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2013.07.26

連載 五十四(最終回) タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【高知刑務所出所前の槇村の発言(!!)。】

 槇村が高知刑務所を出所したのは、一九三五年六月でした。
 高知刑務所を出所する前の槇村の様子を伝える話があります。
 東京の府中刑務所内の予防拘禁所に入れられていた松本一三(まつもとかずみ。一九〇七年八月二十七日~一九八八年。一九三三年に日本共産党に入党。二度の検挙で敗戦までのほとんどを獄中ですごしました)が、高知刑務所からここへ転勤してきた「中村某」という教誨師が松本に、こう話したといいます(中沢啓作「槇村浩没後四十周年によせて--はしり書き的覚書--」=雑誌『日中』一九七八年十一月号)。
 「あなた方のがんばりには全く感心します。立場をはなれて言えば立派です。しかし私は高知刑務所にいたころ、一つの経験がありますが、全く頭のさがるおもいをしたことがあります。
 これは槇村浩という青年ですが、刑期を終えて出所する一九三五(昭和一〇)年六月のこと、私は職務上若干の質問をした、ここを出ておまえはどうするつもりだ。今の日本はこれまでどおりではない。非常時である。その心がまえは出来ているかときくと、いや出来ています。矢張戦争反対はつづけます。私にはこの日中戦争は正しいものとおもえませんと答えた。それならばとても日本ではくらせない。おまえは日本人でなくなるぞと一言すると、少し考えていたが、それならソヴエトへでも脱出しますよ。そうして反戦という立場はつづけますと。
 昂然[こうぜん]とした態度で綻[ほころ]び見える浴衣の肩をびやかした姿と、スタスタと出所をしていくうしろを見送りながら、私は全くあきれてしまいました。なんという強情な信念のつよさだと、あなた方の主義主張は別として、こうした態度をつらぬいたあの一見弱々しさののこる青年槇村浩には今でも感服しています」
 警察署、刑務所での虐待がもとで精神を痛めていた槇村は、出所後も、病気とたたかいながら運動をつづけます。 
 そして、一九三八年九月三日亡くなります。満二十六歳でした。

 槇村の警察署、高知刑務所でのたたかい、出所後の活動などについては別の稿にゆずります。

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