旅行・地域

2005.01.13

三世代ツアー 小石川植物園、上野動物園

 やっと、やっと二〇〇五年一月五日から正月休みです。

 この日午前から国立大学法人東京大学大学院理学系研究科附属植物園にいきました。東京都文京区白山の小石川植物園のことです。
 メンバーは、弟、妻、娘、娘の二人の娘の計六人です。

 入口の左手に美しい花が咲いていました。
 シロヤブツバキでした。
 楚々とした美しい花です。

 そして、カンザクラ。
 メジロが二羽きていました。
 この近くでシーツを敷いて昼食。
 四歳五カ月のエミは、わが弟と走り回り、九カ月のユリは地べたに座り込んでわいわいやっていました。

 下の池のほうにいったら梅園がありました。
 もう咲き始めていました。

 帰ろうとしていたら弟が「あそこに写真を撮っている人がいるから花があるにちがいない」。
 正門の右手です。
 いってみるとソシンロウバイでした。

 遊ぶことについては疲れを見せないわが集団。続いて、上野動物園にいきました。
 
 ペンギンの つばさのワッカ 悲しいね
 水中ジャンプは
 野生のようだが

 この動物園のペンギンの片一方の翼には「認識票」のようなワッカがついていました。
 なんだか、悲しくなりました。

 この日、孫たちと付き合って発見がありました。
 四歳のエミは、ずいぶん精神的に成長して「母や妹への思いやり」とか、「恥ずかしい」とか、「プライド」とか、いろんなことかわかるようになっているということです。
 すごいぞ、エミ!!!!

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2005.01.17

クジャクとの「交流」

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 二〇〇五年一月十七日、休み。
 午前中から娘、娘の娘二人と東京都の多摩動物公園に。
 ここで好きなのは、クジャクが放し飼いされていて、彼らと「交流」できることです。
 それにしても、ここも、動物の写真を撮ろうとすると、いかにも「動物園で」という感じになってしまいます。
 もう少し「自然の中にいる」という演出ができないものでしょうか。
 ブツブツ…。

 顔も目も 一筆がきの まん丸で
 ほっぺは真っ赤
 四歳の孫娘(こ)よ

 紅葉手に 指あてがえば 握り締め
 丸い目で見る
 ゼロ歳の孫娘(こ)は

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阪神・淡路大震災十年

 二〇〇五年一月十七日が終わろうとしています。
 十年前の、この日早朝、電話で起こされました。
 「神戸が火の海だ。大地震だ」
 テレビをつけるとすごいことになっていました。
 関係者に電話をしまくりました。
 一息ついて、「京都の息子は、どうだったろうか?」。
 彼の部屋には電話がありませんでした。
 しばらくして、無事がわかりました。
 各地から救援、ボランティアの人が現地にかけつけました。
 大学生だった息子もボランティアに参加しました。
 「ボランティア元年」が始まりました。

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2005.01.24

野球の四国リーグ

 四国に野球の「独立チーム」をつくろうという計画が進んでいます。
 各県一球団の計四チームのリーグ戦。
 プロ野球オリックス元監督の石毛宏典さんの挑戦です。
 選手の月給十二万円。
 四月に開幕といいます。
 楽しみです。

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2005.01.27

宇高連絡船のうどんはおいしかったですね。

 東京に住み始めて三十七年になりますが、いまだに東京の店のうどんには、いまだになじめません。
 「からい」というか、「うどんの醤油漬づけ」のような感じだからです。
 でも、好物なので、しょっちゅう食べています。
 心の中で「なんで、こんな味なんだ」と、ブツブツいいながら……。

 おいしかったうどんといえば、宇高連絡船の船のデッキにあったうどん屋さんを思い出します。
 値段は手ごろで、つゆも、うどんも、具もOKでした。
 宇高連絡船は、岡山県の宇野駅と香川県の高松駅を約一時間で結ぶ航路でした。
 瀬戸大橋線の開業により、一九八八年四月月九日で廃止されました。
 高知大学に入って、学生自治会の執行委員、委員長になったころ、会議で京都市や東京都にいきはじめて、よく宇高連絡船に乗りました。
 二十歳で上京。高知への帰郷のときも、宇高連絡船でした。
 宇高連絡船の楽しみは、このデッキのうどん。

 これと同じ味のうどんを食べられる所が、いまあるでしょうか。
 知っているかた、教えていただければ幸いです。
 それと、東京で関西風の安くておいしいうどんを食べることのできる所を知っているかたも、ぜひ……。

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2005.02.01

土佐弁しかできない兄弟のフィリピン旅行 (再掲載)

 やっと、やっと二〇〇五年一月五日から正月休みです。
 この休み中の一月六日から十日まで高知県の「借地農民」の弟と二人でフィリピンにいく予定です。

 ●わおーっ。フィリピンにいくぞ●

 六日午後零時。
 ではフィリピンにいってまいります。
 できる言語は土佐弁のみという二人の海外旅行です。
 航空券とホテルだけは取っていますがガイドもなし。
 どうなることやら……。
 これはアドベンチャーです。
 まず最初の難関が入国ですが……。
 でも、思ったよりすんなりとマニラの空港から入国。
 まず、両替をしました。
 ホテルまでのタクシーを物色していたら、泊まることになっていたホテルのボーイと称する男性が出現。
 その男性の用意した「白タク」のようなのに乗ってのホテル入りしました。
 
 ●出合った花たちのこと●

 青空を 背景にして 咲き誇る
 ブーゲンビリアの
 透けるよな赤

 まずは、出合った花たちを紹介します。
 ☆ マニラのラサール公園、マラテ地区、コレヒドールなどで、いつも温室で見ている白い花が咲いていました。
 プリメリアです。
 キョウトウチク科プルメリア属。和名は、インドソケイです。
 この写真はマニラで。
 ☆ マニラ、コレヒドールなどでハイビスカスを見ました。
 アオイ科フヨウ属です。
 写真は、マニラで。
 ☆ ブーゲンビリアを、コレヒドールで撮りました。これも、いつも温室で見ている花ですが、青空の似合う花です。
 オシロイバナ科イカダカズラ属です。
 ☆ コレヒドールでパパイヤの花に出合いました。これは初めてです。
 パパイヤ科パパイヤ属です。

 ●セブンイレブンに銃を持った警備員●

 マニラでびっくりしたのは銃を持った警備員が、いろんな所にいたことです。
 七日午後、マラテ地区のコンビニエンスストア・ミニストップにいったら腰に銃を下げた男性の警備員がいて、ギョッ。なぜ、コンビニに……。
 八日早朝、高架鉄道のペドロヒル駅前のマクドナルドの店に入ったら、ここにも腰に銃を下げた男性の警備員がいました。
 近くのセブンイレブンに入ったら、ここも同様でした。
 さて、高架鉄道に乗ろうとしてペドロヒル駅に入ろうとしたら、入口で警備員が「待った」。
 「そこの机の上にバックを置いて、開けなさい」
 棒で中に入っているものを調べます。
 「これは? カメラ?」
 「そうです。カメラです」
 OKになって、やっと駅の中に入れました。
 この入口での検査は、首都圏鉄道でも同じでした。
 この遠出の帰りに、また、ペドロヒル駅前の中華の店「チョウキング」に入ったら、ここにも拳銃所持の警備員がいました。
 いやーっ、すごい街だなぁと思いました。
 泊まっているPホテルに向かっている途中にロビンソンデパートがあります。
 その前で車の整理をしている警備員は筒の長い銃を持っていました。同デパートに入ろうとすると、ここでも入口でバッグの中身を調べられました。
 すぐ近くのフィリピン総合病院の入口にも銃を持った警備員が…。
 うんざりもいいところです。
 極めつけは九日にアリストクラットという大衆レストランに入ろうとしたときのことです。
 ここはまわりに複数の筒の長い銃を持った警備員がいました。
 そして、入口にも銃を持った警備員がいて、バッグの検査をされました。
 どうなってるんだ!!

 ●日本の侵略の傷跡を見ておきたい●

 実は、このフィリピン旅行は、日本の侵略の傷跡を見ておきたいという意図でした。
 一九四一年十二月八日、日本軍によるマレー半島への上陸とハワイの真珠湾への攻撃で太平洋戦争が始まりました。
 真珠湾攻撃の十時間後、日本軍の編隊がフィリピンのルソン島中部のクラーク、イバのアメリカ軍基地の上空に達し、アメリカ軍戦闘機などを爆撃しました(当時は、アメリカがフィリピンを植民地支配していました)。日本軍は、同月二十二日にルソン島北西部のリンガエン湾から上陸。翌年一月二日、首都マニラに入城し、翌日、日本軍政を宣布しました。
 そして、四三年十月十四日、かいらい政権(「フィリピン共和国」)をつくりました。
 この間、フィリピン人抗日ゲリラが抵抗運動を続けます。
 四五年二月三日、アメリカ軍は、レイテ島から再上陸してマニラを奪回します。
 太平洋戦争中、戦争で亡くなったフィリッピン人は一説に百万人ともいわれます。
 戦争中、フィリピンで亡くなった日本人は軍民合わせて約五十一万八千人といわれます。「母の姉の夫の弟」も、その一人です。

 ●日本軍の憲兵隊本部や牢獄の跡●

 七日午前、マニラのサンチャゴ要塞にいきました。
 スペイン人が建てたものです。
 スペインが植民地支配した時代には牢獄、アメリカが植民地支配した時代にはアメリカ陸軍本部、日本の占領の時代には憲兵隊本部や牢獄として使われました。
 憲兵隊というのは陸軍の「警察」ですが、植民地では圧制の先頭に立ちました。
 フィリピン人の警備員が、僕たちを日本人と見て、地下牢の鍵を開けて内部を見せてくれました。
 当時の様子が人形や資料写真でわかるようになっていました。
 とにかく閉所恐怖症気味の僕には辛い見学でした。
 一九四五年二月、日本軍の残虐行為によって牢獄内で約六百人のフィリピン人とアメリカ人が死亡したといわれます。

 ●バスに乗ってカバナツアンへ●

 八日朝、マニラのエドウサ駅近くのバスターミナルからカバナツアンいきのバスに乗りました。
 「母の姉の夫の弟」が陸軍に召集され、この町で戦病死しているのです。
 くわしいことはわからないだろうが、どんな町だったのかだけでも見ておきたいという思いです。
 三時間以上かかりました。
 農業地帯の中のけっこうにぎやかな町でした。
 とにかく町を散歩。
 弟と二人で田植え風景を見ていると小学生くらいの女の子二人、男の子三人が「何してるの」「どこからきたの」と話しかけてきました。
 「日本から」というと「ジャパニーズ。ジャパニーズ」といって、いろいろ質問してきました。
 好奇心いっぱいのかわいい目をした子どもたちでした。
 まあ、ここは、いってきたというだけでしたが、ここにも日本の軍隊がきていたのかと複雑な気持ちでした。

 ●コレヒドールの元日本軍属のガイド●

 九日、コレヒドール島にいきました。
 多国籍の人々のツアーに参加しました。
 マニラからクルーズに乗り、島ではバスに分乗して移動しました。
 海が澄み切った美しい島でした。
 日本軍がフィリピンに侵攻する中、アメリカ極東軍最高司令官
ダグラス・マッカーサーやフィリピン独立準備政府大統領のマヌエル・ケソンが、この島に逃れ、指揮をとりました。
 一九四一年十二月に十九日から、この島の空襲を開始。この島の北西にあるバターン半島を攻略し、翌四二年五月、この島に激しい攻撃を加えて上陸。一万三千人余りいたアメリカ、フィリピンの軍人と民間人を捕虜にしました。
 マッカーサーやケソンは、その前に魚雷艇や潜水艦で別々にこの島を脱出しています。
 四五年二月、連合軍は、空と海からの攻撃で、この島に再上陸を果たしました。
 この時の戦闘で、この島を防衛中の日本軍約六千人の大半が戦死。連合軍も二百二十五人の死者、行方不明者を出しました。
 十数人の日本人のバスのガイドはフィリピン人男性・ウイリーさん(七十七歳)。
 「大和魂(やまとだましい)」
 「天皇陛下の軍人」
 「君が代の軍人」
 といった言葉が口をついて出ます。
 「君が代」、「海ゆかば」、「愛国行進曲」などを歌い、「軍人勅諭」を暗唱します。
 日本軍占領期に日本の軍属をしていたといいます。
 「英語を使うとビンタが飛んできた。すべて日本語だった」
 「日本軍の軍票を使わされたドルやゲリラの札を使うと死刑になった」
 この島で「日本帝国政府」が、当時、発行した軍票を十枚入手しました。

 もっと書きたいことがあったはずです。いつか「つづき」を書きたいと思っています。

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2005.02.02

東京都三宅島の避難指示解除

 ガスマスク 身近においての 生活か
 三宅の暮らし
 応援してるよ

 二〇〇五年二月一日夜、東京都三宅島(みやけしま)の避難指示解除。
 四年半ぶりに住民が島に帰ることができるようになりました。
 この日午後十時半過ぎ、東京の竹島桟橋から三宅島の人たちの第一陣が、船で三宅島に向かいました。
 明け方には島に着く予定です。

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2005.02.12

高知のブンタンをいただきました。

 土佐からの でかいブンタン 一つ切り
 甘い香りを
 さくさく食べる

 二〇〇五年二月十二日午前。
 高知市のOさんからブンタンをいただきました。
 早速、妻と二人で「わーっ、おいしい」。
 ありがとうございます。
 土佐市の西森貞男さんの農園でできたものでした。

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2005.02.16

東京都国分寺市のエックス山にいってきたよ。

20050215_025

 二〇〇五年二月十五日午後。
 出勤前に近くのお気に入りの食堂で昼食。そこで、ふと見た雑誌に東京都国分寺市の「エックス山」のことが出ていました。
 西恋ヶ窪三丁目だといいます。
 「エックス山」とは何? 国分寺に山はあったの?
 さっそくいってみました。
 スーパー・いなげ屋の裏の雑木林のことでした。(写真)
 そこに立っていた西恋ヶ窪緑地市民協議会、国分寺市環境部自然環境課の看板によると、正式には「西恋ヶ窪緑地」というそうです。
 「市内で最大の緑地」といいます。
 いいところです。
 でも、なぜ、「エックス山」というのでしょうか?

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2005.02.22

太陽色のブンタンが着きました。

 ふるさとの 光いっぱい たくわえた
 太陽色の
 ブンタンが着く

 二〇〇五年二月二十一日夜のことです。
 送ってくれたのは、高知市の高校一年生のときからの友人です。

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2005.02.27

東京都小金井市貫井南町、二万二千歩の旅。

 二〇〇五年二月二十七日。
 休み。
 午前十時半から午後三時まで東京都小金井市貫井南町を歩き回りました。
 おかげで万歩計は二万二千を突破しました。

 暮らしの中を野川が流れています。
 澄んだ水です。

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 川の中にシラサギが一羽いました。
 パーッと飛び立った時の美しい姿…。これを正面から撮ってみたいのですがうまくいきません。
 カルガモが二羽、水中から飛び立って、橋を超えて向こう側の水中に着地しました。
 これもカメラが間に合いませんでした。

 庚申塔(こうしんとう)とか、江戸時代のものが残っているまちでした。
 写真の石像には「正徳」と彫ってあります。

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 つぎの写真が庚申塔です。

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 「くらぼね坂」を上り下りしました。
 急な坂で、寒い日だというのに汗が出ました。

 「歩き回ってご苦労さん」と自分にごほうび。
 わが家の近くの花屋でサイネリアの鉢を買いました。六百円也。

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2005.06.19

アジサイを、ついに撮りました。

 アジサイの 花の好みが 狭くなり
 やっと会えたよ
 うん、この形

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 二〇〇五年六月十七日午前。
 東京都府中市栄町の都営団地の庭で、こんなアジサイに出合いました。
 このところ、ずーっとアジサイを撮りたいと思っていましたが、自分のイメージにあう花にめぐり合えませんでした。
 これはイメージどうりの花です。

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ザクロの花の魅力は…。

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 二〇〇五年六月十七日午後。
 出勤途上の東京都国分寺東元町二丁目で撮りました。
 ザクロの花です。
 日々多様に変化して、すごくひかれる花です。

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ここも戦場だったのか。

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 ご覧ください。この表示。
 ここは東京都渋谷区千駄ヶ谷五丁目。明治通り沿いです。
 六十年前、ここにあった国民学校がアメリカの空襲で焼かれたといいます。
 ここも戦場だったのです。

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キングサリが満開でした。

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 二〇〇五年六月十九日夕、あるところで黄色いフジのような花を見つけました。道沿いの両側にいっぱい咲いています。
 聞くと、キングサリだといいます。
 マメ科キングサリ属の落葉中高木です。

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2005.06.24

わが庭のユリの花。きれいでしょう。

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 二〇〇五年六月二十三日午前、わが家の小さな庭のユリの花を撮りました。
 数日前から二つほど咲いていましたが、こちらに顔を向けてくれていませんでした。

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アジサイの花って、どんなもの?

