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2013.07.25

連載 三十七 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【吉田が、反戦詩を書きはじめます。】

  一九三一年九月十八日、中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件)に端を発し、新たな戦争がはじまります(満州事変)。

 九月十九日、日本共産党は労働者、農民、兵士にたいする檄を発表、「帝国主義戦争反対、中国から手をひけ」と呼びかけます。

 九月二十五日、第二無産者新聞は、社説で日本軍の侵略を暴露し、「帝国主義戦争と闘え!」、「一人の兵士も送るな!」、「武器の輸送製作を中止せよ!」と、訴えます。

 十月五日の「赤旗」は、「事変の原因」を中国側にもとめる商業新聞を批判し、中国での日本の軍事行動が「精密に計画され、実行された」中国略奪戦争であると暴露しました。

 こうしたなかで、吉田が、反戦詩を書きはじめます。
 プロレタリア作家同盟高知市支部員だった弘田競(きそう)が書いています(「誇り高き青春群像(四)」=『高知県における共産主義運動 戦前の思い出』)。
 〈一九三一年十月(昭和六年)中旬のある日、弘田が[プロレタリア作家同盟高知市支部の]事務所へ帰ると押し入れから、「オオ、セマリクルカクメイノドトウ、アムールノ……」といっているような低い声がもれてきた。押し入れをあけると、吉田がひる寝をしていて、寝言をいったのである。
 吉田はこのごろ詩作に没頭していた。当時、作家同盟本部では中央委員や有名同盟員が、党員またはシンパの嫌疑で次々と検挙されたり、地下に潜入したりして、機関紙『ナップ』誌上の文学作品の質が低下しつつあり、地方支部から新鋭作家と詩人の台頭を期待する声が高かったので、これに応えようとして弘田は一市民の反戦闘争記を、佐野は漁民騒動記を、また、吉田も負けじと長編詩の構想をねっていたのであり、その詩の一節を夢にみていたのかも知れなかった。吉田が押し入れから寝ぼけ眼で出てきた。そして、ふところ手をして部屋をぐるぐる歩きはじめ、しばらくして立ち止まると、たもとから広告のチラシを取りだして、その裏になにかを書きつけては、また、ゆっくり歩きはじめた。これが吉田が詩作にふけるときの癖であるが、そうかと思うと、彼は暇を見つけては図書館へゆき、参考資料をあさり読んだが、それに疲れると、ほこりっぽい街を乗り出し(グランド通り)から柳原の堤に出て、すぐに西にそびえるチャンピオン碑の礎石の上に横たわり胸に刻みつけた未完成詩の一節一節を口ずさむのであった。それから堤をおりて桑畑の日当たりで、チラシの裏に新しい一節を書きくわえ、もう一度声高く冒頭から読みあげて、推敲に推敲をかさねるのである。
 ある日、弘田が新京橋を通りかかると、彼の前を一台の荷車が映画の絵看板を積んでゆくのにあった。車をひくのは南栄喜(この直後結成した日本プロレタリア美術家同盟―PP高知支部の中心人物)であり、あとを押すのが吉田であった。吉田は尻からげで鉢巻き姿であった。南が世界館の看板書きを請負っていて、その顔で吉田はときどきロハで映画をみせてもらっていたのだが、それがあまり度かさなるので、その日は看板運びを手伝って、切符切りのおっさんの機嫌をとろうとの考えでこの姿かもしれなかった。彼にはそんな茶目っ気な面もあった。
 弘田も車を押してやろうとしたとき、吉田が車から手を放して、ふところから二つに折った原稿用紙をとりだして「目を通してから意見をきかしとうぜよ」といった。
 弘田はその原稿を受け取ると、使者屋橋をこえて南へまっすぐに歩いた。彼がその原稿をよんだのは、引き潮に干あがった鏡川原であり、それが、「生ける銃架」の原稿だったが、作者名は未記入のままであり、その最後の一節に「おお、迫りくる革命の怒涛、遠くアムールの岸をかむ波の響きは……」とあるところで、弘田は先日の吉田の寝言が、やはりこの一節を生むための苦心だったことに思いあたって胸をうたれた。
 弘田はその詩を二度三度と読み返しながら、これは日本帝国主義の強盗的大陸侵略に対する告発状であるとの感銘をおぼえた。
 それはプロ文学者のすべてが、いまこそ取りあげるべき緊急課題でありながら、誰もが卑怯にも避けているテーマであり、吉田はそれをこの詩の中で大胆に取り上げて、日本帝国主義に挑戦状をたたきつけたわが国最初の反戦長編詩だと評価した。しかし、詩の本質が読者大衆の意識の底に潜在する、かすかな記憶の世界に呼びかけて新しい心理的経験と感動を与える言葉の暗示力だとすれば、その影響力をより効果的に果たすため、作詩上の技術面での不満がないでもなかった。それはこの詩で呼びかける対象によって、主体となる人物―「おれ」と「おれ達」が日中両国人に分裂していることであり、これを日中人いずれかに統一することによって、読者により激しい衝撃を与えることに役だち、完ぺきな傑作となりうるからである。弘田が批判すべき箇所をこの一点にしぼったとき、吉田が川原へおりてきた。「どうじゃったぞのう?」とはにかみ顔であった。弘田が卒直に右の一点を指摘すると、吉田はうなずいてきいていたが、「ありがとう……」と一言いって原稿をふところに入れ、さっさと川原を歩いていった。そして、道路にあがると、落陽のなかにたたずみ、弘田を振り返ってほほえみながら手を振ってみせた。〉

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