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2013.07.15

【近現代文学の勉強】志賀直哉 『十一月三日午後の事』を読んで。

 【あらすじ】

 一九二〇年一月の作品です。
 一九一八年十一月三日、自分が住んでいる千葉県我孫子では七十三度(華氏)にのぼっていました(摂氏で二十二・五度)。この日、自分と従弟は、カモを買いに行き、途中で陸軍の騎兵、歩兵の演習を目撃します。外套(がいとう)を着て背嚢(はいのう。革製の四角いリュックサック)を背負い、肩に銃を担いでいる兵隊たちは暑さのため、ばたばたと倒れてしまいます。
 〈「止っちゃいかん」と士官が大きい声で言った。流れの水が石で分れるように人々は其処で二つに分れて過ぎた。人々の眼(め)は倒れた人を見た。しかし黙っている。みんなは見ながら黙って急ぐ。
 「おい起(た)て。起たんか」頭の所に立っていた伍長(ごちょう)が怒鳴(どな)った。一人が腕を持って引き起こそうとした。伍長は続け様(ざま)に怒鳴った。倒れた人は起きようとした。俯(う)つ伏(ぶ)しに延び切った身体を縮めてちょっと腰のところを高くした。しかしもう力はなかった。すぐたわいなくつぶれてしまう。二、三度その動作を繰り返した。芝居で殺された奴が俯つ伏しになった場合よくそういう動作をする。それがちょっと不快に自分の頭に映った。倒れた人は一年志願兵だった。ほかの兵隊から見ると背も低く弱そうだった。
「これは駄目(だめ)だ。物を去(と)ってやれ」と士官が云った。踏切番人のかみさんが手桶(ておけ)に水をくんで急いで来た。自分はそれ以上見られなかった。何か凶暴に近い気持が起って来た。そして涙が出て来た。〉
 この作品は、この事件の描写が中心で、買ったカモが半死に状態になったこと事件と重ねあわせます。

 【考察】

 一つの出来事を見つめて細かく描写して作品として仕上げる志賀の手腕に感心しました。
 十一月三日は、明治天皇(最初の大元帥)の誕生日にあたり天長節という祭日でした(その後、明治節→文化の日)。この日付を題名にして、この日に、こんな不快なことがあったよと書くのは勇気のいることだったと思います。
 一九一八年十一月三日といえば、三か月前の八月二日、政府はシベリアへの出兵を宣言しました。それと同時期にコメの価格急騰にともないコメよこせの運動が全国で起こっています。参加者は数百万人を数え、鎮圧のため三府二十三県で十万人以上の軍隊が投入されました。こういう状態のもとでの演習でした。 
 なお、作品で自分が中学校時代の行軍のことを思い起こすシーンがありますが、志賀は一八九五年、宮内省直轄の学習院中等科(六年制)に入学します(七年間在学)。この時代に、ここでは行軍がおこなわれていたようです。中学校などでの学校での軍事教練は一九二五年に始まっています。

 【参考文献】

・志賀直哉『清兵衛と瓢箪 小僧の神様』。集英社。一九九二年二月二十五日。
・米騒動については
 http://ja.wikipedia.org/wiki/1918%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95(二〇一三年七月十五日閲覧)

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