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2013.07.25

連載 五十二 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【一気に世の中に出た槇村の三編の反戦詩。】

 一九三二年四月には雑誌や冊子に槇村の詩が三篇発表されます。
 『プロレタリア文学』四月増刊号に「間島パルチザンの歌」。
 『大衆の友』四月号に「一九三二・二・二六 白テロに斃(たふれ)た××[四十四]連隊の革命的兵士に」。
 日本プロレタリア作家同盟が四月二十日に出した『詩・パンフレット第一輯 赤い銃火』のトップに「出征」が掲載されました(この冊子の「序」は同年三月付です)。
 槇村は、この四月ごろ日本共産党に入党しました。
 槇村は、これらの詩が載った雑誌、冊子を、すぐには読むことができませんでした。
 槇村は、一九三二年四月二十一日、自宅のあった高知市ひろめ屋敷(現・帯屋町二丁目)で検挙されたのです。
 反戦ビラ配布に参加したことが治安維持法違反にとわれたのです。
 高知県下の高岡署に連行され拷問を受けます。
 未決一年。
 そして、非転向のため三年の刑となりました。
 「外」では槇村の反戦詩が評価されていました。
  『プロレタリア文学』四月増刊号には、詩人・佐野嶽夫が「詩に関する断片」という文章を書いています。彼は、そのなかの「反戦詩」という項目で「サトーハチロー、北原白秋、西條八十等のブルジョア詩人が好戦的な小唄を次々と発表してゐるのに対して、我々プロレタリア詩人の立ち遅れは厳重に批判する必要がある。」としています。この論考で彼が反戦詩と唯一評価しているのが『大衆の友』創刊号に載った槇村浩の「生ける銃架」です。<……「生ける銃架」には部分的な欠点はあるが全体として、相当高く評価されるべき詩だと思ふ。>としています。
 六月出版の中野重治編輯『プロレタリア詩の諸問題』(叢文閣)では、森山啓が、「生ける銃架 ― 満州駐屯軍兵卒に ―」を評価しつつ、「一人の×××の身になり切つて充分な醗酵[はっこう]の後に歌つたらもつと成功したに違ひない」と「欠点」を指摘。「一九三二・二・二六 ――白テロに斃された××聯隊の革命的兵士に――」ついては「題材においてもその扱ひ方においても今日の詩の領域で最も重要な位置を占めるものだ」としました。
 一九三二年八月に出た日本プロレタリア作家同盟編『日本プロレタリア詩集 一九三二年版』(戦旗社)では、「生ける銃架 ― 満州駐屯軍兵卒に ―」がトップで掲載されます。

  「間島パルチザンの歌」は、中国の間島の子どもたちにも届いていました。

 韓国に住む作家・戸田郁子(一九五九年生まれ)は、二〇〇九年、中国の延辺大教授だった朴昌昱から、一九三五年ころに朝鮮総督府の管轄下にあった間島の橋東小学校の教室で「間島パルチザンの歌」を教師が朝鮮語で朗読するのを聞いたという話を聞かされたといいます。当時小学校三、四年生だった朴は、教師が「日本にもこの戦争に反対している人がいる。日本帝国主義と日本人民は分けて考えよと説いていた」のを覚えていました。

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