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2013.06.07

【日本の文学の勉強】 樋口一葉『十三夜』の会話文がおもしろい。

 樋口一葉『十三夜』を読んで興味深かったのは、会話文が生きいきしていることです。

 登場人物は四人です。

 主人公の、お関。

 お関の父。

 お関の母。

 幼ななじみの録之助。

 夫の精神的虐待にたえかね、離縁の決意で実家へ帰ったお関。しかし、父の説得で婚家へ戻ることになります。傷心のお関を乗せた人力車の車夫は、初恋の人・録之助でした……。

 説明の文章を「ト書き」とし会話の部分を「セリフ」にすると、芝居のシナリオができあがりそうです。

 会話の所を印象強く読ませるために地の文を文語で美文調にしてある、これが、この小説の魅力の一つではないかと思いました。

 実際に、会話部分だけを抜きだしてみましたが、これを読みなおすと、この小説が、会話文を大事にした作品だということがわかりました。

この作品は一八九五年十二月の『文芸倶楽部』に掲載されたそうですが、当時の東京の庶民の話しぶりが伝わってくるような気がします。

 

 【以下、参考】

 以下のように、その「セリフ」を抜きだしてみました。

 父「いはゞ私《わし》も福人の一人、いづれも柔順《おとな》しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の慾さへ渇かねば此上に望みもなし、やれ/\有難い事」

父「誰れだ」

 お関「おほゝ」

 お関「お父樣《とつさん》私で御座んす」

父「や、誰れだ、誰れであつた」

父「ほうお關か、何だな其樣な處に立つて居て、何うして又此おそくに出かけて來た、車もなし、女中も連れずか、やれ/\ま早く中へ這入れ、さあ這入れ、何うも不意に驚かされたやうでまご/\するわな、格子は閉めずとも宜い、私《わ》しが閉める、兎も角も奧が好い、ずつとお月樣のさす方へ、さ、蒲團へ乘れ、蒲團へ、何うも疊が汚ないので大屋に言つては置いたが職人の都合があると言ふてな、遠慮も何も入らない着物がたまらぬから夫れを敷ひて呉れ、やれ/\何うして此遲くに出て來たお宅《うち》では皆お變りもなしか」

お関「はい誰れも時候の障りも御座りませぬ、私は申譯のない御無沙汰して居りましたが貴君もお母樣《つかさん》も御機嫌よくいらつしやりますか」

父「いや最う私は嚏《くさみ》一つせぬ位、お袋は時たま例の血の道と言ふ奴を始めるがの、夫れも蒲團かぶつて半日も居ればけろ/\[#「けろ/\」に傍点]とする病だから子細はなしさ」

お関「亥之《ゐの》さんが見えませぬが今晩は何處へか參りましたか、彼の子も替ず勉強で御座んすか」

母「亥之は今しがた夜學に出て行ました、あれもお前お蔭さまで此間は昇給させて頂いたし、課長樣が可愛がつて下さるので何れ位心丈夫であらう、是れと言ふも矢張原田さんの縁引《えん》が有るからだとて宅では毎日いひ暮して居ます、お前に如才は有るまいけれど此後とも原田さんの御機嫌の好いやうに、亥之は彼の通り口の重い質だし何れお目に懸つてもあつけ[#「あつけ」に傍点]ない御挨拶よりほか出來まいと思はれるから、何分ともお前が中に立つて私どもの心が通じるやう、亥之が行末をもお頼み申て置てお呉れ、ほんに替り目で陽氣が惡いけれど太郎さんは何時も惡戲《おいた》をして居ますか、何故に今夜は連れてお出でない、お祖父さんも戀しがつてお出なされた物を」

お関「連れて來やうと思ひましたけれど彼の子は宵まどひで最う疾うに寐ましたから其まゝ置いて參りました、本當に惡戲ばかりつのりまして聞わけとては少しもなく、外へ出れば跡を追ひまするし、家内《うち》に居れば私の傍ばつかり覘ふて、ほんに/\手が懸つて成ませぬ、何故彼樣で御座りませう」