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 学名は 「水の容器」の 意味という
 梅雨(つゆ)を貯めてる
 アジサイを撮る

 二〇〇五年六月二十三日午前、出勤前に東京都国分寺市東元町二丁目でアジサイの花をとりました。
 アジサイの学名、Hydrangeaは、「水の容器」という意味とか。ユキノシタ科アジサイ属です。原産地は日本。
 一般に花といわれている部分は萼(がく)で、花は中心部で小さくめだたないといいます。
 写真の、中心のものが花でしょうか。

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感激しました。沖縄県の小学六年生の男の子の詩。

 二〇〇五年六月二十三日昼、NHK総合テレビの中継で見た、沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。与那原東小学校六年生の上原凛(りん)君(十二歳)が読み上げた自作の詩に感動しました。

 今ぼくにできること
 戦争がいやだといえること
 戦争のこわさをつたえていくこと
 そして平和を願うこと

 人の心をとらえ、行動にかりたてます。

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2005.06.28

上原凜君の詩「平和な今」

 上原凜君の詩の全文を「さーやん」が教えてくれました。
 ありがとうございました。
 元は「琉球新報」のホームページといいます。


   平和な今     上原 凜

 ぼくは戦争を知らない
 戦争は人の命をうばい
 すべてのものをうばうという
 そんな戦争が今でもどこかで続いている
 どうして?

 ぼくは戦争を知らない
 戦争は家族をバラバラにし
 人の心をメチャクチャにするという
 そんなバカな事がいつまでもやめられない
 どうして?

 ぼくは戦争を知らない
 美しい山や自然が戦争でこわされ
 明るくおだやかな生活が
 戦争でなくなっていくという
 そんな悲しいことが ずっと 終わらない
 どうして?

 ぼくは戦争はいやだ
 友達といっしょに笑い
 家族と共に食事をする
 そんなふつうなことが
 いつまでも続いてほしい

 ぼくは戦争はいやだ
 げっとうの花がさき
 青い海で元気に泳ぐ
 そんなことが
 ずっと続いてほしい

 ぼくは戦争はいやだ
 学校で授業を受け
 たん生日をみんなで祝うそんなあたりまえのことが
 なくなってほしくない

 今ぼくにできること
 仲間を大切に思うこと
 仲間と協力し合うこと
 そして
 いやだと思うことは
 はっきりNOといえること

 今ぼくにできること
 戦争がいやだといえること
 戦争のこわさを伝えていくこと
 そして
 みんなで平和を願うこと

 ぼくは戦争を知らない
 でも ぼくは戦争はいやだ
 今ぼくにできること
 毎日を大切に生きること
 人の痛みを感じること
 平和な今に感謝すること

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2005.06.29

「降るのよ蛍が」のシーン

 二〇〇五年六月二十八日夜、ベッドに横になって手をのばしたら宮本輝さんの小説『蛍川(ほたるがわ)』がありました。
 角川文庫のもので、十年以上も前、映画「蛍川」を見た後で買った物だと思います。
 この間の日曜日に、本の整理をしましたが、そのとき、まぎれこんだものだと思います。
 読んでみました。

 このなせりふがありました。
 「降るのよ蛍が。……蛍の群れよ。群れっちゅうより、塊りっちゅうほうがええがや。いたち川のずっと上(かみ)の、広い田んぼばっかりの所から、まだずっと向こうの誰(だれ)も人のおらん所で蛍が生まれるがや。いたち川もその辺に行くと、深いきれいな川なんじゃ。とにかく、ものすごい数の蛍よ。大雪みたいに、右に左に蛍が降るがや」
 一度、こんなシーンを見てみたいことですね。
 来年以降になるでしょうが、このなシーンが見られる所、ご存知ありませんか。

 映画の蛍のシーンも、もう一度見直したいものだと思いました。

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2005.06.30

ノウゼンカズラはのびる、のびる。

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 よじ登り 空(そら)つかもうと 花咲かす
 ノウゼンカズラか
 友らほがらか

 二〇〇五年六月三十日。特別の休み。
 午前九時から夜九時まで、地域を走り回りました。
 世の中を変えようとする群像を、間近に見ました。
 感激しました。

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額縁の中の生花のヒマワリ。

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 二〇〇五年六月三十日。
 いいでしょう。これ。
 東京都府中市新町の喫茶店で。
 感動しました。

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2005.07.06

クチナシの花

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 二〇〇五年七月五日。朝の出勤のとき庭のクチナシを見たら、これから開きますよという感じの花がありました。
 いつも全開の花しか見ていないので新鮮でした。

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ノウゼンカズラが斜め上に向かって咲く仕組み

 二〇〇五年七月四日。
 散歩をしていてノウゼンカズラと出会いました。
 よく花を見てみると、雄しべと雌しべらしいものが、上の花びらにぴったりとくっついているんですね。
 こういう仕組みで、花が斜め上に向かうようになっているのではないでしょうか。

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ムクゲの季節になりました。

 二〇〇五年七月五日。
 朝の出勤の途中、ムクゲの咲いているのを見ました。
 ことしは初めてです。
 「また会えたね」
 と、いう感じです。

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2005.07.17

四国、よいとこ 1 高知市、いの町、南国市の路面電車

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 二〇〇五年七月十六日、東京都から高知市に引っ越してきました。

 高知といえば土佐電氣鐵道株式會社(土佐電鉄)の路面電車。
 いの町、高知市、南国市をゆうゆうと走っています。
 三つ路線があります。

  【桟橋線】 以下は、電停
 高知(JR高知駅前) 蓮池町通 はりまや橋 梅の辻 桟橋通一丁目 桟橋通二丁目 桟橋通三丁目 桟橋通四丁目 岸壁通 桟橋通五丁目
 【後免線】 以下は、電停
 はりまや橋 デンテツターミナルビル前 菜園場町 宝永町 知寄町一丁目 知寄町二丁目 知寄町 知寄町三丁目 葛島東詰 西高須  県立美術館通 高須 文珠通 介良通 新木 東新木 田辺島通 鹿児 舟戸 北浦 領石通 清和学園前 一条橋 明見橋 長崎 小篭通 篠原 住吉通 東工業前 後免西町 後免中町 後免東町 後免町
 【伊野線】 以下は、電停
 はりまや橋 堀詰 大橋通 高知城前 県庁前 グランド通 升形
 上町一丁目 上町二丁目 上町四丁目 上町五丁目 旭町一丁目 旭駅前通 旭町三丁目 蛍橋 鏡川橋 鴨部 曙町東町 曙町 朝倉 朝倉駅前 朝倉神社前 宮の奥 咥内(こうのたに) 宇治団地前 八代通 中山 枝川 伊野商業前 北山 鳴谷 伊野駅前 伊野
 この電停の多さが魅力です。

 高校時代には「伊野」、「大橋通」間によく乗りました。
 大学時代には「伊野」、「朝倉」間によく乗りました。
 路面電車は、懐かしい思い出をいっぱい詰め込んで街中を走っています。
 「高知」(JR高知駅前)で乗って、「はりまや橋」御免線に乗り換えて「菜園場町」。そこから歩いて数分が、今度の僕んちです。

 まっさらの 畳の香りに 包まれて
 独り寝初日
 「うん。これもこれ」 

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四国、よいとこ 3 パン・サラダバイキングのモーニングサービス

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 二〇〇五年七月十七日朝、JR高知駅近くにいったら、駅の左手に
パン・サラダバイキングのモーニングサービスをやっている店がありました。
 パン、サラダは食べ放題。ドリンクが一品つきます。午前六時半から十一時まで。四百五十円。
 アイスコーヒーに卵焼き、サラダ、果物……。
 バランスもいいし、出勤のコースだし。グーです。

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四国、よいとこ 4 高知市北本町の露地野菜市

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 二〇〇五年七月十七日午後、高知市北本町のホームセンターで、シャンプー、歯磨き粉、フック、ガムテープなどを買い込んでふうふういいながら家に歩いて帰っていたら、途中、北本町に無人の露地野菜市がありました。
 ナスが七つで百円!!
 ついつい買ってしまいました。
 家に帰ってから「焼きナスにしようか」。
 しかし、しょう油をまだ買っていませんでした。
 できあがったのを何もつけないで食べましたが、けっこういけました。

 「あれもない。これも忘れた」 悔いている
 足りないだらけの
 引越し二日目

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2005.07.20

四国、よいとこ 5 「五年以下の懲役、又は一〇〇〇万円以下の罰金」

  二〇〇五年七月十八日朝。
 高知市九反田(くたんだ)の堀川ぞいを歩いていたら、電柱にすごい表示がついていました。
 「ゴミの不法投棄を禁止します。
 違反したものは『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』により五年以下の懲役、又は一〇〇〇万円以下の罰金に処せられます。
   高知市長
   警察署長」
 「すごい法律やねや。いくらなんでも罪が重いねや」
 そう思いつつ、よく見たら「五年」と「一〇〇〇万円」の所は、後で白い紙をはって書いてあるものでした。
 住民の怒りの表明でしょうか。
 それにしても、本当は、何年で、何万円なのでしょうか。

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四国、よいとこ 6 高松市で、うどんを食べたよ

 二〇〇五年七月十八日。
 朝から仕事で高知市から高松市へ。
 JR高知駅前の高速バスターミナルからは、高松市いきが十三本出ています(午前七時十分から午後七時四十分まで)。
 車内でしばらく作業していましたが、そのうちムムムム……。
 昼食は、うどん屋へ。
 東京の「しょう油でにつけたような汁」の、うどんばかり食べていてうんざりしていました。ひさしぶりに「本当の、うどん」を食べられます。
 入った店は以下のようなやり方。
 注文して、どんぶりにゆでたうどんをいれてもらいます。好きな天ぷらを好きなだけ、それに乗せます。おにぎりなどもとります。そこで、お勘定。四百円也でした。給湯器で、うどんのどんぶりに汁を入れます。
 うん。おいしい。
 気がついたら、うどんの汁をぜんぶ飲み干していました!!

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2005.07.27

白いムクゲが、きりっと咲いてた。

 新しい 任地に向かう 雨のなか
 白いムクゲが
 きりっと咲いてた

 二〇〇五年七月二十六日午後、東京都国分寺市東元町で。

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四国、よいとこ 7 岡山市の路面電車

 二〇〇五年七月二十七日午前。

 きょうは四国から少し離れて岡山市にいます。
 岡山駅から路面電車が二路線通っています。
 電停は計十五です。

 http://211.12.247.190/OKADEN/OkayaMap/

 小規模な路面電車ですが街中をゆうゆうと走っている姿は爽快です。

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2005.07.28

四国、よいとこ 8 「逝いて還らぬ教え児よ…」

20050728_022

 二〇〇五年七月二十八日午後。

 新しい職場の近くに高知市の城西公園があります。
 近くを通っていたら「戦死せる教え児よ」の碑がありました。
 高知の中学教員だった竹本源治が一九五二年に高知県教職員組合の機関誌に発表した「戦死せる教え児よ」の詩が刻まれています。

 逝いて還らぬ教え児よ
 私の手は血まみれだ
 君を縊(くび)ったその綱の
 端を私も持っていた
 しかも人の子の師の名において
 嗚呼!
 「お互いだまされていた」の言訳が
 なんでできよう
 慙愧(ざんき) 悔恨 懺悔(ざんげ)を重ねても
 それが何の償いになろう
 逝った君はもう還らない
 今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
 涙をはらって
 君の墓標に誓う
 「繰り返さぬぞ絶対に!」

 碑の文章を読んでいたら背筋がぞくっとしました。
 「繰り返さぬぞ絶対に!」
 こんな詩を書く人がいて、この詩をこういう形で残そうとする人たちがいる……。高知って素敵です。

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2005.07.30

四国、よいとこ 9 土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)

 二〇〇五年七月三十日午前十時九分、高知駅発の土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)に乗りました。
 この日乗った列車は、二両編成。二人掛けのいす、一人掛けの補助いすがあって、その外の右側が窓ガラスなしのデッキになっているものです。
 デッキは後免駅(ごめんえき)、奈半利駅(なはりえき)のみで利用できます。
 僕のいきたいのは、この途中の安芸駅です。
 後免駅に着いたら、さっそくデッキに出ました。
 窓から見える平野は、稲のたわわに実った水田、刈り取ったばかりの水田、田植えのために水をはった水田…とコントラストがみごとです。
 太平洋も見えてきました。奇麗な砂浜に打ち寄せる波。「わーっ。海を見たのは久しぶりだなぁ」。
 テニアンの海を思い出しました。
 トンネルが四カ所ありました。
 トンネル内走行中は強風が吹きつけます。要注意です。
 夜九時まで安芸市で仕事をして、「さぁ、帰るぞ」。
 列車は、ゆっくりとスタートしました。

 土佐くろしお鉄道株式会社の土佐くろしお鉄道は、高知県で鉄道事業を行っている第三セクター方式の鉄道会社です。旧国鉄および日本鉄道建設公団から現在の中村線、宿毛線、阿佐線(ごめん・なはり線)の三路線を引き継ぎ、運営しています。
 高知県と沿線自治体で、同社の株式の九割以上を保有しています。
 同社の設立は、一九八六年五月八日。本社は、高知県四万十市です。 
 阿佐線(ごめん・なはり線)は、二〇〇二年七月一日に開業しました。
 各駅に高知出身の漫画家やなせたかしさんデザインのイメージキャラクターを設定しています。

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2005.08.01

四国、よいとこ 10 「どろめ」を食べたよ

 二〇〇五年八月一日午後。

 知り合いが、高知市の浦戸湾でとれたばかりの「どろめ」を持ってきました。
 えわーっ。皿にてんこ盛り。
 「生の稚魚がいっぱい」という感じの食べ物です。
 友人が送ってくれた香川県坂出市のしょう油をかけて食べました。
 おいしい!
 温かいご飯があれば、いい感じだったと思います。

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単身の宿ととのえて妻は去る。

 二〇〇五年八月一日。

 ミンミンの 叫びの中で 目覚めてる
 高知の街の
 ど真ん中の家

 単身の 宿ととのえて 妻は去る
 ありがたいこと
 かけがいはなし

 明日(あした)やる
 いくつかのこと 書き出して
 きょう、この夜中 仕事を終える

 履歴見て
 「何の御用?」と いってくる
 単身赴任の 夫のもとへ

 晩飯に
 わが弟が 手をかけた
 トウモロコシを カリカリと食う

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2005.08.05

四国、よいとこ 11 高知県土佐市宇佐のタカサゴユリ

 20050805_064

 二〇〇五年八月五日午後、高知市の「堺町」から県交通バスで土佐市の「宇佐」へ。
 かつて通っていた高知大学を過ぎてすぐ左に回って、ひたすらバスは走ります。
 一時間半で宇佐の海!!
 「宇佐」のバス停も海べりです。
 近くに白いユリがたくさん咲いていました。
 後で聞いたらタカサゴユリだということでした。
 君は、台湾からきたの?

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熱風が吹きつけてくる、この感じ。

 熱風が 吹きつけてくる
 この感じ 高知の夏だ
 きょうも青空

 二〇〇五年八月五日。

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2005.08.06

妻からの電話なし…。

 夫をば 放し飼いかよ 離れ妻
 電話も、とんと
 こないこのごろ

 二〇〇五年八月六日。
 灼熱の高松市を歩きました。
 夕方、高知市に帰って、また一仕事。
 帰って、洗濯、風呂、夕食。そして、いま、遅い夕食用にジャガイモをふかしています。
 このジャガイモは、いの町で借地農業をやっている弟が持ってきてくれたものです。
 スイカ、トウモロコシ、ナス、ジャガイモと野菜をいっぱい持ってきてくれています。
 外食では肉類が多くなるので、せめて家では野菜中心にと思っています。

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2005.08.08

息子の嫁は、いまベネデイラ。

 妻、東京  「いま、長崎」と 息子、いう
 嫁、ベネデイラ
 僕、高知だよ

 二〇〇五年八月七日の、「わが家」の状況です。

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2005.08.10

四国、よいとこ 12 よさこい祭り

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 二〇〇五年八月十日。

 朝から高速バスで高知市から高松市へ。
 二仕事して、帰りの高速バスの中で一仕事。
 なんやかんやで、やっと、よさこい祭りを見れたのは夜の九時から。
 菜園場(さえんば)で見ました。
 しかし、三十分後に終わり。
 もっと写真を撮りたかったのに!!!

