文化・芸術

2009.12.13

十冊目の歌集、『君の瞳の星の中 藤原義一 歌集』が完成。ご注文いただければメールでお送りします。もちろん無料です。

 本日は、二時間ほど、展示の撤収、食料の買い出しで家をほかは、家にいて引っ越し荷物のとりまとめの続き、歌集の原稿の整理をしました。

 午前零時前、ついに十冊目の歌集の版下が完成しました。
 題名は『君の瞳の星の中 藤原義一 歌集』。一昨年三月半ばからの短歌を集めて整理したものです。だいぶ作品をカットしました。A5判で百ページほどです。
 今回は手作りです(「私たちは年金者になっているのよ」という妻のひとことで……)。
 ご注文いたただければメールでお送りいたします。もちろん無料です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市池の浦戸海軍航空隊の跡地の見学。「山に登ると心臓がパクパク」がなくなっていました。

 十二月十二日は朝から高知市池の浦戸海軍航空隊の跡地の見学。
 案内はFUさん。総勢十二人でした。
 計三箇所の戦闘壕跡をまわりました。
 終わったあと、FUさん、DEさん、NAさん、僕の四人は、FUさんさんが最近発見した同航空隊の貯水槽跡へ。
 四十五度ほどの所を登った山の中腹にありました。
 降りるときは、ずるずると滑り降りて帰ってきました。
 途中で気がついたのですが、例の少し登ると心臓がパクパクというのがなくなっていました。治療の成果です。うれしいことです。

 そして、高知市中央公園に向かい県立高知短期大学学友会、同存続を求める学生の会の仲間と一緒に県立高知短期大学学生募集のアピール。僕は、ハンドマイクの担当でした。

 そして、そして、家に帰って妻と僕の引っ越し荷物のとりまとめ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.12

 『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の「……さしさしきしとたくとこそみれ」の訳について。

 『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、こんな歌も載っているそうです。

 恋(こ)ひ恋(こ)ひて邂逅(たまさか)に逢(あ)ひて寝(ね)たる夜(よ)の夢は如何(いかが)見る
 さしさしきしとたくとこそみれ

 これを以下のように訳している人がいます。

  恋しくて恋しくて、その恋しい人とやっと逢えて抱き合った、その夜の夢は何を見よう。
 互いの腕と腕を差し交わし、きしりと音がするほど抱きしめあう、そんな夢を見続けていたいよ。

 「さしさしきしとたくとこそみれ」の訳は不自然ではないでしょうか。僕は、もっと直截(ちょくさい)な行為だと見るのが自然だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「遊びをせんとや生まれけむ…… 遊ぶ子どもの声きけば わが身さへこそゆるがるれ」。

 『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に、こんな文章が載っているそうです。

 遊びをせんとや生まれけむ
 戯(たわむ)れせんとや生まれけん
 遊ぶ子どもの声きけば
 わが身さへこそゆるがるれ

  すごい言葉ですね。

 『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は、十二世紀末、後白河法王が編集した、今様(新たに流行した七五調四句形式の歌謡)、法文歌(仏教讃歌)、神歌(神祇歌)などを分類集成したものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.11

When I meet sadness  「ふれあい」の英語訳です。

 十二月十日につくったものです。

When I meet sadness
I remember you acutely.
I wish he would be stand by me,
and hold on me.
The comfort and tears are unneceaaary.
I only want warmth.
All people can't live alone.
Everybody need someone.
When I feel empty,
I want him to be with me.
There is no words.
We sing that lovely song.
I want to touch his heart.
That brings happinss to me.
All people can't live alone.
Everybody need someone.
I want to touch his heart.
That brings happinss to me.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.10

短歌「高知市民図書館での展示会」。

朝鮮の引き揚げ体験刻み込む 八十枚がロビーで語る

「犠牲者が私に描かせた」引き揚げを絵にした女性(ひと)の思いの熱さ

「わが父はシベリア抑留」朝鮮の引き揚げの絵の前の語らい

次々と若い記者たち訪れて引き揚げの絵に光があたる

「私も語り継ごうの記事書いた」 コピー持ちくる 若い記者あり

「京城(けいじょう。ソウル)で生まれ育った」 中三の引き揚げ語る 図書館の客

「すばらしい。ぜひ本にして」 声あがる 朝鮮引き揚げ 絵たちの力

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.09

千田 是也(せんだ これや)さんのペーネームは「千駄ケ谷のコレヤン(コリアン)」から……。

 演出家の千田 是也(せんだ これや。1904年7月15日 - 1994年12月21日)さんのペーネームの由来を知りました。
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書いていたことです。