母「今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子《いし/\》をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止《よし》なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、自宅《うち》で甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すてゝ今夜は昔しのお關になつて、外見《みえ》を構はず豆なり栗なり氣に入つたを喰べて見せてお呉れ、いつでも父樣と噂すること、出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お位の宜い方々や御身分のある奧樣がたとの御交際《おつきあひ》もして、兎も角も原田の妻と名告《なのつ》て通るには氣骨の折れる事もあらう、女子《をんな》どもの使ひやう出入りの者の行渡り、人の上に立つものは夫れ丈に苦勞が多く、里方が此樣な身柄では猶更のこと人に侮られぬやうの心懸けもしなければ成るまじ、夫れを種々《さま/″\》に思ふて見ると父さんだとて私だとて孫なり子なりの顏の見たいは當然《あたりまへ》なれど、餘りうるさく出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿着物に毛繻子の洋傘《かうもり》さした時には見す/\お二階の簾を見ながら、吁《あゝ》お關は何をして居る事かと思ひやるばかり行過ぎて仕舞まする、實家でも少し何とか成つて居たならばお前の肩身も廣からうし、同じくでも少しは息のつけやう物を、何を云ふにも此通り、お月見の團子をあげやうにも重箱《おぢう》からしてお恥かしいでは無からうか、ほんにお前の心遣ひが思はれる」

お関「本當に私は親不孝だと思ひまする、それは成程|和《やは》らかひ衣服《きもの》きて手車に乘りあるく時は立派らしくも見えませうけれど、父さんや母さんに斯うして上やうと思ふ事も出來ず、いはゞ自分の皮一重、寧そ賃仕事してもお傍で暮した方が餘つぽど快よう御座います」

父「馬鹿、馬鹿、其樣な事を假にも言ふてはならぬ、嫁に行つた身が實家《さと》の親の貢をするなどゝ思ひも寄らぬこと、家に居る時は齋藤の娘、嫁入つては原田の奧方ではないか、勇さんの氣に入る樣にして家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとて夫れ丈の運のある身ならば堪へられぬ事は無い筈、女などゝ言ふ者は何うも愚痴で、お袋などが詰らぬ事を言ひ出すから困り切る、いや何うも團子を喰べさせる事が出來ぬとて一日大立腹であつた、大分熱心で調製《こしらへ》たものと見えるから十分に喰べて安心させて遣つて呉れ、餘程|甘《うま》からうぞ」

 父「こりやモウ程なく十時になるが關は泊つて行つて宜いのかの、歸るならば最う歸らねば成るまいぞ」

お関「御父樣私は御願ひがあつて出たので御座ります、何うぞ御聞遊ばして」

父「改まつて何かの」

お関「私は今宵限り原田へ歸らぬ決心で出て參つたので御座ります、勇が許しで參つたのではなく、彼の子を寐かして、太郎を寐かしつけて、最早あの顏を見ぬ決心で出て參りました、まだ私の手より外誰れの守りでも承諾《しようち》せぬほどの彼の子を、欺して寐かして夢の中に、私は鬼に成つて出て參りました、御父樣、御母樣、察して下さりませ私は今日まで遂ひに原田の身に就いて御耳に入れました事もなく、勇と私との中を人に言ふた事は御座りませぬけれど、千度《ちたび》も百度《もゝたび》も考へ直して、二年も三年も泣盡して今日といふ今日どうでも離縁を貰ふて頂かうと決心の臍をかためました、何うぞ御願ひで御座ります離縁の状を取つて下され、私はこれから内職なり何なりして亥之助が片腕にもなられるやう心がけますほどに、一生一人で置いて下さりませ」

