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2013.07.25

連載 三十四 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【プロレタリア作家同盟高知支部準備会の事務所ができました。】

 一九三一年七月六日、日本共産党の機関紙・赤旗(第四十五号)に「日本帝国主義の戦争準備と斗へ!」を発表しました。
 同年八月一日、日本共産党は、国際反戦デーに非合法の集会やデモを各地で組織し、「日本軍隊の満州、朝鮮及び台湾からの即時召還」を要求しました。
 同年九月十八日、大日本帝国が中国の東北地方に侵略戦争を開始しました。
 翌十九日、日本共産党は労働者、農民、兵士にたいする檄を発表、「帝国主義戦争反対、中国から手を引け」と、よびかけました。
 二十五日には、第二無産者新聞が社説で、日本軍の侵略を暴露し、「帝国主義戦争と闘え!」、「一人の兵士も送るな!」、「武器の輸送製作を中止せよ!」と、主張しました。
 翌月の五日、赤旗は「事変の原因」を中国側に求める商業新聞を批判し、中国での日本軍の軍事行動が「精密に計画され、実行された」中国略奪戦争であることを暴露しました。
 こうしたなかの七月上旬、高知市松淵にプロレタリア作家同盟高知支部準備会の事務所ができました。
 進歩的文学運動の中での青年たちの動きについては弘田競(きそう)(一九〇七年六月四日~一九八七年十一月二十七日)が書いています。
 〈一九三〇年(昭和五年)といえば、わが国は空前の大恐慌下にあって、支配階級は経済的危機の深刻化と、民衆に対する支配の絶望的行詰りからの活路を、インフレと満州の植民地化に賭けて、対中侵略戦争の準備に狂奔しつつある時代であった。
 当時、関西大学の英文科生だった弘田競は、客観情勢の窮迫化に資本主義体制の不可避的矛盾を直視して、良心の命ずるままに革命的プロレタリアートの側にたたざるを得なくなった。そして、その年卒業すると、旧知の久枝栄二郎が指導する作家同盟大阪支部に参加し、翌一九三一年(昭和六年)四月、徴兵検査のため帰高した。
 それは弘田が在学中甲種合格にとられて入営を延期し、卒業後一年志願兵志望を拒否したことから、甲種合格を剥奪されたからであった。再検査の結果、弘田は乱視と近視を理由に第一乙種合格を宣告されて、召集順位第十三番の通知をうけると、近い将来の召集を覚悟しなければならなくなった。
 そこで、弘田は赤紙のくる日まで高知にとどまり、作家同盟高知支部を組織して、郷土からもペンの戦士が輩出する素地を築いておかねばと決心した。
 こうして、ひそかに同志を探すうち、山本直憲の潮江の仮住居で、弘田は近眼の冗舌な小男に会った。これがプロキノ高知支部責任者の佐野順一郎といい、本心は作家志望だと知って意中をうちあけると、佐野は「オラの目をかけちゅう連中と引合せてやろうかねや」と恩着せがましくいい、雨あがりのむし暑い五月のある日曜日、二人は中水道の桑畑に囲まれた閑静な一軒家を訪ねた。そこが信清悠久の住居であり、佐野と毛利猛夫、井上清の三人が待っていた。
 信清は城東商業の創立者、信清権馬の三男という毛並みのよさか、温厚な白面の御曹子であったが、やや病弱らしい点が気づかわれた。毛利も教育者を父に持ち、高知工業を出て日赤のレントゲン科に勤めており、なかなか社会科学の文献には通じているものの、発言の少ない内気な性格だった。
 井上は稲生の灰屋の三男、高知高校(現高知大)文科生で学内の社会科学研究会員でもあった。性格は明朗かつ達でひょうきんな面もあった。
 彼らはいずれもイデオロギー的には信頼できるものを身につけており、佐野にむかって「佐野順」と呼び捨てにするところから察して、佐野が「目をかけてやっている」どころか、逆に佐野の方が軽く見られているのであった。
 佐野にはそんなハッタリ気のある反面、プロ文学への打ちこみかたはなみなみでなく、「弘田君も望んじゅうきに、この際オラらあだけで作家支部を結成してみんかや?」と、弘田の意図を先取りして問題を提起した。しかし一同との討議の課程(ママ)で、佐野は作家同盟支部をいわゆる既成文壇進出への足がかり的な同人雑誌グループと同一視して、文学の階級性に対する認識の甘さを暴露した。一方、弘田と信清たちは次のような意見に一致した。今後のプロ作家は中央、地方の在住者をとわず、プロレタリア解放運動の一環として闘う文学者集団ー作家同盟に結集し、ブルジョア文化に対決するプロレタリア文化を被支配階級の間に浸透させ、これを育成発展さすことに作家の誇りを見出すべきであり、地方在住の作家は当然彼らの地域社会において、その役割を分担すべきであるというのである。
 「プロ作家とはそんなに窮屈なものかねや」佐野は泣きだしそうになったが、「まあええ、要はオラがプロレタリア小説の傑作を書けばええきねや」と、自分に言い聞かせて、同盟支部の結成に同意した。七月上旬、信清は片町―堀詰から南へ松淵を通りぬけて堤防へかかる手前、西側のしもた屋に転居し、二階の八畳間を作家同盟高知支部準備会に提供した。〉(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟高知県支部『高知県における共産主義運動戦前の思い出』)。

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