 芸名は関東大震災の際、千駄ケ谷で暴徒に朝鮮人に間違えられ殺されかけた経験から“千駄ケ谷のコレヤン(コリアン)”をもじったもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「(大きな体をしているくせに)心も体もガラスみたいに壊れやすい人」という評価。

 朝、起きたら風邪が悪化していました。月曜日の夜から少しおかしかったのです。

 午前、午後の予定をキャンセルして、薬を飲んで、ひたすら寝ました。「夜の授業だけは休みたくない」という思いです。

 妻は、「朝出て、夜まで戻らない」でしたが、昼にいったん家に戻り、「料理教室でつくったものだからね」と枕元に食料を置いてくれて、また、どこかへ出かけていきました。

 午後三時過ぎ、アップ。夜の学校へいく準備をしています。

 ちかごろは、妻から「(大きな体をしているくせに)心も体もガラスみたいに壊れやすい人」という評価を受けています。

 なんとかしなければ……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.08

短歌「 すごいよね。君の瞳の 星の中」。 

すごいよね 君の瞳の 星の中 将来、未来 つまっているよね

いま僕も 「日本の洗濯」準備する 二年半後に おどりでるはず

真夜中に 十二冊目の 構想を 語りぬいてる 妻、眠たそう

「大丈夫? ちゃんとしいよ」と どすきかす 娘世代の 学友のこと

車いす ぐんぐんとおす のっぽの男子男性(こ) ほうけて見てる 「君はすごいよ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.07

今井正監督の戦中の仕事と反省。

 映画監督の今井正さんは、戦争の時代に侵略戦争賛美と思われる映画をいくつかつくっています。
 一九三九年、「われらが教官」(東宝映画)。軍国美談もの。モデルは飯塚部隊長。
 四〇年、「女の街」(東宝映画)。戦地に夫を送った妻がけなげに留守を守る話。
 四三年、「望楼の決死隊」(東宝映画。後援・朝鮮総督府)。作品の時代は三五年で、日本にとって重要産業地帯だった満州(中国東北部)と朝鮮の国境でたたかう日本警察官たちの活躍を活劇風に描いた作品。
 四四年、「怒りの海」(東宝映画)。戦艦建造学の権威・平賀譲博士がモデルです。二三年、ワシントン軍縮会議で主力艦力の比をアメリカ、イギリス、日本五対五対三に決められた日本海軍は、平賀博士を中心に量より質で勝負しようと決意しました。俊英艦の建造に苦労する博士……。

 こうしたことについて今井監督は、どう思っていたでしょうか。
  『今井正「全仕事」 スクリーンのある人生』(映画の本工房ありす。九〇年十月一日)に、そのことを書いた「屑屋(くずや)開業」という文章が載っていました(初出・『映画手帖』五〇年十二月号)。
  「私は学生時代に左翼運動をやり、何回か引っ張られた後転向した。そして戦争中に、何本かの戦争協力映画を作った。私は、そのことを、私の犯した誤りの中で最も大きな誤りであったと深く恥じている。しかし、戦争が終わった後も、いかなる立場を守るべきかということを永い間、私はためらっていた。前途に横たわる困難な時代を、果たして動揺なしに切り抜けられるだろうか---自分の弱さを知っているだけに、私のためらいは大きかった。心の中のエゴイズムと闘いながら、その問題を割り切ることができるまでに年余の月日を経過した」
 「私は、この前の戦争に際して犯した誤りは、二度とくり返してはならないと考える。自分の信念を忠実に守り抜いていきたいと考える。そのために、ハーモニカすら鳴らすことができなかったとしても私の心は満足と誇りを感ずるだろう」

 今井監督は、戦後、四六年に戦争中の財閥を批判した「民衆の敵」(東宝映画)、九年に「青い山脈 前後編」(藤本プロ・東宝)、五〇年に「また逢う日まで」(東宝)などの監督をしていました。
 そして、この文章を書いた当時は、アメリカ占領軍のレッド・パージ政策のもと「アカ」だということで映画界からボイコットされていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