« ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑥ 高松宮宣仁親王の車が目の前を通りましたが……。 | トップページ | ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑧ 高知県立高知工業学校での軍事教練。 »

2008年2月10日 (日)

● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑦ 高知県戸波[へわ]から高知市帯屋町まで自転車で…。

   戸波[へわ]から高知市帯屋町まで自転車で…     

 ところで、矢野が小学校五年生の時、父と母が、戸波[へわ]から高知市帯屋町一丁目に引っ越しました(当時は、新開地といいました)

 新開地は、堀詰の鳳館裏小路を入り、帯屋町に抜ける一帯のことです。射的場、玉つき場、立ち食い店、楽器店、絵はがき屋、カフェもある繁華街でした。

 母は、この一角で大衆食堂を経営するようになりました。

 父は、この食堂の手伝をしながら日本生命の保険の勧誘員を始めました。

 四人の子どもたちは、しばらくは祖父母たちと戸波で暮らしました。

 矢野は、父母に会いたくて毎週のように、土曜日の午後、自転車を戸波から高知市帯屋町まで走らせました。延々十八キロ。仁淀川を渡り、荒倉山、または針木の山を越えてペダルをこいだのです。

 一泊して日曜日の夜、戸波に帰ってきました。

 時間もかかりましたが、台風の日にもいきました。

 矢野は、高知市永国寺の高知県立高知工業学校(五年制)へ進学たいと考えようになりました。そこで学んで機械の技術を生かす仕事について「偉い人」になりたいと思っていました。

 小学校六年生になると進学する矢野ら四人(内女子は一人)が放課後に受験の特訓教育を受けました。

 その女子と帰りの方向が一緒だったので、一緒に帰りました。少し離れて、お互いに黙りこくって歩きました。別れ際に「さよなら」「さよなら」と声を交わしました。矢野の淡い思い出です。

(藤原尋子・義一) 

|

« ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑥ 高松宮宣仁親王の車が目の前を通りましたが……。 | トップページ | ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑧ 高知県立高知工業学校での軍事教練。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/40065456

この記事へのトラックバック一覧です: ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑦ 高知県戸波[へわ]から高知市帯屋町まで自転車で…。:

« ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑥ 高松宮宣仁親王の車が目の前を通りましたが……。 | トップページ | ● 【連載 父は水中の特攻隊員でした】 ⑧ 高知県立高知工業学校での軍事教練。 »