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2013.07.24

連載 二十九 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【中学校海南学校の四年生の全員が軍事教練の試験に白紙答案を提出します。】

 一九二八年二月、陸軍省は、「学生教練及び青年訓練修了者検定規定」を公布しました。学校教練は正課となり、成績簿にも記載されることになりました。
 吉田の通っていた中学校海南学校でも軍事教練が実施されました。
 吉田は、軍事教練に反発します。
 〈極めて批判的であった彼がマルクスに屈服した瞬間、軍事訓練反対の「のろし」があがることになる。彼の徹底抗戦がT大尉を目標に始まる。ゲートルをろくにまかない。銃をななめにかつぐ、銃の掃除は放棄する。手旗を無茶苦茶にふる。なぐりたいだけ、なぐらせる、彼の配属将校に対する愚弄的態度は止まらない〉(富永三雄「想い出」=槇村浩の会『ダッタン海峡 九号』)。
 一九二九年四月、吉田は海南学校の四年生となります。
 同年、吉田は奴田原三郎、富永三雄らの同級生と語らい、軍事教練反対運動を組織します。
 〈[吉田が]全四年生を集合さして大演説をぶった。「真理は軍事教練にはない。天皇制絶対的君主制こそ打倒すべきもの、陸士[陸軍士官学校]を止めよ、海兵[海軍兵学校]に行くな、筆記試験を書くな。」>(富永三雄「『槇村浩』の思い出」)。
 二クラスあった四年生の全員が白紙答案を提出します。

 これが何月ころかは不明ですが、同年の寺石正路の日記に、つぎのような記事があります。

 

 六月二六日 吉田豊道一件聴取す 豊道氏に川島家葬式件申遣候

 六月二九日 午前吉田豊道母吉田丑江[丑恵]四人連席要談

 六月二〇日 吉田丑恵来る □計算要件

 八月二九日 午前川島家[吉田に資金援助してくれていた家]に参り吉田豊道一件返書をきくそれ云々

 八月三一日 吉田豊道母来る 川嶋[川島か]継続件

 一〇月三日 野村亀吉吉田豊道件来訪

 

 

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