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2013.07.25

連載 四十二 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【高知市の陸軍歩兵第四十四連隊に出動命令。】

 一九三二年二月、高知県でも侵略戦争熱が高まっていました。
 二月六日の大阪朝日新聞高知版が「軽爆撃機を献納 愛国心の発露とし 一般[高知]県民の手により」の記事を載せました。軽飛行機の購入費約八万円を県民の寄付によって賄おうと、県と軍司令部が働きかけているという内容でした。
 二月九日、高知連隊に高岡郡川内村・金子正美さんからの小包郵便が届きました。その中には、大判奉書紙に「自分は女ではあるが今回の事変に何かの御用に立てゝもらひたい」との血書したものが入っていました。また、一尺四角の白木綿に赤十字が血で書いたものも入っていました。川内村の「十九年」の人でした(大阪朝日新聞高知版、一九三二年二月二十三日付)。
 大阪朝日新聞社が、同社特派員が撮影した「上海総攻撃」などの映画を連続的に上映しました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年二月九日付、十二日付、十三日付、十四日付、十八日付)。
 ○ 二月九日夜、高知市の潮江自動車学校練習所、高知市の第一小学校、高知市の下地(しもぢ)小学校で。
 ○ 二月十二日夜、高知市の潮江自動車学校練習所、高知市の第四小学校校庭、高知市の朝倉曙座で。
 ○ 二月十三日夜、高知市外、秦村(はだむら)小学校で。
 ○ 二月十四日夜、高知市外、一宮村(いっくむら)小学校で。
 ○ 二月十八日夜、長岡郡稲生村(いなぶむら)小学校で。
 二月二十四日、高知県学務部長が県下市町村長に「下士卒その他支那派遣軍の戦死者の遺族傷病兵の家庭に対する救護および慰藉(いしゃ)ついてはすでに配慮中と思ふが、軍事救護法による救護については要救護者を調査し必要あるものには出願させまた救護法に該当しない者でも必要ある者に対しては軍人救護資金を活用し軍人援護団体の活動を促すなど救護に万遺憾なきを期し派遣兵をして後顧(こうこ)の憂ひなからしめるよう配意ありたし」との通牒(つうちょう)を発しました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年二月二十六日付)。
 軍事救護法は、一九一七年に制定された、傷病兵および戦死者の遺家族にたいする救護法です。
 そんななかの二月二十三日(「肉弾三勇士」が戦死した翌日)、陸軍第十一師団(香川県善通寺)に緊急動員令が下りました。
 同師団に属する陸軍歩兵第四十四連隊(高知県朝倉村。秦雅尚連隊長)は、この動員令によって、二月二十八日、兵営を出発し、中国の上海(しゃんはい)に向かいました。
 陸軍歩兵第四十四連隊の『連隊歴史』(一九三六年三月)は、このときの様子を「二月二十八日屯営出発沿道官民の熱誠なる見送り裡に二月二十九日筑波丸、八雲丸に乗船須崎港帆征途に就く」と書いています。

 三月三日、善通寺師団の「土佐部隊」が上海の砲台占拠に参加しました。
 三月四日、出征軍人の遺家族保護、恤兵(じゅっぺい)をするための官民合同の高知県恤兵団を結成しました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月六日付。見出しは「県恤兵団を 組織して活躍 出征軍人に後顧の憂ひを 絶対に持たすな」)。
  恤兵というのは、戦地の兵士に送られる品々、またそれらを送ることをいいます。
 話をもとに戻して、同、三月四日、浦戸駐在所詰(づめ)の市川源吉巡査が、名を秘して、出征している吾川郡御畳瀬村(みませむら)の杉岡悦馬・陸軍予備一等兵の家庭に白米一斗を贈りました。残された家族、病床にある盲目の老父と一人の妹の窮状に同情しての行為と紹介されています(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月十七日付)。
 三月七日、上海で土佐郡朝倉出身の大坪武雄・海軍二等水兵が戦闘で左大腿部(だいたいぶ)を負傷(大阪朝日新聞高知版、一九三七年三月十六日付)。
 三月八日の大阪朝日新聞高知版に「出征懇願書に 現れた熱誠 [高知]連隊司令部に届いたもの すでに百通を超ゆ」の記事。「うら若い女から何かの役に立てゝくださいといつてゐるのも少くなく司令部員を感激せしめてゐる……」。
 三月九日、高知市の高知県公会堂で高知連隊区司令部主催の軍事講演会が開かれました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月十日付)。
 大阪朝日新聞は、同社写真班撮影の上海総攻撃の映画を高知県下各地で上映しました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月十一日付、二十日付)。
 ○ 三月九日夜、高知市の柳原公園(観衆約二千人)。高知市の高知県公会堂での軍事講演会でも。
 ○ 三月十二日夜、県下安芸町小学校で。
 三月十三日の大阪朝日新聞高知版は「刑務所内から 愛国の寄付金 受刑者が自発的に 愛国機建造のため」と報じました。
 三月十六日の大阪朝日新聞高知版のトップに「善通寺師団の嚇々(かくかく)たる武勲 第三回の総攻撃に大奮戦 砲台占拠の土佐部隊」の記事が載りました。三月三日のできごとでした。
 三月十七日、高知憲兵分隊へ「或る家の女中」という「二十五、六歳の女の人」が出頭、出征兵士を出している吾川郡御畳瀬村(みませむら)の杉岡悦馬・陸軍予備一等兵宅に慰問金として二円を寄託しました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月二十二日付)。
 三月十八日、前出の女性が高知憲兵隊に来て、ふたたび着物の寄託を依頼しました(前同)。
 三月十九日、上海に出征していた高知市菜園場町横町の福留正巳・特務兵(二十四歳)が戦死しました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月二十二日付)。
 高知県下では、大阪朝日新聞社上海特派記者の新宮寿天丸さんの「上海事件と肉弾三勇士」の講演会(高知県学務部などが主催)が連続的におこなわれました。「武勲嚇々(かくかく)たる肉彈三勇士の事績」などについて「血涙を絞る熱弁」をふるいました(大阪朝日新聞高知版、一九三二年三月二十七日付)。
 ○ 三月二十六日、安芸町第一小学校、高知市帯屋町の県公会堂。
 ○ 三月二十七日、高岡町小学校講堂、後免町県立農業学校講堂、伊野町小学校講堂。
 ○ 三月二十八日、佐川町小学校講堂、須崎町小学校講堂。

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