及び修了後に廃止する。」としています。
 しかし、「高知県立大学等」には夜間の二年制コースをつくる計画はありません。
 高知県には一つしかない夜間の二年制の大学教育の場をなくす計画です。
 この本会議を傍聴した高知短期大学の学生、卒業生らは会議終了後、高知県庁前で「やっぱり高知には必要 夜間の短期大学 高知短期大学をなくしてはいけない! 『やっぱり高知には必要、夜間の短期大学』県民の会」の黄色の横断幕をかかげてアピールしました。
 もし、あなたが、尾﨑正直高知県知事の私たちの大学の廃止議案に異論があるのなら、その思いを旨をメールで送っていただけませんでしょうか。
 私は、夜間の二年制の学び舎の灯をともし続けようという『やっぱり高知には必要、夜間の短期大学』県民の会の会員です。県民の会に、あなたのメッセージをいただけませんでしょうか。私たちの会のブログに、それを紹介させていたただきます。
 ブログは、こちらです。

 http://blog.goo.ne.jp/yaxtupari

 そして、メッセージの宛先は、こちらです。

 bqv01222@nifty.com

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2013.03.03

二〇一三年三月一日 金曜日 「優れた教育環境を有する学びや」発言から廃止提案へ 尾﨑正直知事の高知短期大学をめぐる態度の変化の背景に何があったのでしょうか。

二〇一三年三月一日 金曜日 「優れた教育環境を有する学びや」発言から廃止提案へ 尾﨑正直知事の高知短期大学をめぐる態度の変化の背景に何があったのでしょうか。

 雨。

 午前中、高知県議会を傍聴。
 尾﨑正直知事が県議会に高知短期大学廃止の議案を提案。
 夜は、高知短期大学で、廃止反対集会に参加。
 私たちが高知短期大学に入学したとき、尾崎正直高知県知事は入学式で「優れた教育環境を有する学びや」と高知短期大学の素晴らしさを語りました。
 それが何があったのかはわかりませんが、高知短期大学廃止に。
 何かおかしなことが高知県政界でおこっています。

 【高知短期大学 参考資料】

 ○尾崎正直高知県知事の二〇〇八年度高知短期大学入学式での「告辞」。

 ・高知短期大学は、昭和二十八年に県内唯一の夜間の短期大学として開学して以来、「働きながら学べる大学」、「地域に根ざした大学」として、高知県の高等教育の一翼を担ってまいりました。
 この間、四千九百人余りの卒業生を送り出してまいりましたが、その多くの方々が、県内の様々な分野で活躍されておられます。
 このような本学に皆様方をお迎えすることができましたことを、本学の設置者として大変うれしく思っております。
 ・少子高齢化の進展、日進月歩の科学技術の進化に思いをはせる時、学ぶことの前に、年齢や日々の生活の壁が高くそびえ立つようであってはなりません。
 本学はこの点に鑑みた時、「学びたい気持ち」を一番大切に、時代の要請に応じた教育プログラムを、多様な方々に提供しうる優れた教育環境を有する学びやであると考えております。

 〇「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書」。
 高知県は、二〇〇八年十一月に「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会」を設置し、幅広い委員の方々に、新たな社会科学系学部の設置、社会人教育並びに高知短期大学のあり方について検討し、二〇一〇年三月、「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書」を発表しています。
 この「報告書」は、「高知短期大学のあり方について」は、つぎのようにのべています。
 「……高知短期大学の今後のあり方については、新たな社会科学系学部の設置状況を踏まえ、同学部との連携による社会人教育の充実や効率的で柔軟な大学運営の観点から、検討すべきである。
 その際、短期大学として存続させることや、社会科学系学部を設置する大学の短期大学部として組織を再編することなど、その設置形態についても検討すべきである。
 また、入学定員(現行120人)についても、入学志願者の確保策と合わせて、その妥当性を検討することが必要と考える。」
 高知短期大学については、①短期大学として存続させること、②社会科学系学部を設置する大学の短期大学部として組織を再編することを具体的な選択肢としています。

 〇「高知県公立大学法人中期目標」。

 「高知県公立大学法人中期目標」は、二〇一一年四月一日から二〇一七年三月三十日までの計画案です。
 尾崎正直高知県知事が、二〇一一年六月の高知県議会に提案して、七月十一日の本会議で原案どおり満場一致で採択されたものです。
 この文書の、高知短期大学(社会科学科第二部、応用社会科学専攻科二部)の部分を抜き出します。
 教育の成果に関する目標、「県内唯一の夜間課程を設置する大学として、社会人をはじめとする多様な学生の教育をつうじて、豊かな人間性及び教養を備えるとともに、社会科学の基本的な力量を身に付けた、地域社会の主体的で創造的な担い手となる人材を育成する。」
 教育の内容等に関する目標、「現実から学ぶことを重視し、教養教育及び社会科学の専門教育の連携を図り、県民ニーズに対応したカリキュラムを編成することによって、短期大学にふさわしい教育の場を確保する。」
 学生の受け入れに関する目標、「高知短期大学の基本理念に基づき、高等学校、自治体、事業者等との連携を強化するとともに、広報活動を積極的に行うことにより、入学者の受入れ方針に沿った社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める。」
 研究水準及び研究成果に関する目標、「(ア) 法学及び経済学を中心とする社会科学の分野において現代社会が抱える課題に応える研究を進め、これによって地域社会及び国際社会の発展に寄与する。
 (イ) 研究水準向上を図るための研究活動について、適切な評価を行い、改善につなげる。」

 〇高知県の「高知短期大学の今後の方向性」のパブリックコメントの結果。
 二〇一二年一月初めから二月二日まで高知県は、「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」(永国寺キャンパス整備等検討チーム=高知県文化生活部・高知県立大学・高知工科大学・高知短期大学)の中の「高知短期大学の今後の方向性」について県民などの意見を募集しました(パブリックコメント)。
 パブリックコメントの内容は、県民からの意見の90数%は高知短期大学存続を支持する内容でした。

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二〇一三年三月二日 土曜日 七十一歳、六十六歳、五十八歳 四月から大学院生。

二〇一三年三月二日 土曜日 七十一歳、六十六歳、五十八歳 四月から大学院生。

 晴れ。

 高知短期大学専攻科の研修旅行。

 参加した学生は五人。

 この日は香川県の直島(なおしま)へ。

 高松市で泊まり。

 ところで、この日の参加者のうち三人は四月から大学院に行きます。

 七十一歳、六十六歳、五十八歳です。

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二〇一三年三月三日 日曜日 「高知県を若い女性がやってくる観光の地にするためには、どうすればいいか」。

二〇一三年三月三日 日曜日 「高知県を若い女性がやってくる観光の地にするためには、どうすればいいか」。

 晴れ。

 研修旅行二日目。
 四国中央市へ。

 研修の地で考えていたこと-「高知県を若い女性がやってくる観光の地にするためには、どうすればいいか」。

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そうか「パーフェクトビューティ」だったんだ。

 このごろ、ずーっと悩んでいたことがありました。
 「こういうことがしたいんだ」と思い続けてきましたが、その正体がわからなかったのです。
 きょう、インターネットをわたりあるいているうちに、はたと気がつきました。
 それは言葉でいえば、こんな言葉があるのかわかりませんが「パーフェクトビューティ」です。
 自分が「完璧な美」と思えるものを何らかの形で表現したいということです。
 その手段は、写真でも彫塑でもいいのです。
 その対象を見つけ、一つひとつ作品にしていきたいと思います。

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2013.03.04

二〇一三年三月四日 月曜日 平和資料館・草の家の図書室の本の整理。

二〇一三年三月四日 月曜日 平和資料館・草の家の図書室の本の整理。

 晴れ。

 午前九時過ぎから夕方まで、NAさんと二人で平和資料館・草の家の図書室の本の整理。
 整理し始めて二日目ですが、十分の一くらい片付きました。
 もうすぐ、いままでより利用しやすくなります。

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2013.03.05

二〇一三年三月五日 高知県立のいち動物公園わきに日本軍陣地跡。オオーッ! トーチカも。

二〇一三年三月五日 高知県立のいち動物公園わきに日本軍陣地跡。オオーッ! トーチカも。

 晴れ。

 この間知り合ったイノシシやシカの猟師さん、彼の知り合いの地元の男性の案内で日本軍の交通壕が残っているという所へ向かいました。息子の年齢の男性の看護師・FUさんと二人です。

