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2013.07.23

連載 十九 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【尊敬していた為政者の天皇に疑問をいだくようになりました。】

 一九二四年四月、吉田は私立土佐中学校予科二年生になりました。
 このころ吉田の考え方に変化がおきていました。小学生のころは、尊敬していた為政者の天皇に疑問をいだくようになったのです。
 同級だった川島哲郎が、「大正十二[一九二三年]~三年[一九二四年]の頃」のこととして語っています。
 〈私は当時[高知市]小高坂におりまして親父に自転車をかってもらいまして、自転車で通学しておりましたけれど吉田は歩いて通学していたと思います。それで帰り道に吉田と話をする為に帰り道は吉田の家の前まで自転車をついて歩きながら、毎日そうやって通ったことでした。なぜそれほど吉田と一緒に歩くのが楽しみだったかといいますと、毎日毎日ルパンの話を続きものでやってくれるわけですね。(中略)それで吉田の家にも何回か寄ったことがあるんですが、(中略)薄暗い長屋のようになっていまして、二階が吉田の部屋でしたが、第一に驚いたことは膨大な書物があるということですね。(中略)大鏡や増鏡の本があったのをおぼえています。大正十二~三年の頃です。〉、〈吉田の話の中で一つだけ印象に残っているのは雄略天皇の話なんです。雄略天皇が暴虐の限りをつくしたという話なんです。(中略)天皇がそういう非道なことをするということは実に青天の霹靂[へきれき]でしたね〉(槇村浩生誕七十周年記念の集い 『槇村浩(吉田豊道)と同時代を語る』=槇村浩の会編『ダッタン海峡 第七号』)。
 日本の古典、『古事記』、『日本書紀』を読むなかでの発見だったと思います。この時点で吉田は大元帥である天皇への忠君愛国という観念から脱出していたと思います。
 吉田について、この考えは思いつきのようなものではありませんでした。
 彼は反戦詩を書き出したあと『日本詩歌史』という評論を書きましたが、そこでも、つぎのようにのべています。
 〈そして圧制の時代がきた。記紀はじめすべての文書は、一せいに歴史はじまって以来の日本の最大の暴君について、特筆大書している。惨殺、クーデター、侵略戦争、共同倉庫の掠奪、女性と奴隷に対するはてしなき悪行――これが大悪天皇と呼ばれた雄略天皇の治世だった。〉
 天皇を「万世一系」で「神聖ニシテ侵スヘカラス」と国民に宣伝するうえで政府は『古事記』(七一二年に太朝臣安萬侶=おほのあそみやすまろ=によって献上されたとされています)、『日本書紀』(舎人親王らの撰で七二〇年に完成したといわれます)の内容の一部を神話として宣伝しましたが、よく読むと、それらに描かれた天皇の姿は残虐非道なケースが多く、この宣伝は矛盾に満ちたものでした。
 たとえば、『古事記』ではどうか。
 それについては、雁屋哲作・シュガー佐藤画『マンガ 日本人と天皇』(いそっぷ社。二〇〇〇年十二月二十日)が登場人物の東塔大学理事長に語らせていますので引用させていたただきます。
 〈『日本書紀』は天皇家自身が編纂した史書であるにもかかわらず 天皇家代々の残虐な行いや醜聞が多く記録されている〉
 〈たとえば第二〇代の安康(あんこう)天皇は大草香皇子(おおくさかのみこ)を殺し その妻を自分の皇后とする ところが大草香皇子と皇后の子どもである眉輪王(まよわおう)は後に安康天皇が酒に酔って自分の母である皇后の膝を枕にして寝ているところを殺してしまう すると後の第二一代の雄略(ゆうりゃく)天皇になる安康天皇の弟がその眉輪王を殺してしまう〉
 〈さらに雄略天皇は自分の兄たちを何人も殺す わがまま勝手に部下を斬り殺す 自分の求めに背いて他の男と通じた婦人とその夫を焼き殺すなど人を殺すことが多かったので人々は天皇を「大悪の天皇」と誹謗(ひぼう)したとある〉
 〈凄(すご)いのは第二五代の武烈(ぶれつ)天皇だ 天皇は妊婦の腹を割き 人の生爪をはいでその手で芋を掘らせ 人を池の樋(とい)に入らせて流れ出てくるところを矛で突き殺して遊び 人の髪の毛を抜いて木に登らせてその木を倒して殺すのを楽しみにし いつも酒に酔いしれて遊びほうけて贅沢(ぜいたく)をし人民が飢えているのも気にしなかったと書紀には書いてある〉
 〈継体天皇以降も大変だ 天智(てんじ)天皇の息子大友皇子(おおとものおうじ)を叔父の天武(てんむ)天皇が殺す すると 天智天皇の娘である天武天皇の后になりその亡き後女帝となる持統(じとう)天皇が 叔父で夫である天武天皇の息子・大津皇子(おおつのおうじ)を殺す 近親相姦・親子兄弟伯父甥の殺し合い 何でもありだ〉

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