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2013.07.23

連載 十四 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【吉田豊道の子ども時代① 幼いころから文字への感覚がすぐれていました】

  それでは、子どものころの吉田豊道が、どんな少年だったのか見ていきましょう。
まずは、年表風に示します。
 一九一二年六月一日、吉田豊道が、高知市廿代町八十九番屋敷に生まれました。本籍・高知市比島町七十八番地(のち比島七百三十八番地)。父・才松、母・丑恵。「父才松は三重県の出身、九星学を専攻し周易を業とする。母は高知市弘岡町一三〇番地屋敷の野村束稲、熊の長女として生まれる。野村家は土佐藩の下級武士、三人扶持六石、束稲は戊辰の役に出征、のち近衛連隊の下士官を経て高知県営林局の官吏となる。丑恵は産婆を業としている。豊道は出産予定日より二八日早く生まれたため、牛乳を五倍にうすめて母乳の不足を補った。」(貴司山治、中沢啓作編『間島パルチザンの歌 槇村浩詩集』。新日本出版社。一九六四年十月十日 初版)。
 一九一三年、「誕生日前後、言葉のまだいえない頃から字にたいする感覚がすぐれていた。たとえば自分の名豊道とかいた団扇[うちわ]を使っていた。カルタなどの人物の名前もよく判じた。」(貴司山治、中沢啓作編『間島パルチザンの歌 槇村浩詩集』)。
 一九一四年、「母に背負われて街筋の看板の字をよんだりした。」(貴司山治、中沢啓作編『間島パルチザンの歌 槇村浩詩集』)。
 一九一五年~一九一六年、「高知市楠病院で待合室においてある医学雑誌を音読していたのを医師の横山鉄太郎(耳鼻咽喉科医)がみて驚いた。」(貴司山治、中沢啓作編『間島パルチザンの歌 槇村浩詩集』)。

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