 父母「夫れは何ういふ子細で」

お関「今までは默つて居ましたれど私の家の夫婦《めをと》さし向ひを半日見て下さつたら大底御解りに成ませう、物言ふは用事のある時|慳貪《けんどん》に申つけられるばかり、朝起まして機嫌をきけば不圖脇を向ひて庭の草花を態とらしき褒め詞、是にも腹はたてども良人の遊ばす事なればと我慢して私は何も言葉あらそひした事も御座んせぬけれど、朝飯あがる時から小言は絶えず、召使の前にて散々と私が身の不器用不作法を御並べなされ、夫れはまだ/\辛棒もしませうけれど、二言目には教育のない身、教育のない身と御蔑《おさげす》みなさる、それは素より華族女學校の椅子にかゝつて育つた物ではないに相違なく、御同僚の奧樣がたの樣にお花のお茶の、歌の畫のと習ひ立てた事もなければ其御話しの御相手は出來ませぬけれど、出來ずは人知れず習はせて下さつても濟むべき筈、何も表向き實家の惡《わ》るいを風聽なされて、召使ひの婢女《をんな》どもに顏の見られるやうな事なさらずとも宜かりさうなもの、嫁入つて丁度半年ばかりの間は關や關やと下へも置かぬやうにして下さつたけれど、あの子が出來てからと言ふ物は丸で御人が變りまして、思ひ出しても恐ろしう御座ります、私はくら闇の谷へ突落されたやうに暖かい日の影といふを見た事が御座りませぬ、はじめの中は何か串談に態とらしく邪慳に遊ばすのと思ふて居りましたけれど、全くは私に御飽きなされたので此樣《かう》もしたら出てゆくか、彼樣《あゝ》もしたら離縁をと言ひ出すかと苦《いぢ》めて苦めて苦め拔くので御座りましよ、御父樣も御母樣も私の性分は御存じ、よしや良人が藝者狂ひなさらうとも、圍い者して御置きなさらうとも其樣な事に悋氣《りんき》する私でもなく、侍婢《をんな》どもから其樣な噂も聞えまするけれど彼れほど働きのある御方なり、男の身のそれ位はありうちと他處行《よそゆき》には衣類《めしもの》にも氣をつけて氣に逆らはぬやう心がけて居りまするに、唯もう私の爲る事とては一から十まで面白くなく覺しめし、箸の上げ下しに家の内の樂しくないは妻が仕方が惡いからだと仰しやる、夫れも何ういふ事が惡い、此處が面白くないと言ひ聞かして下さる樣ならば宜けれど、一筋に詰らぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手にはならぬの、いはゞ太郎の乳母として置いて遣はすのと嘲つて仰しやる斗《ばかり》、ほんに良人といふではなく彼の御方は鬼で御座りまする、御自分の口から出てゆけとは仰しやりませぬけれど私が此樣な意久地なしで太郎の可愛さに氣が引かれ、何うでも御詞に異背せず唯々《はい/\》と御小言を聞いて居りますれば、張も意氣地《いきぢ》もない愚《ぐ》うたらの奴、それからして氣に入らぬと仰しやりまする、左うかと言つて少しなりとも私の言條を立てて負けぬ氣に御返事をしましたら夫を取《とつ》こに出てゆけと言はれるは必定、私は御母樣出て來るのは何でも御座んせぬ、名のみ立派の原田勇に離縁されたからとて夢さら殘りをしいとは思ひませぬけれど、何にも知らぬ彼の太郎が、片親に成るかと思ひますると意地もなく我慢もなく、詫て機嫌を取つて、何でも無い事に恐れ入つて、今日までも物言はず辛棒して居りました、御父樣《おとつさん》、御母樣《おつかさん》、私は不運で御座ります」

