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2013.04.29

【随筆】 都々逸(どどいつ)を勉強したいという女子学生。

 江戸時代の都々逸(どどいつ)を勉強したいという女子学生に出会ってカルチャーショックを受けました。
 「都々逸ってよくわからないけど、がんばって」。研究成果、楽しみにしています。
 ウィキペディアを読んでみました。
 都々逸は、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(一八〇四~一八五二年)によって大成された口語による定型詩です。 七・七・七・五の音数律に従うのが基本ですが、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もあります。
 三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物でした。おもに男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれます。
 都々逸が広まったのは、扇歌自身が優れた演じ手であっただけでなく、その節回しが比較的簡単であったことが大きい。扇歌の時代の江戸の人々は生来の唄好きであったため、誰でも歌える都々逸が江戸庶民に受け入れられ、大衆娯楽として広まりました。
 定席の寄席でも一日に一度も都々逸が歌われないことも珍しくありませんでした。
昭和の中頃までは、寄席では欠かせないものでした。

 ●「ボクのお気に入り都々逸」から。

 http://www2.nsknet.or.jp/~mshr/asobi/dodo1.htm

 あきらめましたよどう諦めた あきらめられぬとあきらめた

 逢うたその日の心になって 逢わぬその日も暮らしたい

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

 猪口々々(チョクチョク)逢う夜をひとつにまとめ 徳利(トックリ)話がしてみたい

 ながい話をつづめていへば 光源氏が生きて死ぬ

 日常、よく聞く歌の数々です。

 都々逸って、落語によく出てきますよねー。

 さがしたら都々逸と落語についてのサイトもありました。

  http://www.j-texts.com/dodo/rakudodo.html

 そういえば、高知の自由民権運動のなかで生まれた歌も都々逸だったようです。

 ●ツィッターでも都々逸のサイトがありました。

 https://twitter.com/dodoitubot

 で、僕の初都々逸。

 学びたいこと いっぱいあって 忙しそうな 若い人

 短歌なら。

 あれこれと まなびたいこと いっぱいで 忙しそうな 青年に会う

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コメント

都々一坊扇歌についてなら、明治元年の大行進という本の第二章に詳しく載っていますよ。

投稿: 河和恵一 | 2015.12.08 09:08

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