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2005.08.13

四国、よいとこ 13 高知市筆山町の赤い花

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 二〇〇五年八月十二日。

 朝、オートバイで出勤していたら高知市筆山町(ひつざんちょう)の鏡川べりの街路樹に、見たことがない赤い花が咲いていました。
 名前を知りたいのですが、いまのところ不明。

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2005.08.15

四国、よいとこ 14 わーっ、高知の雨。

 二〇〇五年八月十五日。
 勤務している事務所のクーラーがダウン。あつっっっっい。
 と思っていると、午後一時半ころから雨。
 雷がどんどん落ちます。
 七月末に高知市にやってきてから初めて体験する雨です。
 街路樹も、ひさしぶりの雨に洗われてうれしそうです。

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四国、よいとこ 15 なんとか主夫をやっています。

 二〇〇五年八月十五日。

 午前八時に家を出て、午後十時に、やっと帰ってきました。
 ○ 台所の生ゴミを処理。
 ○ 風呂に入る。
 ○ 洗濯。
 ○ 夕食のしたく。妻が買ってきておいてくれたうどん。高知県いの町の弟が持ってきてくれたナスとニンニク。香川県坂出市のしょう油製造工場の娘さんからいただいたしょう油。自分で漬けておいたナス。こんなものを材料に料理して、食事。
 ○ 洗濯が上がりました。庭に干しにいきます。
 そして、ウイスキーの水割りを楽しんでいます。
 明日も午前八時出発です。
 よーっしー、がんばろう。
 明日は遠くにいって泊まりになる予定。

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2005.08.21

四国、よいとこ 16 一転、雨が続きます。

 二〇〇五年八月二十一日。

 高知市は、二十日、二十一日と雨。
 いままでのかんかん照りの敵討ちみたいによく降ります。

 ところで、二十日、東京の妻が高知市にやってきました。
 二十一日は、高知県いの町の弟もやってきました。三泊四日で、友だちと台湾にいっていたそうです。 

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2005.08.24

四国、よいとこ 17 野菜不足に恐怖して…

 二〇〇五年八月二十四日。

 単身の 野菜不足に 恐怖して
 ニンジンたっぷり
 朝の雑炊

 二十四日のことです。
 前日、両足が痛くなって、歩くのに不便なほどになりました。
 あわてて高知市内の病院にいきましたが、原因不明。鎮痛剤をもらってきました。
 七月末から休まずに走ってきました。
 今度の日曜日には休もうと決意をしていますが……。

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2005.08.25

四国、よいとこ 18 「夏ナス」と「秋ナス」

 二〇〇五年八月二十五日。

 二十四日の夜、高知市で、うれしいことがありました。

 その話は、またにして、今夜は、「秋ナス」のことです。
 「秋ナスは嫁に食わすな」ということわざの意味が、この間、僕の周辺で議論になりました。
 いろんな説があるようですね。
 ところで、ナスのことです。
 高知県いの町で農業をしている弟によると、「夏ナス」は、もうそろそろ終わり。秋になると、同じナスが新しい枝をつけて花を咲かせ、そして、「秋ナス」がなるのだそうです。

 高知県安芸市(あきし)のホームページを見ると、安芸市はナスの産地として知られているようです。
 <本市は、園芸王国・高知県において、温暖な気候や長い日照時間そして地味肥沃な土壌を活かした生産性の高い「施設園芸の先駆けの地」として知られています。
 中でも、施設園芸の主要作物である「なす」は、約600戸の農家が174haを栽培し、日本一の冬春なすの生産地として、京浜地区を中心に全国の大消費地に出荷されています。>
 <なすの学名は、Solanum melongena L.といい、なす科(Solanaceae)の植物で、トマト、トウガラシ、ジャガイモなどと同じ科に属します。
 なすの原産地は、インドと推定されており、中国に4~5世紀に、日本に7~8世紀、ヨーロッパに13世紀頃伝わったと考えられています。
 日本におけるなすの栽培の最も古い記録として、東大寺正倉院文書に、「天平勝宝2年(750年)6月21日藍園茄子を進上したり」とあり、倭名類聚鈔923~930年に和名を奈須比と記載されています。従って、わが国のなすの栽培は、1200年以上の年月が経っています。>
 <なすは、日本への渡来も古いだけに、独自の品種に分化、発達してきました。なすの品種は、主に果色、形状、へたの色及び栽培期間の長短で区分されます。果色は、黒紫から白色まで、果実の形状は、大長、長、中長、卵、球があり、へたの色は、紫、緑があり、栽培期間は、極早生から晩々生までがあります。昭和10年頃までは、各地で在来品種が選抜・保存されその地方独特の品種が生まれました。高知は、普通なす、博多は、長なす、大阪の水なすなどがその代表的なものです。
 安芸市をはじめ、県内で栽培されている主な種類は、以下のとおりです。
 普通なす(竜馬)
 千両なす
 米なす(くろわし)
 長なす(黒陽)
 小なす(十市)>
 <(ナスの)90%以上が水分で、残り10%弱が糖質です。注目すべきは、低カロリーであることと、皮に含まれる抗酸化成分です。アントシアニン系の色素「ナスニン」が多量に含まれており、動脈硬化予防、ガン抑制作用、眼精疲労に有効であるといわれています。また、特有のアルカロイドやフェノールを含んでいるため歯痛、口内炎にも効くといわれています。さらに、あくの成分として含まれているクロロゲン酸には、身体を冷やす効果があります。>
 あきナスの紹介でした。

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2005.08.28

四国、よいとこ 20 高知県土佐山田町の朝食の店。

 二〇〇五年八月二十八日。日曜日。

 二日続けて高知県土佐山田町にやってきました。
 午前九時半に約束していましたが、目的地についたのがなんと午前七時半。
 「どこかゆっくりできる所はないかなぁ。うーん、日曜日だからなぁ」と思って探していると、大きなうどん屋さんに「モーニングサービス」の旗がひらめいていました。
 やっほー。
 さっそく入って「和食セット」五百円也を注文。
 どんぶりごはん。ひものの焼いたの。卵焼き。茶碗むし。サラダ。ヨウカン。つけもの。飲み物。
 たっぷりした朝食でした。 
 さーて、仕事、仕事。

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2005.09.02

四国、よいとこ 21 オクラの花。

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 二〇〇五年八月二十八日朝。

 高知県土佐山田町にいったら畑にきれいな花が咲いていました。黄色に中央が赤色の花です。ハイビスカスやムクゲと似ています。
 その畑で農作業をしていた女性に「何の花ですか」と聞くと、オクラだということでした。
 後で調べたらオクラは、アオイ科トロロアオイ属です。アフリカ東北部原産です。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語(Twi)のnkramaだといいます。若い果実が食用に供されます。果実には独特のぬめりがあり、いわゆる食物繊維が豊富です。
 花が咲くのは夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまといいます。

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四国、よいとこ 22 自転車も運んでくれます。

 二〇〇五年八月二十九日夜。

 高知市内でタクシーに乗ったら、このタクシーが自転車も一緒に運んでくれるタイプのものでした。
 自転車でいっていたが雨が降り出して困ってとか、自転車で飲みにいったけどかなり飲んでしまって…という人が利用しするとのみとです。
 ちなみにSハイヤーのタクシーでした。

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四国、よいとこ 23 ニンニク入りの小麦粉を…。

 二〇〇五年九月一日。

 家に帰ってから夕食の用意。
 高知県いの町の弟がつくった小麦粉を水で溶き、たっぷりとニンニクを入れました。そして、しっかり暖めたフライパンに入れます。とろ火で湯っきり焼き上げます。
 しょう油をつけて食べると美味。

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2005.09.03

四国、よいとこ 24 たっすい。たすこい。

 二〇〇五年九月三日。

 「たっすい」
 「たすこい」
 という土佐弁がマイブームです。
 弱い。気力がない。
 くらいの意味でしょうか。
 「おまんは、たっすいねや。もっとがんがん、いい仕事をせんかや」
 自分にいいきかせていることです。
 明日は午前五時起きで、雨の中、オートバイで仕事にいく予定です。
 たっすいけんど……。

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2005.09.06

四国、よいとこ 25 台風と焼きニンニクとの関係。

 二〇〇五年九月六日。

 六月五日は香川県坂出市へ。
 夜、とってもいいことがありました。

 台風がやってきました。
 六日は、事務所のある三階建てのビルが風で揺れていました。
 土砂崩れなど、あしたが心配です。

 「あすは朝から被災地にいくことになるかもしれない。体力をつけなければ」
 で、家に帰ってから弟が持ってきてくれたニンニクを、たくさん焼いてパクパク。
 おいしい!!

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2005.09.09

四国、よいとこ 26 カン、カンとカンカン石をたたいてる。

 二〇〇五年九月七日。

 台風がいってしまいました。
 午前中の高知駅発の高速バスに乗って、高松市に。
 ここで、前からほしかった「カンカン石」(サヌカイト)の端切れを入手。
 たたくと、いい音がします。

 青空の 雲、ヒューヒューと 飛んでいく
 台風明けの
 高松の朝

 カン、カンと カンカン石を たたいてる
 静まれ、静まれ
 はやる心よ

 帰りの高速バスでスースー。目が覚めると左手に美しい景色が…。
 手前に、ため池。向こうに濃い緑の、なんともいえないいい色をした山々。

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四国、よいとこ 27 かつおたたき握り寿し

 二〇〇五年九月八日。

 午前中、高知市で仕事をし、午後零時、高知駅発のJRの列車で高松市へ。
 車内で、高知駅の店で買った六百円の「かつおたたき握り寿し」の弁当を食べました。
 うまい。
 高松市で仕事を終えて、夜、高速バスで高知市に帰ってきました。

 カバン抱き 「さぁ、寝る時間」
 いい感じ
 高速バスで いききする日々

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四国、よいとこ 28 サバの刺身

 二〇〇五年九月九日。

 仲間の一人がサバの刺身が食べたいというので、高知市の繁華街の鮮魚店へ。
 五匹さばいてもらいました。
 若い衆が料理していましたが、手際よく骨をとってしまい、美しく仕上げる姿は感動ものでした。

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2005.09.10

四国、よいとこ 29 カボチャのおいしさ。

 二〇〇五年九月十日。

 大阪の人、兵庫の人と電話をしていたら、日付が変わってしまいました。
 「なんだか腹が減った。食べるものはないか」と、探しましたが、米も尽きています。
 最後に残っていたのが、弟が、かなり前に持ってきてくれていたカボチャ。
 四つに切って、また四つに切ってという具合にして水炊き。
 やわらかくなったところで少ししょう油を入れました。
 できあがり。
 これが、ほくほくとおいしい。
 真夜中の男の手料理でした。

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四国、よいとこ 30 雨粒をたたえたピンクのフヨウ

20050910_091

 二〇〇五年九月十日午前。

 仕事で高知市の交通公園に通りかかったら、雨の中、ピンクのフヨウが奇麗に咲いていました。
 思わず写真を撮りました。

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2005.09.13

四国、よいとこ 31 子規は日清戦争の従軍記者だったんだね。

 二〇〇五年九月十三日。

 早朝から愛媛県へ。
 まず松山市。
 駅前の正岡子規の碑の説明を読むと、彼は、明治天皇の侵略戦争、日清戦争の従軍記者だったんだね。
 一八九五年、新聞「日本」の記者だった彼は、従軍記者として遼東(りょうとう)半島におもむいています。
 どんな記事を書いたことやら……。

 松山市から大洲市(おおずし)へ。
 松山市に帰って、駅前のビジネスホテルへ。

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2005.09.15

四国、よいとこ 32 高知市の寺田寅彦記念館の白いマンジュシャゲ

dsc_0042

 二〇〇五年九月十五日。

 勢い込んで午前八時に事務所に着きました。
 あんまり早すぎるので近くの高知市小津町の寺田寅彦記念館に。
 庭に、赤いマンジュシャゲ、白いマンジュシャゲと何種類もの花が咲いていました。
 ことしマンジュシャゲをじっくり見られたのは初めてです。
 いい庭ですよ。街中にぽっかり存在する静寂の地です。

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四国、よいとこ 33 高知県幡多郡出身の中年男性の「かきくけこ」。

 二〇〇五年九月十五日午後。

 高知県幡多郡出身の中年男性いわく。
 「人生の五訓は、かきくけこだ」

 か 感動。
 き 興味。
 く 工夫。
 け 健康。
 こ 恋心。

 もし「け」を失っても「か」「き」「く」ぐらいは持ち続けていたいものだと思いました。

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2005.09.16

四国、よいとこ 34 「みんな輝く楽しい学校」

dsc_0074

 二〇〇五年九月十六日。

 午前七時半過ぎの上りで高知駅から田野駅に向かっていました。
 左手の建物の壁に大きく「みんな輝く楽しい学校」の文字。
 「おーっつ!!」と感激しました。
 そんな学校であってほしいと思います。
 高知県南国市の市立後免野田小学校でした。
 このキャッチフレーズに拍手。パチパチ。

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四国、よいとこ 35 たんぽの脇に群れ咲く赤のマンジュシャゲ

 二〇〇五年九月十六日。

 午前七時半過ぎの上りで高知駅から田野駅に向かっていました。 の続きです。

 田の脇の 赤マンジュシャゲ
 めでながら
 くろしお鉄道 田野(たの)へと向かう

 田の脇の赤いマンジュシャゲは、僕の中の「高知」の原風景の一つです。

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四国、よいとこ 36 「ちょびっと だれたら…」

 二〇〇五年九月十六日。

 田野町いきのつづきです。

 土佐くろしお鉄道の列車に「へーっ」という、つり広告がありました。

 ちょびっと
 だれたら
 ホッと
 やすみに
 きいや
 ゆっくりのんびり
 田舎はえいよ

 高知県夜須町羽尾地区のログハウスの広告でした。
 なかなか土佐弁はええねや。

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四国、よいとこ 37 「百笑」という地名の読み方

 二〇〇五年九月十六日。

 前日に高知県四万十市に「百笑」という地名があって「どうめき」と読むということを聞きました。
 調べてみましたら「百笑町(どうめきちょう)」でした。
 赤鉄橋の東側の所の地名だとのことです。
 もう一つ県下に「百笑(どうめき)」がありました。
 これは小字(こあざ)ですが、春野町にあります。
 広岡のサンシャイン広岡店の周辺の小字とのことです。

 百笑(どうめき)聞く
 その日のために 走ってる
 きのうも、きょうも そして、明日(あした)も

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2005.09.19

四国、よいとこ 39  「十文字」のあいさつ文

 二〇〇五年九月十九日。

 十七日に東京から高知市にやってきた妻が、十九日に帰るということになりました。
 十九日午前、高知市の義父、義母が、妻を高知空港まで車で送るといってやってきました。
 空港いきの車に、僕も同乗しました。
 道々、最近、義父、義母たち宛に、東京在住の僕たちの息子が、結婚式のときの写真を送ってきたことが話題になりました。そえられていた手紙には、ノートのキレッパシのようなものに「十文字」の文が書かれていたとのこと。
 あっぱれ(!?)な息子です。
 そんな息子に育てた父、母として恥じ入りました。しょぼん。
 妻は、「なんということか。東京に帰ったら息子をしばいちゃる」なんて豪語していましたが、息子の前に出たらメロメロで、「しばく」なんてできそうもありません。

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四国、よいとこ 40 南国市の掩体壕、赤岡町の絵金蔵 

 二〇〇五年九月十九日のつづき。

 義父に頼んで高知県南国市の掩体壕(えんたいごう)に車をまわしてもらいました。
 前浜に、古墳のような、小山のような掩体壕がありました。

20050919_032

 その周辺に三つの掩体壕がありました。
 戦争中の高知海軍航空隊のものです。
 ものすごく心を動かされました。
 いつか、くわしく、ご報告できると思います。

 そして、車は、同県赤岡町の絵金蔵へ。
 江戸時代の土佐の絵師・金蔵の作品を収蔵しています。
 知り合いに金蔵の「やしゃご」がいます。
 絵師・金蔵についても、いつかくわしいご報告をしたいと思っています。

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四国、よいとこ 41 「この娘(こ)、なんとか幸せになってほしいなぁ」  

 二〇〇五年九月十九日のつづき。

 実は、この日は、七月末に東京都から高知市にやってきてからの初めての休日でした。
 午後四時から高知市の路面電車「橋詰」停留所近くの映画館・シネプラザ1・2で、前から見たかった韓国映画「彼女を信じないでください」を見ました。
 詐欺罪で刑務所に入っていた若い女性が、持ち前の詐欺術で仮釈放になります。そして、……。と、いう話です。
 見ていて、その娘の気持ちに同調して、「この娘(こ)、なんとか幸せになってほしいなぁ」と、のめりこんでしまいます。
 やっと彼女が、幸せをつかんで、僕の目にも涙、涙……。
 ところで、この映画館の基本料金は、千八百円。ですが、この日はサービスデー(毎月一、十、二十日)で千円でした。しかし、観客は僕をふくめて九人。こんなにいい作品なのに…。

