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2013.06.21

【反戦詩】 今村恒夫の「アンチの闘士」。

 反戦のたたかいに参加している人の思いを素材にした詩もあります。

 今村恒夫(一九〇八年~一九三六年十二月)の「アンチの闘士」です。
 『プロレタリア詩』の一九三二年一月号に載りました。

 彼は勇敢な反(×)帝同盟の闘士!
 奴はもぐって地球の外にでもいるようだが
 時々姿を見せては叫ぶ!
 「帝国(××)主義戦争絶対反対だ! ソヴェート同盟を守れ! 支那革命(××)を守れ!」と
 一太郎やーい親子がおれたちの村にやって来た時や
 桜井肉弾大佐の講演会があった時
 奴はみんなの前でおっぴらに云った
 電柱や壁に貼られた伝単も、時々ばらまかれるアンチのピラも奴の仕事だ
 カーキ服の憲(×)兵もサーベルも奴を血眼に探しているが……
 おお 勇敢な反(×)帝の闘士!

 野郎は誉ある? 軍門の生れだ
 野郎の老父は日露役の勇士!
 旅順港の攻撃で片足をなくした--
 戦(×)地に片足を残して帰って来ると、松葉杖をつき凪琴を鳴らして征露丸を売った。
 片足をなくしては小作百姓も出来ないので--
 小供は餓(ひも)じさを訴え乍[なが]らもふとっていった
 五人の子供は入営した
 次男は青島の役で戦死した。
 其時野郎は老父と共に悲しみはしなかった
 名誉の戦死だ! 功七級が輝いてら!
 奴も兵営で功七級を夢みたが
 胸を突かれ胸膜炎になって除隊になった。
 おお不幸なアンチの闘士!

 野郎は藁蒲団の上で考えた
 軍隊に崇られ通しで貧乏つづきの家庭の事を老父は征露丸を売って腹を千させた--名誉の勇士になった許

りに三人の兄貴は軍曹までこぎつけたが肩章だけでは飯は食えぬ
 肋膜をやられては働けぬ
 そして兄貴は白骨になって帰って来た
 何のために? 誰のために
 おおみじめなアンチの闘士!

 そのうち戦争(××)が始った
 村の若者達はおくられた。零下二十五度の嵐が荒ぶ戦場(××)に
 村人はみんな見送った。--村長や小学校長を先頭に
 若者達も元気で出て行った
 バンザーィ バンザーィ
 小作料も払えない家のことなどふり捨てて--国家の為--
 八千万国民のためだと
 ああだが間もなく故郷には入った情報は
 戦死! 負傷!
 おお 片腕や松葉杖や白骨の大量生産
 品物は払底するし物価は上った
 村長は戦死者を表彰したが村には乞食が増加した
 「えい 何時まで誑(たぶらか)かされておれるかい」
 野郎は藁蒲団の上から起ち上った。
 「これで闘わずにおれるかい。銃(×)は逆に! 俺達の敵は資本家だ!」
 そうだ! 我等のアンチの闘士!
 叫べ! 勇敢なアンチの闘士!

 「俺達の敵は資本家だ!」ではなかったと思いますが、本当の敵のことを書けないのが現実だったでしょう。

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