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2013.07.24

連載 三十一 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【岡山市の関西中学校のこと。】

 一九三〇年四月、吉田を迎えてくれた岡山市の私立関西(かんぜい)中学校は、どんな学校だったでしょうか。
 同校は、岡山市北区西崎本町にありました。
 創立は、一八八七です。当時の日本は江戸から明治へという歴史のうねりのなかにあり、西洋文明の影響下、教育分野でも変化が見られた時代でした。岡山の地でも「岡山薬学校」という医学・薬学分野のパイオニアを育成しようとする学校が創設されました。それが同中学校の始まりです。創立時の精神は「天分発揮」、「敢為の精神」、「質実剛健」。校風は自由で、生徒の気風は荒々しいとされていました。
 かつて槇本楠郎(まきもとくすろう。本名・楠男。一八九八年年八月一日~一九五六年九月十四日)、石川達三(一九〇五年七月二日~一九八五一月三十一日)も在校していました。
 槇本は、童話作家、詩人、評論家。一九二六年、『文芸戦線』に評論を発表。翌年には同誌にプロレタリア童謡と称した童謡「小さな同志」を発表。一九二七年に藤森成吉らと前衛芸術家同盟を結成。一九二八年には日本プロレタリア芸術連盟と合同となり、全日本無産者芸術連盟(のちに全日本無産者芸術団体協議会に改組)を結成。また小川未明らと新興童話作家連盟を結成。槇本はそれぞれの機関誌『戦旗』、『童話運動』に、童話や評論などを執筆しました。一九二九、新興童話作家連盟は解散。一九三〇年四月、評論集『プロレタリア児童文学の諸問題』(世界社)を出版するが、発売禁止となりました。一九三一年七月二十五日には『小さい同志』(自由社、川崎大治との共著)を出版、これも即日発売禁止処分となりました。
 『小さい同志』に「兵隊さん」があります。

 おいらの兄(にい)さん兵隊(へいたい)さん
 しつかりおしよ、氣(き)をおつけ
 ――右向(みぎむ)け、右(みぎ)ツ
  前(まへ)エ進(すゝ)めツ!
 金持(かねもち)アうしろで手(て)を叩(たた)く
 (あぶない/\、××の的(まと))

 おいらの兄(にい)さん、兵隊(へいたい)さん
 しつかりおしよ、氣(き)をおつけ
 ――左向(ひだりむ)け、左(ひだり)ツ
   前(まへ)エ進(すゝ)めツ!
 金持(かねもち)アうしろで手(て)を叩(たゝ)く
 (あぶない/\、××の的(まと))

 おいらの兄(にい)さん、兵隊(へいたい)さん
 しつかりおしよ、氣(き)をおつけ
 ――廻(まは)れエ、右(みぎ)ツ
   前(まへ)エ進(すゝ)めツ!
 金持(かねもち)アうしろで手(て)を叩(たゝ)く
 (あぶない/\、××の的(まと))

 石川は、当時、小説を書きはじめていたところでした。
 当時、同校の学生には中国人、朝鮮人も多く、朝鮮人では宋世東(ソンセジョン。日本名・西原浩)もいました(一九三二年三月一日、「除籍」に)。

 【参考】

 『プロレタリア児童文学の諸問題』
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1138359

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