 「なんの用?」
 迷惑様子の 息子いて
 「そんなら、いいや」と 電話切ってる

 妻に、「電話でいいから、はよう、しばけ」と指示(?)しましたが……。

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2005.10.20

四国、よいとこ 96 高知県大正町 津賀ダム工事での朝鮮人労働

 二〇〇五年十月二十日。

 朝から高知県土佐清水市へ。
 JR高知駅のホームで、この日の高知新聞朝刊
を読んでいて、投書のページの「津賀ダム工事での朝鮮人労働で学習」という記事にひかれました。
 窪川町本町の県立中村中学校生、田辺小夏さん(15)の投書です。
 大正町下道で戦争中に朝鮮人を使って津賀ダムを建設したとのことです。
 九月二十五日、この問題について勉強会をしたといいます。
 同校では十一月下旬、韓国に研修旅行にいくとのこと。彼女は「六十年前、日本人は朝鮮人にどんな差別をしたのか、強制連行とは何だったかも、勉強してきます」と、書いています。
 えらい。
 僕も、この問題についての基本知識くらいは獲得したいと思っています。
 ちょうど僕のバッグの中にあった『友情の川 日・韓高校生交流の記録』(幡多高校生ゼミナール)という本では、幡多高校生ゼミナールの人たちも、この問題を調査したいとうことです。

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四国、よいとこ 97 高知県土佐清水市 なんだか懐かしいまち。

 二〇〇五年十月二十日。

 仕事で、高知県土佐清水市にいます。
 美しいまちです。
 一度、チャンスをみて、ゆっくり歩いてみたいと思います。
 高知市の高知県立高知追手前高校の女子の同級生が、このまちの出身でした。高校時代は高知市で下宿していました。優しい話し方をする人で、色が白くて髪が真っ黒なチャーミングでした。
 高知市の高知大学の一年生の時、クラスの仲間たち(T君とM君でしたか…。もう一人いたかもしれません)と高知市から自転車でここにきたことがあります。スポーツ用ではなく、僕は父が出勤用に使っていたものを借りてきたと思います。
 新婚旅行のときにも立ち寄ったと思います。
 ということは、今度が三度目でしょうか。
 ここで、十年前、東京から電話で話したことのある男性と出会いました。元校長です。
 漫画家の手塚治虫さん(故人)に似た、素敵な七十歳でした。

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四国、よいとこ 98 高知県土佐清水市 高知海軍航空隊第二十二分隊第五班・上杉利則。

 二〇〇五年十月二十日。

 高知県土佐清水市で『七つボタン』(上杉利則著、南の風社)という本をいただきました。
 高知市への帰りのバス、列車の中で読了しました。

 著者は、「95」で書いた高知海軍航空隊にいたとのことです。
 一九四四年九月からです。「第二十二分隊第五班」です。
 ここは偵察搭乗員を養成する所でした。
 しかし、四五年三月をもって上杉さんたちの訓練は中止になりました。
 それから、彼ら航空兵が、やらされたことは……。
 当時の上杉さんは、いまでいえば高校生の年齢でした。

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四国、よいとこ 99 高知市 テッポウユリを植えました。

 二〇〇五年十月二十日。

 夕方に高知県土佐清水市から高知市に帰り着きました。
 「前からやりたかったこと」をはじめました。
 「なんでもや」にいって、プランター、土、球根を買って、わが家の、ものすごく小さな庭を「花の園」にするということです。
 プランター一つ、土の袋一つ、テッポウユリの球根四つを買い込みました。
 「最初の一歩」です。
 「植え時」は九月から十二月。「花時」は五月から七月。
 夜の農作業、完了。
 
 そうそう、いの町の弟が、ナスと抜き菜を持ってきてくれていました。
 感謝。

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四国、よいとこ 100 「乗り物で立てったこと、ないなぁ」。

 二〇〇五年十月二十日。

 「そういえば、四国にきてから、乗り物で立てったこと、ないなぁ」
 列車、路面電車、バス。
 いずれも、どの時間帯にでも座っています!!
 東京での暮らしとは、どえらい違いです。

 つづき

 二十一日朝、東京都にいきました。
 JR浜松町駅から山手線に乗ったら例の「牛馬輸送列車」でした。
 席を使えなくしていて、みんな立っているのです。
 恐るべし東京のJR。
 人間様をなめんじゃないぞ。

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2005.10.21

四国、よいとこ 101 『定年ちいぱっぱ 〝二人はツライよ〟』

 二〇〇五年十月二十日。

 『定年ちいぱっぱ 〝二人はツライよ〟』(小川有里著、毎日新聞社)を読了。
 著者は高知県立高知追手前高校の出身で同学年。
 軽妙なタッチでかかれていますが、内容はかなりヘビー。
 一読をおすすめします。

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2005.10.27

四国、よいとこ 105 高知市 「赤い夕陽の渡り鳥」、「銀座の恋の物語」の二本立て

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 二〇〇五年十月二十六日。

 午前中、仕事で高知市愛宕町一丁目にいきました。
 あたご劇場という映画館がありました。
 十一月四日までかかっているのは小林旭さんの「赤い夕陽の渡り鳥」、石原裕次郎さんの「銀座の恋の物語」。二本立てです。正午、午後三時五分、六時十分に上映します。
 高知県いの町の町立伊野中学校の生徒だったころ見た映画でした。
 なっつかしいーーーい。
 
 この日夜、いの町の弟が高知市のわが家にやってきました。
 当時の、いの町の話になりました。
 いくつかの映画館がありました。
 伊野小学校の近く、旭町にシネマがありました。日活系でした。
 僕は、ここで父に連れられて「キング・コング」を見た記憶があります。「武器なき斗い」もみました。弟は、ここで「松川事件」を見たといいます。
 弟によると、大衆演劇の劇団もきていたといいます。舞台の合間に彼が、トコトコと舞台の上がってパフォーマンスをして拍手喝さいを浴びたそうです。まだ小学校に上がっていないころだったといいます。
 椙本(すぎもと)神社の近くに伊野文化がありました。松竹系でした。
 弟は、ここで「赤胴鈴之助」、「鞍馬天狗」を見たといいます。
 いま、いの町には映画館はゼロ。いつか、映画館を復活させたいものです。

  【付録】

  「赤胴鈴之助の歌」(藤原信人作詞、金子三雄作曲)

 剣をとっては 日本一に
 夢は大きな 少年剣士
 親はいないが 元気な笑顔
 弱い人には 味方する
 おう! がんばれ 頼むぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

 父の形見の 赤胴つけて
 かける気合も 真空斬(ぎ)りよ
 なんの負けるか 稲妻(いなづま)斬りに
 散らす火花の 一騎(いっき)打ち
 おう! がんばれ すごいぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

 山は夕やけ 一番星は
 母によく似た きれいな瞳(ひとみ)
 つらいときにも 勇気を出して
 正しい事を やりとおす
 おう! がんばれ 強いぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

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四国、よいとこ 106 何だかむなしい夜もあるさ。

 二〇〇五年十月二十七日。

 ぐちぐちと しゃべってみたい 時もある
 独りで切ない
 ある夜のこと

 弟は、あす早朝からオートバイで愛媛県大洲市にいくとのこと。
 僕は休み。
 オートバイで幡多方面にいってみようかと思っています。

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2005.10.30

四国、よいとこ 108 高知市 酒店の機関紙を読みました。

四国、よいとこ 108 高知市 酒店の機関紙を読みました。

 二〇〇五年十月二十九日。

 二十八日から東京都在住の妻が高知市にやってきていました。
 二十九日夜、僕が家にかえったら、高知市九反田の酒店の機関紙「安岡酒店BLUES」十月号を見せてくれました。
 「土佐の酒蔵の看板息子たち…」は土佐山田町の松尾酒造の五代目、松尾禎之さん。
 松尾さんは、「えびす昭和横丁」の企画にも参加しているんですね。
 酒屋の機関紙。けっこう、いい味です。

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四国、よいとこ 109 高知県土佐清水市 足摺岬で見たツワブキの花。

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 二〇〇五年十月二十八日。

 うわーっ、休み。
 朝八時半からオートバイで一路、足摺岬へ。
 国道56号から国道321号というコース。
 途中、海岸、海がきれい。
 足摺岬にツワブキの花が咲いていました。
 地元の人たちが植えて育てているものだということです。 

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四国、よいとこ 110 高知県土佐清水市 太陽のつくった海の中の橋。

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 二〇〇五年十月二十八日

 高知県土佐清水市の足摺岬のつづきです。
 ごらんください。太陽のつくった海の中の橋です。

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2005.11.01

四国、よいとこ 111 高知市 妻が去った後に残したもの…。

 二〇〇五年十月三十日。

 二十八日から高知市にきていた(東京都から)妻が、三十日朝、去っていきました。
 残ったのは彼女が調達してくれた、やぐらごたつと電気ストーブ。
 なんとか冬を迎えられそうです。
 感謝。

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四国、よいとこ 112 「この仕事 一つなしとげ… 」

 二〇〇五年十月三十一日。

 三十日、つぎのような短歌が生まれました。

 この仕事 一つなしとげ 死なんとも
 悔いはないかも
 アクセル吹かす

 三十一日、推敲しました。

 この仕事 なしとげるまで 死ねないな
 夜のバイクの
 スピード落とす

 などなど、いきつもどりつ。
 やっぱり変だけど最初のがいい。僕らしい。

 この日夜九時過ぎ、高知県の十和村(とうわそん)からオートバイで高知市に。
 須崎市の半ばまで信号にひっかからずに走れました。
 すごいことです。
 途中、窪川町で数分の小休止。
 夜空を見上げると「星が大きい!!!」。

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四国、よいとこ 113 高知県十和村 えっ、縄文早期にサヌカイトが、ここに…。

 二〇〇五年十月三十一日。

 話は前後しますが、この日午後、仕事で十和村総合開発センターにいったら、「十川駄馬崎遺跡」の出土物が展示してありました。
 その中の一点に縄文早期の石鏃がありました。
 材料は「香川県産サヌカイト」だそうです。
 香川の物が縄文初期に、どうやって、ここにもたらされたのでしょう。

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2005.11.02

四国、よいとこ 114 「あっ、うーん」と 獣の叫び あげている…

 二〇〇五年十一月一日。

 「あっ、うーん」と 獣の叫び あげている
 パソコン設定
 うまくいかぬ夜

 しくしく。

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四国、よいとこ 115 休日のいらいら…。

 二〇〇五年十一月二日。

 休みでした。
 でも、家で家事をしているといらいら。
 夕方には職場にいって仕事をしてしまいました。

 収穫は帰りに食糧を買い込んできたことです。
 夕食はカツオの刺身をたっぷり食べました。
 そして、キムチも…。
 この二つが最近の僕の好物です。

 夜は、家でDVDでアメリカ映画「きみに読む物語」を見ました。
 三度目でしようか。
 わりとわかりやすい英語なのがいい。

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2005.11.03

四国、よいとこ 116 徳島市 海軍特別年少兵

 二〇〇五年十一月三日。

 午後、徳島市で「徳島九条の会」が結成されました。
 憲法九条を守る運動をすすめる会です。
 女性が憲法九条全文を徳島弁で読みました。迫力がありました。フォー。
 海軍特別年少兵だった男性があいさつしました。 
 海軍特別年少兵。一九七二年の映画「海軍特別年少兵」で初めて知りました。
 その兵士だった人の「平和を」の話を聞けるなんて幸せな思いでした。
 映画のあらすじは、こうでしたね。
 一九四三年六月、海軍特別年少兵たちは武山海兵団に入団しました。十四歳でした。
 四四年九月三十日、年少兵たちに出動の命が下りました。硫黄島守備隊でした。
 四五年二月、アメリカ軍は硫黄島に押し寄せました。
 日本軍守備隊の二万三千余のほとんどが壊滅しました。
 その中に三千八百人にのぼる海軍特別年少兵たちが含まれていました。

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2005.11.06

四国、よいとこ 117  高知県 「コンクリの老化進みて掩体壕(えんたいごう)崩るる日まで…」

 二〇〇五年十一月五日。

 この日の高知新聞朝刊の「高新文芸」の「短歌」に、こんな作品が載っていました。

 コンクリの老化進みて掩体壕(えんたいごう)崩るる日まで平和はあるか

 安芸市の山中一夫さんの作品です。
 選者の植田馨さんの評も心に残るものでした。
 「戦争のころ、戦闘機を格納するためのドーム型掩体壕が各地に造られた。その跡が今も残っている。戦後六十年、使われたコンクリートの劣化・老朽は進み、やがて壕は崩壊してしまうだろう。しかし、その日まで今のこの平和は保つだろうか。改憲の動き、靖国問題、対米従属の海外派兵その他の問題、日本はますます平和破壊の危険な方向に向かって突き進んでいるように思えるのだがーー」

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四国、よいとこ 118 徳島市 JR徳島駅前の徳島で出版された本のある店。

 二〇〇五年十一月五日。

 仕事で徳島市のR徳島駅前にいきました。
 徳島県の出版物を探して本屋を四軒、古本屋を一軒まわりました。
 本屋では駅の正面の小山助学館。入ってすぐの左手にありました。
 古本屋は駅の左手のソゴウの入っているビルの一階の吉田書店。入って左手の奥にありました。
 計四冊ゲット。

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四国、よいとこ 119  徳島市 阿波の狸まつりで見た平和の洋傘。

 二〇〇五年十一月五日。

 徳島市の新町橋周辺にいくと、阿波の狸まつりをやっていました。
 道端のタヌキ二匹の像に、いろんな供え物が…。
 その中に開いたピンクの洋傘がありました。
 黒で「平和 子どもたちに未来を」などとかかれていました。

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四国、よいとこ 120 アメリカのサターンたち。

 二〇〇五年十一月五日。

 夜、NHK総合テレビの「サイボーグ技術が人類を変える」を見ました。
 サイボーグ技術を大量殺人に使おうとするアメリカ政府。
 それに協力する科学者たち。
 サターンの群れ。

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四国、よいとこ 121 高知市 定期観光バスのすすめ。

 二〇〇五年十一月五日。

 京都駅前にいくと定期観光バスがあって、いろんなコースがあります。
 ところが、高知駅には、そんにシステムがないようです。
 もったいない。
 こんな観光資源いっぱいの所なのに。

 たとえば、こんなコースは、いかがでしょうか。
 ● 坂本龍馬の目指した日本。明治政権が結局、侵略国家になってしまったことも踏まえて。
 ● 自由民権運動の発祥。「先覚者」の一部の裏切りによって、ついえてしまった過程もきちんとさせて。
 ● 侵略戦争に反対した人々の足跡をたどる。軍隊に反戦ビラをまいた人たち。命をかけて詩で反戦を訴えた人たち。
 ● 侵略戦争の軍事施設の跡をめぐる。

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2005.11.09

四国、よいとこ 122 高知市 長野県大桑村の知り合いの息子さんと…。

 二〇〇五年十一月八日。

 夜、高知市できっぷのいい女性と話していたら、その人の娘が、長野県大桑村の僕の知り合いの人の息子と結婚しているということがわかりました。
 娘さん夫婦は、高知市在住だとのこと。
 いやーっ、奇遇でした。
 日本は狭いねー。

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2005.11.10

四国、よいとこ 123 「韓国映画を字幕なしで見たい」

 二〇〇五年十一月八日夜。あることから韓国語の会話を学ぶことにしました。
 「韓国映画を字幕なしで見たい」が動機です。
 翌九日、韓国の映画「大統領の理髪師」を見ました。
 簡単な単語を抜き出して…という勉強です。
 さて、どこまでいけるか…。

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2005.11.11

四国、よいとこ 124 徳島市 国民学校一期生の覚えている軍歌、軍国歌謡

 二〇〇五年十一月八日午後。

 徳島市で七十一歳の女性と話しました。
 一九四一年四月、国民学校ができた年の一年生です。
 この年の十二月八日、昭和天皇は太平洋戦争を始めています。
 そのころ歌った軍歌、軍国歌謡の話になりました。
 彼女は、次々と、それらを歌ってくれました。
 よく覚えています。
 終戦は国民学校五年生の時です。
 そんな子どもが、こんな歌を…。ぞくっとしました。
 その中の一つは、こんな歌でした。

 露営の歌

 東京日日・大阪毎日新聞懸賞入選歌
 一九三七年十月
 コロムビア

 作詞:籔内 喜一郎
 作曲:古関 裕而

 一、勝ってくるぞと勇ましく
   誓って故郷(くに)を出たからは
   手柄立てずに死なりょうか
   進軍ラッパ聞くたびに
   瞼(まぶた)に浮かぶ旗の波

 二、土も草木も火と燃える
   果てなき曠野(こうや)踏み分けて
   進む日の丸鉄兜
   馬のたてがみなでながら
   明日の命を誰か知る

 三、弾丸(たま)もタンクも銃剣も
   しばし露営の草枕
   夢に出てきた父上に
   死んで還れと励まされ
   覚めて睨(にら)むは敵の空

 四、思えば昨日の戦いに
   朱(あけ)に染まってにっこりと
   笑って死んだ戦友が
   天皇陛下万歳と
   残した声が忘らりょか

 五、戦争(いくさ)する身はかねてから
   捨てる覚悟でいるものを
   鳴いてくれるな草の虫
   東洋平和のためならば
   なんの命が惜しかろう

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四国、よいとこ 125 高知市 ヤマイモのムカゴは、しょううまい。

 二〇〇五年十一月十日夜。

 高知市内のとある所でおいしいものを食べました。
 年上の女性に「これなんやろう?」
 と聞くとヤマイモのムカゴだそうです。
 「あんたは、しょう世間のことを知らん人ねえ。日曜市にも売りよらね」

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2005.11.12

四国、よいとこ 126  「死んだ人々は、もはや黙っては居られぬ以上、…」

 二〇〇五年十一月十二日午前。

 仕事で高知市の高知県立図書館にいって、あるフランスの詩人の詩句を探しました。
 何冊も本を出してもらって探しました。
 ありました。『きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(一九四九年十月二十日刊行、日本戦没学生手記編集委員会)の前文に載っていました。
 ジャン・タルヂューの詩でした(一九四三年にフランスで発行された「真夜中版」の『詩人の栄光』という詩集に収められているとのことです)。

 死んだ人々は、還ってこない以上、
 生き残った人々は、何が判ればいい?

