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2013.07.23

連載 十八 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【日本文学、外国文学を読みあさりました。】

 高知市の私立土佐中学校の校長は美根円次郎(東京帝国大学卒で初代校長。三根徳一=ディック・ミネの父)でした。
  一九二三年四月、吉田は、私立土佐中学校の本科一年生に入学しました。
 本来は予科に入学するのを二年とびこえました。
 しかし、勉学はうまくいきませんでした。
 「十歳で神童、十五歳で秀才、二十歳すぎればただの人」いった調子の教師の虐待を受けました(貴司山冶、中沢啓作編『間島パルチザンの歌 槇村浩詩集』)。
 これを見かねて中学南海学校の地理、歴史科の教師・寺石正路が特別に可愛がりました。
 同年二学期、吉田は、私立土佐中学校予科一年生に戻され元の仲間と一緒になります。
 このころの吉田についての同級生の下司順吉の文章があります。
 〈予科のとき、清少納言の『枕の草子』を読んでいるのをみておどろきました。この本は少年たちにはまったく難解な古文です。おもしろいかと私がたずねると、おもしろいというのです。かれは日本文学、外国文学を手あたりしだいに読みあさっていました。かれは、もの静かで、ひかえめな人柄で、口に手をあててはずかしそうにものをいう癖がありましたが、ときには文学についての博識をとうとうとのべて、私たちを敬服させました〉(下司順吉「吉田豊道の思い出」=槇村浩の会『ダッタン海峡 第五号』)。
 一九二四年一月二十四日に『高知市第六小学校児童文集 蕾』が出ます。吉田の八つの文章が載りました。

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