 母「阿關《おせき》が十七の御正月、まだ門松を取もせぬ七日の朝の事であつた、舊《もと》の猿樂町《さるがくちやう》の彼の家の前で、御隣の小娘《ちひさいの》と追羽根して、彼の娘《こ》の突いた白い羽根が通り掛つた原田さんの車の中へ落たとつて、夫れを阿關が貰ひに行きしに其時はじめて見たとか言つて人橋かけてやい/\と貰ひたがる、御身分がらにも釣合ひませぬし、此方はまだ根つからの子供で何も稽古事も仕込んでは置ませず、支度とても唯今の有樣で御座いますからとて幾度斷つたか知れはせぬけれど、何も舅姑のやかましいが有るでは無し、我《わし》が欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取つてからでも充分させられるから其心配も要らぬ事、兎角くれさへすれば大事にして置かうからと夫は夫は火のつく樣に催促して、此方から強請《ねだつ》た譯ではなけれど支度まで先方《さき》で調へて謂はゞ御前は戀女房、私や父樣が遠慮して左のみは出入りをせぬといふも勇さんの身分を恐れてゞは無い、これが妾《めかけ》手《て》かけに出したのではなし正當《しやうたう》にも正當にも百まんだら頼みによこして貰つて行つた嫁の親、大威張に出這入しても差つかへは無けれど、彼方が立派にやつて居るに、此方が此通りつまらぬ活計《くらし》をして居れば、お前の縁にすがつて聟の助力《たすけ》を受けもするかと他人樣の處思《おもはく》が口惜しく、痩せ我慢では無けれど交際だけは御身分相應に盡して、平常は逢いたい娘の顏も見ずに居まする、夫れをば何の馬鹿々々しい親なし子でも拾つて行つたやうに大層らしい、物が出來るの出來ぬのと宜く其樣な口が利けた物、默つて居ては際限もなく募つて夫れは夫れは癖に成つて仕舞ひます、第一は婢女どもの手前奧樣の威光が削げて、末には御前の言ふ事を聞く者もなく、太郎を仕立るにも母樣を馬鹿にする氣になられたら何としまする、言ふだけの事は屹度言ふて、それが惡るいと小言をいふたら何の私にも家が有ますとて出て來るが宜からうでは無いか、實《ほん》に馬鹿々々しいとつては夫れほどの事を今日が日まで默つて居るといふ事が有ります物か、餘り御前が温順し過るから我儘がつのられたのであろ、聞いた計でも腹が立つ、もう/\退けて居るには及びません、身分が何であらうが父もある母もある、年はゆかねど亥之助といふ弟もあればその樣な火の中にじつとして居るには及ばぬこと、なあ父樣一遍勇さんに逢ふて十分油を取つたら宜う御座りましよ」

 父「あゝ御袋、無茶の事を言ふてはならぬ、我しさへ初めて聞いて何うした物かと思案にくれる、阿關の事なれば並大底で此樣な事を言ひ出しさうにもなく、よく/\愁《つ》らさに出て來たと見えるが、して今夜は聟どのは不在《るす》か、何か改たまつての事件でもあつてか、いよ/\離縁するとでも言はれて來たのか」

お関「良人は一昨日より家へとては歸られませぬ、五日六日と家を明けるは平常《つね》の事、左のみ珍らしいとは思ひませぬけれど出際に召物の揃へかたが惡いとて如何ほど詫びても聞入れがなく、其品《それ》をば脱いで擲《たゝ》きつけて、御自身洋服にめしかへて、吁《あゝ》、私《わし》位不仕合の人間はあるまい、御前のやうな妻を持つたのはと言ひ捨てに出て御出で遊ばしました、何といふ事で御座りませう一年三百六十五日物いふ事も無く、稀々言はれるは此樣な情ない詞をかけられて、夫れでも原田の妻と言はれたいか、太郎の母で候と顏おし拭つて居る心か、我身ながら我身の辛棒がわかりませぬ、もう/\もう私は良人《つま》も子も御座んせぬ嫁入せぬ昔しと思へば夫れまで、あの頑是ない太郎の寢顏を眺めながら置いて來るほどの心になりましたからは、最う何うでも勇の傍に居る事は出來ませぬ、親はなくとも子は育つと言ひまするし、私の樣な不運の母の手で育つより繼母御なり御手かけなり氣に適ふた人に育てゝ貰ふたら、少しは父御も可愛がつて後々あの子の爲にも成ませう、私はもう今宵かぎり何うしても歸る事は致しませぬ」