 死んだ人々には、慨(なげ) く術(すべ)もない以上、
 生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?

 死んだ人々は、もはや黙っては居られぬ以上、
 生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?

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四国、よいとこ 127 高知市 「高知シネプラザ」が閉館しました。

 二〇〇五年十一月十二日。

 高知新聞、朝日新聞の朝刊が、高知市本町一丁目三の二二の映画館「高知シネプラザ」が十一日夜で閉館したことを伝えています。

 ● 一九七七年、同館が入居する高知プラザ館が、「高知松竹」と「高知日活モデル劇場」の複合館としてオープン。
 ● 一九九八年、「高知にっかつ」が閉館してからは「高知松竹ピカデリー」が三スクリーン(約五百席)で営業してきました。
 ● 二〇〇五年六月末、全国でシネマコンプレックス(複合映画館)に力を入れる松竹が撤退しました。
 ● 同年七月、映画館の名称を「高知シネプラザ」と変えて営業してきました。

 この間、二〇〇四年七月、市内のイオン高知でシネマコンプレックスがオープンしています。

 以下、ホームページにあった「高知シネプラザ1・2」のデータから。

 基本料金 一般¥1800 大学¥1500 高校¥1000 中学¥1000 小人¥1000 シニア¥1000 身障者¥1000
 割引情報 金曜女性(同伴者にも適応)¥1000 月曜男性(同伴者にも適応)¥1000 第2・4土曜高中小¥800 いずれかが50歳以上の夫婦ペア¥2000(年齢は要証明) サービスデー(毎月1・10・20日)¥1000 身障者付添者¥1000 周辺駐車場の駐車券提示で¥1000 誕生日(同伴者にも適応)¥1000 カード割引(JCB)一般¥300引・(マイカルポケットカード)一般¥500引 
 電話 088-872-4545
 デジタル音響 スクリーン1・SRD
 座席数 スクリーン1・190 スクリーン2・120
 駐車場 ×
 アルコール販売 ×
 DLP方式のデジタル上映対応 ×
 バリアフリートイレ ○

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四国、よいとこ 128  高知市 高知城のイチョウも色づき始めて…。

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 二〇〇五年十一月十二日午後。
 昼休みに高知市内を散歩。
 城西公園、高知城のイチョウが色づき始めています。
 高知市の遅い秋です。
 写真は高知城のものです。

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四国、よいとこ 129 おいしいよ。キムチと野菜の煮物。

 二〇〇五年十一月十二日夜。

 早い目に帰ってきました。
 ゆっくり独り夕食を楽しむ日です。
 といって、家中探しても食材が、ほぼ尽きていました。

 まず、なべに水を入れてコンロに置きます。
 キムチを洗って入れます。
 ナスの漬物の残りも洗って入れます。
 ダイコンを切って入れます。
 トマトも二つに割って入れます。
 それで、ひたすらグツグツ、グツグツ。
 できたものを醤油を少し入れたどんぶりに入れます。
 
 さあ、ご飯もできあがりました。

 う、うまい。
 キムチがいい味を出しています。
 「商品化したい」ほどのうまさです。

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四国、よいとこ 130 韓国語を「まちこ先生」に習い始めました。

 二〇〇五年十一月十二日夜。

 パソコンのソフトで韓国語を学び始めました。
 教師は「まちこ先生」。金髪で民族衣装のかわいい教師です。
 本日は、「こんにちは」、「わたしは です」。

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2005.11.13

四国、よいとこ 131 高知県日高村 錦山(にしきやま)でドウダンツツジの真紅。

 二〇〇五年十一月十三日午前。

 仕事で高知市からオートバイで県下の日高村の錦山(にしきやま)へ。
 ここでドウダンツツジの紅葉を見ました。
 ラッキー。

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四国、よいとこ 132 落花生(ピーナッツ)の秘密。

 二〇〇五年十一月十三日夜。

 高知県いの町の弟が高知市のわが家に野菜を持ってきました。
 落花生もあります。

 「で、落花生は、どうやってできるの?」
 以下、弟の説明。

 落花生はマメ科です。
 五月はじめに種をまきます。
 夏に黄色いチョウチョウのような花が咲きます。
 秋口に花が終わると花の基部から太い針のようなもの(子房柄=しぼうへい)が出てきます、これが十センチメートルくらいになりま。
 それが、地下にもぐります。
 そして、その針のようなもの先でカラにくるまれた実ができます。
 そのカラの中のものが落花生の実、ピーナッツです。
 それで落花生というのでしようか。

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2005.11.15

四国、よいとこ 133 徳島市 「府中」と書いて「こう」と読む…。

 二〇〇五年十一月十四三日。

 夕方、徳島駅から高知駅への列車に乗っていたら「府中」という駅がありました。
 「ここにも府中(ふちゅう)」があるのか」
 と思いつつ、よく見たら読み方が「こう」です。
 なんか不思議な読み方です。
 いちどいわれを調べてみたいと思いました。
 徳島市内でした。

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四国、よいとこ 134 ホウレンソウとダイコンの水炊き

 二〇〇五年十一月十五日朝。

 昨夜、今朝と同じおかずをつくって食べました。

 ホウレンソウとダイコンの水炊きです。
 しょう油のつけて食べます。
 これが「うまいーーっ」。

 以前は、肉類が中心でしたが、野菜だけのおかずでも満足できるようになりました。

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四国、よいとこ 135 高知県物部村 青空に映える紅葉。

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 二〇〇五年十一月十五日。

 仕事で高知市から徳島県勝浦町へ。
 午後〇時半に出発して、午後四時四十分に着。
 乗用車に乗せてもらったのですが、運転してくれた人は大変でした。

 途中、高知県物部村で見た紅葉が素敵でした。

 赤紅葉 ミラーにも入れ 急いでる
 仕事で越える
 四ツ足峠

 それと、各地で昨年の集中豪雨の被害地区の改修工事をやっていました。
 えぐられた山、流された家…。すさまじい被害の跡でした。

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2005.11.16

四国、よいとこ 136 高知市 帯屋町の「白菊食堂」の隣の食堂には…。

 二〇〇五年十一月十五日夜。

 この日は、徳島県小松島市泊まり。

 夜中。
 ひさしぶりに東京の妻から電話がかかってきました。
 ある新聞に最近載った高知市帯屋町にあった「白菊食堂」と、その経営者の弟さんのことについて。
 以下のような話でした。 

 この食堂のとなりの「あづま食堂」がわが家でした。
 この食堂に中学校の同学年生の女の子がいました。
 弟さんは新聞社のカメラマンで、少なくても三枚は写真を撮ってもらいました。

 この記事を読み、高知市の父母とも電話で話をして、一気に記憶がよみがえったそうです。

 十六日夜、その弟さんに電話しました。
 えーっという感じでした。
 「ひろこちゃんの…。いろいろモデルになってもらいました」
 うちの妻が「ひろこちゃん」。
 なんだか、感激。

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2005.11.17

四国、よいとこ 137 徳島市 阿波踊りが禁止されたころ

 二〇〇五年十一月十七日。

 『徳島新聞五十年史』(一九九七年三月二十五日発行)を読んでいて、徳島市の阿波踊りが禁止された時代があることを知りました。

 一九三七年七月七日、日中戦争が始まりました。
 この年八月を最後に、阿波踊りは、映画撮影の場合を除き「自粛」させられます。「自粛」という名の禁止です。

 四一年十二月八日、太平洋戦争が始まります。
 その翌年、四二年八月二十六日、二十七日にはやっています。
 内務省が、「英霊へ感謝と冥福を捧げ、銃後の国民のために」と許可したものです。

 阿波踊りが復活したのは戦争が終わった翌年の四六年八月。
 十日、十一日、十三日と開催されました。

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四国、よいとこ 138 四十歳か。悪くないねー。

 二〇〇五年十一月十七日。

 夜、近所の居酒屋に食事にいきました。ごはん、カツオの刺身、モツ、味噌汁というメニューです。
 中年の男性たちが「おまんはいくつぜよ。四十ばあかよ」と話しかけてきました。
 茶髪効果で若く見えるようです。
 「五十八よね」
 聞いてきた二人のうち若いほうが僕より一学年下でした。
 本当に四十歳なら……。

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四国、よいとこ 139 テレビとの付き合いはいつから…。

 二〇〇五年十一月十七日。

 ふとテレビとの付き合いはいつからだったのかなぁと考えました。
 一九五八年十二月一日にNHK高知放送局が開局(僕、十二歳)。翌年四月一日にラジオ高知テレビが開局しました(僕、十三歳)。
 当時は高知伊野町内野(うつの)に住んでいました。
 近所のテレビのある家にいってプロレスを見た記憶があります。
 ということはNHKはプロレスはやらないだろうから五九年四月一日以降のことでしようか(もしかしたらNHKでやったかもしれませんが)。
 ずいぶん後になって、せがんでせがんでテレビを買ってもらいました。
 うれしかったですねー。
 そして、カラーテレビの時代になりました。
 「カラーテレビが家にやってくると、天国みたいになる」くらいに思っていました。
 そのうち、いつしかカラーテレビを見るようになりましたが、それほどの感激はありませんでした。
 そのうち学校のクラブや受験に忙しくなってテレビって、あんまり見なくなりましたね。

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2005.11.18

四国、よいとこ 140 高知市 先輩宅でのイノシシ鍋

 二〇〇五年十一月十八日。

 夜、高知市の前の職場の先輩宅でイノシシの鍋をごちそうになりました。
 先輩が六十四歳。安芸市出身で「天下をとる」事業にまい進している人。
 いの町の人が六十歳。京都市出身で、一生懸命に図書館で本を読んでいる人。
 土佐山田町の人が七十六歳。小説を書く人。
 そして、僕が五十八歳。
 この男性四人で食べるイノシシ鍋は人生の味がしました

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四国、よいとこ 141 スカンポとジャワ更紗(さらさ)との関係?

 二〇〇五年十一月十八日。

 北原白秋さんの「酸模(すかんぽ)の咲く頃」の歌詞は僕には ???? です。
 何をいっているのかわからないのです。
 スカンポ、ジャワ更紗(さらさ)の意味がわからないからです。

 土手のすかんぽ ジャワ更紗(さらさ)
 昼は蛍が ねんねする
 僕ら小学 尋常科
 今朝も通って またもどる
 すかんぽ すかんぽ 川のふち
 麦が来た来た ド レ ミ ファ ソ

 本日、スカンポとイタドリが一緒かどうかということが話題になり、ネットサーフィンしてみました。
 結論的には、同じではないようですね。

 以下のように説明されています。
 スカンポは、タデ科ギシギシ属でスイバのことです。
 春から夏にかけて開けた日当たりのよい場所で多く見られます。葉は長楕円形状披針形、花は総状花序で雌雄異株です。
 雌株の花穂は成熟すると内花被片は翼状に張り出します。
 スイバという名前は、茎葉にシュウ酸を含んでいてすっぱいことからきていて、特に若い芽は甘酸っぱくスカンポとも呼ばれます。
 種子は秋に発芽し、すでにある個体は地下茎から根生葉を出して越冬します。
 根生葉は長楕円形で、基部は矢じり形になっています。
 越冬中の根生葉は真っ赤に染まっていることが多い。

 で、ジャワ更紗とは。
 インドネシアで生産されている手描きのろうけつ染めの布のことのようです。

 スカンポの秋の穂が、ジャワ更紗の色の輝きとそっくりなのだそうです。

 もっとも僕はスカンポもジャワ更紗も見たことがありません。
 きちんとした認識にしたいものです。

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2005.11.19

四国、よいとこ 142 高知市 七百円のコート

 二〇〇五年十一月十九日。

 寒くなりました。
 で、高知市の土佐女子高校前の市で古着の、薄手のコートを買いました。
 七百円なり。

 着てみると結構あたたかい。
 そて、オートバイで次の仕事場へ。

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2005.11.20

四国、よいとこ 143 「青春とはチャレンジです」。六十七歳の女性の言葉。

 二〇〇五年十一月二十日。

 午後、妻が東京都から高知市にやってきました。
 で、夜は、市内二箇所に一緒に出かけました。

 一箇所目。
 六十七歳の岡山県倉敷市の女性と話しました。父は「土居」という高知市の人だったといいます。
 ことし九月からブログのサイトを立ち上げました。
 彼女の名言。「青春とはチャレンジです」

 二箇所目。
 七十七歳の男性と出会いました。
 彼の名言。 「読んだとき、『うん、そうだ』という説得力がないとジャーナリズムはなりたたない」

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2005.11.21

四国、よいとこ 144 高知県いの町 一の谷の紅葉……。

 二〇〇五年十一月二十日。

 僕は朝から仕事で徳島へ。
 妻は、後で聞くと、高知市の父、母、いの町の僕の弟と、いの町一の谷に紅葉を見にいっていたとか。
 深山幽谷で、寒風山の山頂近くは雪があったとのこと。
 高知市内は、なんか紅葉というふうにはならないですねー。

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四国、よいとこ 145 高知市 「よさこいぐるりんバス」

 二〇〇五年十一月二十一日。

 「よさこいぐるりんバス」。
 高知駅前を基点に高知城を一周している小型バスの名前です。
 一周二十五分。運賃百円。
 高知県交通株式会社がやっています。

 これが僕の事務所の近くにもとまります。
 といっても、いつもはオートバイで動いているので乗ったことがありませんでした。

 きょうは乗ってみよう。
 午後、高知駅にいくのに乗ってみましたが、乗客は僕だけ。タクシー並みです。

 せっかくの小型バスですので、もう少し利用しなくてはと思いました。

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四国、よいとこ 146 高知市 「高知市はりまや橋からくり時計」

 二〇〇五年十一月二十一日。

 高知市で住むようになって、いきかえりに、はりまや橋を通るようになりました。
 その近くの、はりまや橋サイドビルの壁面に「高知市はりまや橋からくり時計」というのがあります。
 高さ四百センチメートルです。
 これがすぐれものです。 
 毎正時に、いろんなからくりを演出してくれます。
 僕がきっちり見たのは午後九時(だったと思います)の、よさこい鳴子踊りです。時計から飛び出した男女五人が音楽に合わせて踊るのです。
 オートバイを道端にとめて見入ってしまいました。
 高知城、はりまや橋、桂浜の坂本龍馬像などのからくりも出るそうです。
 作家は(株)乃村工藝社、製作者は株式会社老子(おいご)製作所とか。
 後者は、富山県高岡市の鐘の専門メーカーで鋳物の総合メーカーだそうです。
 人を楽しませるものをつくるというのは貴重な仕事だと思います。

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四国、よいとこ 147  高知市 高知文学学校か。すごそうだ。