 現場に行ってびっくりしました。
 それは、高知県立のいち動物公園わきでした。
 その陣地は、山の斜面にありました。
 のいち動物公園から数十メートルのトンネルがのびています(トンネルは、山を貫通していることは確認しましたが、途中で崩れています。また、水がたまっている所があります)。
 それを抜けると行方は二方向に分かれていす。
 一方は、別のトンネルを抜けてコンクリート製のトーチカ(内部から機銃などで攻撃する施設)へ向かいます。トーチカの銃眼は斜め下に向いています。銃眼の上に円形の掘りこみ、四角の掘りこみが二つずつあるものです。

  https://twitter.com/bqv01222/status/308909579486523392/photo/1

 もう一方は、兵士が行き来できるように掘り下げた道・交通壕に向かいます。これは数百メートル以上あるもので、ふもとに向かっています。トーチカなどに弾丸を運ぶためのものでしょうか。

 この陣地の周辺、山道のわきに、あとひとつトーチカがありました。

 いち動物公園側も調査させていたただきました。こちらにも交通壕が縦横に走っていました。

 それにしてもFUさんは、すごい。俊敏に、走るように山の斜面を行き来し、がけを登り下りします。

 「藤原さん、大丈夫ですか?」。こういわれるたびに、「大丈夫です」と力んで登っていく僕はエライ(体が動きにくくてつらいという意味です。なにせ百七十センチで、八十五キロです)。

 ところで、この陣地は、アジア太平洋戦争のときのアメリカ軍との本土決戦の準備のためのものだと思われます。

 調査は朝九時ころから午後二時半ころまで。

 帰りに、のいち図書館、高知県立図書館で調べた文献によると、この地域には、一九四五年春から第五十五軍第百五十五師団歩兵四百四十九連隊が駐屯していたことになっています。

 家に帰ってから、案内してくれた地元の男性に電話したら、「私の家の近くに、もう一つトーチカがありました」。

 四月からの大学院の入学式などの行事日程がメールで届きました。よーーっし、がんばって勉強しなくては。 

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2013.03.06

【ニュース】 「高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡を3月11日(月)に調査します。ご参加を」。平和資料館・草の家が呼びかけ。

  平和資料館・草の家は、三月六日、つぎのような、お誘いの文書を発表しました。

 高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡を3月11日(月)に調査します。ご参加いただけませんでしょうか。

                                     2013年3月6日

         平和資料館・草の家館長 岡村 正弘

 3月5日、猟師さんと地元のかたの案内で、高知県立のいち動物公園わきの山の中に陣地の跡があることがわかりました。標高70メートル、車道から歩いて2分の場所です。
 アジア太平洋戦争のとき、日本軍が、アメリカ軍の上陸に備えてつくった陣地だと思われます。
 のいち動物公園から数10メートルのトンネルがのびています(トンネルは、山を貫通していることは確認しましたが、途中で崩れています。また、水がたまっている所があります)。
 それをぬけると、道は2方向に分かれています。
 一方は、別のトンネルを抜けてコンクリート製のトーチカ(内部から機銃などで攻撃する施設)へ向かいます。トーチカの銃眼は斜め下に向いています。トーチカは、銃眼の上に円形の掘りこみ、四角の掘りこみが2つずつあるものです。
 もう一方は、兵士が行き来できるように掘り下げた道・交通壕に向かいます。これは数100メートル以上あるもので、ふもとに向かっています。トーチカなどに弾丸を運ぶためのものでしょうか。
 のいち動物公園側にも交通壕が縦横に走っています。
 この陣地の周辺に、あと2つ、同じ形のトーチカがあります。

https://twitter.com/bqv01222/status/309969900460449792/photo/1

 私たちといっしょに現場に行って調査しませんか。
 現地でのご案内は、地元のかた、平和資料館・草の家研究員の福井康人、同学芸員の藤原義一がいたします。
 この日は、トーチカやトンネル、交通壕を計測する作業をやります。

 同日午前10時、平和資料館・草の家に集合して出発します。

 乗用車は、それぞれが、ご用意ください。

 服装など=45度ほどの斜面が多いうえ、壕を掘った際のものと思われる土砂がそのまま斜面に残っていて滑りやすいので、足元は固めてください。立木も腐ったものが多いので、つかむ際は注意してください。

 連絡先 平和資料館・草の家
 780-0861 高知市升形9-11
 電話 088-875-1275
 GRH@ma1.seikyou.ne.jp
 ご連絡は 090-7820-3812  藤原 でも結構です。

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二〇一三年三月六日 「きょうも来ました」、「行くかえ」で、トーチカへ。

二〇一三年三月六日 「きょうも来ました」、「行くかえ」で、トーチカへ。

 晴れ。

 午前九時過ぎに青年のFUさんが、わが家に乗用車で迎えに来てくれました。

 まずは香南市野市の地元の男性宅に。
 「きょうも来ました」
 「行くかえ」
 彼は、家の近くの山のふもとに残っているトーチカに案内してくれました。
 昨日、近くの山の中で見たトーチカと同形のものでした。
 実は、このかたとは昨日、初めて出会いました。
 建築士にして猟師だそうです。
 僕が二十歳で就職した職場の人たちとも知り合いでした。

 そのあと、FUさんと、山の中腹のトーチカの「掃除」。
 といっても、ほとんどの作業はFUさんで、僕は、チョコチョコと手伝うだけ。
 「ひ弱な僕」に、何か情けなくなりました。
 
 高知短期大学存続のための記者会見に同席しました。
 若い学生たちの発言がいい。
 
 野市の戦争遺跡の調査のための作業をしました。

 家に帰ってきた妻が、夜食をたっぷりつくりました。
 「これを食べや。たっぷり食べて、『妻が、くわさん』なんていわんといて」。かなり怒っています。
 僕の「妻に、しいたげられている。食事もロクニつくらん。食事は妻がつくらんといかんという決まりはないけれどね……」という、エゲツナイ心理戦が効果をあげているようです。

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2013.03.07

【ニュース】 オスプレイ高知県来襲 七日の高知県議会一般質問では……。 その一

 昨日、アメリカ軍のオスプレイ三機が高知県に飛来しました。
 高知県議会で、きょうから始まる各党の一般質問で、この質問がどうとりあげられるでしょうか。
 午前九時現在の高知県議会のホームページによると本日は自民党の中西哲議員、日本共産党の塚地佐智議員、公明党の池脇純一議員が質問に立ちます。
 発言通告で「米軍低空飛行訓練について」をあげているのは塚地議員のみ。
 議会は午前十時から始まります。

 【参考 オスプレイ高知来襲の記事】

 http://www.kochinews.co.jp/Voice?&nwSrl=299783&nwIW=1&nwVt=knd

 http://www.kochinews.co.jp/Voice?&nwSrl=299797&nwIW=1&nwVt=knd

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【ニュース】 オスプレイ高知県来襲 七日の高知県議会一般質問では……。その二 中西哲議員のブログでの発言。

 自民党の中西哲高知県議は、みずからのブログではオスプレイ来襲について以下のように書いてきました。

 http://d.hatena.ne.jp/nakanishi-satoshi/20120724/1343095421

 http://d.hatena.ne.jp/nakanishi-satoshi/20120825/1345852629

 http://d.hatena.ne.jp/nakanishi-satoshi/20120911/1347322094

 http://d.hatena.ne.jp/nakanishi-satoshi/20121010/1349837883

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【ニュース】 オスプレイ高知県来襲 七日の高知県議会一般質問では……。その三 中西哲議員、オスプレイ問題については質問なし。

 本日の高知県議会一般質問のトップバッターは自民党の中西哲(さとし)高知県議。

 オスプレイ問題については質問なし。

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【ニュース】 オスプレイ高知県来襲 七日の高知県議会一般質問では……。その四 塚地佐智議員の質問。

 本日の高知県議会一般質問で日本共産党の塚地佐智議員は、オスプレイ来襲問題をとりあげ論戦。

 のちほど詳述します。

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【ニュース】 オスプレイ高知県来襲 七日の高知県議会一般質問では……。その五 池脇純一議員はふれず。

 本日の高知県議会一般質問で公明党の池脇純一議員が質問に立ちました。

  オスプレイ来襲については質問なし。

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高知県立のいち動物公園わきの陣地の跡のこと、『米軍上陸迎撃のための陸軍部隊配置要図』、『野市町史 上巻』に背景が書かれています。 

 高知県立のいち動物公園わきの山の中に大日本帝国軍隊の陣地の跡があることがわかりましたが、アジア太平洋戦争時の野市の軍事環境については、つぎの本が参考になります。

 ・『米軍上陸迎撃のための陸軍部隊配置要図 元第五十五軍第百五十五師団歩兵四百五十二聯隊(護土第六部隊)長山本孝男氏書』に図が二つ掲載されています。
 キーワードは金剛山です。

