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2013.07.23

連載 十七 タイムマシンで「生ける銃架」の十九歳に会い行く 反戦詩人・槇村浩の誕生。【郷土史家・寺石正路が援護者に】

  吉田は、高知市第六尋常小学校を一九二三年三月の四年生の終わりに修了することになります。普通は六年生ですので二年も早い修了です。
 この時期に吉田の援護者として登場したのが高知九反田の中学南海学校の地理、歴史科の教師・寺石正路(一八六八年十月十七日~一九四九年十二月二十三日)です。寺石は、吉田が秀才学校として特殊教育をしていた高知市の私立土佐中学校に進学するさいの橋渡しをしています(野本亮「海南学校の名物教師 寺石正路と吉田豊道」=『ダッタン海峡』第九号)。
 寺石は、東京大学予備門(第一高等中学校の前身)で正岡子規、秋山真之、南方熊楠などと同級。高知の宿毛貝塚、愛媛の平塚貝塚を発見し縄文文化の調査をしました。そして、一八九二年から母校の中学海南学校で地理・歴史科の嘱託教諭をつとめていました。郷土史、考古学、民俗学、人類学などの分野での論文執筆を重ねていました。当時までに、『土佐遺聞録』、『土佐古跡巡遊録』、『食人風俗考』、『土佐に於ける菅公古伝』、『土佐名勝志』、『土佐偉人伝』、『南国遺事』、『維新土佐歴史』、『従五位大石円翁略伝』、『江藤新平ト土佐人』の著書がありました。
  一九二三年三月初め、吉田が、高知市の私立土佐中学校の入学試験を受けます。同じ教室で試験を受けた下司順吉の、その日の吉田の印象=「吉田は小柄で、青白い顔をした、頭の大きい少年で、縞[しま]の袴[はかま]をはいていました。黒い大きな瞳がぬれたように輝いて、かしこさがにじみでている感じでした」(下司順吉「吉田豊道の思い出」=『ダッタン海峡』第五号)。その日の夕方、十五人ほどの合格者が発表されます。吉田、下司、山本大和、川島哲郎らが合格しました。
 同月、吉田は、高知市第六尋常小学校四年生を修了しました。

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