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2013.07.25

連載 四十四 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【高知市内の反戦ビラ配布は、こうして……。】

 一九三二年二月から四月の高知市内への反戦ビラ配布は、どのようにして実行されたのでしょうか。

 一九三九年に憲兵司令部が編集した『日本憲兵昭和史』によると、この間、二月二十七日から四月二日にかけて計八件の反戦ビラ配布の「事件」がおこっています。
 ① 「……(高知)市中央に在(あ)る播磨屋(はりまや)橋(ばし)土佐電気株式会社運輸課に『戦争反対ビラ』を投入し……」
 ② 「……二月二十七日午前二時に至(いた)り、戦争反対のビラを[高知]市内数箇所に貼付(てんぷ)したる者あり、石井上等兵は逸早(いちはや)く之(これ)を発見、当夜中に全部回収したる為(ため)、之を見聞したる者なく従って何(なん)等(ら)の反響なきを得たるも、此(こ)の種策動益々(ますます)尖鋭化すべきことを予知せられたるを以(もっ)て松村分隊長は県警察と連絡の上一段の予防に努力せり。」
 ③ 「然(しか)るに翌二十八日午前二時頃又(また)もや連隊兵器庫裏街路に、日本共産党青年同盟高知地区委員会署名の二種の反戦ビラ数枚投棄しあるを警防巡察中の西原上等兵発見直(ただち)に収拾すると共に連隊衛兵に連絡営内を検索したる処(ところ)、同連隊南門及(および)東門附近に約五十部の同ビラの投入しあるを認め直に之(これ)を収拾したるを以(もっ)て其(その)反響なかりき。」
 ④ 「……三月九日午前一時三十分[高知]市内播磨屋(はりまや)橋(はし)土佐電気株式会社運輸課従業員詰所に対し、共青高知地区委員会署名の過激なる反戦ビラを投入したるを以(もっ)て同社監督某が憲兵に此(こ)の旨を連絡せるを以(もっ)て直(ただち)に之(これ)を押収しその其反響を防止し得たり。」
 ⑤ 「高知市帯屋町には毎日曜日に日曜市開かるゝ為(ため)、非常なる人出あるを以(もっ)て三月十三日歩兵第四十四連隊外出兵三名新京橋本町筋五丁目付近歩行中同市方面に向ひつゝある時一名の若者が過激なる三種の反戦檄文(げきぶん)ニュースをハトロン紙に入れたるものを該(がい)兵士に手交(しゅこう)せり、恰度(ちょうど)同市雑沓(ざっとう)中を警戒せる松岡上等兵之(これ)を探知し直(ただち)に之(これ)を押収し犯人を追跡したるに遂(つい)に発見せざりし為(ため)、此(こ)の旨連隊当局に連絡し該(がい)三名に就(つ)き犯人の人相特徴等を調査したる処(ところ)、捜査中の毛利一雄と浜田武夫の人相に匹敵しあり、因(よっ)て先ず之(これ)ら等両名の所在捜査を為(な)すことに全力を注ぎたるが、……」
 ⑥ 「又々(またまた)三月十四日午前三時頃歩四四補充隊営内及(および)射撃場に三種の反戦檄文(げきぶん)ニュースをハトロン封筒に入れ投入、又(また)は配布せり、その其数三十六袋なるが何(いず)れも幸ひ所属隊並(ならび)憲兵の探知早く、之(こ)れを押収したる為(ため)何(なん)等(ら)の反響もなかりしが、執拗(しつよう)なる彼等の行動は憲兵の憎悪極度に達し、憤激の涙を催ほし分隊員中には霊験著しと称せらるゝ[高知市の]藤並神社に参拝祈願せる者さへありて憲兵必至[ママ]の努力は涙を催ほす情況なりき。……」
 ⑦ 「然(しか)るに三月二十六日午後一時頃共青高地[ママ]地区委員会署名の反戦闘争基金袋が[高知]市役所前に撒布(さんぷ)され全く官憲をぐろう愚弄(ぐろう)しあるが如(ごと)く彼等の行動は極めて大胆不敵なりき、……」
 ⑧ 「……四月二日午後零時三十分[高知]市外五台山に於(お)ける招魂祭に参拝せる補充兵が叉銃休憩中[叉銃(さじゅう)というのは、野外で軍隊などが休憩するとき、銃を組み合わせて三角錐状に立て合わせることです]、何者かハトロン封筒にカフェーの広告を印刷したるもの五通置きあるを取締中の石井上等兵現認し之(これ)を披見(ひけん)するに、何(いず)れも四五枚宛封入する過激なる反軍宣伝ビラなりしを発見し直(ただち)に全部を蒐集(しゅうしゅう)したるため為軍人は勿論(もちろん)一般客にも何(なん)等(ら)反響なかりしが……」
 ここで憲兵とは何かということを書いておきます。
 左腕に「憲兵」の腕章をしている写真をよく見ます。陸軍と海軍の両方ににらみをきかせていた軍隊の警察です。陸軍大臣の管轄で、主として軍事警察をつかさどり、かねて行政警察、司法警察をつかさどります。海軍には独自の憲兵は置かれず、海軍大臣は軍事警察にかかわるものについては憲兵を直接指揮できるものとされました。全国の憲兵の頂点に憲兵司令官(当時の憲兵司令官は、山田良之助少将)が置かれました。憲兵の部隊は、各地に配置される憲兵隊が基本単位で、その下に、警察署に相当する数十人の憲兵分隊があります。その下に憲兵分遣隊があります。
 憲兵は、司法警察権もつかさどることから、治安警察法および治安維持法などを、一般警察同様に一般国民に対しても適用する立場であり、次第に反戦思想取締りなど、国民の思想弾圧にまでおよぶこととなりました。