 父「無理は無い、居愁らくもあらう、困つた中に成つたものよ」

父「不相應の縁につながれて幾らの苦勞をさする事と哀れさの増れども、いや阿關こう言ふと父が無慈悲で汲取つて呉れぬのと思ふか知らぬが決して御前を叱るではない、身分が釣合はねば思ふ事も自然違ふて、此方は眞から盡す氣でも取りやうに寄つては面白くなく見える事もあらう、勇さんだからとて彼《あ》の通り物の道理を心得た、利發の人ではあり隨分學者でもある、無茶苦茶にいぢめ立る譯ではあるまいが、得て世間に褒め物の敏腕家《はたらきて》などと言はれるは極めて恐ろしい我まゝ物、外では知らぬ顏に切つて廻せど勤め向きの不平などまで家内へ歸つて當りちらされる、的に成つては隨分つらい事もあらう、なれども彼れほどの良人を持つ身のつとめ、區役所がよひの腰辨當が釜の下を焚きつけて呉るのとは格が違ふ、隨つてやかましくもあらう六づかしくもあろう夫を機嫌の好い樣にとゝのへて行くが妻の役、表面《うはべ》には見えねど世間の奧樣といふ人達の何れも面白くをかしき中ばかりは有るまじ、身一つと思へば恨みも出る、何の是れが世の勤めなり、殊には是れほど身がらの相違もある事なれば人一倍の苦もある道理、お袋などが口廣い事は言へど亥之が昨今の月給に有ついたも必竟は原田さんの口入れではなからうか、七光《なゝひかり》どころか十光《とひかり》もして間接《よそ》ながらの恩を着ぬとは言はれぬに愁らからうとも一つは親の爲弟の爲、太郎といふ子もあるものを今日までの辛棒がなるほどならば、是れから後とて出來ぬ事はあるまじ、離縁を取つて出たが宜いか、太郎は原田のもの、其方は齋藤の娘、一度縁が切れては二度と顏見にゆく事もなるまじ、同じく不運に泣くほどならば原田の妻で大泣きに泣け、なあ關さうでは無いか、合點がいつたら何事も胸に納めて知らぬ顏に今夜は歸つて、今まで通りつゝしんで世を送つて呉れ、お前が口に出さんとても親も察しる弟《おとゝ》も察しる、涙は各自《てんで》に分て泣かうぞ」

お関「夫れでは離縁をといふたも我まゝで御座りました、成程太郎に別れて顏も見られぬ樣にならば此世に居たとて甲斐もないものを、唯目の前の苦をのがれたとて何うなる物で御座んせう、ほんに私さへ死んだ氣にならば三方四方波風たゝず、兎もあれ彼の子も兩親の手で育てられまするに、つまらぬ事を思ひ寄まして、貴君にまで嫌やな事をお聞かせ申しました、今宵限り關はなくなつて魂一つが彼の子の身を守るのと思ひますれば良人のつらく當る位百年も辛棒出來さうな事、よく御言葉も合點が行きました、もう此樣な事は御聞かせ申しませぬほどに心配をして下さりますな」

母「何といふ此娘は不仕合」

父「今宵は月もさやかなり、廣小路へ出づれば晝も同樣、雇ひつけの車宿とて無き家なれば路ゆく車を窓から呼んで、合點が行つたら兎も角も歸れ、主人《あるじ》の留守に斷なしの外出、これを咎められるとも申譯の詞は有るまじ、少し時刻は遲れたれど車ならばつひ一ト飛、話しは重ねて聞きに行かう、先づ今夜は歸つて呉れ」