 ・野市町史編集委員会『野市町史 上巻』(野市町。一九九二年一月)がのべています。
 千二百六十五ページからの「本土決戦」の所です。

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二〇一三年三月七日 木曜日 「第一〇一事務所」は「海軍化学戦部」のこと。ワオーッ。

二〇一三年三月七日 木曜日 「第一〇一事務所」は「海軍化学戦部」のこと。ワオーッ。

 晴れ。

 午前九時から午前零時までパソコンと付きあっていました。

 高知短期大学のホームページで専攻科の成績を見ました。わが人生で二度目の最高の成績でした。中学校三年生のときがピークで、それから下降線に。高知大学ではペシャンコ。定年後の高知短期大学社会科学科、徳島文理大学文学部文化財学科と、ずんずん「盛り上がって」、いま、ピーク時に戻りました。四月からは高知県立大学の院生。しっかり勉強したい。

 午前十時から夕方まで高知県議会の一般質問のインターネット中継を見ました。

 アジ歴のホームページの「海軍公報」を読みました。すごいことがたくさん書いてありました。
 「海軍化学戦部」をつくったこと、機密保持上、それを「第一〇一事務所」と呼称したこと、逃亡兵を処罰したことなど。

 夜は九日からの柏島での研修のための勉強。

 それで、もうしまおうと思っています。

 注文していた古代史の本が届いたので、これを読みながらヨミノクニにまよいこもうと思っています。

 【参考 海軍化学戦部】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E5%AD%A6%E5%85%B5%E5%99%A8

 【英語の勉強】

 I've finished today's work.

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2013.03.08

高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡のイメージ図をアップしました。

https://twitter.com/bqv01222/status/309969900460449792/photo/1

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2013.03.10

二〇一三年三月九日 土曜日 第二十一突撃隊の第百三十四震洋隊の柏島。

二〇一三年三月九日 土曜日 第二十一突撃隊の第百三十四震洋隊の柏島。

 晴れ。

 午前七時二十分前、南国市のHAさんが新車で迎えに来てくれました。
 高知短期大学に集合。
 高知短期大学のサークル・高知知っちゅう会の一泊研修旅行です。
 大型バスで高知県大月町柏島へ。
 柏島の漁協二階での漁協の女性たちがつくってくれた郷土料理のお昼ごはん、黒潮実感センターでの講義、そして、この島にいた大日本海軍第二十一突撃隊の第百三十四震洋隊(隊長・半谷達哉中尉)についての地元の女性のお話し、地元の女性や観光協会の女性の案内での島めぐりと充実した研修でした。

 僕の仕事柄からもっとも心をひかれたのは、ここにいた大日本海軍第二十一突撃隊の第百三十四震洋隊(隊長・半谷達哉中尉)のことです。
 第百三十四震洋隊は、一九四五年五月二十五日に編成された隊です。
 この島の海べりの丘のふもとにある「特攻震洋基地跡碑」によると、同年六月、本土決戦に備え特攻震洋隊員四十八人がここに配置されました。丘のふもとの六本の横穴に震洋艇二十四隻を格納していました。
 これらの壕は、いまではがけ崩れ対策工事か埋められています。

  https://twitter.com/bqv01222/status/310716746216656896/photo/1

 この隊のことについては、時間をかけて調べていきたいと思っています。

 夜は、柏島の民宿と大月町内のホテルに分宿。
 僕たちは柏島のホテルに。

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二〇一三年三月十日 日曜日 ツバキの「せいいっぱいさ」。

Photo

二〇一三年三月十日 日曜日 ツバキの「せいいっぱいさ」。

 晴れ。

 昨日、大型バスの中で、ある女性が亡き母のことを「力いっぱい生きた」といっているのが聞こえました。
 僕も「力いっぱい」生きぬきたいと思いました。

 高知短期大学のサークル・高知知っちゅう会の一泊研修旅行の二日目です。

 朝、高知県大月町のホテルから海側の風景を撮っていたら壕のようなものがありました。
 ここらあたりも調べてみる必要がありそうです。

 朝食後、午前八時半、大型バスで出発。
 柏島めぐり。
 すごくきれいなツバキを撮影しました。
 落花しても、そのままの形で輝いているツバキ。僕は、そんな「せいいっぱいさ」にひかれます。

 海から柏島を見る企画に感動。
 ここでも壕のようなものを一つ発見しました。
 自然にできたものかもしれませんが……。

 昼食は「タイめし」。

 この日も地元の女性二人、観光担当の女性二人にお世話になりました。
 感謝。

 高知短期大学から家まで南国市のHAさんに乗用車で送ってもらいました。
 感謝。

 うれしいメールが届きした。夜須の震洋隊のことです。

 あしたの香南市野市の陣地跡の調査の準備をしました。

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2013.03.11

二〇一三年三月八日 金曜日 高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡のイメージ図を描きました。

二〇一三年三月八日 金曜日 高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡のイメージ図を描きました。

 晴れ。

 高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡のイメージ図を描きました。

 平和資料館・草の家に行ってMAさんに、それを加工していたただきました。

 その地域の地図も入手しました。

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【短歌】 高知県立のいち動物公園わきの陣地跡を歩く

「ありますよ。龍河洞のあたりにも」 猟師が見ていた 戦争の壕

横穴に案内されて来てみれば 「その足元の、トーチカですね」

「地主さんOKですよ」 許しえて若きが掘り出すトーチカのわき

築城の六十余年後、陣地わき 動物園の子らの歓声

陸軍が龍河洞にもいたころの決戦陣地の兵隊の道

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【ニュース】  高知県立のいち動物公園わきに日本陸軍の陣地跡、平和資料館・草の家のメンバーらが調査。【写真四枚】

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 高知県立のいち動物公園わき、香南市野市町大谷に、アジア太平洋戦争中の日本軍の陣地跡があることがわかりました。平和資料館・草の家の岡村正弘館長が現地調査、説明会を呼びかけ、三月十一日、地元の人々など約二十人が参加しました。
 その陣地は、三宝山の海抜約百メートルの急斜面にあります。三月五日、猟師さんと地元の建築士・加藤憲一郎さんの案内で、この陣地の存在がわかりました。
 動物公園敷地から数十メートルのトンネル(横幅、縦幅とも二メートル、長さ四十五メートル。現在は崩れていて行き来できません)があり、それを抜けると行方は二方向の分岐点に達し、一方は、次のトンネルを抜けてコンクリート製の横幅約二・八×高さ二・〇×奥行き一・七メートルのトーチカ(内部から機銃などで攻撃する施設)へ向かいます。そのトーチカの銃眼(射撃用小窓)は登ってくるアメリカ軍を狙うためか下に向いています。
 分岐よりもう一方は、兵士が行き来する掘り下げた塹壕(交通壕)に向かい、これは、ふもとにまで延びており、数百メートルあるものです。
 他にも近辺に二つ同じ型のトーチカが残っていることもわかりました。
 この日の一行の案内役をつとめた福井康人・草の家研究員は「戦争の爪跡が、いま平和の象徴である動物園のわきに残っていました。これらはアジア太平洋戦争末期、アメリカ軍との日本本土決戦の準備下の陣地です。この地域には一九四五年春から陸軍百五十五師団(護土部隊)第四百四十九連隊、迫撃砲第三十七大隊、独立山砲兵第六連隊の合計約五千四百人が展開していました。陸軍の重要拠点の一部であったことが、当時の軍極資料と今に残る現地跡状況からみて、それらが推測されます」と解説しました。
 草の家の藤原義一学芸員は「近くの寺や龍河洞にも陸軍の部隊がいたという証言もあります。今後、聞き取り調査も広げて本土決戦時の実際を明らかにしていきたい思っています」と語っています。
 なお、今回の調査で野市に残るトーチカ跡は四つとなりました。加藤さんは「最近、もう一つ見つけた」といっており、こんご新たなトーチカ跡が発見される可能性があります。

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【ニュース】「香南市で旧陸軍陣地跡発見」 高知新聞が報道。

 http://www.kochinews.co.jp/Voice?&nwSrl=299951&nwIW=1&nwVt=knd

 2013年03月11日、月曜日

 香南市で旧陸軍陣地跡発見

 日本陸軍が本土決戦用に築いた防衛陣地跡が香南市で見つかり、11日に関係者に公開。状態が良く陣地の構図が明確に。

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2013.03.13

二〇一三年三月十一日 月曜日 わおーっ、二十人も。のいち動物公園わきの陸軍陣地跡の調査。

二〇一三年三月十一日 月曜日 わおーっ、二十人も。のいち動物公園わきの陸軍陣地跡の調査。

 晴れ。

 午前十一時前からの、のいち動物公園わきの陸軍陣地跡の調査、約二十人が来てくれました。専門家も二人かけつけてくださいました。感激です。新聞記者も二人。

 終わってから、もう一人のかたから連絡があり、僕と福井康人さんで、現場を案内しました。

 家に帰ってダウン。「このままでは倒れる」という予感がして少し寝ました。

 妻が帰ってから起き上がりました。

 そして、ある会報の編集を開始しました。

 『高知の戦争 証言と調査 二十号』、あらたに三十部の注文がありました。

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二〇一三年三月十二日 火曜日 「四時間の記録映画」を見ました。すごい内容でした。

