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2013.07.24

連載 二十六 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【吉田がマルクスに屈服したとき】

 一九二七年四月、高知県立中学海南学校の二年生に編入した吉田は、この科学的社会主義の勉強を始めます。
 その動機や過程を彼自身が、のちに書いた文書があります。
 <自分は世上の俗論に迷わされて、マルクス主義は一個のユートピアに過ぎない信じて居た。しかも地上の反マルクス主義論は矛盾百出迷理錯雑一も理論として取るに足るべきものはない。よって自分はマルクス主義の正しくない事を完全に理論的に証明せんとして研究を始めたが、その結果は却[かえ]って同主義はあくまで正当であり、且[か]つ無産階級解放の唯一の途[みち]である事を認めるに至った。真理である以上実践するのは当然である。自分はかく信じてこれを行動に移したのである。 >(吉田が、治安維持法違反で入獄していたときの「入所時感想録」です。カタカナはひらがなにしました。)。
 猛烈な勉強ぶりだったようです。
 一九二七年の「ある日」、海南中学校四年生の横山三男(ペンネーム・光夫)が学校休んで高知市の高知県立図書館でトルストイの小説を読んでいると、「眉目秀麗の色白の学生が数冊の本をかかえて私の隣りにきた。見ると、なんとマルクスの資本論である。当時難解と膨大さで私たちの手のとどかなかった資本論を彼は刻明に読んでいる。しかも、そのスピードはかなり早い。私はかれが下級生なので気安く声をかけた。その男が吉田豊道であった。」(横山光夫『解放運動のあけぼの(高知県左翼運動覚書)』)。
 科学的社会主義の運動にかかわれば不利な目にあうことも心得ていました。
 一九二八年四月、吉田が高知県立中学海南学校三年生となった始業式の朝、吉田は、級友の富永三雄に治安維持法のことを話しました。
 「富やん、治安維持法という名の法律を知っているのか?」。「そういう名前の法律は聞いたことがある。それがどうした?」。「一九二五年三月成立。国民[ママ]の変革、私有財産制度を否認するものを罰する最高懲役を十年とするもの。そうした目的の結社への加入、その未遂、扇動をも対象とする、行動のみでなく、国民の思想をも対象とするもの。普通選挙を実現することの引きかえに、日ソ国交回復に備えて共産主義思想の流入を防ごうとするもの。この法律は絶対的官僚的勢力が、政党と妥協した、国体を守るための、天皇制擁護、革命防止の弾圧体制を整えたもので、世界でも比を見ない思想弾圧立法である」。「ソ連の共産主義とはどんなもんか?」。「これから勉強するよ」。(富永三雄『ひとつの出合い』)。
 この年の六月二十九日、治安維持法が緊急勅令によって改悪されます。最高刑が懲役十年だったのを、国体変革目的の行為に対しては死刑・無期懲役を加え天皇制批判には極刑でのぞむ姿勢をあらわにしました。「結社の目的遂行の為にする行為」一切を禁止する「目的遂行罪」も加わり、自由主義的な研究・言論や、宗教団体の教義・信条さえも「目的遂行」につながるとされていき、国民全体が弾圧対象になりました。
 同年七月三日、特別高等警察課が全県に設置されました。
 二学期には学校で吉田の読む書物のなかに「赤い表紙のもの」が見えはじめます。
 始めは階段式の教室でやっていた化学の時間だけでしたが、そのうち、すべての教科を放棄し、授業中にカール・マルクスの著作を読みはじめます(富永三雄『ひとつの出合い』)。

 吉田は、自筆の年表で「懸賞論文の金でやっと長いことの憧れだった資本論を購入し、直ちにマルクスに傾倒する。」と書いています(「槇村浩(吉田豊道)の年譜」=貴司山治、中沢啓作編『間島パルチザンの歌』)。
 この懸賞論文については、どういうものだったか分かっていません。

吉田が選んだ科学的社会主義の運動は、いばらの道でした。

 吉田が四年生になろうとしていた一九二九年三月五日夜、山本宣治が、一九二九年三月五日夜、右翼テロリストに暗殺されました。三十九歳でした。その日は、衆院で前年に緊急勅令で改悪した治安維持法の事後承認案の審議があり、山本は発言原稿を準備して議会に臨みますが、妨害にあって発言できず、東京・神田の宿舎に戻ったところを刺殺されたのです。山本は、京都大学や同志社大学で生物学を教えていた学者でしたが、学生に学問を教えるだけで満足せず、貧しい労働者・農民にまじって産児制限運動など世の中をよくする運動に身を投じます。一九二八年、労農党の代表として京都二区から衆議院議員に当選していました。

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