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2013.06.05

【ニュース】 高知市旭天神町の天神山を突き抜けた防空壕 あったことをご存じのかたはご一報を 山﨑忠信さんが呼びかけ。

 高知市旭天神町の山﨑忠信さんが「旭天神町の天神山(標高二五メートル)の下に大きな防空壕があったことをご存じのかたはご一報を」と、呼びかけています。
 六月五日現在、山﨑さんのもとには、一九四五年七月四日のアメリカ軍機の高知空襲のときに防空壕に避難した経験のある人や、壕の存在を知る人たちから情報は寄せられていますが、壕の存在を立証するために、なお多くの情報を得たいとしています。

 ● 天神山は浄水場の左手にあります。

 

 山﨑さんが、呼びかけを始めたきっかけは、昨年十一月四日、NHKテレビの番組の記事で、旭天神町(東)町内会の自主防災組織がおこなった津波避難訓練に参加した人々が、同地域の天神山の階段を登っていく様子を見たことです。
 山﨑さんが特に危険だと感じてた場所は、津波避難訓練のときに、大勢の参加者が避難した山頂の公園にいたる階段の登り口付近です。
 その階段の下には、当時は山の下を突き切っていた防空壕跡(高さ、幅とも二メートル超)があるのです。

 ● 天神山の防空壕があったのは、ここです。図は、山﨑忠信さんがつくったもの。

 

 ● 関連写真1

 ● 関連写真2

 高知市水道旭浄水場東門横から階段下を山頂の中央公園直下まで掘られ、さらに右に曲がり、浄水場西門付近に抜けていました。ここの土は柔らかい赤土。壕は素掘りでした。
 すでに二つの出入口はふさがれていますが、山﨑さんは、空洞の埋立て不足で、壕内部崩落による、階段の陥没が起こらないかという心配です。空洞には、地下水が溜まっているかもしれません。

 ● 天神山にあった防空壕は、こんなものでした。山﨑忠信さんが描いたものです。

 

 山﨑さんは、このことを高知市役所に知らせ、調査と安全対策を求めました。
 この訴えにこたえ、同市は、四月、階段の真上からボーリング調査をしました。深さ七メートルの地点で約九十センチの空洞を確認しました。しかし、同市の担当者は「防空壕の存在が確認できない。防空壕の記録もない」と、しています(この項、高知新聞の五月二十八日付夕刊の記事から)。
 そこで、山﨑さんは、広く市民から情報を集めて防空壕があったことを立証し、防空壕があったことを市に認めさせ、きちんとした調査をし、安全対策をとってもらおうとしています。

 アジア太平洋戦争中、山﨑さんの住んでいた場所は、防空壕のすぐ目と鼻の先の位置でした。
 高知空襲のとき、旭国民学校四年生だった山﨑さんは、この横穴壕に逃げ込みました。
 大勢の人々が、この横穴壕に着の身着のまま避難して来て、地下水の滴り落ちる壕内で震え慄いていた状況が今でも忘れられません。
 山﨑さんの記憶では、ここは、戦後二年間ほどは、子どもたちの秘密の基地や、遊び場となっていましたが、その後、内部崩落が始まり、危険を理由として入口に柵が設けられ、出入り禁止となって後、やがて浄水場東門側の入口はふさがれました。

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