二〇一三年三月十二日 火曜日 「四時間の記録映画」を見ました。すごい内容でした。

 晴れ。

 高知新聞に、のいち動物公園わきの陣地跡のこと、黒原善太郎さんの企画展のことの記事が掲載されていました。感激。

 平和資料館・草の家へ。

 午後一時から高知市内某所で「四時間の記録映画」を見ました。すごい内容でした。

 この間に、草の家に、高知新聞の記事を見て戦争遺跡に興味のある男性がこられたとか。うれしい。僕より一学年下の人のようです。

 孫に近い年齢のMAさんにワープロ作業のテクを教えていただきました。

 「これからもやらなくてはいけないのだから、私が教えますから自分で操作してください」

 この「孫」、すごい教育者で、いい人です。尊敬しています。

 ある放送局から、のいち動物公園わきの陣地跡についての取材の申し入れ。うれしい。ありがとうございます。

 夜は、家で、ある会報の編集作業。みなさんの協力でメールで原稿、写真が届き大筋がまとまりました。

 妻が、別件のパソパソ作業を手伝ってくれました。

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二〇一三年三月十三日 水曜日 うおーーっ、室戸のほうにある大きな横穴の戦争壕二つ。

二〇一三年三月十三日 水曜日 うおーーっ、室戸のほうにある大きな横穴の戦争壕二つ。

 雨。

 定期の健診。

 高知県立図書館に行って調べもの。

 ・香南市野市の一九四五年の戦闘配置。

 ・高知県の四つの震洋隊のこと。

 ・香美市の龍河洞に配置されていた陸軍部隊のこと。

 図書館の係の人のお世話で、他の図書館にある本を複数、取り寄せていただけることになりました。ありがとうございます。熱心な仕事ぶりに感激。この図書館のスタッフは、みな、「お客様本位」の素晴らしい仕事をしている、と感じています。

 途中で知り合いに会い、室戸のほうにある大きな横穴の戦争壕二つについて書いてある本を紹介されました。その本の筆者にいただいて、わが家にもある本ですが、ていねいに読んでいませんでした。そのころは、横穴壕にあまり関心がなかったせいでしょうか……。 

 夜は夜間の学びや・高知短期大学存続のための打ち合わせに参加。

 家に帰って、ひきつづき、ある会報の編集作業。

 『高知の戦争 証言と調査』の原稿を一つ編集しました。

 妻は、実家泊とのこと。

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FUさんへ この間お話した「築城」関係の資料のありかです。

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C13010075400?IS_STYLE=default&IS_KEY_S1=%E7%AF%89%E5%9F%8E%E3%80%80%E3%82%BD%E9%80%A3&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KIND=SimpleSummary&

 ここを起点に、周辺をさがしていたただければ興味深い資料があります。

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2013.03.14

二〇一三年三月十四日 木曜日 NHK総合テレビ「こうち情報いちばん」に、高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡のニュース。ありがとう。

二〇一三年三月十四日 木曜日 NHK総合テレビ「こうち情報いちばん」に、高知県立のいち動物公園わきの日本軍陣地跡のニュース。ありがとう。

 晴れ。

 午前七時前、ピューッ、ピューッという強い風の音で目が覚めました。

 いの町のTOさんと電話で打ち合わせをして、午前十時半集合で、のいち動物公園わきの日本軍の陣地跡へ行くことに。

 先に行って現地を歩いて新たな交通壕と砲をおくような壕を見つけました。

 到着したTOさんと現地を歩きました。 

 ここが済んで、二人で、龍河洞にいた陸軍部隊の碑を見に行きました。

 午後一時、のいち動物公園わきの日本軍の陣地跡取材のNHKのスタッフ四人と合流。

 地元の建築士・加藤憲一郎さんと私が案内役。

https://twitter.com/bqv01222/status/312146197068517376/photo/1

 この地域には、これまでに四つのトーチカがみつかっていますが、加藤さんが案内してくれて「五つ目」を見せてくれました。

 「すこしヘトヘト」になって回転ずしの店へ。十皿食べたら落ち着きました。

 高知市に帰ってNIさんたちと会いました。

 ふと、午後六時台のNHK総合テレビ「こうち情報いちばん」を見たら、さっきのシーンが放映されていました。すごく、手早い。

 終わるすぐKIさんから電話。「出てましたねー。トーチカがどんなものかわかりました」。

 家に帰り着いた妻は、「実家で見た。あんな太りすぎ」。なにをいまさら。

 夜は自宅で、ある会報の校正をつくりました。

 「五つ目のトーチカ」は、あすFUさんとあらためて見に行きます。

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2013.03.15

二〇一三年三月十五日 金曜日 香南市野市の五つ目のトーチカの観察に行きました。

二〇一三年三月十五日 金曜日 香南市野市の五つ目のトーチカの観察に行きました。

 晴れ。

 午前九時過ぎ、FUさんが乗用車で自宅に迎えに来てくれました。

 二人で香南市野市の五つ目のトーチカの観察に行きました。

  https://twitter.com/bqv01222/status/312571016369016832/photo/1

 以前に福井康人平和資料館・草の家研究員が発見した夜須町の砲台を、できた当時に見たという人がいました。そのかたが、そのことを書いていた文章を見たかたから教えていたただきました。で、本日、その人に電話。お話を聞かせていただけることになりました。

 平和資料館・草の家でお昼をごちそうになりました。

 草の家に、のいちの陣地の場所を教えてというかたがこられました。

 午後、ある会報のデータを印刷所に入れました。

 二つの会議に出席。

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TPP参加表明 「自由民主党の終わり」の始まりかもしれません=これが、二〇一三年三月十五日 安倍内閣総理大臣記者会見の内容。

 内閣官房内閣広報室のホームページです。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0315kaiken.html

日本共産党の見解です。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-16/2013031601_02_1.html

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【耳より】 高知県の龍河洞にいた大日本帝国陸軍の部隊のことが書かれている本。

  逆川部落史編集委員会編『 逆川部落史』(逆川部落。一九八七年十二月)に高知県の龍河洞にいた陸軍の部隊のことが書かれています。

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2013.03.16

「いぬふぐり」さんが伝えた高知県立のいち動物公園わきの陸軍陣地跡。

http://rara732.blog.fc2.com/blog-entry-62.html

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2013.03.17

短歌集  古城の下の学び舎で  藤原 義一 【二〇一三年三月二十日に卒業する、あなたへ】

 短歌集 古城の下の夜の学び舎で

Photo_2

    藤原 義一(ふじはらよしかず)

    bqv01222@nifty.com

  高知短期大学の社会科学科、専攻科を、きょう卒業するみなさんへ、何かプレゼントをと考えましたが、いいものが思い当たりませんでした。それで、三月十七日から、こんな歌集をつくりました。

 私は、高知大学文理学部文学科を三年生の終わりにやめました。美しい下級生に夢中になって、学費が続かなくなってと理由はいろいろでしたが……。その後、東京都で働いていましたが、その間、何回も試験のときに問題が解けない夢を見て「わーっ」と目覚めました。

 六十歳で仕事をやめ、「再チャレンジ」のために、高知短期大学社会科学科に入れてもらいました。卒業して、香川県の徳島文理大学文学部文化財学科に編入し、昨年三月に卒業しました。学芸員の資格をとりました。

 そして、翌四月に高知短期大学専攻科に入学しました。その専攻科での日々をうたったものです。

 「あす卒業。おめでとうさま」 うれしいよー 娘の世代の 友のひとこと

 作品は、ブログ「ブログ高知」などに発表してきたもののなかから選びました。ブログ高知には、「ブログ高知 藤原義一」で検索していたただければ、ご訪問いただけます。表紙のイラストは、娘の世代の女性が、「高知短期大学存続のために使って」とプレゼントしてくれたものです。彼女は亡くなりましたが思いは継いでいきたい。