 ⑥の反戦ビラ配布があったあと、一九三二年三月十五日の土陽新聞は、「高知○隊出征前夜」に「○隊ならび並に高知市」へ反戦ビラを配布したものがいると報じました(高知市自由民権記念館蔵)。
 この記事で、多くの県民は、この事件があったことを知りました。
 その記事は、こんな内容でした。
 見出しは、「高知○隊出征前夜 ○隊並に高知市へ 反戦ビラを配布したもの 憲兵分隊と特高課が活動」です。
 「高知○隊に動員下命して、ために全県下は戦争気分が横溢(おういつ)し、召集兵は続々高知市に集まつてゐる際(さい)即(すなは)ち隊が出征する前々夜二月○○○日午前二時頃深夜高知市中島町医学博士武田鹿雄氏の門前ならびに其(そ)の附近に反戦ビラを撒布(さんぷ)してあることを夜間警戒中の高知憲兵分隊特務石井上等兵が発見し直(ただち)に県特高課に通知して共産党員のものを捜査警戒中、更(さら)に其(そ)の翌日即(すなは)ち出征前日の午前三時頃高知○隊内を憲兵分隊の特務西原上等兵が巡視中隊内杉垣附近にこれまた反戦ビラを多数散布(さんぷ)されてゐることを発見し直(ただち)に○隊ならび並に分隊に通知して取り調べたが隊内のビラはビラ数十枚を垣外より投げ込んでいゐたもので夜間であり何人にも見附らない以前に憲兵隊の手にて発見されたもので憲兵隊にては万一出征当日を慮(おもんは)かり松村分隊長以下之等の不穏分子の警戒に当つた、而(しか)して右反戦ビラ配布の犯人はその後憲兵隊並(ならび)に特高課にて捜査中であるが、右は先(さき)に某校に配布した事件と同一系統と見て当局にては更(さら)に捜査並(ならび)に取調を進めてゐる」
 「高知○隊」とは、陸軍歩兵第四十四連隊(高知県朝倉村。いまは高知市朝倉)のことです。
 これは、先に引用した『日本憲兵昭和史』にある③の件と同じ件だと思われます。
 「極秘」と書かれた『特高月報』(内務省警保局保安課)にも出てきます。
 『特高月報 昭和七年[一九三二年]二月分』(同年三月二十日発行)。
 「[二月二十八日、日本共産青年]同盟高知地区名反戦ビラを歩兵第四四連隊附近に撒布す。」
 『特高月報 昭和七年四月分』(同年五月二十日発行)。
 「[四月二日、日本共産青年]同盟高知地区委員会は、歩兵第四四連隊内に反戦の檄(げき)を撒布す。」
 一九三二年十月刊の司法省の秘密の刊行物『思想研究資料』(入交好保『高知県社会運動史』)には、つぎのような記述があります。
「浜田[勇。日本共産青年同盟高知地区委員長]、池本[良三郎。日本共産青年同盟高知地区委員会化学細胞キャップ、化学石灰山細胞キャップ]及(および)毛利[猛夫。日本共産青年同盟高知地区委員会丸一細胞キャップ、コップフラクションキャップ]等ハ……朝倉歩兵第四十四連隊ノ上海(しゃんはい)出征ニ際シテハ反戦斗争ノビラヲ作成シテ兵営ニ投入シ更(さら)ニ引続数回ニ亘(わた)リ、反戦斗争ノビラヲ各所ニ撒布シテ一般大衆ニ宣伝煽動(せんどう)シ……」
