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2013.05.04

【槇村浩の研究のために】一九三二年三月くらいまでのサトーハチロー、北原白秋、西條八十の「好戦的な小唄」ってどんなもの?

 一九三二年四月一日発行の雑誌『プロレタリア文学 四月号』を読んでいたら「好戦的な小唄を次々と発表してゐる」人としてサトーハチロー、北原白秋、西條八十の名があがっていました。
 どんな「小唄」をつくったのでしょうか。
 もしデータをお持ちでしたら、教えていただけませんでしょうか。

 私にいまわかっているのは、これらの人の、もう少しのちの「好戦的な小唄」です。

 たとえば、

 〇サトウハチロー(本名・佐藤八郎。一九〇三年五月二十三日~一九七三年十一月十三日)。
 ・「めんこい子馬)」。
 一九四〇年十二月にコロムビアレコードから発売された童謡。サトウ・ハチロー作詞、仁木他喜雄作曲。
 陸軍省選定・東宝映画『馬』(監督・山本嘉次郎、助監督・黒澤明、主演:高峰秀子)の主題歌としてつくられましたが、劇中では使われず、国民歌謡として、一九四一年一月十七日から松原操の歌で放送されました。
 歌は、少国民向けの軍歌ともいえるもの。

 一 ぬれた仔馬のたてがみを 撫でりゃ両手に朝の露 
   呼べば答えてめんこいぞ オーラ 掛けて行こうよ丘の道 
   ハイド ハイドウ 丘の道
 二 藁の上から育ててよ いまじゃ毛並みも光ってる 
   お腹こわすな風邪ひくな オーラ 元気に高くないてみろ
 三 ハイド ハイドウ ないてみろ
   紅い着物(べべ)より大好きな 仔馬にお話してやろか
   遠い戦地でお仲間が オーラ 手柄を立てたお話を
   ハイド ハイドウ お話を
 四 西のお空は夕焼けだ 仔馬かえろかおうちには
   お前のかあさん待っている オーラ 唱ってやろかよ山の唄
   ハイド ハイドウ 山の唄
 五 明日は市場かお別れか 泣いちゃいけない泣かないぞ
   軍馬になって行く日には オーラ みんなでバンザイしてやるぞ
   ハイド ハイドウ してやるぞ

 以下を参考しました。
 http://www.youtube.com/watch?v=casUFefi9lo
 http://www.youtube.com/watch?v=2b_UiixaVAA
 http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-gunba-elesy.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%93%E3%81%84%E4%BB%94%E9%A6%AC

 ・「勝利の日まで」。
 一九四四年三月十日、ニッチクレコード(のちの日本コロムビア)から発売された戦時歌。
 作詞・サトウ・ハチロー、作曲・編曲・仁木他喜雄。
 一九四四年、日本放送協会に委嘱して作られ、同名の映画に先立ち、同年三月十日、ニッチクレコード(のちの日本コロムビア)から発売されました。
 映画は、監督・成瀬巳喜男、脚本・サトウ・ハチロー。

 一 丘にはためく あの日の丸を
   仰ぎ眺める 我等の瞳
   何時かあふるる 感謝の涙
   燃えて来る来る 心の炎
   我等はみんな 力の限り
   勝利の日まで 勝利の日まで

 二 山で斧ふる おきなの腕も
   海の若者 櫓を漕ぐ腕も
   町の工場の 乙女の指も
   今日も来る来る お国のために
   我等はみんな 力の限り
   勝利の日まで 勝利の日まで

 三 雨の朝も 吹雪の夜半も
   思うは一つ ただただ一つ
   遠い戦地と 雄々しき姿
   浮かび来る来る ほほえむ顔が
   我等はみんな 力の限り
  勝利の日まで 勝利の日まで

 四 空に飛び行く 翼に祈り
   沖をすぎ行く 煙に誓う
   国を挙げての この戦に
   湧いて来る来る 撃ちてし止まん
   我等はみんな 力の限り
   勝利の日まで 勝利の日まで

 http://www.youtube.com/watch?v=b4asKSvVvxc
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%88%A9%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%BE%E3%81%A7
 http://www.geocities.jp/abm168/GUNKA/syori.html

 〇北原白秋(きたはらはくしゅう。一八八五年一月二十五日~一九四二年十一月二日)。
 「1930年(昭和5年)、南満洲鉄道の招聘により満洲旅行。帰途奈良に立寄り、しきりに家族旅行に出かける。1932年(昭和7年)、吉田一穂、大木惇夫と詩誌『新詩論』創刊。1933年(昭和8年)、行き違いから鈴木三重吉と絶交。以降『赤い鳥』に筆を執ることはなくなる。また同年の皇太子誕生の際には、奉祝歌『皇太子さまお生まれなつた』(作曲:中山晋平)を寄せる。1934年(昭和9年)、『白秋全集』完結。歌集『白南風』刊行。総督府の招聘により台湾に遊ぶ。」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E7%99%BD%E7%A7%8B

 〇西條 八十(さいじょうやそ。一八九二年一月十五日~一九七〇年八月十二日)。

 ・「若鷲の歌」。
 作詞・西條八十、作曲・古関裕而。
  海軍飛行予科練習生募集のための映画「決戦の大空へ」の挿入歌としてつくられました。
 ・「同期の桜」。
 作詞・西條八十、作曲・大村能章。
  原曲は「戦友の唄(二輪の桜)」という曲で、少女倶楽部一九三八年一月号に発表された西條の歌詞を元とし、とある海軍士官が勇壮にアレンジしたもの。
 ・「比島決戦の歌」。
 作詞・西條八十、作曲・古関裕而。
 読売新聞が軍の依頼を受けて西條と古関に依頼しました。
 一九四四年十二月十七日に発表会がおこなわれ、同年十二月二十六日に酒井弘、朝倉春子、ニッチク合唱団によってレコーディングされました

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A2%9D%E5%85%AB%E5%8D%81

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E6%AD%8C

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