お関「お父樣、お母樣、今夜の事はこれ限り、歸りまするからは私は原田の妻なり、良人を誹《そし》るは濟みませぬほどに最う何も言ひませぬ、關は立派な良人を持つたので弟の爲にも好い片腕、あゝ安心なと喜んで居て下されば私は何も思ふ事は御座んせぬ、決して決して不了簡など出すやうな事はしませぬほどに夫れも案じて下さりますな、私の身體は今夜をはじめに勇のものだと思ひまして、彼の人の思ふまゝに何となりして貰ひましよ、夫では最う私は戻ります、亥之さんが歸つたらば宜しくいふて置いて下され、お父樣もお母樣も御機嫌よう、此次には笑ふて參りまする」

母「駿河臺まで何程《いくら》でゆく」

お関「あ、お母樣それは私がやりまする、有がたう御座んした」

録之助「誠に申かねましたが私はこれで御免を願ひます、代は入りませぬからお下りなすつて」

お関「あれお前そんな事を言つては困るではないか、少し急ぎの事でもあり増しは上げやうほどに骨を折つてお呉れ、こんな淋しい處では代りの車も有るまいではないか、それはお前人困らせといふ物、愚圖らずに行つてお呉れ」

録之助「増しが欲しいと言ふのでは有ませぬ、私からお願ひです何うぞお下りなすつて、最う引くのが厭やに成つたので御座ります」

お関「夫ではお前加減でも惡るいか、まあ何うしたといふ譯、此處まで挽《ひ》いて來て厭やに成つたでは濟むまいがね」

録之助「御免なさいまし、もう何うでも厭やに成つたのですから」

お関「お前は我まゝの車夫《くるまや》さんだね、夫ならば約定《きめ》の處までとは言ひませぬ、代りのある處まで行つて呉れゝば夫でよし、代はやるほどに何處か※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]邊《そこ》らまで、切めて廣小路までは行つてお呉れ」

録之助「成るほど若いお方ではあり此淋しい處へおろされては定めしお困りなさりませう、これは私が惡う御座りました、ではお乘せ申ませう、お供を致しませう、嘸お驚きなさりましたろう」

お関「もしやお前さんは」

録之助「ゑ」

お関「あれお前さんは彼のお方では無いか、私をよもやお忘れはなさるまい」

録之助「貴孃《あなた》は齋藤の阿關さん、面目も無い此樣《こん》な姿《なり》で、背後《うしろ》に目が無ければ何の氣もつかずに居ました、夫れでも音聲《ものごゑ》にも心づくべき筈なるに、私は餘程の鈍に成りました」

御関「いゑ/\私だとて往來で行逢ふた位ではよもや貴君と氣は付きますまい、唯た今の先まで知らぬ他人の車夫さんとのみ思ふて居ましたに御存じないは當然《あたりまへ》、勿體ない事であつたれど知らぬ事なればゆるして下され、まあ何時から此樣な業《こと》して、よく其か弱い身に障りもしませぬか、伯母さんが田舍へ引取られてお出なされて、小川町《をがはまち》のお店をお廢めなされたといふ噂は他處《よそ》ながら聞いても居ましたれど、私も昔しの身でなければ種々《いろ/\》と障る事があつてな、お尋ね申すは更なること手紙あげる事も成ませんかつた、今は何處に家を持つて、お内儀さんも御健勝《おまめ》か、小兒《ちツさい》のも出來てか、今も私は折ふし小川町の勸工場|見物《み》に行まする度々、舊のお店がそつくり其儘同じ烟草店の能登《のと》やといふに成つて居まするを、何時通つても覗かれて、あゝ高坂《かうさか》の録《ろく》さんが子供であつたころ、學校の行返《ゆきもど》りに寄つては卷烟草のこぼれを貰ふて、生意氣らしう吸立てた物なれど今は何處に何をして、氣の優しい方なれば此樣な六づかしい世に何のやうの世渡りをしてお出ならうか、夫れも心にかゝりまして、實家へ行く度に御樣子を、もし知つても居るかと聞いては見まするけれど、猿樂町を離れたのは今で五年の前、根つからお便りを聞く縁がなく、何んなにお懷しう御座んしたらう」