                二〇一三年三月二十日

高知短期大学専攻科を受験しました

 あと一年
 夜の学びに 入りたい
 「私は保護者 もうやめたから」

 専攻科 願書出したよ 決断し
 六十五歳で
 また一年生

 わが番号 五〇一も そこにある
 ホームページで
 合格を知る

高知短期大学の入学式

 「廃止せよ」 暴風の中 入学の
 一二三人
 夜の短大

入学の 五十歳から 十四人
 最年長は
 どうも僕だね

 受験生 横浜から来た 六十四
 「第三の人生」
 始めるという

 「残そうよ 夜の短大」
 入学式夜
 つどいのさなか

 「私も 会に入るわ」
 うれしいね
 新入生も 学び舎守れ

 高知城 光の祭典 いい感じ
 「希望」の文字に
 ジーンときちゃった

夜の教室の仲間たち

 職場から 駆けつけてきた 女子学生
 仕事着のまま
 学生になる

 「毎日が 感動です」と
 六十四 
 夜の二年の 女子学生です

 毎回が 一番の前の 女子学生
 たぶん食い入る
 目をしているよ 

 ゴマシオも 「うん、うん、うん」と
 体(たい)ゆすり
 聞き入ってるよ 学びの授業

 まっすぐに 前を見つめて 聞いている
 盲目の君
 夜の学びや

 半年の 授業の最後
 パチ、パチが まきおこってる
 夜の学び舎

カミナリにうたれた少年

 「カミナリに うたれた少年、いま学ぶ」
 学友会展
 写真のまなざし

 車いす、言語障害、盲目の
 青年がいる
 夜の学びや

 「歩行器で 立って歩こう」
 放課後の 訓練見守る
 仲間、先生

 「あの写真、ほめたくないけど よかったわ」
 わが先輩の
 うれしい一言

夜中の部屋のパソコンの前で

 「This is my chair.Will you move, please?」 
 話しかけ 
 ネコをどかせて 夜中パソコン

 「ワオーーーン」と 遠吠えなども しているよ
 スイスイいかない
 夜中の作業

 たっぷりと 書くべきことが たまってて
 一日半を
 不外出にする

 十九本 リポートなどを 書き上げて
 前期の授業
 今夜終わった

高知県立図書館での日々

 きょうもまた
 図書館で会う 社長さん
 戦跡調査の 仲間の一人

 あれこれと 知りたいことを のべたてて
 十数冊に
 向き合っている

 「閉館は、あと十五分」
 きょうもまた 図書館に住む
 老学生が

六十五歳の挑戦

 反戦の 詩人のことを 極めたい
 資料積み上げ
 苦闘のさ中

 槇村の 反戦の詩の 舞台行く
 おお間島(かんとう)は
 こんな地だったか

 抗日の デモに参加し 殺された
 十七人の
 青年の碑よ

 地下にある 拷問室の 闇の中
 わが日本が
 ここでしたこと
 
 大学院 受けるつもりの 六十五
 「無理よね」、「やめちょき」
 否定をバネに

 間島の バスの中でも 「受けますよ」
 マイクで告げて
 われを鼓舞する

 「授業には、出てなかったわね。あのころは」
 十九 知る人
 かたわらにいて

 面接の 準備のために 書いてる
 「長所」の内容
 反省文だね

 この試験 乗り切るための 勉強に
 逃げ込みたいが
 誘いが多くて

 「やっぱりね。ダメだったわね。大学院。」
 リアルな夢みて
 学びに向かう

高知県立大学大学院の合格発表

 だめだった 夢で目覚めた その午後の
 発表を待ってる
 よどんだ気持ち

 掲示はる 手に隠された その場所に
 わが〇一〇五
 あったよ、あったーー

 合格で パッとまわりが 色づくよ
 世界はかくも
 美しかったか

 年下の 合格仲間に
 電話する
 ジワジワジワと 涙出てきた

 合格の 通知の手紙 やってくる
 「入学金だと…」
 妻は「知らんよ」

 大学院 入学許可書
 きましたよ
 ルンルンルンの 六十五歳

二つの論文を書きました

 学友の 心尽くしの ツバキ愛(め)で
 土佐和紙語る
 夜のゼミ室

 「ああ、これで、風船爆弾 つくったか」
 コンリャクのりで
 加工した紙

 地中から 掘り出したという
 戦争碑
 いわれをたずね 図書館にいる

 「紙」を終え
 戦争石碑を 書き直す
 追加の取材 山積みになる

 平和への 論文二つ 書き上げて
 夜の学びの
 一年終わる

なんで高知短期大学を廃止するの?  

 人生を 良心貫き 生きようと
 女性が歌う
 研修のバス

 「残そうよ。夜の短大」
 わが「保護者」
 街頭に立ち 署名すすめる

 「ありがとう!」
 ハンドマイクの 声弾む
 夜の学びや 守れの署名

 高知には やっぱりいるよね 二年制
 夜学ぶ群れ
 若きも老いも

 「そうですよ。あきらめちゃったら 終わりです」
 電話の先の
 陽気に出会う

 存続の ニュースの写真 青空で
 県民の会
 準備伝える

 「あじさい」を 作曲した人
 呼びかけ人
 夜の短大 守れのアピール

 「県民の 会に参加を」
 暑中見舞いは 
 守れ学び舎

 恒例の 花火の音を 遠く聞き
 「なすべきこと」と
 むかいあってる

 きょうもまた ブログに増えた
 存続の 思いを刻む
 三月半ば
 

Photo_3

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二〇一三年三月十六日 土曜日 高知短期大学存続をの街頭集会に参加しました。

二〇一三年三月十六日 土曜日 高知短期大学存続をの街頭集会に参加しました。

 晴れ。

 午後、高知大学でのあつまりに参加しました。残念ながら途中で退席。

 高知県の担当者らしい人も見に来ていました。

 高知短期大学存続をの街頭集会に参加しました。写真撮影の係でした。

 夜、高知短期大学関係の懇親会に参加しました。

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二〇一三年三月十七日 日曜日 高知新聞で龍河洞にいた陸軍部隊についての記事を見つけました。

二〇一三年三月十七日 日曜日 高知新聞で龍河洞にいた陸軍部隊についての記事を見つけました。

 曇り。

 高知県立図書館へ。

 すばらしい本を二冊読みました。

 高知新聞で龍河洞にいた陸軍の記事を見つけました。

 手づくり歌集の編集をしました。

 『高知の戦争 証言と調査』の編集をしました。

 

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【ニュース】高知県香南市夜須町の槇カ谷の砲台の建設当時のことを知っている人がいました。

 高知県香南市夜須町千切(やすちょうちぎれ)の山、槇カ谷の砲台について書いている文章がありました。

 文芸香美編集委員会『文芸香美 三十五号』(二〇一〇年十一月三日)のTEさんの文章の五十六ページ、五十七ページです。

 山腹頂上には帝国陸軍が終戦直前に本土決戦に備えて据付けた口径30㎝大砲の砲身と鉄の巨大な台座がデンと座り、頑丈な金網で囲われ背後の山肌には防空壕が奥深く掘られていた。
 私達は当時尋常小学高等科[国民学校高等科]2年生であったが勤労奉仕作業で戦時中も終戦になっても軍の手伝いで山に入って、何をしたかは今では忘れたが、褒美に乾パン30枚を貰った記憶がある。
 作業の帰途、その砲台に立ち寄って上下左右に砲身を動かして
「これで月見山へ砲弾が届くろうかねや」
と話しつつ、目測で4㎞位かなと考えながら家に帰ったことである。

  このことは、香美市のOさんに教えていたただきました。

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【ニュース】高知県の龍河洞は三人の歩哨にさえぎられ…(一九四五年のことです)。

 きょうの高知県立図書館での資料調べの成果のひとつは高知県香美市の龍河洞にいた軍隊のことについての記事を見つけたことです。

 高知新聞、一九四七年六月二十一日付の「名所今昔物語④ 龍河洞」です。
 「[香美郡佐古村竜河洞は]終戦の年師団司令部を保存会事務所に置いてからは三人の歩哨にさえぎられ観覧者は皆無となり、また近隣の山から竹、ヒノキがでたらめに伐られて洞前に兵舎がならび、洞そのものは村民の防空壕化したのである」

 同図書館にある逆川部落史編集委員会『部落史 逆川』(逆川部落。一九八七年十二月)にも、その様子が書かれています。
 「昭和20年[1945年] 戦局不利となり当部落にも一箇師団が駐屯し、保存会事務所も師団司令部に徴用され、軍人以外の入洞は殆[ほとん]どなかった。……」
 同年度の「部落活動の記録」では六月二十二日、分教場で国民義勇隊を結成したとの記述があります。義勇隊長は原主計さん。
 また、八月四日には「海岸地非常措置、地上部隊砲撃実施スルニ付注意スル様報告ヲナス」の記述もあります。

