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2013.05.30

【右の手足がうごかん、言葉が出ん闘病日誌】 一〇一三年五月十四日 火曜日 「やばい。でも、いまは死ねん」。

【右の手足がうごかん、言葉が出ん闘病日誌】 一〇一三年五月十四日 火曜日 「やばい。でも、いまは死ねん」。

 晴れ。

 朝食をとって高知市内の大学へ。
 午前十時二十分から二時間目。
 昼食はサンドイッチ。
 午後零時十分ころ、学内を歩いているとき足に地がついていない感じ。おかしい。
 午後零時半から三時間目。英作文の時間。最初に英作文の十分間テスト。単語のスペルが出てこない。
 四時間目。ボールペンを落とす。なかなか拾えない。また落とす。
 授業の感想文も名前を書いただけ。
 五時間目。途中で「脳こうそくかもしれんこのままではいかん」。先生に「救急車を」といおうとしましたか声がでません。
 先生が察してくれて女子学生の携帯電話を借りて電話してくれました。
 みんなでベッドが入れるようなスペースをつくってくれました。
 やがてピーポーの音。
 大学の女性職員がついてくれました。
 救急車のなかで症状を聞かれましたが、ほとんどしゃべることができませんでした。
  「A病院へ行きます。」
 「いや。行きつけのK病院へ」
 「K病院には脳外科がありません。T病院は、ベッドがいっぱいです」 
 近くのA病院に運ばれました。
 まずは一階のER救急蘇生室。
 ここで医師に病状を聞かれましたが、ほとんど言葉が出ません。
 そして地下のMRIへ。
 「金属は持っていませんね。耳せんをはますよ」
 ものすごい音のなか、二十分ほど、ここで横たわりました。
 すべての段階で意識ははっきりしていて「やばいけ。でも、いまは死ねん。やっとかんことが、まだいっぱいある」と思っていました。
 MRIを出てきたところで口がきけるようになつていました。
 なめらかに経過をのべることができました。
 相手は若い女性の医師。
 「脳こうそくになりかけましたが、こうそくは残っていません。脱水気味でしたので、今後はひんぱんに水を飲んでください。二週間入院していただきます」
 「ずっとコーラをのんでいたんですけど……。リュックサックにもあります」
 「それは、利尿作用がありますので。水か茶にしてください」
 「(無理だとは思いつつ)あのう、病室にパソコン環境はありますか」
 英作文と反戦詩人・槇村浩の勉強をすすめておきたいと思ったからです。
 「いっさいありません。ICUです」
 部屋の外には妻がきてくれていました。
 胸に心電図の線、右腕に血圧計と線、左腕に酸素濃度を計る機械の線、これが計器につながっています。
 それに腕には点滴のチューブ。
 このかっこうで七階の集中治療室へ。
 しばらくして入室してきた妻に各方面への連絡を頼みました。
 十六日の記者会見のこと、二十六日の愛媛県でのシンポジウムの報告をパスすること、ホテルのキャンセルのこと、あすの飲み会の欠席のこと。
 荷物はもっていかれましたが、ワープロだけは確保しました。
 トイレに行きたい。合図をすると二人の男性看護士が来てくれました。車いすをついてくれました。
 妻がもう一度来てくれていました。
 迷惑な話ですが教室で悪くなって良かったと思いました。すぐに一〇九番してもらえました。これが一人のときだったら、そのまま逝っていたと思います。
 夜九時消灯。
 しかし、寝ることができません。
 ひっきりなしの救急車の音。
 同室の酸素マスクをした男性の苦悩にみちた大いびき。 
 「救急を…」 いおうとしたが 声出ない わが入院のはじめのシーン

 「名前は」に 答えられない人乗せて
 救急車両
 病院めざす

 グアングアンの MRAの 三十分
 抜け出てやっと
 言葉が戻った

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