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2013.07.24

連載 二十五 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【吉田は、科学的社会主義に興味を持つようになります。】

 一九二七年四月、高知県立中学海南学校の二年生に編入した吉田は、この科学的社会主義に興味を持つようになります。
 ここで、当時の科学的社会主義の運動について少し書いておきます。
 カール・マルクス(一八一八年五月五日~一八八三年三月十四日)はドイツ人で科学的社会主義をうちたてました。それは、人民大衆の力こそが歴史をつくり社会進歩をおしすすめるという考え方です。
  日本でも、彼の考えかたを学ぶ人が出てきました。
 一九二〇年六月十五日、高畠素之訳でカール・マルクスの『資本論』刊行されます(一九二四年完結)。
 一九二二年七月十五日、科学的社会主義の党・日本共産党が創立されました。
 一九二三年四月五日、日本共産党とともに歩む青年団体・日本共産青年同盟が創立されました。
 同年九月一日の関東大震災の混乱に乗じて日本共産青年同盟委員長の川合義虎ら十人が、東京・亀戸署で軍隊に虐殺されます(九月三日から四日)。
 一九二五年四月二十二日、日本共産党などを標的に、天皇制政府は治安維持法を制定しました。「国体を変革」「私有財産制度を否認」することを目的とする結社の組織・加入・扇動・財政援助を罰するとしました。「国体」とは天皇が絶対的な権力をもつ戦前の政治体制で、「私有財産制度を否認」とは社会主義的な思想や運動をねじまげて描いた政府の表現です。この法律は、結社そのものを罰する点でも、思想や研究までも弾圧する点でも、前例のないものでした。
 同年九月二十六日、日本共産党の影響が強い無産者新聞が創刊されました。
 同年十月一日、無産者新聞(第二号)が「支邦から手をひけ」、「支邦の解放運動を熱烈に応援せよ」と訴えました。
 一九二七年一月十五日、無産者新聞は「対支非干渉運動を全国に起こせ!」と訴えました。
 同年二月二十六日には、無産者新聞が「即時撤兵を要求せよ――対支非干渉同盟を組織せよ」の社説を発表します。
 同年五月二十八日の無産者新聞は、第一次山東出兵のねらいを暴露し「支邦から手を引け」、「出兵に断固反対せよ」と主張しました。
 同月三十一日、日本で対支非干渉全国同盟が結成されます(一九二八年には戦争反対同盟に発展します)。
 一九二八年二月一日、日本共産党は、中央機関紙「赤旗」を創刊します。
 同年三月十五日、政府は日本共産党、労農党、日本労働組合全国評議会、無産青年同盟の千五百六十八人を検挙しました(三・一五事件)。そして、四百八十四人を治安維持法違反で起訴しました。
 同年三月二十五日、全国無産者芸術連盟が結成されます。プロレタリア文学の陣営は、いくつかの団体がありました。そのなかで日本プロレタリア芸術連盟=中野重治たちが所属=と前衛芸術家同盟=蔵原惟人、上野壮夫たちが所属=とは、同年三月十五日の弾圧をきっかけに、組織の合同をはかり、同年三月二十五日、全日本無産者芸術連盟を結成しました。日本プロレタリア芸術連盟、前衛芸術家同盟、雑誌『大学左派』の高見順、アナキズム系の三好十郎、江口渙、壺井繁治らを包括しました。

 いっぽうで、この時期、ソビエト社会主義共和国連邦は、国民と世界の敵対物になっていっていました。

 一九二九年七月ころ、ソビエト社会主義共和国連邦のスターリンが農業の強制集団化を開始、階級としての富農の絶滅政策を強行しました。同年七月、ソビエト社会主義共和国連邦は満州に侵攻し(中東路事件)、中華民国軍を破ると同年十二月二十二日にハバロフスク議定書を締結し満州における影響力を強めました。
 その後も、その状態は悪化しました。
 〈(前略)30年代のなかば、ソ連国内では、革命と社会主義のために身をささげた何万何十万、さらにはそれを超える人たちが「外国帝国主義の手先」という無実の罪を着せられてテロの犠牲になりました。コミンテルンで活動していたわが党[日本共産党]の山本懸蔵などの同志を含め、多くの外国の共産党員もそれに巻き込まれました。
 その嵐が過ぎたあと、ソ連は、スターリンがすべての重要政策を1人で決定する、だれもがそれに無条件に従うという専制国家にすっかり変わっていたのです。
 スターリンは、この体制をつくりあげると、ソ連の領土と勢力圏の拡大を国家の至上目的とする大国主義、覇権主義の道に乗り出しました。まず、ヨーロッパで大戦が始まる直前、それまで掲げていたファシズム反対の旗を捨てて、ヒトラー・ドイツと手を結び、秘密条約(39年8月)で東ポーランド、バルト3国などを併合してしまったのです。(後略)〉(不破哲三「日本共産党創立90周年記念講演会 日本共産党の九十年をふりかえる」=しんぶん赤旗。二〇一二年七月二十一日)。

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