   「(日本反帝同盟]支部そ其ノ物ノ組織ハナキモ歩兵第四十四連隊ノ上海(しゃんはい)出征ニ当リ、昭和七年二月二十七日過般検挙セラレタル共青同盟高知地区委員会ノ影響下ニアル分子ガ日本反帝同盟高知支部署名ヲ以(もっ)テ反戦ビラヲ高知市内ニ撒布シタルコトアルノミ……」 
 ②のビラに、日本反帝同盟高知支部と署名されていたのでしょうか。 
 一九三二年十二月二十日の、浜田勇、毛利猛夫、池本良三郎の治安維持法違反事件についての高知地方裁判所の判決文(『高知県社会運動史』。入交好保。高知市立市民図書館。一九六一年十一月一日)には、つぎのことがのべられています。
 「浜田勇は……[昭和]七年[一九三二年]二月の総選挙及(およ)び四四連隊上海(しゃんはい)出兵に当つては、反戦ビラ、軍隊班ニュースを撒布し反戦闘争資金を集めた。」   
 一九三三年四月二十八日の、信清悠久さん、小松益喜さん、吉田豊道さんへの治安維持法違反被告事件についての高知地方裁判所刑事部の判決文(岡村正光、山崎小糸、井上泉編『槇村浩全集』)には、吉田豊道さんがかかわったこととして、つぎの三件がのべられています(以下、整理して、いまふうの文章になおしました)。
 ○ 三月六日ころ、吉田豊道は、高知市農人町・浜田勇方において上海出兵に対する闘争のため、同人らと共に協議の上、「革命的兵士の虐殺云々」と題する共産主義青年同盟高知地区委員会署名の反戦ビラの原稿を作成し、同市小高坂、同盟員・森山正也方において毛利猛夫、池本良三郎らと共に謄写版をもって約八百枚を印刷作成し毛利らをして高知市内一円および附近村落に撒布せしめ ○ 三月八日ころ、吉田豊道は、浜田勇方において同人らと協議の上、高知市ほか陸軍歩兵第四十四連隊内に軍隊新聞を発行せんことを企(くわだ)て自ら軍隊内における組織ならびに宣伝扇動などにかんする全責任者となりて、「兵士の声」と題する新聞を発行することとなし、自ら原稿を書きて原紙に切り、当時同市小高坂、森山正也方において毛利猛夫、池本良三郎などと共に「大衆的に上海出兵に反対せよ」、または「日本共産党の旗の下に全兵士は日本共産青年同盟に入れ」と矯激(きょうげき)なる辞句を連ねたる印刷物約四百枚を印刷作成し、これを毛利猛夫に交付し、同人をして右連隊営庭内あるいは射的場などに撒布せしめ、また外出中の多数兵士に交付せしめ
 ○ 三月末ころ、吉田豊道は、高知市金子橋、毛利猛夫方において同人および浜田勇などと協議の上、四月二日、高知県長岡郡五台山村(いまは高知市です)、招魂社祭当日、反戦ビラを撒布すべきことを協議し、自ら「兵士諸君は皆読め」と題する原稿を作成し、浜田勇と共に約五百枚を印刷作成し、これをカフェー開店広告に模したる封筒に封入し自ら毛利、浜田ほか二名と共に右招魂社付近に到り、通行中の軍人に交付し、あるいは撒布し
 招魂社というのは、いまの高知県護国神社のことです。四月二日は、いまの春季例大祭の日です(橋詰延寿・森下臣一編『高知県護国神社百年史』)。
 どのような意図か、高知地方裁判所は、二月二十八日に陸軍歩兵第四十四連隊が兵営を出発したあとの「事件」だけを認定しています。

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