 これも同図書館にある『米軍上陸迎撃のための陸軍部隊配置要図 元第五十五軍第百五十五師団歩兵四百五十二聯隊(護土第六部隊)長山本孝男氏書』の「高知地区(55A主力)配置要図」のわきには「師団司令部が龍河洞付近にあった時の図」と書き込まれています。
 師団司令部というのは大日本帝国第五十五軍第百五十五師団(護土)司令部のことでしょうか。

 高知県の山北にいた「丸亀中部一四九部隊護土二二七六部隊浅野隊本部幹部候補生隊」の兵隊が龍河洞の軍隊に伝令に行ったという話を聞いたことがあります。

 【百五十五師団】
 創設は一九四五年二月二十八日。
 歩兵師団。人員約一万人。
 編成地・善通寺。
 最終位置=高知県香美郡・安芸郡。
 歴代師団長、岩永汪中将。
 最終所属部隊
 歩兵第449連隊(丸亀):青山熊吉大佐
 歩兵第450連隊(徳島):下村肇大佐
 歩兵第451連隊(高知):森田豊秋大佐
 歩兵第452連隊(丸亀):山本孝男中佐
 第155師団速射砲隊
 第155師団砲兵隊
 第155師団輜重隊
 第155師団通信隊
 第155師団兵器勤務隊

 この司令部のことかどうか不明ですが、いま香美市土佐山田町逆川の龍河洞の駐車場の所に楷第六四八二部隊の石碑龍河洞の石碑があります。本土決戦の時期に、ここに駐屯していた部隊の碑です。
 以下、刻まれている内容を紹介します。

 土佐の国は雄々しきくに
 垂乳根(たらちね)の心深き処なり
 詔(みことのり)承(う)けし日の思ひ語り継
 ぐべき術(すべ)のあらむや
 遠き海鳴りは健依別(たけよりわけ)の呻
 きと聴きし
 秋葉の山竝(やまなみ)は白日のもと不徳
 かなしきは武士の道
 かそけくぞ活きむ

   昭和□年二月十五日
   楷第六四八二部隊長内
          壱百九拾五名

 楷第六四八二部隊   部隊 々長  長宗我部 勝

    香川出    三七
    徳島出    四八
    高知出    二七     
    愛媛出    六五
    兵庫出    一八
        計一九五名

       協賛龍河洞保存会
       会長 岡村隆夫

 発企人  佐藤 新平  上田 照馬  井関 一之  西岡 一樹 西岡 常雄  岡林 貞夫  福留 義信  舛谷 豊
 世話人   千頭 寅安  青木輝夫   今岡 与平  新谷 敦夫  大畑 元吉  石本 恒美  浜川 年信  筒井 庄一 山崎  耕作   相原 政夫   二神   満   清水  聖   松井 龍一 村上  輝雄    青木 絹一   倉岡栄太郎   福島 俊雄  岡崎 信快

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2013.03.19

二〇一三年三月十八日 月曜日 「背中に模擬爆弾を背負った兵隊が竹でつくった戦車の下にほふく前進でもぐりこむ訓練をしていた」。

二〇一三年三月十八日 月曜日 「背中に模擬爆弾を背負った兵隊が竹でつくった戦車の下にほふく前進でもぐりこむ訓練をしていた」。

 雨。

 FUさんと高知県香南市夜須町TEさんにアジア太平洋戦争のときの、夜須地域の様子について聞きに行きました。

 屋敷の前で軽トラに乗って待っていてくれていました。

 現場に案内してくれて、ここで予科練が木を切り出していた、ここに戦争壕がある、あそこに兵舎があって水槽があった、ここで背中に模擬爆弾を背負った兵隊が竹でつくった戦車の下にほふく前進でもぐりこむ訓練をしていたなどと説明してくれました。そして、この山の向こうの壁に囲まれた場所で未来の戦争に備えて自衛隊がバンパンと訓練しているとも。

 平和資料館・草の家に行ってNAさんと二人で、「作品募集」の文章案を作成。それぞれの歓声が重なり合って、いいものができました。うれしい。

 高知新聞のデーターベース部に行って一九四七年の記事のコピーを一つ提供していたただきました。

 夜、東京から高知市に就職した女性の歓迎会。参加者、計五人。

 参加者のなかで、「私も一度、戦跡に行きたい」という人がいました。うれしい。

 家に帰って『高知の戦争 証言と調査』の原稿、三本を整理しました。

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【耳より】 「化学戦教範作製資料送付の件」という文書があります。

 「化学戦教範作製資料送付の件」という文書があります。

 アジア歴史資料センターで「検索」していただければ出てきます。

  化学戦教範作製資料送付の件
 作成者名称 陸軍科学研究所
 資料作成年月日 昭和04年04月12日
 規模 403
 内容 陸科研秘第一〇號 化学戦教範作製資料送付ノ件通牒 昭和四年四月十二日 陸軍理学研究所 陸軍大臣官房 中 各國瓦斯防護教範ヲ参酌シ當所従来ノ化学兵器諸實験ノ成績ヲ加味シ別冊「化学戦教範」作製資料ヲ編集セシニ付同編集要肯 ヘ為参考送付ス 「化学戦教範」作成資料編集要肯 陸軍科学研究所 第一編集ノ趣肯 欧州大戦ノ實蹟ト列國現時ノ趨トヲ観察スルニ苟モ國際間ニ伍シ國ヲ建ツルモノノ一日モ化学戦準備ヲ緩フスヘカラサルハ多言ヲ要セサル所ナリ テ國軍ノ現状ヲ視ルニ化学戦攻防ノ原則ニ関シテハ戦闘要軍中要務令各兵捜操 及野戦築城教範ニ 々其要項ヲ示シアルモ其内容ハ概シテ軍隊ニ斯瓦ニ對スル概念ヲ喚起セシムルニ止リ……

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2013.03.21

二〇一三年三月十九日 火曜日 高知県の夜須の震洋特攻隊員だったかたの資料が届いていました。

二〇一三年三月十九日 火曜日 高知県の夜須の震洋特攻隊員だったかたの資料が届いていました。

 晴れ。

平和資料館・草の家に行ったら岩手のかたから高知県の夜須の震洋特攻隊員だったかたの資料が届いていました。ありがとうございます。

 午前十時から平和資料館・草の家の資料室の本を整理しました。

 この間、印刷所に入れた、ある会報(八ページ)ができました。

 五人がかりで一枚のビラをつくりました。あすの高知短期大学の卒業式のときに配布するものです。

 歌集を何冊か印刷してつくりました。

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二〇一三年三月二十日 水曜日 高知短期大学の卒業式。

二〇一三年三月二十日 水曜日 高知短期大学の卒業式。

 晴れ。

 わが家の庭のモモ類が咲きそろいました。

 ソルダム 白 二本。

 スモモ 白。

 アーモンド ピンク。

 モモ ピンク。

 弟の車に乗せてもらって高知短期大学へ。卒業式です。

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二〇一三年三月二十一日 木曜日 発作的に高知文学学校に入学しました。

二〇一三年三月二十一日 木曜日 発作的に高知文学学校に入学しました。

 晴れ。

 『高知の戦争 証言と調査』の原稿三本の校正を終えました。

 午後、高知県議会の審議を傍聴しました。

 夜、発作的に高知文学学校に入学しました。

 学生は五十九人。

 高知短期大学で同期だったAさんも来ていました。

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2013.03.23

二〇一三年三月二十三日 土曜日 「あの人、体、大丈夫かなぁ。最近、ちらっと顔を見たけど……」。

二〇一三年三月二十三日 土曜日 「あの人、体、大丈夫かなぁ。最近、ちらっと顔を見たけど……」。

 晴れ。

 久しぶりに田辺島通駅から県庁方面の路面電車の停留場に。
 乗り場の近くにあったジュースなどの自動販売機がなくなっていました。いつのまに……。
 電車に乗ったら後部の広告の所がムービーになっていました。もしかしたら、かなり以前からかもしれませんが、気がつきませんでした。

 「あの人、体、大丈夫かなぁ。最近、ちらっと顔を見たけど……」
 と、思いながら路面電車の後部座席でうつうつとしていました。
 ふと見たら、すれ違っていく路面電車の前のほうに、その人が乗っていました。
 思わず立ち上がって「おーい」とばかり手を振ってしまいました。
 気が付いた、その人は、同じようにこたえてくれました。
 子どもみたいだけど、なんか、すっごくうれしかった。