録之助「お恥かしい身に落まして今は家と言ふ物も御座りませぬ、寢處は淺草町の安宿、村田といふが二階に轉がつて、氣に向ひた時は今夜のやうに遲くまで挽く事もありまするし、厭やと思へば日がな一日ごろ/\として烟のやうに暮して居まする、貴孃《あなた》は相變らずの美くしさ、奧樣にお成りなされたと聞いた時から夫でも一度は拜む事が出來るか、一生の内に又お言葉を交はす事が出來るかと夢のやうに願ふて居ました、今日までは入用のない命と捨て物に取あつかふて居ましたけれど命があればこその御對面、あゝ宜く私を高坂の録之助と覺えて居て下さりました、辱《かたじけ》なう御座ります」

お関「してお内儀さんは」

録之助「御存じで御座りましよ筋向ふの杉田やが娘、色が白いとか恰好が何うだとか言ふて世間の人は暗雲《やみくも》に褒めたてた女《もの》で御座ります、私が如何にも放蕩《のら》をつくして家へとては寄りつかぬやうに成つたを、貰ふべき頃に貰はぬからだと親類の中の解らずやが勘違ひして、彼れならばと母親が眼鏡にかけ、是非もらへ、やれ貰へと無茶苦茶に進めたてる五月蠅《うるさ》さ、何うなりと成れ、成れ、勝手に成れとて彼れを家へ迎へたは丁度貴孃が御懷妊だと聞ました時分の事、一年目には私が處にもお目出たうを他人からは言はれて、犬張子《いぬはりこ》や風車を並べたてる樣に成りましたれど、何のそんな事で私が放蕩のやむ事か、人は顏の好い女房を持たせたら足が止まるか、子が生れたら氣が改まるかとも思ふて居たのであらうなれど、たとへ小町と西施《せいし》と手を引いて來て、衣通姫《そとほりひめ》が舞を舞つて見せて呉れても私の放蕩は直らぬ事に極めて置いたを、何で乳くさい子供の顏見て發心が出來ませう、遊んで遊んで遊び拔いて、呑んで呑んで呑み盡して、家も稼業もそつち除けに箸一本もたぬやうに成つたは一昨々年《さきをとゝし》、お袋は田舍へ嫁入つた姉の處に引取つて貰ひまするし、女房は子をつけて實家《さと》へ戻したまゝ音信《いんしん》不通、女の子ではあり惜しいとも何とも思ひはしませぬけれど、其子も昨年の暮チプスに懸つて死んださうに聞ました、女はませな物であり、死ぬ際には定めし父樣とか何とか言ふたので御座りましよう、今年居れば五つになるので御座りました、何のつまらぬ身の上、お話しにも成りませぬ。」「貴孃といふ事も知りませぬので、飛んだ我まゝの不調法、さ、お乘りなされ、お供しまする、嘸《さぞ》不意でお驚きなさりましたろう、車を挽くと言ふも名ばかり、何が樂しみに轅棒《かぢぼう》をにぎつて、何が望みに牛馬の眞似をする、錢が貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快なか、考へれば何も彼も悉皆《しつかい》厭やで、お客樣を乘せやうが空車《から》の時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする、呆れはてる我まゝ男、愛想が盡きるでは有りませぬか、さ、お乘りなされ、お供をします」

お関「あれ知らぬ中は仕方もなし、知つて其車《それ》に乘れます物か、夫れでも此樣な淋しい處を一人ゆくは心細いほどに、廣小路へ出るまで唯道づれに成つて下され、話しながら行ませう」

 お関「録さんこれは誠に失禮なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は澤山《たんと》あるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、隨分からだを厭ふて煩らはぬ樣に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、蔭ながら私も祈ります、何うぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります處を見せて下され、左樣ならば」  

録之助「お辭儀申す筈なれど貴孃のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞ」

以上、テキストは「青空文庫」のものを使用しました。

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