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2013.07.12

【エッセイ】 ペリー艦隊が武力を背景に押しつけた片務的最恵国待遇。

 アメリカ人のなかでペリーが日本に来たのは日本人にとっていいことだったという考えがあることを知ってのけぞってしまいました。
 で、ペリーらの行為について僕なりにまとめておこうと思います。(データはウィキペディアなどを使用させていただきます)

 〇マシュー・ペリーは日本開国任務が与えられる一年以上前の一八五一年一月、日本遠征の独自の基本計画をウィリアム・アレクサンダー・グラハム海軍長官に提出していました。そこで彼は、以下のようにのべています。「任務成功のためには四隻の軍艦が必要で、その内三隻は大型の蒸気軍艦であること。日本人は書物で蒸気船を知っているかもしれないが、目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。中国人に対したのと同様に、日本人にたいしても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう。オランダが妨害することが想定されるため、長崎での交渉は避けるべき。」。
 日本開国任務が与えられると、計画はさらに大掛かりになり、東インド艦隊所属の「サスケハナ」、「サラトガ」、「プリマス」に加え、本国艦隊の蒸気艦四隻、帆走戦列艦一隻、帆走スループ二隻、帆走補給艦三隻からなる合計十三隻の大艦隊の編成を要求しました。しかし、予定した本国艦隊の蒸気軍艦四隻の内、使用できるのは「ミシシッピ」のみでした。さらに戦列艦は費用がかかりすぎるため除外され、代わりに西インドから帰国したばかりの蒸気フリゲート「ポーハタン」が加わることになりました。

 〇マシュー・ペリー代将が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船が日本に来たのは一八五三年、一八五四年のことです。
 ペリーは軍艦でやってきたのです。ペリーの『日本遠征記』によると、二度の来航で百発以上の空砲を撃っています。
 武力を背景にアメリカの要求を江戸幕府に飲ませようということでやって来たのです。

 〇マシュー・ペルー側は、アメリカ合衆国大統領国書を幕府に渡しました。そして、翌年三月三十一日の日米和親条約締結にいたりました。
 その内容は、アメリカに物資を補給(薪水給与)するために下田、函館を開港(条約港の設定)すること(第二條)、漂流民の救助、引き渡し(第三條)、アメリカ人居留地を下田に設定する(第五條)、片務的最恵国待遇(第九條)などです。
 一番ひどいなのは「日本政府外國人え當節亞墨利加人え不差免候廉相免し候節は亞墨利加人えも同樣差免可申右に付談判猶豫不致候事」という片務的最恵国待遇(へんむてきさいけいこくたいぐう)です。
 日本が、アメリカ以外の国と条約を結び、アメリカよりも有利な優遇措置を約束した場合、アメリカにも自動的にその優遇措置を適応するというものです。アメリカから輸入する商品にX%の税金をかける条約を結んだあとに、日本が別の国にたいして輸入商品に税金をかけない優遇措置をとる条約を結んだとします。そうしたら、自動的にアメリカから輸入する商品にも同様に税金がかからなくなるというのが最恵国待遇です。「片務的」なのでアメリカ側には日本と同じ義務がありません。

 〇マシュー・ペルーは、アメリカの日本侵略の突破口を開いたのです。

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