 喫茶店でカレーライスの遅い朝食。もっと「げーっ」というほど激辛のカレーがほしい。

 午前十一時ころ、平和資料館・草の家着。
 NIさんはすでに資料室の整理作業をしていました。少し年上の女性ですが、すごい勢いで働きます。
 僕も参入。
 何日もかかりましたが、やっと片付きました。
 この間の作業でつくづく感じたのが「僕って力仕事のできないひ弱な男子」ということでした。ウルルン。
 
 高知市立自由民権記念館へ。
 企画展「日清戦争とメディア」を見るためです。
 日清戦争にかかわった高知の自由民権家三人についての資料を見ると、三人とも日清戦争推進派。
 係の人に「ところで、日清戦争に反対した自由民権家はいませんか?」。いまのところヒットしていないということです。
 「全国的に見れば勝海舟 の『氷川清話』に反対の論が載っていますし、ある新聞の記事にも勝のそうした論が載っていました」
 テーブルでボーっとしていたらKUさん登場。
 「草の家で、のいちの陣地跡のことを発表したようだけど、それを見た山南のKUさんが、『うちのへんにもある』といっていた」
 さっそく、KUさんの連絡先を調べました。
 同館での講演「板垣退助と台湾同化会」(公文豪さん)を聞きました。
 刺激的な内容でした。

 夜は家で『高知の戦争 証言と調査』の編集作業。

 MOさんに彼の著書を一冊持ってきてとお願いしました。彼の中学校時代の友だちIさんにプレゼントするためです。

 森鴎外の『舞姫』を読了。

 すれ違う 路面電車に 友がいて 「おーい、元気!」と 手を振っていた 

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二〇一三年三月二十二日 金曜日 与謝野晶子さんの好戦短歌を批判する僕に、みなあきれがお。

二〇一三年三月二十二日 金曜日 与謝野晶子さんの好戦短歌を批判する僕に、みなあきれがお。【「ふくい」さん。コメントありがとう。】
 

 雨。

 朝、高知大学の一年後輩の岡山のTOさんから「高知に来ています」の電話。
 彼は、わが妻の尋子さんと昼食。
 平和資料館・草の家で尋子さん、僕と会話。
 NAさんら二人と飲食。
 そのあと、僕と、ひろめ市場で歓談。
 当時の大学祭のパンフレットを見せてもらいました。

 午前十時前から夕方までNIさんと平和資料館・草の家の資料室の整理。
 午後一時から高知県議会の傍聴。
 また、資料室の整理。

 夜、「四金」の会という親睦会に参加。
 与謝野晶子さんの好戦短歌を批判する僕に、みなあきれがお。
 えいやか、むかしのことやろという感じ。

  月曜日朝、あるテレビ局が草の家に取材にくることになりました。

 田山花袋の小説『蒲団』を読了。あわれな主人公。高校のとき読んだのと違う感じで受け取りました。

 「ふくい」さん。コメントありがとう。

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2013.03.24

二〇一三年三月二十四日 日曜日 【その二】 雲辺寺ヶ原の大日本帝国陸軍第十一師団の監視哨(かんししょう)=友人が現地から電話をくれました。

二〇一三年三月二十四日 日曜日 【その二】 雲辺寺ヶ原の大日本帝国陸軍第十一師団の監視哨(かんししょう)=友人が現地から電話をくれました。

 曇り。

 午後五時半前、八十八カ所巡礼中の友人・ARIさんから電話。
 「トーチカというたけど、トーチカやのうて監視哨やった。監視哨と看板の写真を撮った。」
 徳島県、香川県の境の雲辺寺周辺からだとのことです。
 同寺は、徳島県三好市池田町白地ノロウチ七六三の二、第六十六番札所です。
 その近くの雲辺寺ヶ原史跡広場にドーム型の監的哨(砲弾が着弾した場所を監視するための建物)が残っているとのことです。
 「ここの看板よむぜ」

 「雲辺寺山(海抜九一一メートル)の北西山麓に広がる丘陵地帯を雲辺寺ヶ原と称している。約四百ヘクタールにおよぶこの台地は約百二十万年前(新生代更新の時代)地殻の大変動によって、山の中腹から削り剥がれた岩礫が堆積してできた洪積層台地である。
  (中略)
 明治二十八年、日清戦争に勝利を得た日本は、富国強兵を国是として陸軍の増強を図った。翌二十九年、善通寺に陸軍第十一師団が設立され初代師団長として乃木希典中将が赴任した。
 明治三十三年には、この雲辺寺ヶ原が第十一師団の山砲射撃場の候補地として挙げられ、住民と再三にわたる交渉の結果、翌三十四年には陸軍用地となり以来四十五年の間、山砲の射撃場として砲声が谷間にこだました。
  (中略)
 かって四十有余年の間砲声の轟いていた台地は今また静寂と平和を取り戻し緑の大地に生まれ変わって、住民の憩いの丘となり、今や観光の拠点となっている。」

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二〇一三年三月二十四日 日曜日 【その一】 高知海軍航空隊の隊員だった人の話= 「竹やりと手榴弾二つを持たされて」など。終戦後の山砲隊陣地のことも。

二〇一三年三月二十四日 日曜日 【その一】 高知海軍航空隊の隊員だった人の話= 「竹やりと手榴弾二つを持たされて」など。終戦後の山砲隊陣地のことも。

 曇り。

 オートバイで出発。午前十一時、香南市香我美町下分(しもぶん)に到着。
 高知海軍航空隊の隊員だったKUさんのお話をお聞きしました。

 ・高知農業学校の途中で先生にいわれて甲種飛行予科練習生を受験して合格。
 ・松山市の松山海軍航空隊に。兵科は偵察。
 ・つぎに高知海軍航空隊に。十二分隊所属。
 ・一九四五年になって、アメリカ軍の空襲のときに、タコツボのような塹壕から機関銃で応戦し、少なくても一機のアメリカ軍のグラマン機を撃ち落しました。
 ・特攻に出る練習機・白菊の色を落す作業をやったことがあります。
 ・本隊から明見派遣隊に。介良野(けらの)の民家に住み、近くの山に横穴壕を掘りました。発破係もしました。
 ・七月四日の高知空襲のときは、「破壊隊」としてトラックで出動。はりまや橋の近くの、いまの西鉄インの近くの大きな防空壕のなかで高知海軍航空隊の兵士と若い女性が抱きあって死んでいたのも見ました。
 ・その後、明見から陣山の本隊に異動しました。八月十六日、住吉で爆発があったとき、上官から、偵察に現地に行くように命じられました。そのときは竹やりと手榴弾二つを持たされました。
 ・終戦になってることを知り解散にならないうち家に帰りました。
 ・家に帰ってから自分の家の山に登ったら満州から帰ってきたという陸軍の「護国部隊」がウチの山に山砲を上げていました。

 下分の、その「山砲の場所」に連れて行ってもらいました。
 KUさんの軽快なバイクに二五〇CCのオートバイでついていったのですが、「すべって谷に落ちたら…」とひやひやものでした。
 現場には、大きな横穴壕のくずれたのが二カ所ありました。
 当時の様子は、以下のようだったといいます。
 「山道から山砲を上げていた。頂上が平らにしてあり、そこに山砲を置いた。まわりにはタコツボがいくつかあった。その下の斜面に大きな横穴壕が二つつくられていた。山の松などを切り取って、その壕の支えをつくっていた。」
 雨が降りそうだったので、本日は撤退。また行って調査したいと思っています。

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【短歌】  「教育費、かかるもんねえ」 妻がいう…… 

 「教育費、かかるもんねえ」 妻がいう 僕の院での 授業料かね

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2013.03.25

二〇一三年三月二十五日 月曜日 【その一】  反戦ビラを配布した黒原善太郎さんの企画展のことを、NHK総合テレビの「こうち情報いちばん」が報じていました。

二〇一三年三月二十五日 月曜日 【その一】  反戦ビラを配布した黒原善太郎さんの企画展のことを、NHK総合テレビの「こうち情報いちばん」が報じていました。

 曇り。

 平和資料館・草の家から電話がありオートバイで香南市に「出動」。

 午後四時過ぎに解決しました。

 午後六時台のNHK総合テレビの「こうち情報いちばん」が平和資料館・草の家の、反戦ビラを配布した黒原善太郎さんの企画展のことを報じていました。

 妻は実家泊。 

  【英語の時間】

 I look back on my life like a good day's work.

 私は自分の人生をよく働いた1日の仕事のように振り返ります。

  I made a mistake.

ぼくが悪かった。

 It was selfish thing to do.

 自分勝手だった。

 I'm sorry.