 二〇〇五年十一月二十一日。

 高知文学学校(運営委員長・猪野睦さん)が、高知県民の文化向上に顕著な功績を残した個人、団体に贈られる二〇〇五年度県文化賞に決まりました(十月二十八日。他に二個人に同賞が贈られました)。
 同校は、故・土佐文雄さんらの呼びかけで一九五七年十一月十日に誕生して以来、高知県の文学の土壌をたがやし、みずからの手で文学を生みだそうと歩んできました。
 同校は「日々の暮らしのなかで自分をみつめ、社会をみつめ、希望を求め、皆が学び、文学をわがものにしていこうという学校です」。
 今年の学校は三月十七日から七月二十一日までで、週一回二こまの三十三講義がありました。場所は、高知市九反田の高知市文化プラザ(かるぽーと)九階第三学習室。受講料は一万二千円。
 内容は文学史、鑑賞、批評、創作方法と多岐にわたります。「四国防衛軍」、「まんがと土佐」、「エッセイの書き方」、「詩人槇村浩」など多彩。研究者や作家たちが講師をつとめます。
 来年も三月から七月まで文学学校が開催されます。

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四国、よいとこ 148 高知市 「温かい 灯ともる わび住まい…」 

 二〇〇五年十一月二十一日。

 温かい 灯ともる わび住まい
 月一回の
 妻がきてる日

 これは昨夜の短歌です。
 妻は、二十一日午前、東京都へ。
 僕は、本日は高知県の土佐山田町へ。

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2005.11.22

四国、よいとこ 149 高知市 初めて参加した朝の韓国語講座

 二〇〇五年十一月二十二日。

 午前八時前にオートバイで高知市内の中心部に。
 きょうから週一回の韓国語講座に参加させてもらえるのです。
 講師は韓国人の青年。
 受講生は女性二人と僕。
 ぜいたくな授業です。
 受講生の一人がつくってくれた、どんぶり一杯のみそ汁をすすりながらの受講。
 一時間の講義が、あっという間に終わりました。
 まずは、あの文字を書けるようにならなくてはと実感しました。
 五十八歳の最初の一歩です。

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四国、よいとこ 150 高知県の大正町 道端の美しい仏像。

200511122_010

 二〇〇五年十一月二十二日。

 韓国語講座が終わったら仕事、仕事。

 オートバイで高知県の十和村に向かいました。
 途中、大正町をとおりかかったら道の左にすてきな石の仏像が立っていました。
 通り過ぎてから、また戻ってきて、ゆっくり見ました。
 最近、建てたもののようです。
 でも、奈良時代以降の仏像の美しさのを一つに凝縮したような作品でした。
 写真をアップしました。
 
 ところで、風邪気味なのにいきかえり七時間のオートバイ走行はきつかったですね。
 帰りに、「自分にご苦労さん」のプレゼントを買い、風邪薬を仕入れて家路をたどりました。
 よーっし、明日は元気になるぞ!!!!!

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2005.11.23

四国、よいとこ 151 「明日、やらなければならないこと」。

 「やること」を 書き連ねている 前の夜
 三十三ある
 ま。一つからやる。

 二〇〇五年十一月二十二日。

 うーん。仕事が押し寄せてきて追いつめられている気分。

 で、「明日、やらなければならないこと」を書き抜いてみました。

 計三十三件ありました。
 それでも、書き出してすっきりしました。

 そろそろ寝るとしましょうか。
 この間、妻がきたときに布団用のこたつを買っておいてくれました。
 これが具合がいい。
 これがないと震えそうです。

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2005.11.24

四国、よいとこ 152 高知市 追手筋で日曜市をやり始めたのはいつからだろうか?

 二〇〇五年十一月二十三日。

 高知市追手筋で日曜市をやり始めたのはいつからだろうか?

 ある人からいただいた『高知市街路市開設三百周年記念 街路市資料集』(一九九一年三月三十一一日発行、編集・発行・高知市商工労政課)を読んだら、そのことが書いてありました。
 一九四六年からでした。

 日を追うにしたがって観光資源にもなり、六九年六月四日には市観光課が、「土佐の日曜市 高知市」のポスターをつくっています。

 妻が途中までいっていた市立追手前(おおてまえ)小学校、僕がいっていた県立高知追手前高校も、その追手筋にあります。
 けど、なぜか、高校時代には日曜市で買い物をした覚えがないなぁと考えこんでしまいました。、
 ああ、そうか。その日は学校が休みで高校にはいっていなかったんだ……。

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四国、よいとこ 153 高知県  「きょうは、ひやいねー」

 二〇〇五年十一月二十四日。

 「きょうは、ひやいねー」
 午前六時に目覚まし時計はなりました。が、「午前六時半」にかけなおして、もうひと寝入り。
 午前六時半起床、風呂をわかしてざぶん。
 「うーん、ぬくい」
 さてさて、きょうは県外に出張です。

 ところで「ひやい」は寒いの高知弁。
 高知で「寒い」という言葉を聞くと、「この人は県外からきた人だな」とさっしがつきます。

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四国、よいとこ 154 広島市 廣島陸軍階行社(かいこうしゃ)付属済美学校の碑の前の水のコップ

20051124_033

 二〇〇五年十一月二十四日。

 水のコップ
 児童らの 被爆碑の前 置かれている
 「水を!」の叫び

 本日は仕事で朝から広島市へ。
 八丁堀七の一四、広島YMCAにある「済美学校之碑」の前に立ちました。「せいび」と読みます。

 同校の正式名称は「廣島陸軍階行社(かいこうしゃ)付属済美学校」。一八七二年創設の開成社(陸軍の互助団体)を前身とする陸軍偕行社の経営する軍人や高級官僚子女のための学校でした。
 一九四五年八月六日、あのアメリカによる残虐な兵器、原子爆弾が広島に落とされました。
 この学校の校舎は壊滅、職員、生徒多数がアメリカに殺されました。
 ここは、その校舎があった所のようです。

 壁には日本共産党員の詩人・峠三吉さんの作品が刻まれています。

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2005.11.26

四国、よいとこ 155 高知市 「かつおたたき握り寿司」 

 二〇〇五年十一月二十六日。

 本日は、昨日につづいて高知市から高速バスで松山市へいきます。

 この三日間、朝、高知駅にいって「かつおたたき握り寿司」を買い込み、列車やバスの中で食べています。
 六個入っていて六百円。けっこうおいしい。
 「土佐名産」とありますが、それに値します。

 そあ、まずは一眠りしてから食事にしましようか。

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四国、よいとこ 156 愛媛県新居浜市 江戸時代の「渡辺綱鬼女退治図」の絵馬

20051126_1_002

 二〇〇五年十一月二十六日。

 仕事で愛媛県新居浜市にやってきました。
 目的地の近くに堀江神社がありました。
 そこに江戸時代の「渡辺綱鬼女退治図」の絵馬があるというので宮司にお願いして見せてもらいました。

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2005.11.28

四国、よいとこ 157 愛媛県 太平洋戦争下の県下のこと三つ

 二〇〇五年十一月二十七日。

 前日から愛媛県新居浜市にいっていて、太平洋戦争下の愛媛県について三つのことを知りました。

 ● 松山空港近くの松山市南吉田町の住宅街の中に三基のコンクリート製の掩体壕が残っているとのことです。
 ここには一九四三年十月一日、松山海軍航空基地と松山海軍航空隊が置かれました。
 当時は、三十八基のコンクリート製掩体壕と、二十五基の土製掩体壕があったといいます。
 四五年五月四日、ここを狙ったアメリカ軍B29十七機の空襲があり六十九人が死亡しています。

 ● 西条市小松町に西条海軍航空隊があったということです。
 ここでも中学生が動員され掩体壕(えんたいごう)をつくらされました。
 ここの飛行場は、逓信省がパイロットを養成する航空機乗員養成所として一九四二年に開設、四五年に海軍の西条航空隊に改められました。五年間の教育を受ける本科生と、十七-十九歳で入学して一年足らずで卒業する操縦生に分かれました。本科生は卒業前に終戦を迎え、戦場に出たのは操縦生だけでした。
 ずいぶんアメリカ軍の戦闘機の機銃掃射を受けたようです。

 ● 愛媛県の三箇所にアメリカ軍の模擬原爆が投下されたということです。
 模擬原爆は、原爆用爆弾に約四・五トンの火薬を充填(じゅうてん)したものです。
 アメリカ軍第509混成群団が、日本に対する高度約九千メートルからの原爆投下を成功させるための投下訓練と、爆発後の放射線から逃げるための急旋回(急転、退避)の訓練を目的として一九四五年七月二十日から八月十四日に日本各地に模擬原爆を投下しました。
 東京、富山、長岡(新潟県)、敦賀(福井県)、福島、島田(静岡県)、焼津(静岡県)、浜松(静岡県)、名古屋、春日井(愛知県)、豊田(愛知県)、大垣(岐阜県)、四日市(三重県)、大阪、和歌山、宇部(山口県)、新居浜(愛媛県)など四十四目標に四十九発を投下しました。
 七月二十四日、三機の爆撃機B29が、新居浜市の住友化学新居浜製造所氷晶石工場と住友化学軽金属製造所第三精錬工場に模擬爆弾を投下、内、二発が工場などに命中し、両工場の四千平方メートルが損壊しました。住友化学新居浜製造所氷晶石工場では死傷者八人。住友化学軽金属製造所第三精錬工場では傷二十八人。
 同日、西条市西条のクラレ西条工場に投下。傷七人。

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2005.11.29

四国、よいとこ 159  高知県 高知女子大廃学反対の運動の話

 二〇〇五年十一月二十九日。

 『香美の女たちが語る こんなこともあったぞね』(十一月発行、香美郡女性生活史作成の会)を読ませていただきました。
 高知県香美郡の女性たちの生活史が載っています。
 その中に、高知女子大廃学反対の運動のことが載っていました(夜須町の福留雅子さんの手記)。
 こんな運動だったといいます。

 一九五四年夏、高知女子大廃学の話が持ち上がりました。
 高知県のような貧乏県に女子大はぜいたくすぎるというのが県の言い分でした。
 九月、高知女子大の全学生大会が開かれ、女子大廃学反対闘争会が結成されました。
 学生たちは、県下を七ブロックに分け、出身者を担当に当てて、あらゆる団体をまわり協力をお願いしました。あらゆる層の女性の支持を受け、存続をの署名とカンパが届けられました。
 十月、小雨の中を無言のデモをしました。帯屋町通りを抜け、電車通りから県庁に向かいました。存続の趣意書を総務部長に手渡し、静かに学校に帰ってきました。どの顔も涙にぬれていました。教師たちはかけよって学生たちを迎えました。 

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2005.11.30

四国、よいとこ 161 高知市 牧野富太郎さんのノジギク

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 二〇〇五年十一月三十日。

 ひさしぶりの休み。

 前日の約束どおり、午前十時、弟がやってきました。オートバイでツーリングする予定です。
 しかし、僕のほうが風邪気味。
 高知市五台山の県立牧野植物園いくことにしました。
 ノギクがいっぱい咲いていました。
 「ああ、これがノジギクか」
 キク科キク属。
 Chrysanthemum japonense (Makino) Nakai
だそうです。
 属名 Chrysanthemum キク属
 種小名 japonense 日本の
 命名者 Makino 牧野 富太郎(1862-1957)
 Author名:Makino

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四国、よいとこ 162 高知市 県立牧野植物園のオオツワブキ

20051130

 二〇〇五年十一月三十日。

 高知市五台山の県立牧野植物園の続きです。

 オオツワブキがたくさん咲いていました。
 キク科ツワブキ属です。

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2005.12.05

四国、よいとこ 171 高知市 クジラ肉のアク取り、どうするんだっけ…。 

 クジラ肉 ぐつぐつ煮ながら
 亡き母の
 ふしくれだった 手を思い出す

 二〇〇五年十二月五日。

 仕事の帰りに近くのスーパーマーケットに寄ったらクジラの肉がありました。
 早速、買いこんできてニラと炊きました。
 うーん、うまい。
 
 小さい時、高知県伊野町の、わが家の「すき焼き」の肉は、これでした。
 そうだ。アクを取るべきだった。
 どうやるのかな。
 ゆがいてからアクを取って、それからほかの物と煮るんだっけ…。
 しばらくつくらなかったので、すっかり忘れています。
 
 ところで、きょうは、まっこと冷やいねー。
 と、思いながらテレビを見ていたら愛媛県の肱川(ひじかわ)河口近くに住む人も「冷やい」といっていました。
 愛媛でも、こういうんですねー。全域ではないかもしれませんが…。

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2005.12.08

四国、よいとこ 176 高知県梼原町(ゆすはらちょう) 氷ついた山の美しさ。

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 二〇〇五年十二月八日。

 午前十一時、徳島県から高知市に帰ってきました。
 午前十一時半からオートバイで県下の梼原町(ゆすはらちょう)へ。
 梼原町に入ると、うわー、雪が降ってきました。
 道路は氷ついています。
 午後二時半着。
 一時間半仕事をして、また高知市へ。
 途中、梼原町内で氷ついた山をみました。美しい情景で、しばらく見入りました。

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2005.12.13

四国、よいとこ 181 高知市 浦戸地区のタヌキたちの悲劇。

 二〇〇五年十二月十三日。

 高知市浦戸地区で、九月末から十月にかけてタヌキの死がいが、たくさん(十二匹以上)見つかりました。
 何がおこっているのでしょうか。

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2005.12.15

四国、よいとこ 183 高知市 桂浜で「あかつきの大合唱」をやったころのこと…

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 二〇〇五年十二月十四日。

 朝から仕事で、高知市の浦戸、桂浜方面へオートバイで走りました。
 走っていて、ふいに「あのころ」を思い出しました。

 高知大学の学生だったころです。
 除夜の鐘を合図に、仲間たちと市内の中心部から桂浜に向けて歩き始めました。
 桂浜に着いたら、たくさんの人が集まっていました。
 初日の出とともに、合唱です。
 「あかつきの大合唱」という行事だったと思います。

 ところで、いまのことです。
 県道14号は快調な道路です。
 太陽と太平洋が一体になって、いいシーンをつくっていました。
 すごい、これこそ「高知遺産」だと思いました。

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四国、よいとこ 184 高知市 自転車で通勤したら…

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 二〇〇五年十二月十五日。

 いつもはオートバイで通勤していますが、本日は自転車で。

 午前八時、帯屋町にいって韓国語会話の授業。みそ汁をごちそうになりました。
 終わって、そのまま出勤。
 とにかく必死で仕事。
 自転車でコンビ二へいって弁当を買い込みます。
 自転車で銀行にいって支払いなど。
 仕事を終えて帰宅途中。各所に寄り道。
 ● 登山用具の店。防寒の上着を買いました(僕の持っている衣類では最高の値段でした)。そして、赤いグローブも。
 ● 本町あたりにセルフのうどん屋がありました。「やっほー」ということで、ここで夕食。この店は一年以上も前からやっているそうです。気がつかなかった…。
 ● コンビニで買い物。
 ● 以前、妻が住んでいた帯屋町界隈を散歩。
 ● 中央公園でイルミネーションを見物。
 自転車も楽しいですね。 

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2005.12.18

四国、よいとこ 186 街で会って声をかけてくれる人

 二〇〇五年十二月十六日。

 夜九時前、仕事の帰りにコンビニに入って、出てくると、僕の名前を呼ぶ声あり。
 自転車に乗った楽器をかついだ女性でした。
 仕事で知り合った人で十九歳です。
 七月に高知市にきてから五カ月。やっと街で会って声をかけてくれる人が現れました。

 高知市の街を歩いていて、あちこちから「おー」と声がかかるような「人気者」になりたいと思う、きょうこのごろです。

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四国、よいとこ 187 映画「チルソクの夏」を見たよ。

 二〇〇五年十二月十六日。

 家に帰って大橋通りの古本屋で買ってきたDVD、日本映画「チルソクの夏」を見ました。
 結論から先にいうと、すごくよかった。
 以下、この映画を見ながらのメモです。

