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2013.05.30

【右の手足がうごかん、言葉が出ん闘病日誌】 二〇一三年五月二十八日 妻に手紙を代筆してもらいました。

【右の手足がうごかん、言葉が出ん闘病日誌】 二〇一三年五月二十八日 妻に手紙を代筆してもらいました。

 雨。

 妻が来たので、ある人への手紙を代筆してもらって、もっていってもらいました。

 SIさんが来てくれました。
 弟が来てくれました。

NIさんが、新聞のコピーを持ってきてくれました。高知市旭の防空壕跡のことを高知新聞がとりあげてくれました。夕刊でデカデカと。

 【ある人への手紙[高知の防空壕について] 要旨】

 昨日、うまくお話しできませんでしたのでメモにしました(入院中です)。

 ・一九三七年に防空法ができてから高知県かでも防空壕がつくられはじめます。←防空法の全文はインターネットで見ることができます。
 最初につくられた大規模なものは高知城の、すべり山のもののようです。これは跡がありませんが、『高知県警史 昭和編』に、つくられた時期、経過の記述、写真が載っています。←高知県立図書館二階の受付の右のコーナーにあります。書名は少し違うかもしれません。
 ・アジア太平洋戦争下で大規模なものがいくつもつくられたようです。
 高知市では、旭のものほかに、筆山町の要法寺の山側のもの(ほぼ完全な形で残っています。入口二つ、数十メートル、真ん中で崩れて行き来できなくなっています。これは平和資料館・草の家の岡村正弘館長、藤原が数年前に見せてもらっています。)
 比島の山のもの。これも数十メートルで道路からお寺まで貫通していたようです。←私は、その近くに住んでいた女性から聞きました。関彗星の関勉さんも、そのことを彼のホームページで書いていました。かれが中学生のころ、満州から来た陸軍錦(にしき)部隊の陣地構築作業に動員されていたころのことを書いた部分です。
 ・高知城の山のものは大小ありますが、十つ横穴壕のあとが残っています。このうち八つには「私も、ここに逃げ込んだ」という証言があります。小学生、女学生、高校生、農兵など。←これらの証言は昨年夏の高知市内での戦争展で展示しました。
 ・国民学校(いまの小学校)でも運動場などに防空壕をつくりました。←これについては各小学校の記念誌の年表の一九四四年、四五年分に出てくるケースがあります。高知市内ではありませんが、いの町の天王の団地の北東の池ノ内国民学校では二カ所、防空壕をつくっていたそうです。これは、藤原義一のツィッター五月六日分に出てきます。
 ・各家庭でも庭などにつくられていました。高知市役所前の堀の手前に自宅用の防空壕をつくったという話も聞きました。戦中世代の人に聞けば、たいてい「うちにあった防空壕は」という話をしてくれます。
 ・地域ごとの共同の防空壕もつくられました。共同の防空壕については岡村館長の話にもでてきますが、最近、私が確認したものでは鴨田の大きなマンションの脇に、地域の防空壕の跡があります。←地域の女性の証言を聞いて行ってみました。
 ・各地に防空壕の跡が残っています。たとえば高須の高須山には山を貫いたものがあります。いっぽうの側はコンクリートでふさがれています(これは高知市の工事のようです)が、もう一方はあいています。大津乙の隼人(はいと)神社の山にも三つ横穴壕の跡があります。当時、この付近に住んでいた女性は、空襲のとき、これらの一つに入ったといっています。
 ・防空壕か戦闘壕か不明ですが、高知市内の多くの山に横穴壕が残っています。
 錦部隊の本部があった介良の鉢伏山(はちぶせやま)
 呉鎮守府第十一特別陸戦隊(元浦戸海軍航空隊)の跡地(いまは医療センター、高知県立大学などに)
 最近見たものでは、つぎのようなものがあります。
 一宮や、あぞ野(計六つ) 錦部隊のつくったものか。
 大津などの高天ケ原山 高知海軍航空隊見派遣隊、錦部隊のつくったものか。
 大津の水源地の山。
 布師田(ぬのしだ)の山。

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