 ごめん。

 

 

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二〇一三年三月二十五日 月曜日 【その二】  戦争壕の跡でしょうか。香南市の山のふもとで。

二〇一三年三月二十五日 月曜日 【その二】  戦争壕の跡でしょうか。香南市の山のふもとで。

 曇り。

Photo

 戦争壕の跡でしょうか。

 香南市の山のふもとで見つけました。

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【アジア太平洋戦争中の兵器】 九一式手榴弾って、どんなもの……。

  アジア太平洋戦争中の高知での陸軍、海軍の戦闘配置について調べています。

 ところが武器について無知。少し勉強しなければと思っています。

 仲間から「九一式手榴弾」についての情報提供がありました。

 僕もネットで調べてみました。

 以下、それについての情報があるページです。

 http://www.interq.or.jp/www-user/mahoroba/MUSEUM/display_room/smallarms/T91HG/T91HG.html

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%89%8B%E6%A6%B4%E5%BC%BE

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2013.03.27

二〇一三年三月二十六日 火曜日 南国市で花を撮影。名前は知りません。【写真一枚】

二〇一三年三月二十六日 火曜日 南国市で花を撮影。名前は知りません。
 

 晴れ。

 自宅→平和資料館・草の家で作業→工具などを購入→香南市野市で作業→帰りに南国市で花を撮影→自宅。

  途中、知り合いが香南市夜須の横穴壕のありかを教えてくれました。サンキュー。

 夜は家で『高知の戦争 証言と調査』の編集作業。
 あっ、もう「シンデレラ時間」を超えてしまいました。
 郵便物を三つ出してきて勝海舟の本を読みながらムムムという予定です。

 ここに花の写真をアップしました。

https://twitter.com/bqv01222/status/316573000524775424/photo/1

 揺らす風 やまった瞬間 押すシャッター 花の微笑み 写しとれたか

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二〇一三年三月二十七日 水曜日 香南市の、ある山のふもとの数十メートルの横穴壕【横穴壕の写真と陣地跡のイメージ図】。

二〇一三年三月二十七日 水曜日 香南市の、ある山のふもとの数十メートルの横穴壕【横穴壕の写真と陣地跡のイメージ図】。

 雨。

 午前九時過ぎ、FUさんがジープで自宅に迎えに来てくれました。
 彼のジープで香南市の、ある山の頂上付近までのぼり、二手に分かれて陣地跡の検索。
 砲陣地らしいもの、交通壕が、たくさんあります。
 私はふもとで「トーチカにしようと工事中だったような壕」を見つけました。
 壕は兵隊が入る側から右手にぬけていたようです。
 その付近にタコツボとおぼしきものがありました。
 左手の交通壕は一部はトンネルとなっています。
 付近に壕の崩れたものがあります。
 「陣地があったよ」
 FUさんに電話しました。
 「こっちに大きな横穴壕がある」
 合流して、FUさんの見つけた壕へ。
 「陣地」の左手に横穴壕がありました。
 まず彼が入りました。
 四十メートルはあるそうです。「乾燥している。奥に入ると空気がうすい」。
 交代で、僕が入りました(おそるおそる……)。

 https://twitter.com/bqv01222/status/316872705737641985/photo/1

図のなかの「数10m」は「数10cm」の間違いでした。

 https://twitter.com/bqv01222/status/316874630122061824/photo/1

 平地に行って、僕は休憩(実は午前三時まで起きていました……)。
 FUさんは、山道の周辺を探索しながらジープに向かいました。
 降りてきた彼は「コの字形のものなど、壕がたくさんあった。タコツボもたんさんあった。」

 一九四五年春から、ここに大日本帝国の陸軍部隊が展開していたのでしょうか。

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2013.03.28

【詩】 さびついた手榴弾 藤原義一

 僕らは
 動物公園の、はしっこの山の上を
 歩き回っていた。

 戦争のときの、交通壕といわれる塹壕が
 あっちへ、こっちへと
 のびている。
 
 下の動物公園では、
 ペンギンの鳴き声。
 集合する子どもたちのさんざめき。

 トンネルの出入口の跡があった。
 途中でつぶれている。
 でも、動物公園の向こう側につながっていたようだ。

 向こう側にまわりこむと、
 つながっているだろうトンネルが、大きな口を開けていた。
 途中から水がたまって、すみきった地下の池のようになっていた。
 池の左手には、弾薬をおいたような、くぼみがあった。
 
 それから何日かして
 池の水は、かなりひいて、
 トンネルの中から手榴弾が一つ見つかった。

 迷彩服の自衛隊員たちがやってきて、こういった。
 「旧軍のものです」
 彼らは、そのさびついたのを慎重に回収して、
 ジープでもち帰った。

 戦争は、トンネルの中で生きていた。

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二〇一三年三月二十八日 木曜日 妻は京都旅行。残された夫は……。

二〇一三年三月二十八日 木曜日 妻は京都旅行。残された夫は……。

 晴れ。

 妻は京都旅行へ。嵐山にも行くそうです。
 起きたらコンビニで買ったらしいおにぎりが残されていた。
 「これでもくらって、がんばりや」と、いうことか。

 取材の件で知り合いから電話。
 近くの道端でOさんと会って資料の交換。

 高知市曙町にいってインタビューと写真撮影。

 平和資料館・草の家に行って弁当を食べました。
 草の家にOさんが来ました。

 高知県立図書館に行って資料検索。

 高知文学学校へ行って二時間の授業を受けました。
 授業中に詩ができました。

 家に帰ってからネコにエサをやりましたが、自分の「三食目」は買ってきていませんでした。うーーん。

 電話三通。
 友人の世話で、室戸市で起きた戦後の爆発事件の犠牲者の遺族のお話を聞けることになりました。

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【短歌】海外で 女性はらませ 逃げてきた……。

 海外で 女性はらませ 逃げてきた
 森鴎外の
 「名作」という

批評家のいう「名作」って何?

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2013.03.29

二〇一三年三月二十九日 金曜日 香南市の手結、住吉の取材のための戦争遺跡地図づくり。

二〇一三年三月二十九日 金曜日 香南市の手結、住吉の取材のための戦争遺跡地図づくり。

 曇り。

 午後零時半、短い記事を一本送信しました。

 それにしても腹が減った。
 「朝、昼ごはん」をつくって食べました。

 一日に戦争体験者の話を聞くことができることになりました。

 午後二時四十分までに追加の記事二本と写真一枚を送信しました。
 少し疲れました。

 『高知の戦争 証言と調査』の編集作業。

 高知市のYOさんの所で、また陶器製の手榴弾が出てきたとのこと。

 香南市の手結、住吉の取材のための戦争遺跡地図づくり。
 これを見ながら現地を歩くと何かが見えてきそうです。

  夜、妻が旅行から帰ってきました。

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2013.03.31

二〇一三年三月三十日 土曜日 花見の山の横穴壕。

二〇一三年三月三十日 土曜日 花見の山の横穴壕。

 晴れ。

 朝、オートバイで高知市鴨田へ。
 通りがかりの同年配の女性に「ここらに喫茶店はありませんか」と聞いたら、ここと、あそこと……と教えてくれました。
 そして、「かつえちゅうかよ?」。
 飢えているのですかの意味です。

 高知県室戸市で戦後、爆発事故がありましたが、そのときの犠牲者の妻、一人娘にお会いすることができました。
 
 山の中腹で地域のお花見会。
 風邪でアルコールを飲める状態ではないのでノンアルコールビールを飲みました。
 会場のまわりを歩くと、やっぱり横穴壕の潰れたものがありました。ずりこむと入れそうです。
 ほかにもいくつかそれらしいものがありました。

 とにかく寝なくては……。早く治して山を歩きたい。

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二〇一三年三月三十一日 日曜日 「『イナズマイレブン』が見られないから……」。

二〇一三年三月三十一日 日曜日 「『イナズマイレブン』が見られないから……」。

 曇り。

 高知新聞の朝刊に「高知市池の浦戸海軍航空隊跡 旧日本軍の陶製手榴弾出土 敗戦後 大量爆破処分か 過去にも発見 史跡化求める声も」が掲載されました。福井康人さんのコメントつきです。

 やっと今夜、東京都の娘と、その二人の娘がやってくることになりました。
 ここまで遅れたのは小学六年生の上の娘が「高知では水曜日夜のテレビの『イナズマイレブン』が見れない」といやがったからのようです。
  インターネットで調べたらたくさん動画がアップされていました。少年たちのサッカーの話でした。
 娘もアニメ「聖闘士星矢」に熱中していましたが、彼女の「遺伝」でしょうか。

【英語の時間】

 お昼を食べに行きましょう。
 

 Let's go for lunch.

 この  for がでないんですよね。

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