 日本の下関市の高校の陸上選手の四人の女子。
 韓国では、女同士が手をつないで歩いている。
 戒厳令下。 
 「カルサ ハルミダ」。
 韓国の男子高校生と日本の女子高校生の英語でのラブコール。
 流しのギター弾き。
 七夕 チルソク。
 映画「幸せの黄色いハンカチ」。
 「ラジオの電波は、海を越えられるんですね」
 「愛の力やねえ」
 「これっきり これっきり もう これっきりですか…(山口百恵さんの歌)」
 「いっちゃん。煮物つくったけん。お母さんに」
 「ええけ。ええけ」
 「うん。ボロボロ」
 「あれが、きたんよ。一か月も遅れて」
 「なんか、これは」
 カメラいい。映像がエイゾー。
 「私の伯父さんは、日本兵に殺されたのよ」
 「今年の七夕、アン君にあえますように」
 「体育大学なら、大丈夫ぞ」
 「こいつは、うちの店のカラオケ、ぶち壊したぞ」
 「チルソクの約束を思い出して…」
 「ネー」
 「韓国の受験体制は厳しく…」
 「ばっきゃろーーーッ」
 「目標決めて、クリアするのが楽しいんやろう」
 「うちには、金なんかないぞ」
 「ありがとう。♪およばぬことと あきらめました だけど恋しいある人よ ままになるなら いま一度 一目だけでも会いたいの…」
 「アン君だけが男やないけん」
 「カルメン」
 「なごり雪」を歌うアン君。
 「何をやっているんだ。日本語の歌は禁止だ」
 「やけど、しょうがないやん」
 「君の友だち、勉強不足だね。ハングルが、ひどすぎる」
 「五番ゲートで待ってる」
 「母のおじさんが日本人に殺されたみたい。それで日本人が嫌いみたい」
 「ほんとに、おかしいよ」
 「同じ十七歳なのに…」
 「フサンでも日本のレディオが聞けた」
 「七夕に会えてよかった。来年も、会えるやろうか」
 「今度会うのは四年後。長いね。けど、絶対に会おうね」
 「目を閉じて」
 四人の女子高校生の友情に乾杯。
 「去年より ずっと きれいになった…」
 「アンくんーん」
 「私は結婚し、そして、離婚も経験したよ」
 女性の主人公の演技がいい。
 「懐かしい思い出のために」
 またも「五番ゲート」。
 またもや「なごり雪」。

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四国、よいとこ 188 うおおおおおーっ、「連絡船うどん」か。

 二〇〇五年十二月十七日。

 土曜日でも仕事。朝、高知駅を高速バスで出発し、JR高松駅に。
 途中で雪が降り始めました。
 高松駅の構内に「連絡船うどん」というのがあるのを「発見」(駅の外からも入れます)。
 「おーっっっ」という感じで入って「きつねうどん!!」。
 うまい。
 あの、「いまはなき」宇高連絡船(高松市、岡山市間)のデッキでやっていた店だということです。
 栄光のうどん屋です。

 初めてあのうどんを食べたのは、一九六五年夏、高知大学一年生のころだったと思います。
 京都市の学生で学生の集会があって、先輩たちと参加しました。
 そのとき、ここのうどんを食べて「うまーい」。
 その後、名古屋市での学生の集会、東京での学生の集会などに参加するたびに、ここのうどんのお世話になりました。
 東京に出て、高知市出身の後輩と結婚し、「里帰り」や仕事で高知に帰るたびにお世話になりました。
 連絡船好きでした。
 デッキのうどん好きでした。

 それがいつの間にか消えていきました。


宇高連絡船のうどん その後

 二〇〇五年十二月二十日。

 宇高連絡船のうどんについてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』が面白いことを書いていました。
 以下、引用。

 宇高連絡船(うこうれんらくせん)とは、岡山県玉野市にある宇野線宇野駅~香川県高松市にある予讃線・高徳線高松駅間を航行し、 日本国有鉄道(国鉄)・四国旅客鉄道(JR四国)が運営していた鉄道連絡船。
 ホバークラフトによる「急行」も運航されていた。
 1988年(昭和63年)4月10日、本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業したことから、前日限りで普通便とホバー便の運行は廃止され、宇野周辺の利用者のために残された高速艇の運航も1990年(平成2年)3月に休止、翌年廃止となり、国鉄・JR四国の運営した「宇高連絡船」は消滅した。
 なお、平行して運行していた他の会社(四国フェリー・宇高国道フェリー)の宇高航路は、瀬戸大橋の道路の通行料が高いことなどから今でもトラックドライバーなどから愛用され、存続している。」

 宇高連絡船の思い出としてよく語られるのは、連絡船デッキで販売されていた讃岐うどん。宇野から高松へ向かう船の中で食べるうどんは、茹でてから数時間経っているため、味は最高のものではなかったが、故郷へ帰る香川県民はもとより四国島民にとって、ふるさとへ帰ってきたと実感させる特別な食べ物であったようだ。船上ではないものの、高松駅構内で「連絡船うどん」の名で現存しているが、あくまで当時の味を「再現」しただけのものであり、麺はJR四国グループの製麺/うどん店「めりけんや」が作ったもの。当時と同じ製麺所から仕入れている麺ではない(連絡船に麺を納入していた製麺所は現在も営業を続けている)。このため、「ホンモノではない」という声も多い。

 ホンモノが食べることができるのは、どの店?
 僕のイメージは、甘辛いあぶらげ、スマキのスライスしたのが二つ、ネギのみじん切りが入ったものです。

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四国、よいとこ 189 高松市 また、高速バスがダウン。

 二〇〇五年十二月十七日。

 高松市での仕事が終わりました。
 牧師さんに車で「高松ゆめタウン(?)」のバス停まで送っていただきました。感謝。
 午後三時着。あと二十分で高知いきのバスがきます。
 しかし、雪で高速道路高知県大豊、愛媛県川之江間が通行止め。
 「終日駄目でしょうね」
 JR高松駅にまわりこんでJRで高知市に帰ってきました。

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四国、よいとこ 190 「友からの 酒温めて 飲んでいる…」

 二〇〇五年十二月十七日。

 夜、高知市の家に帰り着いたら、東京都の同年配の男性の友人から「カメ入りの一升の酒」が届いていました。新潟県加茂市のものです。
 早速、温めていただいています。

 友からの
 酒温めて 飲んでいる
 師走の夜の 寂しい一夜(ひとや)

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四国、よいとこ 191 「野ブタ。…」と夫との関係。

 二〇〇五年十二月十七日。

 夜、東京都の妻に電話するも、お目当てのテレビ番組を見ているせいで相手されません。
 「野ブタ。をプロジュース」という番組だそうです。最終回。

 二回目に電話したら「もうちょい」とのこと。

 夫よりテレビ番組が「上位」にあるのですね。とほほ…。

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2005.12.19

四国、よいとこ 192 「♪世界の国にさきがけて 戦争棄てた憲法の…」

 二〇〇五年十二月十七日。

 ある人が東京都渋谷区の千駄谷小学校の校歌(作詞・藤村作さん)の三番を教えてくれました。

 世界の国にさきがけて
 戦争棄てた憲法の
 こころ忘れず取り持って
 平和日本の民となる
 これが我等の将来だ

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四国、よいとこ 193 高知市に九センチの積雪

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 二〇〇五年十二月十八日。

 朝七時に起きたら、外は雪がつもっていました。

 高知市に、前夜九時二十分から、本日朝六時四十分まで雪が降りました。
 この冬初めての積雪。九センチも積もっていました。

 自転車で出勤しましたが、すべりそうでおして歩くことに…。

 この日午後、高知城の追手門の近くには夏のよさこい鳴子踊りのかっこうをした若い女性五人が勢ぞろい。県の観光コマーシャルの撮影でした。
 撮影が終わるとオーバーコートを着込んだ彼女たち。「ひやい!(寒い!)」と声をあげていました。

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四国、よいとこ 194 愛媛県松山市 白鳥のいる堀

20051219_1_005

 二〇〇五年十二月十九日。

 高知駅、朝七時半発の高速バスで松山市へ。
 まずは県庁で仕事なのですが予定の時刻までだいぶ時間があります。
 で、県庁の近所の堀之内公園を散歩。
 堀に白鳥が四羽いました。

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2005.12.20

四国、よいとこ 195 「二つもの携帯電話のアラームを…」

 二〇〇五年十二月二十日。

 二つもの 携帯電話の アラームを
 「オフ」にしている
 休日前夜

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四国、よいとこ 196 一九六三年の歌っている吉永小百合さんの映像

 二〇〇五年十二月二十日。

 夜、NHK総合テレビで一九六三年の歌っている吉永小百合さんの映像を見ました。
 白黒でした。
 年上の人ですが、なんと愛らしい!!

 ずいぶん後のことですが、映画「皇帝のいない八月」(封切・一九七八年九月二十三日)の撮影中に、彼女と話をすることができました。
 やっぱり、どきどきしました。

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2005.12.21

四国、よいとこ 198 元高知西武百貨店の行方

20051221_028

 二〇〇五年十二月二十一日。

 この日午前の、高知市南はりまや町一丁目の元高知西武百貨店の姿をまじまじと見ました。
 一九五八年からここで営業してきた高知西武百貨店(前身は土電会館)が二〇〇二年十二月二十五日で閉店し、四十四年九カ月の歴史に幕を閉じました。
 それ以降、元高知西武百貨店は、三年間「野ざらし」になっていました。
 それがとりこわされて新しいビルができるというのです。
 土電会館時代に、ここの映画館で洋画を見たことを覚えています。

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四国、よいとこ 199 白菜と日清戦争日露戦争。

二〇〇五年十二月二十一日。

 夜のNHK総合テレビの「ためしてガッテン」で、ハクサイのことをやっています。

 ホームページを探索してみると、

 ● 英語では、Chinese cabbage(中国のキャベツ)。アブラナ科アブラナ属です。

 ● 約二千年前、ヨーロッパの麦畑でアブラナ科の雑草と混じって生えていたナタネの種が麦などについて、地中海域、中央アジアを旅して中国へ。この種から、カブや漬け菜など多くの葉類が分化。そして、七世紀ころ、華北のカブと華南、華中のツケナが交雑し、十一世紀ころ結球ハクサイの原型が生まれたした。

 ● 日本に初めて入ってきたのはのは一八七五年(明治八年)です。このときの栽培はあまりうまくいきませんでした。

 ● 日清戦争(一八九四年-九五年)、日露戦争(一九〇四年-〇五年)に従軍した日本の農村出身者の兵士が中国でハクサイを初めて食べ、その大きさや味に感心し、種子を持ち帰って各地で栽培して普及しました。

 種々の記録を見ても天皇の侵略軍の食料調達は「現地調達」、つまり略奪が基本ですので、ルーツは略奪だったのだと思います。
 悲しい歴史です。

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2005.12.22

四国、よいとこ 200 高知市 また、十二月の積雪。

 二〇〇五年十二月二十二日。

 「久しぶり あなたの夢見た 大丈夫?」
 電話の妻の
 優しい口調

 昨夜のことです。
 
 ところで昨夜から寒いですね。
 氷に家を包囲されている感じです。
 こたつとストーブがありますが、それでは足りません。

 と、思っていたら、本日午前六時に起きたら、外は五センチほどの積雪。
 ぶるるる。
 新聞を読んだ後、風呂に入り、下着を三枚着込み、温かいご飯とシジミの味噌汁で食事をし、さぁ、出発。
 勉強会に出かけ、そのまま出勤です。
 本日は危ないので「徒歩」。

 追伸
 勉強会は降雪のため主催者の乗るべきバスが動かず中止になりました。

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四国、よいとこ 201 高知市 「アメリカの友のファクス着いた朝…」

 二〇〇五年十二月二十二日。

 アメリカの 友のファクス 着いた朝
 いよいよ世界も
 狭くなったか

 たぶん十年くらいは会っていない友人です。

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四国、よいとこ 202 高知市 テレビ高知のドラマ「ブラザービート」最終回。

 二〇〇五年十二月二十二日。

 夜、テレビ高知のドラマ「ブラザービート」の最終回を見ました。
 これまで、何回か、ちらちら見ていましたが、兄弟げんかが「素敵」でした。
 
 最終回の「兄貴」と婚約者の「ちさとさん」のバトルも最高。
 頑固で自分勝手な「兄貴」にパンチを。

 「兄貴」と、「ちさとさん」の結婚式まで波乱、波乱。
 リアルでハラハラのドラマでした。
 「とついでも、私はお父さんの娘だから」
 こんなこと、いってもらいたかった。
 
 いつか、このドラマのDVDを買って、ゆっくり全部見たいと思っています。

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2005.12.25

四国、よいとこ 203 高知市 ハクサイ、ダイコン、ジャガイモ。

 二〇〇五年十二月二十四日。

 夜中に帰り着いたら、玄関先にハクサイ、ダイコン、ジャガイモが置いてありました。
 いの町の弟がきていたのです。
 早速、ジャガイモをゆでています。

 きょう、新しい友だちができました。
 ハンサムな男性で、娘(二十二歳)の成長ぶりを語る口調が素敵でした。

 といっているうちにジャガイモが炊き上がりました。
 醤油をつけて食べています。
 「うまーーーーい」
 「単品」で、その味をじっくり味わいつくすというもいいですね。

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2005.12.27

四国、よいとこ 204 高松市 冬の栗林公園。

 二〇〇五年十二月二十七日。

 仕事で高知駅午前九時発の高速バスで高松市へ。

 昼休みに栗林公園へ。
 やっぱり花はありませんでした。
 しかし、いいシーンが撮れました。
 なんか詩のある景色です。

 夜八時前に帰宅。
 東京の妻がきていました。
 体調が悪いといってさっさと寝てしまいました。

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2005.12.31

四国、よいとこ 205 松山市 JR松山駅前の、もちつき大会。

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 二〇〇五年十二月二十八日。

 午前七時半、高知駅前発、松山いきの高速バスに乗車。
 松山での仕事を終えてJR松山駅に出たら、駅前で、もちつきをやっていました。JR松山駅などの主催です。
 イギリス人の若い女性が通りかかって「私にもつかせて」。
 三週間の予定で日本にきているとか。
 つきかたもさまになっていました。

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四国、よいとこ 206 「やけぼっくりにひがつく」なのか「やけぼっくいにひがつく」なのか。

 二〇〇五年十二月二十八日。

 この日夜、「やけぼっくりにひがつく」なのか「やけぼっくいにひがつく」なのかというのが話題になりました。
 『例解 慣用句辞典』(井上宗雄監修、創拓社出版)を見ると「やけぼっくいにひがつく」でした。
 「焼け木杭(ぼっくい)に火が付く」。「かつて関係のあったものは容易にもとの関係に戻りやすいということ。…燃えさしの切り株は火がつきやすいことから。…」

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四国、よいとこ 207 高知市 英夫先生の墓参り。

 二〇〇五年十二月三十一日。
 午前十一時から僕たち夫婦とM君夫婦と四人で高知市内のお墓に。
 僕とM君の高校一年生の時の数学の教師・英夫さんの墓参りです。
 二年生、三年生の時も、週に一、二回、何人かで先生の自宅に通い無料で数学を教えてもらいました。
 その後も、ずーっとお世話になりました。
 一九八六年十月二十八日没。六十七歳でした。 
 いまでは奥さんも、一人息子も同じ墓に入っています。

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四国、よいとこ 208 高知市 「うまじろう」という名のナシ。

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 二〇〇五年十二月三十一日。

 この日は、僕たち夫婦とM君夫婦と四人で高知市内をうろうろ。
 回転ずしをたっぷり食べ、喫茶店に入りという感じで午後四時までおしゃべりしました。
 M君夫婦が別れがけにくれたのが、このナシ。「うまじろう」というのだそうです。

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2006.01.04

四国、よいとこ 210 あったかい年賀状

 結婚の 写真刷り込む
 年賀くる
 「おお、とびきりの 幸せ笑顔」

 こころざし 四十四年 貫いて
 いま次の道
 先輩の顔

 「わが家(や)にも おいでください」
 年賀あり
 優しい言葉が しみる、このごろ

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四国、よいとこ 211 高知市 「成積をよくしたい」 のミス

 二〇〇六年一月二日。

 妻と高知市内を散歩。
 ある神社にいったら、そこの絵馬に「成績がよくなるように」ということを書いたものが三つありました。
 うち二つが「成積」と書いてありました。
 妻が見つけたものです。
 「よく、このミスがあるのよ」
 妻は、中学校の国語教師です。

 絵馬を見て 用字用語を チェックする
 妻、ベテランの
 国語の教師

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四国、よいとこ 212 愛媛県宇和島市 携帯電話ボックス

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 二〇〇六年一月四日。

 朝、愛媛県の宇和島駅にやってきました。
 出張です。
 改札を出て、すぐ右に公衆電話ボックスのようなものがありました。
 携帯電話ボックスでした。
 要するに、この中に入って電話するとほかの人の迷惑にならないし、まわりの音も入らないというものです。
 実際に使わせていただきました。
 うん、なかなかいい。

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2006.01.05

四国、よいとこ 213 いびきと抱き枕との関係…。

 二〇〇六年一月五日。

 いびきのことを話していたら、「抱き枕をして、横になって寝れば大丈夫」という話がありました。
 効き目があるかどうか。一時、買ってみることにしました。

 いびきをかかなくなるにはどうすればいいか、ご存知の方、教えていただけませんか。

 追伸

 とにかく、「いびきに悩まされずに、ぐっすり寝たい」が僕の熱望です。
 シングルベッドに寝ていましたが、ダブルの布団に寝ることにしました。
 ずいぶんいい感じです。
 九日には、抱き枕を買い込みました。
 確かに、いびき防止にはいいようです。
 が、気がついてみたら「天向いて」いびきを寝ています。

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2006.01.07

四国、よいとこ 214 高知市 中学生の時の同学年生二人とあったよ。

 二〇〇六年一月六日夜。

 高知市で開かれたある新年会にいったら、中学生の時の同学年生二人(いずれも男性)がきていました。
 かつての少年たちも、ことしは五十九歳、六十歳になります。
 「○○君は、がんで…」
 「○○君は、痴呆症になって…」
 八日には同窓会があります。
 「ぜんぶで七十人くらいくる予定。大阪の○○さんもくる」
 楽しみです。 

 中学生のころから世話になったT夫妻、大学生のとき世話になったO夫妻もきていました。
 「あんなにやせていたのに、こえてしもうてわからざった」
 「金髪にしちゅうきわからざった」

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四国、よいとこ 215 高知市 「数センチ雪乗せて着く下りの列車…」

 山あいは 雪の最中か
 数センチ 雪乗せて着く
 下りの列車

 二〇〇六年一月七日午前八時前、JR高知駅のホームで。
 午前八時発の上りの列車に乗ったら、しばらくして降雪のシーンに遭遇しました。

 ぽかぽかの 列車の中から
 山々の 雪景色見る
 ぜいたくな時

 岡山駅についたら下りの新幹線は十一分遅れ。「米原の雪のため」とか。

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四国、よいとこ 216 香川県丸亀市の、しょうゆ豆。 

 二〇〇六年一月七日。

 このところ、「おいしいもの」にこだわっています。
 で、今夜は、ある人にいただいた「さぬきの郷土料理 しょうゆ豆」をいただいています。
 ソラマメの加工品です。
 これは丸亀市の株式会社大西食品のものです。
 ひとことでいって「うまい」。
 
 実は、マメはあまりすきでありませんでした。
 しかし、これは、いい。
 つまみながら「ちょっと一杯」というのも可能なほどのじぶい味、おとなの味ですね。

 おいしいものをつくってくれて、提供してくれる人々に感謝!!!!

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2006.01.09

四国、よいとこ 217 高知市 マッサージ機の力。

 二〇〇六年一月八日。

 午後、高知市内の電気器具量販店に。
 デモンストレーション中のロボットのようなマッサージ機を利用。
 三十分間も。
 うーん、いいです。
 高くて買えないけど‥‥。
 日曜日の、こんな楽しみもあるのかと発見しました。

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四国、よいとこ 218 高知県いの町 音楽歌舞団カチューシャがやってきたころのこと

 二〇〇六年一月八午後。

 高知県いの町の旅館で、われらの町立伊野中学校の同窓会がありました。ことしから来年にかけて還暦を迎える学年です。
 いくつか思い出したことや発見がありました。

 ○ 町立伊野小学校の五、六年の時、小学校の講堂で音楽歌舞団カチューシャの公演があり、全校児童が見ました。
 「リンゴの花ほころび 川面にかすみたつ‥‥」という歌もうたいました。
 団員の中に伊野町出身の三宮(さんのみや)さんという若い女性もいました。
 同窓生の女性の一人は「魅せられた。ひきつけられた」と語っていました。

 ○ 伊野小学校六年生のとき、あるクラスの女性たちがストライキをやりました。
 「担任の男性の教師が男子にえこひいきする」というのが、その理由です。
 彼女たちは授業をボイコットして、ある級友の家で気勢をあげたということです。
 その時のナンバーツーだった女性いわく。「その家のお母さんが、カレーライスをつくってくれて食べた。おいしかった。ストライキは、一日で終わった」

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四国、よいとこ 219 マイパソコン復活。

 二〇〇六年一月九日。

 マイパソコン復活。
 年末から体調もよくなかったけど、パソコンの調子も最悪。
 デリートがきかない、シフトを使う文字が打てないなどなど。
 「一日たりともパソコンのない生活は成り立たない」状態ですので、超つらい。
 本日夜、またパソコンを使えるようになりました。
 ウインドーXP、OK。
 通信端末、OK。
 インターネット、メール、OK。
 ウイルス退治、OK。
 ワープロ、OK。
 ファクス、OK。
 なんか体調までよくなりそうな感じです。

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四国、よいとこ 220  「野菜をおいしく食べる」の研究(?)。

 二〇〇六年一月九日。

 最近、「野菜をおいしく食べる」の研究(?)をしています。
 料理の基本は、ここにあるのではないかと思うにいたったからです。
 今夜はシマアジのアラを二ケース買ってきました(計二百円)。
 そして、ダイコン一本、ニンニク三個と水炊きに。
 調味料はしょう油だけです。
 なかなかいけました。
 ダイコンがおいしい。

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2006.01.10

四国、よいとこ 221  香川県の小豆島 妻の父が、ここで海軍特別攻撃隊員として‥‥

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 二〇〇六年一月十日。

 仕事で香川県の小豆島へ。
 高知駅前午前七時十分発の高速バスに乗って、高松駅に。そして、フェリーで小豆島の草壁港へ。午前十時半着です。
 三時間二十分です。意外に近いですね。
 一九四五年、妻の父は、ここで五人乗りの海軍の特殊潜航艇の艇長として特別攻撃の訓練をしていました。小豆島突撃隊です。
 アメリカ軍の艦載機に機銃掃射され右肩を撃ち抜かれ、広島県の呉海軍病院に。
 広島市へのアメリカ軍の原爆投下による重傷者が、この病院に運び込まれる中、鳥取県の三朝(みささ)海軍病院に移送され、ここで終戦を迎えています。

 写真は、小豆島の内海町古江の古江湾を望む場所にある「特殊潜航艇基地跡の塔」です。

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四国、よいとこ 222 高知市 「真夜中の月確かめて干している‥‥」

 真夜中の 月確かめて
 干している
 いつもながらの 夜の洗濯
 
 二〇〇六年一月十日夜のことです。
 洗濯は毎日しますが、なぜか夜になってしまいます。
 清潔好きです。
 でもアイロンをする気がしないので、いつもよれよれの物をきています。
 うらぶれた感じですが、それが僕らしいところです。
 ま、月一回、東京から妻がきたときは、たくさんの衣服にアイロンをかけて、二階の一室いっぱいつるして帰っていきますが‥‥。

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四国、よいとこ 223 高知市 韓国映画「アナーキスト」のすごさ。

 二〇〇六年一月十日夜。

 DVDで韓国映画「アナーキスト」を見ました。
 日本の植民地下の朝鮮のアナーキスト、義烈団の物語です。
 舞台は、中国の上海(しゃんはい)です。

 「どちらかか善で、どちらかが悪か」という描き方ではなく、複雑な状況を複雑なままに描いています。
 日本の侵略下の人々の不幸です。

 「あなたたちは天才。日本人と、どこが違うの」

 「われわれが、いまやろうとしていることは、本当に、われわれの理想だろうか」

 「日本人を、いくら殺しても、独立はできん。お前は、英雄ではない。貴様らの理想は、もう終わりだ」

 久しぶりに、胸にどしんとくる、すごいものを見ました。

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2006.01.12

四国、いいとこ 227 高知市 「揉貫(もみぬ)き井戸」って、どんなもの?

 二〇〇六年一月十二日。

 朝、自転車で高知市の新堀川の桜井橋の所を通ったら、橋のたもとに「桜井跡」という高知市教育委員会の看板がありました。
 この近くに桜井と名づけられた「揉貫(もみぬ)き井戸」があったといいます。
 その看板の要旨。

 中新町(旧町名)は元来、潮田を埋め立てた町で、井戸の水質は極めて悪く、住民の半ばは江の口川上流に堰(せき)をつくり、川水を飲料水としていました。
 その解決のため、土佐藩十代藩主・豊策(とよかず)の城下町奉行・馬詰権之助親音(いまづめもとね)は、一八〇〇年に近江国(滋賀県)の井工四人に土佐で初めて「揉貫き井戸」を掘らせたところ清水が湧(わ)き出たといいます。
 当時、井側に桜樹があったことから桜井と名づけ、その由来を刻んだ記念碑を建てたといいます。

 きょうは気がつきませんでしたが、ホームページを見ると、車道の真ん中に、十センチ四方ほどの「櫻井跡」と刻まれた石が埋め込まれていたということです。いまでもあるでしょうか。

 ところで、この「揉貫き井戸」というのは、どんな工法で掘るのでしょうか。
 なぜ、ここで近江国の井工がでてくるのでしょうか。

 追伸

 一月十五日朝、もう一度現場にいってみました。
 ありました。
 まさに道路の真ん中に「櫻井跡」の石が埋め込まれていました。

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2006.01.15

四国、いいとこ 228 高知市 若者たちは自分の未来をつかもうとしています。

 二〇〇六年一月十四日。

 十三日、十四日と、平和のために行動している高知市の青年たちと話しました。

 ことし大学を卒業する予定で大学院に進学しようと勉強している女性。
 ことし調理師学校を卒業してカナダに勉強しにいこうとしている女性。
 ことし韓国に映画のことを勉強しにいこうとしている男性。この人は、発言することがすべて詩になっている、天性の詩人です。
 今月上演される芝居にでるということで、その成功のために一生懸命になっている女性。

 話を聞いていてうれしくなりました。
  「うん、がんばってるね。いい未来をひらいてね。心の中で応援してるから」
 そんな声をかけたいと思いました。

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四国、いいとこ 229 「みんなの笑顔と、天丼と、憲法九条」

 二〇〇六年一月十四日。

 横浜市の二十代の女性から素敵な年賀状をいただきました。

 九十一歳の祖父の言葉が書き込まれていました。
 彼に好きなものは何かと尋ねると、「みんなの笑顔と、天丼と、憲法九条だ」といったというのです。
 うーん。すごいおじいちゃんですね。
 おじいちゃんと彼女に乾杯。

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四国、いいとこ 230 高知市 芋けんぴのピラミッド

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 二〇〇六年一月十五日。

 朝、高知市の、ひろめ市場前を通ったら「芋けんぴのピラミッド」がありました。
 うーん、すごいデコレーションです。

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2006.01.17

四国、よいとこ 234 高知市 「花と竜」を見ました。

 二〇〇六年一月十七日。

 あたご劇場の続きです。

 もう一本の映画は日活「花と竜」(一九六二年十二月二十六日)です。
 主な出演者は、石原裕次郎さん、浅丘ルリ子さん、岩崎加根子さんなど。
 骨格のしっかりした映画でした。
 浅丘さんがいい。
 これについては、また、書きたいと思っています。

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2006.01.18

四国、よいとこ 235 高知市 「あんまり、いじろいでも、いかんぜー」

 二〇〇六年一月十八日。

 朝、こんな言葉を聞きました。
 「あんまり、いじろいでも、いかんぜー」
 「あんまり、急がさないほうがいいよ」
 と、いう意味だそうです。

 夜、ある女性に「『あのサー』、なんていいなや。あんたに似合わん」
 と、いわれました。
 へんな横浜弁(?)が、いつのまにか染みこんでいたんですね。 

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2006.01.19

四国、よいとこ 236 高知市 道端のスイセンに寄せて

 二〇〇六年一月十八日。

 二車線の 車道のわきの
 スイセンが しっかり咲いて
 新しい年

 これは、僕の働いている高知市の事務所の近くの光景です。

 新しい年は、着実に前に向いて動いています。
 きょうも平和のために献身する青年たちの発言にジーンときました。

 「詩人の言葉」で語る青年たちです。
 「平和って何だろう」と正面から問いかける男性。
 この三カ月の自分の中の前向きの変化を美しい言葉で語る女性。
 などなど。
 何人もの青年から心がポーッとするような素敵な言葉を聞きました。
 「僕は、この青年たちが大好きだ」
 痛切に、そう思いました。
 
 このことは、いつか、なんらかの形で、みんなに伝えたいと思っています。
 あんまりにも感動的で、いまは的確に表現できません。  

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四国、よいとこ 237 高知市  「恋しい」と 口に出したら…

 二〇〇六年一月十八日。

 「恋しい」と 口に出したら
 それなりに 恋しくもなる
 かの地の妻が

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四国、よいとこ 238 高知市 「ラーメンを 飲み干している…」

 二〇〇六年一月十九日。

 ラーメンを 飲み干している
 ああ、うまい
 これじゃ、しばらく 太ったままか

 自転車で帰宅していると、自宅の近くの「めちゃおいしい」ラーメン屋にさしかかりました。
 一度入ったきりですが、あの時のおいしさが忘れられません。
 しかし、脂っこいものは避けたい思いもあったりして…。
 ええい、きょうは入ろう。
 う、うまいーーーっ。
 やっぱり、いい。つゆがいいんです。

 でも、最近はできるだけ野菜と魚のおかず水にしています。
 はりまや橋の所に「バイキング方式」の食堂がありますが、そこをよく利用するようになりました。
 おかずは、お好みのものを皿に入れて…。「グラムいくら」です。
 オニオンスープと、ご飯は「中」…という具合です。

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四国、よいとこ 239 「渡り鳥」の映画と映画「南国土佐を後にして」との関係。

 二〇〇六年一月二十日。

 小林旭さんの「渡り鳥」の映画は、同じ日活の映画「南国土佐を後にして」(一九五九年)と関係があったのか。
 この日夜の発見です。

 「南国土佐を…」のあらすじは、次のようなものでした。

 「ダイスの眼」と異名をとる賭博の名手・原田謙司は、刑期満了を期に母・のぶと恋人・春江の待つ故郷・高知に向いました。
 刑務所で聞いたペギー葉山の歌「南国土佐を後にして」が、彼に特別攻撃隊で死んだ兄を思い出させ、彼は心を改めたのでした(戦争とのからみが出てくるのが、このころの映画らしいですねー)。
 亡き兄の許婚者だった、今は東京の料亭「よさこい」を経営しているはま子は、この歌が好きで昔よく歌っていました。
 謙司が帰郷すると、春江は借金のためヤクザの北村と結婚しなければならぬ身の上となっていました。
 自分の店で働いている麻子を謙司と結びつけようとしたはま子は、彼を麻子の兄・中村の世話で港湾事務所に入れました。
 しかし、前科が知られて彼は職を追われました。
 ふたたび東京に出ようとする謙司をとめる春江に、北村一味の短刀が迫りました。
 が、その時、謙司のかつての仲間・会津が現れて二人を救いました。
 東京に出た謙司は、ペギー葉山に会って勇気づけられ、はま子のもとに下宿して職を探しました。
 ある夜、北村に追れた春江が高知から逃げてきました。
 追って東京にやってきた北村は、百万円の借用証をつきつけて、謙司をおどしました。
 仲間の会津を呼んだ謙司は、その金のために、もう一度ダイスを振ることを決意しました。
 ナイトクラブ「モカ」の一室で、謙司は一世一代の勝負に乗り出しました。
 そこに、かつて謙司の就職を断わったことのある大川証券の社長が麻子とともにやってきました。
 勝負は、謙司と大川の対となり、金額は百万円につり上りました。
 ちょうどその時、ペギー葉山の歌う「南国土佐を後にして」が謙司の耳にひびいてきました。
 出たダイスの目はオール・シックスでした。
 百万円を手に入れた謙司は、その金を北村に返して彼ら一味をたたきのめしました。
 かけつけた春江と謙司は固く抱き合いました。
 春江に、故郷の母親のことをたのんだ謙司は、今は心も晴れ晴れと、ひとり警視庁に歩をはこぶのでした。

 配役は…。

 小林旭さん(原田謙司)
 小林旭さん(兄の義之)
 浅丘ルリ子(春江)
 南田洋子(はま子)
 中原早苗(麻子)

 このヒットを受けて、これをヒントにした「渡り鳥」の映画ができたというのです。

 最初は五九年。それから計八作つくられ、最後は六二年です。
 ギターと拳銃を手にした主人公が全国各地を渡り歩いて、その土地に巣くう悪玉をやっつけます。

 作品名は以下のとおり。

 「ギターを持った渡り鳥」
 「口笛が流れる港町」
 「渡り鳥いつまた帰る」
 「赤い夕陽の渡り鳥」
 「大草原の渡り鳥」
 「波濤を越える渡り鳥」
 「大海原を行く渡り鳥」
 「渡り鳥北へ帰る」

 ゆっくり、一つひとつ見直していきたいと思っています。